戦国時代100の大ウソ

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今、大河ドラマでやっている黒田官兵衛・・・後に剃髪して黒田如水と名乗ります。
官兵衛は、大河ではとっても純粋な・・・バカ正直な男・・・みたいに書かれていますが、本当は先見の明があり、非常に計算高い男でした。

1578年10月、信長の重臣・摂津有岡城主・荒木村重が謀反を起こした際に・・・
官兵衛の主君・小寺政職が同調の動きを見せたため、秀吉の許可を得て有岡城へ単身乗り込みます。

しかし、入城するや否や土牢に幽閉されてしまいました。
政職が村重に、官兵衛を捕獲するように依頼していたのです。

およそ1年後・・・有岡城が落城して官兵衛は織田軍に救出されました。
しかし、日の当たらない不衛生な土牢・・・
体中に痘瘡が出来、ひざは曲がり、持病の梅毒が悪化していました。

村重が官兵衛を殺さなかったのは、官兵衛を味方につけようと思っていた&同じキリスト教徒だったから?とも言われています。
しかし、官兵衛は、信長の世を信じ、受け入れようとはしませんでした。

”裏切り者の汚名を着たまま死ぬくらいなら、
 獄死した方がよっぽどましだ”          by官兵衛。

信長に対する官兵衛の忠誠心・・・これでもし死んだとしても、秀吉のもとにいる長男・長政が取り立ててもらえる。
城から生きて帰ることができれば、自分の地位は向上する⇒これで黒田家は安泰だ。。。
生還した官兵衛は、1万石を与えられ大名となり、秀吉傘下の軍事役として大役を担うことになるのです。

1582年の本能寺の変の際には、信長の死に慌て、号泣する秀吉に歩み寄り・・・
「君の御運開かせ給うべきはじめぞ」と、笑顔で叱咤したといわれています。

しかし・・・この言動は軽はずみでした。
官兵衛はこの言葉によって、秀吉から生涯にわたって警戒されることになるのでした。

戦功をあげる官兵衛・・・。
しかし、秀吉のもとで与えられたのは豊前国中津12万石のみでした。
大封を与えれば、天下を狙うと警戒されてのことだったのです。

秀吉は度々官兵衛を牽制します。
100万石の大軍を指揮できるのは官兵衛だけだ。と、側近に言ってみせたかと思えば、
官兵衛に「次に誰が天下を取るだろうか?」と尋ね、官兵衛が、
「毛利輝元だ」というと、「いや違う、お前だ!!」と言ったり・・・。

この繰り返しに辟易した官兵衛は、1589年引退を願い出ます。
秀吉はこれを了承し、官兵衛は剃髪して”如水”を名乗ります。
領国で暮らしたかった官兵衛。。。しかし、自分の目の届くところに置いておきたい秀吉は、その希望を聞きませんでした。

では・・・本当に官兵衛は天下を取ろうと考えていたのでしょうか?
関ケ原の合戦時・・・
長政は家康軍に味方し、手元に兵は残っていませんでした。
官兵衛は、これまで貯めていた金銀と引き替えに、浪人や農民、町人や職人などを3600人も傭兵とし・・・
関ケ原では家康が勝つと思っていた官兵衛は、まず、九州を平定し、中国・畿内へ攻め入ろうと考えていました。事実、九州は平定しつつあったのです。

しかし、関ヶ原の合戦は、わずか1日で終わり・・・しかも息子・長政が大手柄!!
ま、長政は竹中半兵衛にいろいろ教わっていたみたいだし
小早川・吉川を寝返らせて家康を勝利に導いたのです。
この武功によって長政は、筑前・52万石の大封を与えられました。

関ケ原の合戦が、もう少し長引いていれば、歴史は変わっていたかもしれません。
合戦から4年後、官兵衛は息を引き取ります。
が、この4年間、家康も官兵衛を”心底が知れない”と恐れていたのでした。

あ~、大河ドラマも、姑息というか、知謀な官兵衛見たいなあ。。。

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