山本五十六のことば

新品価格
¥1,050から
(2013/12/13 19:46時点)

人生のあらゆることを勝負とし、日本の運命を賭けた勝負をした男・・・
勝負師~山本五十六~です。

isoroku2


























海軍航空の父と言われ、ゼロ戦パイロットに繋がる航空部隊を育成しました。

勝つために何をすべきか???

昭和16年12月8日未明・・・。
日本軍の機動部隊がハワイに奇襲攻撃をかけました。
真珠湾攻撃・・・太平洋戦争の幕開けでした。

この作戦を指揮したのは、時の連合艦隊司令長官・山本五十六。。。
それはアメリカ艦隊に大打撃を与え、海戦を変える作戦でした。
しかし、五十六はここに来るまでもいろいろな勝負をしてきました。
ギャンブル好きだったと言われる山本五十六・・・
カード・花札・チェッカー・麻雀・ルーレット・・・確立をひたすら経験していました。

isoroku













勝負必勝の三カ条とは???


新潟県長岡・・・明治17年4月4日高野家に6男が誕生・・・五十六でした。
高野家は、長岡藩の武士の家系・・・
父は、戊辰戦争にも参加していました。
長岡藩は、賊軍の汚名を着せられていました。
五十六が常に思っていたのは・・・
「常在戦場」
戦場での緊張感を日常の生活でも持ち続け常に備えよ・・・
という長岡藩の信条でした。

五十六は、2階の小さな部屋で、勉強熱心な父に育てられましたが、明治政府の中、賊軍にはつく仕事はありませんでした。
賊軍の汚名を晴らすためには、軍人・医者・教育者しかありませんでした。
13歳の時・・・長男の長男を・・・跡取りを軍人にしようと思っていた父・・・
しかし、24歳の時に突然の病で亡くなってしまいました。

葬儀に駆け付けた五十六の恩師に・・・
「よりによって跡取りを召されたのでつい愚痴が出まる。
 これが代わってくれれば何のことはなかったのにのう。」
と、五十六を見ました。
必至に涙をこらえながら・・・
「自分がきっと海軍に入って2人分のご奉公をします。
 安心してください。」
と言ったとか。。。

どんなに勉強ができても体が丈夫でないと駄目だ!!
と、必勝肉体改造計画!!
走る。鉄棒。走る。勉強。走る。自主トレ。。。
中学を卒業するころには、誰もスポーツで勝てなくなっていました。
お勉強は主席から十数番に落ちたけれど。。。

明治34年3月五十六中学卒業。
超エリートの難関校・海軍兵学校を目指します。
入学試験までは3か月!!
合格を目指して必勝受験作戦!!
姉夫婦の家を勉強部屋とし、予定表を作ります。

「きちんと計画を立ててやりぬきさえすれば、やれないことはこの世にはありません。
 やれないのは、初めの計画が間違っているか、計画通り実行しないかのどちらかです。」

努力の甲斐あって、海軍兵学校を200名中2番の成績で合格します。
これには父も大喜び!!

明治37年日露戦争勃発。
五十六は、日本海海戦に参加。。。
21歳、生まれて初めての実戦でした。
この時、日本海軍連合艦隊は、ロシアに奇跡的に勝利!!
しかし五十六は・・・この戦いで大怪我をします。

戦闘中の爆発で足を傷め・・・左手の人差し指・中指を失いました。
そればかりか・・・バイ菌が入り・・・左腕を切断しなければ命に係わると言われてしまうのです。
腕を失えば、もう海軍軍人ではいられない・・・
志半ばで断念するのか???
命を賭けた勝負に五十六は、切らずに生きる・・・わずかな望みに賭けたのでした。

「死も生も天命であり、あれこれというべきものではない。
 つつしんで日本の為に身を捧げ、天子の御恩に報いることを心がけようと思う。」

五十六は賭け事を通して、勝負必勝の三カ条を見つけます。

大正8年5月、五十六は、海軍のエリート登竜門であるアメリカ駐在武官として渡米。
目的はアメリカの国情研究でした。
当時は仮想敵国になりつつあったアメリカと日本。
重要な視察の意味があったのです。

そこで五十六は・・・アメリカを目の当たりにします。
自動車の保有台数・・・日本・7500台・・・アメリカ・750万台。
石油産出量・・・日本・30万トン・・・アメリカ・5200万トン。
アメリカは日本など足元にも及ばない産業大国でした。
五十六は衝撃を受けます。
今の日本の国力ではアメリカとの戦争はやりぬけるものではない。。。
アメリカとの戦争がいかに無謀だということを、身をもって知るのです。

