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嵯峨野観光トロッコ列車で・・・着いたのは亀岡。
京都府亀岡の城下町は、明智光秀・・・丹波国に栄えた城下町です。
亀岡では愛されている光秀。。。その素顔とは???

亀山城は・・・
織田信長の配下の武将・明智光秀によって築城が始まりました。
しかし、その5年後・・・本能寺の変が・・・!!!

もともと亀山藩は・・・丹波国・亀山藩と伊勢国・亀山藩とがあり・・・
その両方に亀山城がありました。
幕府の命が誤って伝わり、伊勢亀山城が解体されたという逸話があるほど間違えられていました。
戊辰戦争で・・・
丹波国・亀山藩が旧幕府側に、伊勢国・亀山藩が新政府側についたので・・・勝利した側についた伊勢に亀山市が残り、負けた方は亀岡市なったのです。

1573年室町幕府滅亡・・・そんな織田信長が、天下統一に向けて、明智光秀には丹波を平定、羽柴秀吉には中国を・・・徳川家康には甲斐の武田氏征伐を命じました。
そこで光秀は・・・亀岡に居城を築いたのです。

信長の近くを任せられる!!
織田家にとっては中途採用でしたが、家臣団を押さえ、トップにまで・・・
信長には必要な人材だったのです。
どうして本能寺の変を???

亀山城の明智平で”敵は本能寺にあり”と言ったとか???

1582年6月1日夕刻・・・。
明智光秀は1万3000の兵と共に亀山城から出発し・・・
しかしそれは、中国の秀吉の応援となるはずでした。
突如東へ・・・!!
6月2日早朝・・・本能寺へ!!
この時、信長の護衛は数十名!!
明智軍は一斉になだれ込み・・・信長自刃!!
1日にして天下を死中にしますが・・・。
6月13日、毛利と和睦し、中国大返しをしてきた秀吉に山崎の戦で敗れるのでした。

しかし・・・側近だった光秀がどうして本能寺の変を起こしたのか???
その資料は残っていません。
というのも・・・信長の四男である羽柴秀勝によって光秀の記録をすべて消してしまいました。

亀岡盆地は、保津川があり・・・氾濫すると水害が起きやすい危険な土地でしたが・・・
小高い丘に城を作り・・・安心できる城下町をたった2年で作り上げました。

明智光秀ゆかりの谷性寺では、桔梗紋が。。。
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光秀公の首塚があります。
山崎の戦いの後・・・落ち武者狩りに遭い、命を落としたと言われていますが・・・?



命を落とした光秀の首を家臣が持ち帰り、光秀が懇意にしていたこの寺に埋葬したと言われています。









亀岡は天然砥石も有名で・・・京料理や宮大工を支えています。

江戸時代、亀山城の見張り役は代々日置家。
明智光秀は反逆者。
亀岡は、山を越えると京都・・・第2の明智光秀が出ないように、京都の天皇を守るためにと見張り役を置いたのです。

愛妻家光秀、最後の晩餐は・・・京人参や海老芋が入った根菜のお味噌汁と言われています。

裏切りの武将・明智光秀。。。しかし、織田信長が天下を治めていたらどうなっていたのでしょうか?
本能寺の変がなぜ起こったのか???
それは謎のままですが、亀岡の人たちの光秀こそ名君!!という言葉に嘘はありません。

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