第43回 「忠と孝のはざまで」
平家打倒の陰謀は未遂に終わり・・・
首謀者の一人である西光は、斬首されました。
平家では、残る首謀者・成親をはじめ、陰謀に加わった者たちへの裁断が下されようとしていました。
「あちらへ擦り寄りこちらへ擦り寄り…。
決して落ちぶれぬ事が私の生きる事と思うておりました。
されど平家の世となり秩序が乱され、気が付けば院の近臣たる私や西光殿が平家の犬と化しておりました。
さように一生を終える事は面白うないと思うた。
似合わぬ事をしてこの様です。」
と、重盛さんに打ち明ける成親さまです。
清盛は、成親が平治の乱でも平家に敵対したことを受け斬首に処そうとしますが・・
「なにとぞ、成親さまの命だけは・・・!!
やはり私は、保元の戦の始末に信西入道が死罪をよみがえらせたは過ちであったと思うております。
古の人も 「死罪を行えば国じゅうに謀反を起こす者が絶えぬ」と言うております。
そして、今まさに そのような次第となっておりましょう!!」
重盛、今回は、国の為、平家一門の為に・・・引き下がりません!!
重盛の必死の嘆願に根負けし、成親を流罪にとどめます。
しかしわずかひと月後、成親は配流先で、食べ物を与えなかったことによる餓死。。。
って、死罪より酷いよね・・・
っていうか、流罪って、頼朝よりも酷いよね???
まさに死罪以外の何物でもない仕打ちでしょう???
こらえきれず重盛は・・・
「父上の思い描いておられる国の姿、その形が私には見えませぬ。
父上は太政大臣にまでのぼり、朝廷の要職は全て我ら一門が握っております。
厳島の社を新しくし、音戸の瀬戸を開削し、大輪田泊を修復して宋との交易を行い、宋銭を国じゅうにまで巡らせました。
この上、何が欠けていると仰せになりますか!?」
清盛は・・・「平家の棟梁ならば黙ってわしを支えよ。」と冷徹に突き放すのでした。
なのに、清盛は天皇の外戚になることしか頭に無いようです・・・!!
権力に!!権力に!!
そこには化物以外の何物でもない清盛が!!!
平家の嫡男でもあり、後白河法皇の近臣でもある重盛は、ますますつらい立場に追い込まれていきます。
重盛は後白河法皇を慰めるべく訪ねると・・・その仕打ちを知り・・・
「うずき始めておる・・・うつつに生きるもののけの血が!!」
うらめしそうに笑っていました。
伊豆では、頼朝と政子が時政に結婚の許しを請おうとしています。
時政は激怒し反対します。
そう、恩も忘れて不埒じゃ!!
頼朝は政子とともに源氏の統領となり再興したいという志を訴え、時政の心を動かした???
これって、北条の思うつぼではないの???
やっと担ぐ”みこし”・・・血統が出来た「ヤッター!!」って思っているのでは?時政
一方、京で暮らす常盤のもとに、息子の遮那王と弁慶が訪れ・・・平家を打倒すると宣言
こりゃまたびっくり
そして常盤の反対を押し切り、ふたりは平泉へ。。。
って、こんなに関わっていいの???弁慶!!って思っちゃいます。
おまけに、なんで平泉に行ったのか???解りませんよね
遮那王が平泉に行ったのは、常盤の夫・遮那王の義父の従兄弟の藤原基成のつてなんだから常盤も了承済みなのではと思うのですが??
で・・・このドラマには全く書かれていませんが当時の奥州藤原氏は金が採れて・・・それを清盛も欲しがっていたとか・・・もっと、なんか絡められたような気もしますが・・・
すんなりと終わってしまいました。
その途中、遮那王は父・義朝最期の地である尾張で自ら元服の儀式を行います。
そこで弁慶は常盤からあずかった名前を・・・こうして「義経」が誕生しました。
源氏の魂は、この二人によって・・・着々とよみがえろうとしていたのです。
が・・・こちらも。
1178年6月、清盛の娘であり、高倉天皇の后である徳子が懐妊したという待望の知らせが福原の清盛に届きます。
清盛は喜び勇んで京にはいり、平家一門に怒涛の如く、安産祈願をさせました。
そして11月、願いどおり皇子・言仁親王の誕生です。
もう、我が世の春!!最高潮の清盛です。
六波羅で平家一門をあげて催された祝宴には源頼政も招かれていました。
清盛は頼政を三位に出世させたと伝えると、頼政は涙ながらに礼を述べました。
でも・・・なんかキーマンになるのかしら???頼政さま。。。
明けて1179年2月、清盛は緊急に一門を集め、重大な決意を伝えます。
何だか疲労が溜まっている重盛が・・・倒れてしまいましたが・・・!?
話は続きます。
「機は熟した・・・!!