そして・・・航空機の発達。。。
戦艦よりも安く、速い!!今後画期的な戦力となる!!
これが、真珠湾攻撃に繋がっていきます。

ギャンブルの腕前は強く・・・
「モナコで2年ほど遊ばせてくれれば、戦艦1隻分の建造費を稼いでみせる」
というほどでした。

一、私利私欲を捨てること
一、科学的・数学的根拠にもとづく判断をすること
一、勝機が来るのを待つ忍耐

これが、勝負必勝の奥義でした。

五十六にとってギャンブルとは・・・
勝っても負けても冷静に物事を判断する修練、
そして、機を狙って、勇往邁進、相手を撃破する修練ができるものでした。

色紙 [やってみせ] 山本五十六

新品価格
¥1,480から
(2013/12/13 19:47時点)



昭和9年・・・
海軍少将・山本五十六に重要な任務が。。。
当時は条約によって戦艦の保有率が決められていて・・・
日本の主力艦保有比率は対英米の6割でした。
その条約が期限切れとなるので、新たな交渉の代表に任命されたのです。
日本は、この不平等条約を破棄しようと考えていました。
アメリカはまた、この条約を破棄させようと強硬な姿勢をとっていました。
条約が破棄されれば、好きなだけ戦艦をつくることができる!!

しかし五十六はラジオで。。。

「ロンドンにおきましては”和敬協力”。
 全力をあげて働いておるのでございます。」

つまり、各国に協調を求めたのです。

五十六は是が非でもこの条約を存続させようと思っていました。
条約が破棄された場合、アメリカは主力艦を大量に建造するから・・・。
日本との主力艦保有量の格差は広がるばかりだからです。

五十六は、アメリカとあらゆる説得を試みます。
日本にも・・・多少不平等でも、条約を維持させてほしいと打診していました。

ところが・・・2か月後。。。日本政府から電報が・・・
「交渉打ち切り」の指示でした。
根負けさせるはずの勝負が打ち切りとなってしまったのです。 

アメリカとの戦いを避けたかった五十六・・・どうして真珠湾攻撃を考えたのでしょうか???
昭和16年、日米関係は悪化の一途をたどっていました。
日本が資源を求めて東南アジアに進出するに当たり、アメリカは経済制裁を始めました。
戦争回避のため、外交交渉が行われます。
五十六は、連合艦隊司令長官という立場にありながら、アメリカと長期戦になれば負ける!!と、主張していました。
しかし、日米交渉が決裂すれば、戦争を指揮しなければならない・・・。
司令長官の職を辞するか?
軍人として職を全うするか?

友人あての手紙には・・・
「個人としての意見と正反対の意見を固め、その方向に一途邁進の外なき現在の立場は、誠に変なもの也。
 之も、命(天命)というべきか。」

アメリカと戦うことを想定して真珠湾攻撃を考えていた五十六。。。
その作戦内容は・・・
ハワイは、アメリカにとって太平洋の軍事拠点・・・そこへ、密かに空母を中心とした艦隊で攻撃する!!
というものでした。
この作戦の最大の目的は・・・
「日米戦争でまず最初に行うべきことは、敵の主力艦隊を猛撃し、アメリカ海軍とアメリカ国民の士気を喪失させることである」

長期戦では勝てないと踏んでいた五十六は、大打撃を与えて早期講和に持ち込もうとしたのです。

海軍は、旧来の作戦・・・長期持久戦を考えていましたが、五十六は短期決戦を考えていたのです。
そんな作戦を海軍は一か八かの作戦で、正気の沙汰とは思えないと反対します。

理由は・・・
・天候のリスク・・・悪天候の確立が8割
・発見されるリスク・・・長距離の航海で他国に見つかれば敵に通報される
・前例のないリスク・・・これまでの海軍の戦いは、軍艦対軍艦の艦隊決戦・航空機は偵察用
全ては賭けでしたが、五十六はこれ以上の手はないと思っていたのです。
これが出来ないなら戦うべきではない!!
国家の命運をかけた作戦は、立案から10か月後の10月9日に海軍上層部が認可したのでした。

11月30日日米交渉決裂!!
12月1日御前会議にて開戦が正式に決定!!
既に択捉を出発していた艦隊が、ハワイに向かっていました。
日本から6000キロ、10日以上の航海でした。

