池上彰の現代史講義


二時間の講義、たっぷり面白かったです。そして、今のロシアの政権交代劇にタイムリーかなあと、思っています。

つかみは、メドベージェフとプーチンの不思議な関係についてから始まりました。
ちなみに、どちらが偉くて最高責任者なのでしょうか?

大統領とは、国家元首であり、首相は行政のトップ、役所のトップだそうです。

一般論としては、大統領は国民の直接選挙で選ばれ、その人が首相を選ぶというもので、代表的なのが韓国やフランスです。しかし、フランスでは大統領と首相が違う別の党の場合があります。フランス第5共和政下で、所属勢力の異なる大統領と首相が混在する状態「保革共存政権」のことで、これをコアビタシオンといいます。

これに対し、大統領を議会が決めるのは、ドイツ・インド・イスラエルなどで、国会議員の選挙をして多数を占めた政党のトップが首相となります。(現在のドイツではメルケルさんです。)

では、ドイツの大統領は?これは、党に関係なく、議会の中で人格者がなります。国家元首だから、海外に行った場合、国賓として扱われますが、あくまでも象徴であって、権力はありません。

しかし、ベルギー・オランダ・イギリスなど、王族のいる場合、その人が国家元首になります。オーストラリア、ニュージーランド、カナダはイギリスのエリザベス女王が国家元首ですが、議会へは出席出来ない為、総督を代わりに置いています。

日本では、天皇陛下がこれに当たりますが、天皇陛下が国家元首だという規定はありません。あくまでも、象徴です。ややこしいですが・・・。でも、やっぱり、海外では国家元首としての扱いを受けられます。

ところで、アメリカ合衆国には首相はいません。ということは、アメリカ合衆国大統領は、首相も兼ね備えた絶大な権力を持っているということになるのです。

では、ロシアでは?
大統領が一番力を持っています。つまり、今の構造では、メドベージェフがプーチンを選んだというのが建前ですが、誰も、そうは思っていません。お飾りの大統領だと思っているのです。

エリツィンから2000年に権力を譲り受けたプーチンは1期4年を連続2期2008年まで大統領をしましたが、まだまだ若いし人気もあったので、自分の息のかかった第一副首相メドベージェフを大統領におきました。

2008年メードベージェフ・プーチン体制確立。傀儡政権の誕生?です。
まさに、東ローマ帝国の流れをくむロシアの国章、双頭の鷲の誕生でした。

メドベージェフになって、大統領の任期は1期が6年、連続2期までと、変更になりました。つまり、また、6年×2期できることとなるのですが・・・。
これから政治的に不安定になりがちです。

では、ロシアの前身、ソビエト連邦とは?

1917年ロシア革命後建国された社会主義国家で、ロシア、ウクライナなど、15の共和国で構成されている、広大な国です。

ふつう、国名は地名であることが殆どですが・・・。ソビエトとは?評議会という意味です。レーニンがあらゆる権力をソビエトへ、議会、行政、権力を集中させ、共産党が牛耳るシステムによって成り立っている人工的な国家です。それぞれの国が、大統領がいて対等で、連邦を作っているという建前の元、ロシア人が中心の共産党国家なのです。それは、今も変わりません・・・。

この、レーニンが最高責任者だったのですがレーニンが死亡すると、スターリンが絶大な権力を振るいます。スターリンの凶暴さを知っていたレーニンは遺書で、スターリンを次の指導者にしないようにと、指示していたらしいのですが、これは、スターリンの手によって握り潰されるのです。

このスターリン、独裁者となり、恐怖政治をしきます。

どんな恐怖政治かというと、1956年、スターリンの死後、共産党第20回大会にてフルシチョフが秘密報告として暴露、批判します。1934年の17回大会において、中央委員や委員候補139人のうち98人を銃殺、代議員も1956人のうち1108人を殺していたというのです。

秘密報告なので、外部には漏れませんでしたが、東側の国は参加していたので、これがCIAの知るところとなり、ニューヨークタイムズが発表するのです。

スターリンは、人を信用できない猜疑心の強い人(独裁政治化はそうなるのかなあ・・・。ヒトラーとか)で、次々と処刑します。

第二次世界大戦前、ドイツ軍はそんなスターリンの性格を熟知していたので、「ソ連軍がクーデターを起こそうとしている」というデマの情報を流します。これによって、数千人の優れた将校が殺害されました。それを見て、ドイツ軍は侵攻をはじめます。が、そのときに将校は居らず・・・。ドイツ軍によって殺された将校よりも、スターリンによって粛清された将校の数のほうが多いそうです。

こんな感じで、スターリンによる粛清は、少なくとも800万人が殺されたり強制収容所に入れられたりしました。ここで悲劇は、みんな共産党員なので、「党は絶対に正しい」のでと、死刑判決をおとなしく受け入れて殺されたというのです。

スターリンの政策として・・・。

農業の集団化があります。コルホーズ(集団農場)ソホーズ(国営農場)のことです。これは、いわゆる「富農」絶滅作戦で、広い土地を持っているお金持ちは絶滅させようという方針です。が、富農と言われた人たちは、優れた農業技術を持っていることが多かったため、その人たちを殺害するということは、農業の壊滅に繋がるのです。

ウクライナ、ここは、世界を代表する穀倉地帯ですが、ここでさえ生産が激減、飢餓が襲います。なぜならスターリンの政策は、みんなで頑張ってびっしり植えるという「密植」だったからです。
農業が壊滅しているにもかかわらず、成功したと報道し、それを真に受けて毛沢東率いる中国が(鄧小平がやめさせます。)、金日成の北朝鮮が、独立したアフリカ諸国が、飢餓が世界中に広がって、とんでもない災難を引き起こすのです。


