大坂城―天下一の名城 (日本人はどのように建造物をつくってきたか 3)

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未だ・・・殿下に従わぬは九州・薩摩の島津!!

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ほら・・・島津は実はとっても古いお家。。。
源頼朝の頃からある家で・・・幕末までしたたかに生き残るんだから、無理ですよ・・・殿下・・・。

豊後のキリシタン大名・大友宗麟に圧力をかけ始めました。
堪えられなくなった宗麟は、秀吉にすがったのです。

いきなり出てきた大友宗麟ですが・・・前回キリシタン大名となった官兵衛がサポートすることになりました。
キリシタン・・・結構キリシタン大名って多いですよね。
殺し合いをしているのにキリシタンって・・・
キリシタンにおすがりする・・・というのもあるかもしれませんが、当時の大名にとっては南蛮人の持ってくるモノ・情報・・・なんでも欲しいものばかり・・・
あちらは布教のために来ているのだし・・・
お互いの需要と供給があってのキリシタン大名といえます。

あ~、でもこれで当時の状況が分るんだろうか・・・とっても不安。
おまけに、この段になっても前田利家出てません。。。
秀吉の親友なのに~~~
いきなり五大老で出てくるんだろうか。。。


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官兵衛は中国の毛利勢と合流し、九州入りすることになりました。
関白殿下の名代として。。。
そして・・・蜂須賀小六は四国攻めに行く予定。。。
長政は今回の戦いには連れて行ってもらえないようです。

そんな中・・・小六が倒れてしまいました。

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戦の事は忘れて、養生することになりました。



長政に糸のことを頼んで・・・



天正14年(1586年)5月22日この世を去るのでした。


殿下は悲しみのあまり、小六の亡骸に馬乗りになって叩いてます。
そうね・・・小六は秀吉にとって古くからの戦友。。。
だからとっても哀しかったのね。。。

そして・・・古株は・・・
秀長と官兵衛になってしまいました。

ってことは、秀吉には本当にいい家臣がいなかったってことなのね。。。
本当に苦労したと思います。

小六の死によって、四国攻めは・・・一から練り直しとなりました。

家康は石川数正のごたごたで、秀吉まで手が回らない・・・
そこで、度量の大きいところをみせようと、なんと44歳・・・って私と同じじゃないの???
妹・朝日姫を嫁がせようとします。
文献では、佐治日向守⇒副田吉成に嫁いでいた・・・とか言われる朝日姫。
朝日姫は、旦那さんととっても仲が良かったのよね。
なのに、離縁をさせてまでの今回の嫁入りでした。
よ~く考えると、秀長以外の秀吉の親族は、あんまり幸せになっていないと思うのは私だけ??

そんな44の姫をもらうことになった家康。。。
しかし、家康は上洛しません。


でもって九州攻めは・・・??
毛利は全軍(毛利・吉川・小早川)参加が条件でした。
まあ、ここは新参者&中国で最前線の毛利が先頭であるのが常套ですよね。
毛利が降伏した時、領地を殿下にとられてしまっていました。
なので、領地の欲しかった毛利・・・この戦いでいい働きをしたら、伊予を賜りたいと申し出ていました。
やっぱり領地が欲しいのがこの頃の大名!!
頑張って戦おうとしていました。

が・・・吉川元春は??
豊臣から疑われている元春。。。
理由は、高松城攻めのときの抵抗と、賤ヶ岳の戦いのときに柴田勝家と秘密裡に画策していたこと・・・
が・・・毛利としては・・・
高松城のときも、賤ヶ岳の戦いのときも、二つに分かれて家を残す・・・という考えもできるので、一概に毛嫌いしての秀吉に反発ではないような気もしますが・・・
おまけに隠居してしまったとは・・・
秀吉にとっては気にくわないですよね。。。
それって、隠居だけでは許してくれなかったことかなあ。。。


ところで大坂城にやって来た光と糸。
豪華絢爛な大坂城・・・そこには美しい着物が飾ってありました。

「欲しければ持っていくがよい。。。」by茶々
「無礼な・・・!!物もらいではない!!」by糸

って、糸はこんなパターンなのね。。。

おねにおいとまの挨拶をして、国許へ帰っていくのでした。

8月・・・安芸の吉田郡山城では・・・
恵瓊と隆景と軍議中

しかし、支度のできていない毛利軍。。。いろいろ事情があるようで。。。
吉川元春が参加を渋っているみたい。。。
説き伏せるように命じられる隆景。。。

黙り込む恵瓊と隆景。
九郎右衛門が探りを入れると元春はやはり動かない模様。。。
しかし、ただ動かないだけではない??

豊後の大友氏の居城では・・・
官兵衛たち援軍が来るのを首を長くして待っていました。
もう・・・持たない・・・??

官兵衛は、軍を下関にすすめます。
吉川元春はどうして出陣しない??
気概がなく、病に臥せっている???

なので喝を入れるために元春の元へやって来た官兵衛。
元春が来る・・・と偽っての官兵衛参上!!
元春と直接交渉に臨みます。

「命には使い道がござります。
 ここぞという時に使わねばなりませぬ。
 清水宗治殿は己の命の使い時をご存じだった。。。
 
 あのお方は、己の命と引き換えに、幾万の将兵の命をお救いになった!!
 天下のために、命をお使いいただきたい・・・!!」

「今が、このわしの命の使い道だと申すか・・・!?」

「吉川さまの祖のお命・・・この官兵衛に下され!!」

ビシビシと、官兵衛VS元春です

「自分の命の使い方は自分で決める!!」by元春


その頃、大坂城の秀吉・・・。
上洛しない家康に、涙を呑んで、大事な母上・・・大政所を人質として差し出すことを決めるのでした。


九州に出発当日・・・やって来た吉川元春!!

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「そうやすやすとは死ねぬようじゃ・・・
 官兵衛、この命、お主にくれてやる!!」

おお~、この大河では珍しく、少年漫画してます。
10月・・・島津勢と激突!!

カッコいい!!元春!!
さすが武の吉川!!

実の母親を人質に差し出すと言ってきた秀吉に・・・

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「そこまでやるか・・・」by家康
ということで、大坂城へ伺いにやって来た家康。
やっと来た!!って感じのタヌキおやじです。
家康・・・信長・秀吉家康の3人の中で実は一番気が短かったと言われていますが、こんな所がタヌキおやじなんでしょうね。。。

で・・・家康の案内役は長政・・・
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後の舅殿との出会いですね。
ここでまた一つのフラグが立ちました

その頃・・・戦地・豊前小倉城にて・・・吉川元春が死の床についていました。

「わしの命・・・役に立ったか・・・?
 隆景・・・毛利を頼んだぞ・・・。」by元春

あ~、良かったですね。
前回の高松城攻めのときもそうでしたが、毛利の事は結構いい感じに深く書いてくれますね。
ただ・・・やっぱり戦いのシーンなし・・・。

「官兵衛紀行」で小倉城を攻めたこと。
宇留津城が攻めにくく、犬が浅瀬を渡るのを見て、官兵衛が攻め口を発見し落城させたこと・・・
って、これ、ドラマで必要ではないの???

官兵衛の手柄に秀吉は心地よきしだいと伝えています・・・なんて、褒められたんなら、やってくれよ~!!

光&糸&おねのシーンなんて必要だった??
そこ割愛して!!
って、割愛レベルでもないと思うんだけど・・・。
戦って・・・!!

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