心配されていたリスクは・・・
幸運にも海は穏やか、6000キロの航海中出会ったのは商船1隻だけ。
12月7日ハワイ沖およそ300キロの地点に到着します。
奇跡の航海でした。
日本時間8日午前1時30分、ハワイ時間の7日午前6時・・・
6隻の空母から、183機の攻撃隊が発艦を開始、1時間50分後真珠湾上空に到達します。
ハワイ時間午前7時55分、真珠湾攻撃開始。

攻撃隊は、停泊する艦隊や飛行場に魚雷や爆弾で襲いかかります。
真珠湾への攻撃は、軍艦18隻・航空機200機以上の大打撃を・・・神がかった成果を挙げたのでした。

sinnjyuwan

















アメリカ国民たちは戦意喪失した???
当初、攻撃前に届くはずだった日本からの宣戦布告が攻撃後となってしまったので、アメリカはだまし討ちだと非難し始めました。

F・ローズベルト大統領の演説で・・・
「リメンバー・パールハーバー!!」となり・・・

日本はこの真珠湾攻撃の戦果に大喜び!!
開戦前の不安は一気に吹っ飛んで、アメリカに勝てる!!となってしまったのでした。

講和には向かわない・・・
五十六は、この戦果にこれほど国民が高揚するとは思っていなかったでしょう。
あまりにも勝ちすぎたのです。

戦争を考える以上は、終わり方を考えなければならない・・・

五十六を英雄として祀りだした人々・・・
しかし五十六は・・・長期戦になれば日本は必ず負ける!!とし、早期講和の道を模索していました。
そんな中、ハワイ占領という案を考えます。
ハワイにいる40万人のアメリカ人を捕虜とするというのです。
これによって優位な停戦交渉を!!!

その為の作戦は、ミッドウェー島の攻略でした。
連戦連勝を重ねていた日本海軍は、ミッドウェー海戦も必ず成功すると考えていました。
しかも・・・五十六立案の作戦。。。
しかし、真珠湾作戦は立案から決行まで10か月、ミッドウェー作戦は立案から決行までわずか2か月。
最悪のケースは考えられていませんでした。
それに対しアメリカ軍は、太平洋艦隊暗号解読班に150人を投入し、解読に成功するのです。

昭和17年6月5日ミッドウェー海戦!!

middowe-

















暗号を解読された日本軍は、投入していた空母4隻を喪失!!
惨敗を喫するのです。
五十六は、早期講和の道さえも失ってしまったのです。
この後・・・戦局はアメリカに傾いていくのでした。

司令官長として後方にいた五十六は、この頃から前線に赴くようになります。
それと共に、黒革の手帳を見つめることが多くなって。。。
そこにはこれまで戦死・殉職した部下の名が書かれていました。

アメリカとの長期戦では日本は必ず負ける!!その言葉通り、長期戦に入った日本には勝ち目はありませんでした。

昭和18年4月18日・・・
五十六は最前線の視察に向かいましたが・・・
アメリカ軍に暗号解読され、待ち伏せにあってしまいます。

長官機ニューギニア前線上空で撃墜。

山本五十六 戦死 享年59。

戦死から2か月後の6月5日・・・山本五十六の葬儀が行われました。
賊軍と呼ばれた土地に生まれた五十六・・・
その最後は、多くの国民に見送られる国葬として営まれました。

勝負に勝つためには時が来るのをひたすら待つ・・・
「苦しいこともあるだろう
 言いたいこともあるだろう
 不満なこともあるだろう
 腹の立つこともあるだろう
 泣きたいこともあるだろう
 これ化をじっとこらえていくのが男の修業である。」



 2014年03月01日 10:02に大石五雄さんからご指摘をいただきました。

「上記の伝記には山本が新橋芸者の河合千代子と恋仲の関係にあり、彼がミッドウェー出撃の日付まで彼女に教えた軍紀違反の事実などがありません。加えてください。」

どうもありがとうございました。 



第3回なぜ太平洋戦争は引き起こされたのか?はこちら
第5話太平洋戦争への道~近衛文麿と東條英機はこちら
ミッドウェー海戦 敗北が語る日本の弱点はこちら
真珠湾攻撃への7日間・外交官たちの苦悩と誤算はこちら

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。

にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ

聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実- 愛蔵版 (初回限定生産) [DVD]

新品価格
¥3,900から
(2013/12/13 19:47時点)