適塾の謎

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適塾は・・・適々斎塾という、門弟3000人といわれる幕末最大の私塾です。

開いたのは・・・1838年、主宰者は緒方洪庵28歳でした。

名声は広まり・・・
諸国から若者が続々とやって来ました。
医師の洪庵が主宰者だったので、医家の子弟が多く入塾し、ここを巣立って行ったものの過半数は医者となり、明治の医学界に多大な影響を与えています。

他にも・・・
兵法・砲術・本草・化学・・・多方面にわたって学んでいます。
それは、適塾が医者の学校というだけでなく、蘭書解読の研究を行っていたからです。
塾生は8つの学級に分かれていました。

この中から、橋本左内・大村益次郎・大鳥圭介・福沢諭吉・佐野常民・本野盛享・箕作秋坪らが育っています。

吉田松陰の夢 松下村塾の魂 (タウンムック)

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もう一つは・・・松下村塾。
こちらは吉田松陰と行動する草莽の志士集団です。
吉田松陰、下田で密航を図り失敗、長州藩に送還されることになります。
萩城下の野山獄に・・・。

ここを仮出獄後・・・
叔父・玉木文之進の松下村塾を受け継ぎます。

その教育目的は、改革の断行を身を持って指導し、革命の実現しうる人材を育てることにありました。
そんな中、松陰は、門下生ひとりひとりの才能を見つけ、伸ばす方向を示唆します。
入塾者は300人ほどと思われますは・・・熱心に通ったものは、30名ほどといわれています。

「草莽崛起の人を望む外頼みなし」
吉田松陰は、安政の大獄の前にこのような境地に達していました。
ここにある草莽という言葉は、「孟子」の中にあります。
「草むらに隠れている隠者」という意味ですが・・・
吉田松陰が日本で最初に使ったのではないか?
といわれています。

このような草莽が・・・崛起することによって、時局を打開し、革命を成し遂げようと考えていたのです。
しかし・・・松陰は、安政の大獄によって非業の死を遂げることになります。

その意思は・・・高杉晋作・久坂玄瑞・吉田稔麿・入江九一・伊藤俊輔・山県小輔・品川弥二郎・前原一誠・赤根武人・・・・などに受け継がれて・・・革命の原動力となりました。

しかし・・・維新政府の成立を見たのは、半数にすぎません。

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松下村塾と吉田松陰―維新史を走った若者たち

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