龍馬の言葉

新品価格
¥1,575から
(2013/7/24 17:51時点)


幕末には、草莽、勤皇の志士、幕末の志士・・・

志士は、封建体制ではどうにもならなくなった世の中を改革し、人々を救うことを切実に願い、そのためには自分の命をも顧みることのない人のことです。

sisi

















これって本物なのかしら???

幕藩体制が招いた内憂外患の中から危機を訴え、批判をする革命家たちです。
今の日本を憂いで、動乱の世の中、広く天下国家の視点から自分の意思を明らかにしていきます。

意味はもちろん”志のある人”のことで、その言葉は「論語」の中にあります。

「志士仁人は生を求めて以って仁を害するなく、身を殺して以って仁をなすあり」と。。。

また、「孟子」の中にも

「志士は溝壑(こうがく)にあるを忘れず、勇士はその元(こうべ)を喪ふを忘れず」とあります。

ここから考えられる志士は・・・
「仁を備え、死を恐れない勇者」のことですが。。。

では、どうして彼らは脱藩したのでしょう。。。???
それは、何かを成し遂げる際、最終的に藩に迷惑がかかることを怖れてのことです。
つまり、藩籍があれば藩の管理下にいなければならず、広く天下の士と交わり、奔走する自由が奪われるのです。

もちろん脱藩は厳しく禁じられていました。
藩を抜けたものは、捜索の手が伸び捕まれば・・・
藩に送り帰されます。そして、永蟄居・切腹・斬刑・・・結構重い刑に処せられるのでした。

ちなみに、坂本龍馬の次姉お栄は、龍馬の脱藩の際に刀を与えています。
この刀は、お映画嫁ぎ先を去る際に夫からもらったものでした。
お栄は脱藩を助けたことで、藩から坂本家が咎められ取り潰しになることを気遣い、罪を一身に引き受けて自害するのでした。
この事に兄・権平は龍馬は行方不明・刀は紛失・お栄は急死ということで対処し、坂本家の危機を乗り切ったのです。

つまり、脱藩はとっても大変な事だったのです。

高い志をもって脱藩したものの・・・
困窮生活に耐えきれなくなって無頼の徒に成り下がる人もなくありませんでした。
坂本龍馬が脱藩したころ、京都にいた脱藩浪士の数は・・・
薩摩藩2000人・長州が300人・土佐が5人・肥前佐賀が6人・・・・他にもたくさんいましたが、数においては薩摩が軍を抜いて多かったのです。

kennsinn1
















では・・・”浪士”と”浪人”はどう違うのでしょう?
浪士は自分の志を遂げるために自主的に藩籍を離れたもので、浪人とは幕府の取り潰しで藩が消滅し、事故の意思に反して流浪の身となったものや、主君の怒りを買ったり人員整理にあったり、不正・不倫などで藩から追われたもののことです。

幕末の志士・・・カッコいい雰囲気

幕末においては尊王攘夷の思想を持って政治活動した者。。。
天下国家のため正しいと信じたことを、生命をかけて貫く人物のことなのでしょう。


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。

にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

幕末・明治(日本史) ブログランキングへ

幕末・維新 群雄ビジュアル百科

新品価格
¥1,680から
(2013/7/24 17:51時点)


尊王攘夷の旗―徳川斉昭と藤田東湖

新品価格
¥1,680から
(2013/7/24 17:52時点)