知ってのとおり、ついにわしは東宮の外祖父となった。
またいつ何時我らの勢いを面白う思わぬ者が現れ法皇様に要らぬ事を吹き込むやもしれぬ。
かの鹿ヶ谷の企ての如く。。。
さような事を防ぐため、法皇様にはこの館へお越し頂いてはどうかと考えておる。」
武装して法皇の御所に向かおうとする清盛や一門の前に、病に伏していた重盛が、白装束であらわれました。
法皇様あっての国づくりと思っている重盛と、清盛の国づくりとの違いがはっきり出てきました。
「分かりました。
では、法皇様の御所は私が警固致します。
五位に叙せられてよりこちら、法皇様のご恩を受けなかった事など一度もござりませぬ。
その恩の重さを例えれば、千粒万粒の宝玉よりも重く、その恩の深さを例えれば、幾重にも染めた紅の色よりも深いでしょう。
故に、私は御所へ参りいくばくかの手勢を連れて法皇様をお守り致します。」
清盛に反論しています。
顔色悪いですが・・・頑張れ!!
自分は御所を守ると宣言しました。
「いま一度言う。
これは、わしの国づくりじゃ。
それを阻むというのじゃな?
平家の棟梁であるそなたが。
我が子である…そなたが。。。!!」
清盛は自分の国づくりを子である重盛が阻もうとするのかと責め立てると、重盛は・・・。
敵は身内にあり!!ってことでしょうか???
「悲しきかな…。
法皇様に忠義を尽くそうとすれば、山の頂よりもなお高き父上の恩をたちまち忘れる事になります。
痛ましきかな…。
父上の不孝から逃れんとすれば、海よりも深き慈悲を下された法皇様への不忠となります。
忠ならんと欲すれば孝ならず。
孝ならんと欲すれば忠ならず。
進退、これ極まれり……。
かくなる上は、この重盛が首を…召され候え。
さすれば、御所を攻め奉る父上のお供もできず、法皇様をお守りする事もできますまい。
父上…!
と叫び、もし法皇を攻め入るのならば、自分の首をはねろと泣いて訴え続けます。
ああ・・・!!なんて真面目で一途な重盛・・・!!
平家の良心と言われる所以ですね。
ほんと、
重盛の命がけの懇願に、清盛も折れざるを得なくなり。。。
でも・・・そうなのよ・・・重盛の一途な忠義、孝行が、後白河法皇の付け入る隙でもあったのです。
やっぱり、化け物の間に挟まれて・・・ホント、可哀想です・・・
今回は、窪田正孝くん、とっても良かったです。
まさに迫真の演技でした。
やつれたお顔が、まさに気でもふれそうなほどに悩んでいる姿と映りました。
ほんと重盛って、平家の立場としても先妻の子ですし、危ういというか・・・だからこそ、生真面目に生きて平家の為に頑張ってきたでしょうに・・・
なにがいけなかったんでしょう???
権力に狂わされた清盛だったのでしょうか???
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平家打倒の陰謀は未遂に終わり・・・
首謀者の一人である西光は、斬首されました。
平家では、残る首謀者・成親をはじめ、陰謀に加わった者たちへの裁断が下されようとしていました。
「あちらへ擦り寄りこちらへ擦り寄り…。
決して落ちぶれぬ事が私の生きる事と思うておりました。
されど平家の世となり秩序が乱され、気が付けば院の近臣たる私や西光殿が平家の犬と化しておりました。
さように一生を終える事は面白うないと思うた。
似合わぬ事をしてこの様です。」
と、重盛さんに打ち明ける成親さまです。
清盛は、成親が平治の乱でも平家に敵対したことを受け斬首に処そうとしますが・・
「なにとぞ、成親さまの命だけは・・・!!
やはり私は、保元の戦の始末に信西入道が死罪をよみがえらせたは過ちであったと思うております。
古の人も 「死罪を行えば国じゅうに謀反を起こす者が絶えぬ」と言うております。
そして、今まさに そのような次第となっておりましょう!!」
重盛、今回は、国の為、平家一門の為に・・・引き下がりません!!
重盛の必死の嘆願に根負けし、成親を流罪にとどめます。
しかしわずかひと月後、成親は配流先で、食べ物を与えなかったことによる餓死。。。
って、死罪より酷いよね・・・
っていうか、流罪って、頼朝よりも酷いよね???
まさに死罪以外の何物でもない仕打ちでしょう???
こらえきれず重盛は・・・
「父上の思い描いておられる国の姿、その形が私には見えませぬ。
父上は太政大臣にまでのぼり、朝廷の要職は全て我ら一門が握っております。
厳島の社を新しくし、音戸の瀬戸を開削し、大輪田泊を修復して宋との交易を行い、宋銭を国じゅうにまで巡らせました。
この上、何が欠けていると仰せになりますか!?」
清盛は・・・「平家の棟梁ならば黙ってわしを支えよ。」と冷徹に突き放すのでした。
なのに、清盛は天皇の外戚になることしか頭に無いようです・・・!!
権力に!!権力に!!
そこには化物以外の何物でもない清盛が!!!
平家の嫡男でもあり、後白河法皇の近臣でもある重盛は、ますますつらい立場に追い込まれていきます。
重盛は後白河法皇を慰めるべく訪ねると・・・その仕打ちを知り・・・
「うずき始めておる・・・うつつに生きるもののけの血が!!」
うらめしそうに笑っていました。
伊豆では、頼朝と政子が時政に結婚の許しを請おうとしています。
時政は激怒し反対します。
そう、恩も忘れて不埒じゃ!!
