会津藩 斗南へ―誇り高き魂の軌跡

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あ~お盆と夏祭りでバタバタしてなかなかじっくり見れません・・・

鶴ヶ城開城ののち、会津はお家再興の許しを得ましたが・・・領地は北辺・陸奥の国・・・23万石は3万石と減らされました。
大蔵たちはこの地を斗南とし、交易を中心とした国を作ることを決意します。

米沢の八重たちは、行商などでどうにか暮らしていました。。。

そんな八重に、お手紙が・・・
そのお手紙は、尚之助からのものでした。

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良い知らせ???と思ったその手紙は・・・離縁状でした。。。
当時は男性に三行半を言い渡されれば別れるしかなかった時代。
八重にはどうすることもできません。。。
何も言わないまま。。。
何でも一人で決める尚之助を勝手とする八重。。。甘んじて受け入れるようです。。。

その頃斗南では、寒さと飢えで多くの死者が出ていました。。。
大蔵は名を浩と改名し、藩の舵取りに当たっていましたが。。。3万石と言われても・・・実のところは7000石・・・。
まさに、藩ごと島流しにあったようなものでした。

辛抱してたら死んじまう・・・

生きてなお苦しみを味わうことになった会津藩士たち・・・
一縷の望みは北海道で奔走していた尚之助の米の買い付けでした。
しかし、尚之助は詐欺事件に巻き込まれていたのです。。。

行き倒れていたのはユキ。。。
斉藤一が家に連れて帰ると時尾がいました。
連れて来てくれた人が斉藤一だと知ったユキは・・・
新選組が人斬り集団であること、やり過ぎたために長州が会津を憎むのだ・・・と、

会津の為に命がけで最後まで戦ってくれた斉藤一たち。。。
みな生きるのがつらくて・・・恨みをぶつける相手を探してしまうのです。。。

「戦の後に、もっとつらい目に遭うなんて・・・」

東京では・・・駆け足で近代化が行われていました。

新政府もお金がないようです。。。
廃藩置県を論じています。。。

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武士が無くなってしまうと、200万の武士が失業してしまう。。。
それは、また戦が起こるかもしれない・・・武家の世に幕を引く。。。
それは、腹を切るかも知れない。。。覚悟が必要でした。


一方、尚之助の米の買い付けは、訴訟と決まってしまいます。
米の代金が工面できなかったのは、仲買人に騙されたためでしたが、3000両が用意できない・・・
斗南藩としては。。。助けようにも金がない。。。

尚之助は取り調べで、

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「藩命ではない・・・これはすべて、これはすべて私の一存で執り行ったことでございます。。。」

斗南の為にやった米の買い付け。。。
しかし無情にも山川は
「あずかり知らぬ」と返答します。

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3000両の借財を背負ったら、斗南は間違いなく野垂れ死にする。。。

自ら鬼となり、斗南を守ろうとする山川浩がそこにはいました。
そう、その借財を背負ったための離縁状と言われています。


遂に廃藩置県が行われます。斗南藩は、わずか2年でした。
藩がなくなる・・・武士は・・・殿はどうなるのでしょう???
そして・・・薩長への恨みも何処へ。。。。。


そんな不安の中、ひとりの若者が山本家へ・・・手紙を持ってやって来ました。
覚馬の使いでやってきたのでした。

消息不明だった覚馬。。。生きていたのです!!!

これから京都府に出仕することになります。
みんなを都に迎えたい・・・と思っているようです。
しかし、覚馬は時枝の間に子を儲けていました。。。

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心境複雑なうら。。。

山川浩は東京へと行くことに・・・東京に行ったみんなの身がたつ様に・・・
散り散りとなる会津藩士たち。。。

その時梶原平馬は・・・二葉と離縁するのでした。
山川家に戻って二葉と寅次郎を東京へと頼む平馬。。。

「別れるのはいやでごぜえます。。。
 私は・・・梶原平馬さまの妻にごぜえます。。。」

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「無理言うな・・・俺はぬけがらだ・・・
 東京でやり直す気力が俺にはねえ・・・」

梶原平馬は会津戦争当時の立場は若いのに家老。
最後に藩の責任を負って切腹した家老の萱野権兵衛に、その命を伝えたのがこの平馬でした。

そして容保が、鳥取藩江戸屋敷に幽閉されたとき随行したのも平馬でした。

おもだった家老たちが戦死していった中、生き残って代表して責任をとったのが萱野権兵衛。
一方、生きて「その後」の責任を負う立場だったのが、梶原平馬です。

亡くなった萱野と、生きて地獄を歩んだ梶原・・・
本当に、もう、燃え尽きてしまったのかもしれません。。。


うらは、京都には行けないという。。。

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身を切る思い出みねを手放すのでした。。。
うらは会津へ、山本一家は京都へと向かうのでした。。。
京都では・・・身なりもきちんとした京女。。。
若い女性・時枝が待っていました。



勝手の違う家で・・・若くてきれいな女性が・・・
生きていた覚馬。。。しかしその眼は・・・・・見えなくなっていたのです。。。

探すことも迎えに行くこともできなかったと覚馬。。。

「すまなかった。。。」

「生きててくれて良かった・・・」

あ~やっぱり肉親か・・・???
って感じのする終わり方でした。


この回は、3組の夫婦の「離縁のわけ」を書いたわけですが。。。
やっぱり覚馬が納得できませんか???

女の身・・・嫁の立場からすると、うらさん可哀想です。。。
やっぱり、嫁は嫁!!
って感じがプンプンしちゃって。。。
尚之助はあげあげ
平馬も苦労したんだね~と、納得の離縁です。。。
実際、二葉は明治10年ごろには東京女子師範で教えていたと言われています。
彼女もエリート山川の血が流れています。
埋もれさすには惜しい賢い人だったのでしょう。。。

それなのに覚馬ですよ。。。

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