川崎尚之助と八重―一途に生きた男の生涯

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新政府軍の圧倒的な兵力を前に、東北諸藩は、次々と降伏。。。
遂に、鶴ヶ城への総攻撃が・・・!!!

大蔵の妻・登勢が被弾。

兵糧も尽き・・・補給路確保のために決死隊が編成され、八重の父・権八が参加することになりました。

「八重、わしらが場門を出るときは、にしが鉄砲隊を指揮して守ってくれ!!
 誰かが行かねばなんねえ・・・。」

降伏した米沢藩から書簡が・・・
そこには、降伏を勧めるような内容が描かれていました。
「降伏の道を探るが最善・・・」と。

冬が来れば・・・幹部は、敵が会津の冬を怖れての総攻撃と。。。
しかし、冬まで城が持つのか・・・!!!

登勢の死を知った大蔵、帰ってきた健次郎に怒り大爆発です!!!

「なぜ討ち死にしなかった・・・!!
 なじょして帰ってきた!!!
 女でさえ、命を落としている!!!
 腹を切れ!!今ここで腹を切れ・・!!!」

と、怒りに任せる大蔵。。。

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無念の健次郎さんです。。。
「もうたくさんだ・・・!!これ以上、死ぬことはねえ・・・!!!」


降伏した諸藩を巻き込んで、大軍が会津へと向かってきていると、尚之助は判断しているようです。
2000発は超えるであろう砲弾を浴びる鶴ヶ城。。。
夜中でもその砲弾は止むことはなく。。。
その砲弾の中、秋月悌二郎がお城を後にしました。。。
密命を帯びているようです。

新政府軍の総攻撃が始まって4日が経ちました。。。

何もかも戦で燃やしてしまった・・・誇りまでも・・・。
苦悩する容保。

総督の元へ・・・
会津の降伏を伝えに行った悌二郎。。。
板垣には会わせてはもらえません。。。ひとり、また一人命を失っているというのに。。。

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権八も、米の補給をして帰ってくるも・・・
砲弾を浴びて命を落としてしまいます。




「女子がすすだらけで・・・
 やっぱり、鉄砲を教えたのは間違いだ・・・
 八重・・・にしは、わしの誇りだ・・・
 皆をまもれ。。。」

総攻撃7日目。。。
悌二郎が白旗を掲げて帰ってきました。。。

降伏嘆願が受け入れられたのです。
そして間もなく、城への砲撃は止みました。

その翌日、城内の者たちに・・・女たちには照姫の口から、降伏が伝えられました。
藩士は・・・男たちは、猪苗代で謹慎が命じられます。

男たちは容保から・・・。
あ・・・その中に八重もいます。。。

殿が頭を下げるのを止めるみんな。。。

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「罪は我が一身にある。
 この上は、この一命を以って、会津を・・・皆の行く末を守る・・・!!
 何があっても生き延びよ!!!
 最後の軍命じゃ。生きよ!!!」


「お殿様は間違ってごぜえやす。
 何があっても、お殿様には生きていただかねばなりませぬ!!!」

と、八重、すっご~い!!
殿様に意見してるよ!!!
この八重の一言が効いたのか?殿は一生御宸翰を身につけて生き続けましたよ。yae5


「殿は、我らが命に代えてでも守りますゆえ・・・!!!」


そうそう、これから大蔵さんが走り回って、殿の助命嘆願を成し遂げます。


白い旗に「降参」
翌朝、降伏の白旗が城壁に掲げられました。
官兵衛にも知らせが・・・!!!

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yae8城の正面で降伏式が執り行われました。







そして、容保は謹慎所の妙国寺へと移っていったのです。






その夜・・・
「あすの夜は 何国の誰か眺むらん なれし御城に 残す月影」

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あ・・・間違いました。
スーちゃんでした。

頭上に浮かぶのは美しい会津の月。。。
辞世の句を書きしるし、猪苗代に向かおうとする八重。。。
その八重を抱いてなく母・・・謝る八重・・・そして、そんな二人を見ている尚之助がいました。。。


鶴ヶ城は明け渡しとなります。
9月23日開城。。。官軍の兵が続々と入ってきました。
女たちが磨いた廊下をずかずかと土足で入る板垣達。。。


男たちは城に残って・・・
その中には八重が・・・いえ、山本三郎がいました。

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「女だ!!女が紛れているぞ・・・!!!」

「私も猪苗代に活かせてくなんしょ!!
 お願いしやす!!私も一緒に戦いやした!!
 鉄砲で・・・!!
 私はあなたのお味方を殺しやした!!
 お願いしやす。猪苗代に・・・!!
 尚之助様・・・!!!」

そう、女がいると言ったのは尚之助・・・。
きっと、八重と、佐久と、権八のことを想って・・・
ひとり城に残されてしまった八重。。。

何もかも消えてしまったお城に立ち尽くす八重。。。
そう、八重の辞世の句は、荒城の月のモデルだとも言われています。


春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月

作詞した土井晩翠の宮城県仙台市の青葉城、同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城。そして滝廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城、く富山県富山市富山城なんかをモデルにしたようですが。。。

いろんなことを踏まえると、やっぱり鶴ヶ城がイメージ的に強いのは言うまでもありませんね。。。

尚之助は、本当に八重を死なせたくなかったのでしょうね。。。
みなさんご存知の通り、この後八重は新島襄と結婚するわけですが・・・
尚之助さんはこの後どうなったのかはあまりよく分からないのが実情です。

斗南藩の為に、いろいろ事業を始めようとしたようですが、それも武士の商売・・・。
上手くいかないまま、その上、藩は知らん顔を決め込みます。
尚之助がひとりでやったこと・・・みたいな感じになって、尚之助は多くの借金を背負うことになるのです。

本当ならば、戸籍を作るときに”妻・八重”となるところでしょうが、たくさんの借金を抱えたためにその借金を同じように背負うとなることを思って、妻の欄は空白にしてあったのでは?と言われています。

尚之助の気持ちはわかりませんが、八重が借金を背負うことがないように・・・
と思う人なら、八重を生かすために、ドラマのようなこともしたかもしれませんね。。。

だから八重は、尚之助が生きていたかどうかも解らないまま・・・
新島襄と結婚したのかも知れません。

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