ソビエト連邦を作るにあたって、色々な国があります。民族も色々違います。イスラム教徒に国もあります。しかし、ソビエトの共産党は宗教を否定しているので、そのイスラム教国が団結して独立したら困るので、無理やり5つの共和国に分割しました。これが、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・トルクメニスタンです。この国は、別々の国となり、ソ連の一部となります。ソ連が崩壊しても、独立していがみ合うという現在の情勢になったのです。また、グルジアは、北オセチアと南オセチアに分割し、グルジアの中に他民族を人工的に組み込んで、対立するようにしました。

他にも、独ソ戦の際に、チェチェン人をカザフスタンに強制移住させました。ドイツが戦争に負けて、チェチェン人達がもといたところに帰ると、いいところにはロシア人が住んでいました。チェチェンの恨みは今も続き、過激派のテロなどが起こっています。他にも、アルメニア、アゼルバイジャンなどでも紛争が絶えません。

これらは、スターリンが種を蒔き、負の遺産として、現在も続いています。この負の遺産によって、苦しんでいる人たちがたくさんいます。そして、これらはソ連からの独立を阻むためになされたにもかかわらず、崩壊へと進んでいくのです。

1964年スターリンから政権を継いだフルシチョフは、権力闘争に負け失脚。勝ったのは、ブレジネフでした。が、この頃からソ連は長期停滞期に入ることになります。

東ヨーロッパでも自由化の動きが活発になります。1956年ハンガリー動乱が起きます。社会主義体制を守りつつ、ソ連から離れようとしたのです。
これに対し、ソ連は改革派を処刑、当時のハンガリー首相ナジ・イムレは、ラジオ放送で西側諸国に訴えるも処刑されます。
ブタペスト市民の多くが抵抗し、犠牲になります。3000人殺され、20万人の亡命者を生みます。

また、1968年、チェコスロバキアでも、プラハの春が起きます。これに対し、ソ連はワルシャワ機構軍20万で押さえ込みにかかります。改革指導者はソ連へ連れて行かれるのです。

この、東ヨーロッパがソ連から独立するのを認めたのが、ゴルバチョフです。ここから、ソ連の崩壊が始まります。
ソ連共産党の政治構造を考えると、結局上へ上への代行主義で、すべてはトップを中心とした権力者にいく事になります。それは、個人崇拝に繋がりかねません。スターリン然り。毛沢東、金日成然りです。

しかし、本当の社会主義の理想とは?資本主義のような民間主義の金儲け主義をなくして、恐慌をなくす。というのが根本にあります。つまり、計画経済です。国営化、国有企業化し、計画して生産し、国全体の発展を目指す、というものでした。

しかし、国有企業→倒産しない→働かなくなる→平等だから給料は同じ→経済発展が止まる。と悪循環を巻き起こしました。つまり、需要と供給になっていないので、消費者が何を求めているかは関係ないので、売れ残るのです。また、品物を買う為に慢性的な長蛇の列が街で見かけられました。

社会主義とは、社会全体のものだから、自分の利益にはなりません。そうなると、技術革新も止まってしまうのです。

そんな中、1985年ゴルバチョフが書記長になります。
ゴルバチョフの三大政策は・・・
   ペレストロイカ(立て直し)
   グラスノスチ(情報公開)
   新思考外交(冷戦の終結)

だったのですが、理想と現実のギャップに悩まされます。
ゴルバチョフは、当時の国民がウォッカばかりを飲んで働かないので、働くようにウォッカを値上げ、造らない→働きなさい、としますが、ソビエト中のお砂糖が消え、国民が自分達で密造酒を造り始めるのです。

新しい政策に、国民の不満が爆発、ソビエトを立て直すのは明らかに手遅れで、崩壊の一途をたどるのです。

1991年8月、ゴルバチョフがウクライナの別荘にいた時、共産党幹部がゴルバチョフに対しクーデターを起こし、軟禁してしまいます。

これに対して、クーデターに反旗を翻し、クーデターを鎮めたのは、当時ロシア連邦の大統領だったエリツィンでした。この反乱で、エリツィンが実質的な権力を掌握し、ゴルバチョフは地位を失うのです。このゴルバチョフ、西側ではソ連の民主化を進めたとして高い評価を得ていますが、国内では、強大な、偉大なソビエトを崩壊させた張本人として、あまり、人気がないそうです。

エリツィンは、ソ連共産党の活動を停止(エリツィンのクーデター?)し、ソ連は崩壊の速度を速めます。

1991年12月、ソビエト連邦崩壊。エリツィンは、無理やり資本主義にしようとしますが、この価格の自由化は、価格の高騰を招き、市場経済は混乱します。

そうして、このエリツィンが選んだのが、ご存知、プーチンだったのです。選ぶに当たり、エリツィンの一族は汚職まみれだったため、一切刑事事件の追及はしないという密約があったとかなかったとか・・・。

2000年、プーチン大統領へ。
この時、世界では原油価格が高騰、原油や天然ガスの豊富なロシアは豊かになります。それ以外の産業は今も殆どありませんが、この豊かさがプーチン人気に繋がっていくのです。

メドベージェフに大統領を譲ったものの、にらみを効かせているプーチン。やっぱりこの人が大統領になるのでしょうね。。。

社会主義は失敗か?リーマンショックで資本主義も危うい中、この先どうなっていくのか解りませんが・・・。

ロシアの選挙では、プーチンさんが返り咲くのでしょうね。



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