事件から9日後・・・

廣田弘毅内閣・・・

組閣方針に不安!!と、政治に軍が口を出してきます。

2.26事件で恐怖を抱きつつあった政治は・・・軍を無視できないようになってきていました。

そして、軍には第三勢力、革新幕僚が現れてきます。

中心人物は、陸軍大佐・石原莞爾、陸軍中佐・武藤章。

2.26事件のあと、彼らが行ったのが“粛軍”。

ターゲットとなったのは、軍の重鎮たちでした。

12人いた大将のうち7人までも現役を引退し、残ったのは若い大将たちでした。

以後・・・政治介入を深めていきます。

軍務課が設置され、軍人勅諭は意味をなさなくなっていました。
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2.26
事件以後の2年間は、軍が中心となって政治を動かします。

若手の革新幕僚が動かす政治・・・強力な軍事国家へ!!

・・・4か月後に17人の青年将校に死刑判決が・・・銃殺されます。
同じ日に刑務所に収監されたのは、真崎甚三郎・・・罪名は、“反乱幇助”でした。
しかし、これに待ったをかけたのは・・・近衛文麿・・・皇道派を復活させ、軍を牽制しようとしたものだったとも言われています。


19376月総理大臣となった近衛は・・・

真崎問題は、すでに政治問題なり・・・と、無罪工作を押し進めます。

925日真崎甚三郎・無罪。

しかし、軍はもう、誰にも止められませんでした。

というのも、77日には盧溝橋事件が起こっていました。

日本と中国は全面戦争に突入していたのです。

泥沼のような長期戦・・・やがてアメリカと対立し、太平洋戦争へと突き進んでいくのです。


組織とは、反対派があってバランスがとれている・・・
そうなのかもしれません。


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