【新品】【書籍・コミック 人文・思想・社会】ジョンソン大統領とアメリカ政治

価格:3,675円
(2013/11/22 11:59時点)
感想(0件)


ケネディの暗殺を受け、大統領となったジョンソン。。。
ケネディの時代の閣僚を再任させ、ケネディの悲願だった公民権法を成立させたケネディの後を引き継いだ男です。

jyon

Great Society=偉大な社会を目標に、社会的弱者を救済することを目標にしていました。
ベトナム戦争も始まった時代のことです。

1963年11月22日、アメリカ副大統領ジョンソンは、ケネディについて故郷のテキサスにいました。
ケネディは南部ではあまり人気がなく、ジョンソンの役目はケネディの選挙に先立ち、南部でケネディを売り込むことでした。



人々の反発も見られず、遊説は大成功!!
そこに銃声が響き渡ったのです。
ダラスの暑い日です。
ケネディ大統領は即死。

jyon2
メディアは、悲報一色・・・次の大統領のことなど触れもしなかったのです。
ジョンソンは、あまり存在感もなく今まで来ていましたが、突然、国の最高司令官になってしまったのです。
もともとリーダーシップもあり、わずか数日で、ケネディの推し進める改革に着手します。

数年後、ベトナム戦争への対応から彼の評価は地に落ちます。
しかし、ケネディが打ち出した社会政策は、ジョンソンなしには成しえなかったかもしれません。
そして・・・バラク・オバマが大統領となれたのも、リンドン・ジョンソンのおかげかもしれません。

第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・ベインズ・ジョンソン。
粗野で傲慢、人を操ることに長けていました。
一方で志が・・・リンカーンが唱えた人々は平等であるということの法制化でした。
しかし、ケネディの悲劇があるまでは、自分には出番はないと思っていたのです。

1960年の大統領選挙の民主党代表候補となったのは、ガサツなテキサス人の男・ジョンソンではなく、東部出身の見栄えのいいインテリ・ケネディでした。
ケネディを大統領に、ジョンソンは副大統領となります。
ケネディがジョンソンを副大統領としたのは、保守的な南部の党員を取り込むことだったのです。

しかし、副大統領にはほとんど権限はなく・・・

ダラスで銃声が鳴り響いたその日から、変わり始めました。

ケネディが亡くなり、長年望んでいた地位につきます。
混乱を拡大させないために!!
ジャクリーン・ケネディのとなりで宣誓をします。
宣誓が終わり・・・新大統領となったのです。

メディアが亡き大統領に向いている間に、物事を進めていきます。
閣僚とホワイトハウスの支持を取り付ける事。
演説では・・・ケネディの志を継ぐこと・・・忠誠を誓うことを強調します。
ジョンソンは南部出身でしたが、保守派でも公民権反対派でもなく・・・行き詰っていた公民権法を成立させます。
弱者への思いやりが深く憤りを感じていたジョンソンは、南部の人種隔離に対しても立ちあがります。

ジョンソンは上院議員を動かします。
ひとりひとりと連絡を取り・・・味方にしていきます。
減税法案と連邦予算の両方を可決する方向に持って行きました。
1964年2月26日減税法成立!!
2か月と少しで、ケネディが成しえなかったことをし。。。
いよいよ公民権法案を通す道を作ったのでした。

ジョンソン大統領は絶好調!!
支持率79%、ケネディの56%を大きく上回っていました。

ケネディの政策を受け継ぎながら・・・
公民権の確立と失業問題の解決を掲げます。
”貧困との無条件の戦い”の為に、10億ドル拠出します。
リベラルで進歩的、即行動の人でした。
そのキャッチフレーズは・・・”偉大な社会”・・・そのためには、公民権法の制定が必要でした。

ジョンソンは世論を導きながら・・・公民権運動確立に向けて。。。
ケネディの願いだ!!と、説得に回ります。
反対派の保守派との対決もありました。
正義は自分の側にある!!
下院も上院も通過し・・・1964年7月2日公民権法がサインされます。

そして・・・次こそは、選挙で選ばれた大統領となるための戦いが始まるのです。
彼が恐れていたのは、ロバート・ケネディが出馬すること。。。
そのことは、阻止しなければなりません。

選挙を控えて頭を悩ませていたのがベトナム。。。
ケネディ政権の下、介入を始めたアメリカ。。。
ベトコンを掃討するために、軍事援助を強化していたのです。
1964年8月事件が起こりました。
”トンキン湾事件”が起こりました。
アメリカの駆逐艦が、先制攻撃を受け・・・反撃したのです。
更なる軍事行動に???
アメリカ議会はジョンソン大統領を支持し、南ベトナムを全面的に支援する方向に。。。
圧倒的な信任がジョンソンに託され、圧勝!!
晴れて、選挙で選ばれた大統領となったのです。

医療保険・都市開発・・・80もの法案が可決されます。
公民権法と共に重要だったのが、投票権法・・・
納税の有無や、識字テストを理由に人々に投票権がなかったのです。
1965年アラバマ州はデモの聖地となっていました。
投票権法成立に向けて・・・変革を加速させていきます。
議会の抵抗は続き・・・しかし、説き伏せて成立させます。
南部を合衆国の一員とするために!!

1965年、ベトナムが表面化していきます。
軍事攻撃を強めていきます。。。北爆は3年間も続きました。
しかし、諸外国に支持されていないベトナムへの介入・・・。

国内でも黒人の自由に対する暴動が起きます。
全米38の都市に広がります。
偉大な社会は見る影もなくなっていきます。

ベトナムの戦費はアメリカを圧迫。。。
1965年  1億300万ドル
1966年  60億ドル
1967年 200億ドル。。。

泥沼の戦争で、支持率は36%にまで織り込みます。 
ジョンソンは・・・次の大統領選に出馬しない意向を示し。。。
大統領がホワイトハウスを離れ・・・時を同じくしてベトナムも和平への道へと進んでいくのでした。
ベトナムは、ジョンソンの汚点となったのです。

しかし、ジョンソンはアメリカを変えました。
法を整備し、平等と機会の均等を与えたのです。
20世紀で一番大切な時期を大統領として過ごし、ケネディが到底成しえなかったであろう公民権法・投票権法の成立させたのは、あか抜けない田舎の大統領ジョンソンだったのです。

そう、オバマ大統領は有り得なかったのです。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。


にほんブログ村

政治 ブログランキングへ

リンドン・B.ジョンソン大統領と「偉大な社会」計画―“ニューディール社会福祉体制”の確立と限界

新品価格
¥3,990から
(2013/11/22 12:00時点)