頼朝は政子とともに源氏の統領となり再興したいという志を訴え、時政の心を動かした???
これって、北条の思うつぼではないの???
やっと担ぐ”みこし”・・・血統が出来た「ヤッター!!」って思っているのでは?時政
一方、京で暮らす常盤のもとに、息子の遮那王と弁慶が訪れ・・・平家を打倒すると宣言
こりゃまたびっくり
そして常盤の反対を押し切り、ふたりは平泉へ。。。
って、こんなに関わっていいの???弁慶!!って思っちゃいます。
おまけに、なんで平泉に行ったのか???解りませんよね
遮那王が平泉に行ったのは、常盤の夫・遮那王の義父の従兄弟の藤原基成のつてなんだから常盤も了承済みなのではと思うのですが??
で・・・このドラマには全く書かれていませんが当時の奥州藤原氏は金が採れて・・・それを清盛も欲しがっていたとか・・・もっと、なんか絡められたような気もしますが・・・
すんなりと終わってしまいました。
その途中、遮那王は父・義朝最期の地である尾張で自ら元服の儀式を行います。
そこで弁慶は常盤からあずかった名前を・・・こうして「義経」が誕生しました。
源氏の魂は、この二人によって・・・着々とよみがえろうとしていたのです。
が・・・こちらも。
1178年6月、清盛の娘であり、高倉天皇の后である徳子が懐妊したという待望の知らせが福原の清盛に届きます。
清盛は喜び勇んで京にはいり、平家一門に怒涛の如く、安産祈願をさせました。
そして11月、願いどおり皇子・言仁親王の誕生です。
もう、我が世の春!!最高潮の清盛です。
六波羅で平家一門をあげて催された祝宴には源頼政も招かれていました。
清盛は頼政を三位に出世させたと伝えると、頼政は涙ながらに礼を述べました。
でも・・・なんかキーマンになるのかしら???頼政さま。。。
明けて1179年2月、清盛は緊急に一門を集め、重大な決意を伝えます。
何だか疲労が溜まっている重盛が・・・倒れてしまいましたが・・・!?
話は続きます。
「機は熟した・・・!!
知ってのとおり、ついにわしは東宮の外祖父となった。
またいつ何時我らの勢いを面白う思わぬ者が現れ法皇様に要らぬ事を吹き込むやもしれぬ。
かの鹿ヶ谷の企ての如く。。。
さような事を防ぐため、法皇様にはこの館へお越し頂いてはどうかと考えておる。」
武装して法皇の御所に向かおうとする清盛や一門の前に、病に伏していた重盛が、白装束であらわれました。
法皇様あっての国づくりと思っている重盛と、清盛の国づくりとの違いがはっきり出てきました。
「分かりました。
では、法皇様の御所は私が警固致します。
五位に叙せられてよりこちら、法皇様のご恩を受けなかった事など一度もござりませぬ。
その恩の重さを例えれば、千粒万粒の宝玉よりも重く、その恩の深さを例えれば、幾重にも染めた紅の色よりも深いでしょう。
故に、私は御所へ参りいくばくかの手勢を連れて法皇様をお守り致します。」
清盛に反論しています。
顔色悪いですが・・・頑張れ!!
自分は御所を守ると宣言しました。
「いま一度言う。
これは、わしの国づくりじゃ。
それを阻むというのじゃな?
平家の棟梁であるそなたが。
我が子である…そなたが。。。!!」
清盛は自分の国づくりを子である重盛が阻もうとするのかと責め立てると、重盛は・・・。
敵は身内にあり!!ってことでしょうか???
「悲しきかな…。
法皇様に忠義を尽くそうとすれば、山の頂よりもなお高き父上の恩をたちまち忘れる事になります。
痛ましきかな…。
父上の不孝から逃れんとすれば、海よりも深き慈悲を下された法皇様への不忠となります。
忠ならんと欲すれば孝ならず。
孝ならんと欲すれば忠ならず。
進退、これ極まれり……。
かくなる上は、この重盛が首を…召され候え。
さすれば、御所を攻め奉る父上のお供もできず、法皇様をお守りする事もできますまい。
父上…!
と叫び、もし法皇を攻め入るのならば、自分の首をはねろと泣いて訴え続けます。
ああ・・・!!なんて真面目で一途な重盛・・・!!
平家の良心と言われる所以ですね。
ほんと、
重盛の命がけの懇願に、清盛も折れざるを得なくなり。。。
でも・・・そうなのよ・・・重盛の一途な忠義、孝行が、後白河法皇の付け入る隙でもあったのです。
やっぱり、化け物の間に挟まれて・・・ホント、可哀想です・・・
今回は、窪田正孝くん、とっても良かったです。
まさに迫真の演技でした。
やつれたお顔が、まさに気でもふれそうなほどに悩んでいる姿と映りました。
ほんと重盛って、平家の立場としても先妻の子ですし、危ういというか・・・だからこそ、生真面目に生きて平家の為に頑張ってきたでしょうに・・・
なにがいけなかったんでしょう???
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