モンゴル帝国の軍隊と戦争

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またまた岡田准一くんのザ・プロファイラーが始まりました。

okada












今回は、官兵衛やってるからか、お髭の岡田くんです。

一代で東は中国から西はヨーロッパまで空前の大帝国を築いたのが、モンゴルの王チンギス・ハンでした。

イギリスの文献には・・・
あらゆる点でこれほど秀でた王はどこの領地にもいなかった。
賢く、豊かで、慈悲深く、公正だった。

イランの歴史書には・・・
人生最大の快楽は
「敵を打ち破り、財宝を略奪し、その妻を奪って、彼らの悲しみ泣くところを見ることだ。」

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寛大さと残虐さの二面を持ったチンギス・ハンです。


どん底を味わった「ブルハン岳」


13世紀の歴史書”元朝秘史”の始まりには・・・
「チンギス・ハンの祖先は、天の定めを受けてこの世に生まれた蒼き狼だった。」
と書かれています。



誇り高き草原の部族モンゴル・・・
1162年モンゴルのその勇敢な部族のひとつの・・・リーダーの長男・テムジンとして誕生します。
大勢の人が父を頼って遊牧民として、共同生活。。。
夏は40℃、冬は-40℃の厳しい自然の中、過酷な環境で生活していました。

テムジンは、尊敬される父のもと、強きリーダーになることを誓うのでした。
当時モンゴルは部族同士の争いが絶えず、侵略と略奪を長い間繰り返していました。

9歳の時・・・
宴で出された酒によって父・エスゲイ毒殺!!
父の死は、テムジンの人生を一変させます。
仲間たちがテムジン一家を残し・・・強きリーダを求めて去っていきました。

ブルハン岳に取り残されてしまったテムジン一家。
沼があり・・・遊牧民が生活するのに適さない場所でした。
母と幼い子供7人で助け合いながら生活していました。
兄弟間で食べ物の取り合いとなって兄弟を殺してしまったテムジン。

冷酷な残虐さと助け合うという二面性を持った指導者へと成長していくのです。

家長となって妻を娶った頃、敵対勢力からの襲撃を受けます。
無力だったテムジン。
娶ったばかりの妻さえも略奪されてしまいました。

このまま弱者として滅びの人生を送るのか???
妻を奪ったメルキトに対抗するために、周囲の強大な武力に応援を頼みます。

メルキト300人VS連合軍40000人

圧倒的でした。
妻を取り戻したテムジン・・・敵を徹底的に蹂躙します。
男は殺しつくし、女と財産は略奪しました。

「仇であるメルキトを破り、その親族を滅ぼし、財貨の一切を奪った。
 いざ、引き上げん!!」

父の死から20年・・・草原の覇者への一歩を踏み出したのでした。


ライバル「ジャムハ」・・・初勝利を共に分かち合った男です。
ジャムハは、テムジン同様モンゴルの有力者で、2万の兵を率いる若きリーダーでした。
テムジンは生活を共にし、喜びも悲しみも一緒に・・・。
裏切りにつぐ裏切りの中で、唯一友と呼べる人物でした。

二人は勢力を伸ばしていきます。
が・・・モンゴルが強大化していく中で二人の関係は悪化していきます。
モンゴルの王を目指すジャムハにとって、テムジンは倒さねばならない敵となっていたのです。

1189年ジャムハとの戦争が始まります。
モンゴルをかけた天下分け目の戦いでした。
勝敗は・・・経験通り・・・ジャムハ!!

この勝利によってモンゴルの支配者となったジャムハ!!
捕虜にしたテムジンの部下に対し、残虐非道なみせしめを行います。

戦いに敗れたはずのテムジンの下に集まってきたのは、ジャムハの部下たちでした。
彼等は寝返ったのです。

「テムジン様は、自分の着物を人に着せ、自分の馬を人に乗らせてくれる。
 我々は正しい人を求め、連れ立ってきたのです。」
 
テムジンは戦利品を公平分配するリーダーでした。

ジャムハと再び対決・・・!!
多くの仲間を引き連れて、勢いもありテムジンの圧倒的勝利に終わります。
ジャムハは他の部族の元へと敗走・・・!!
1201年モンゴルを統一!!

そして4年後・・・テムジンのもとに引き出されるジャムハ・・・。
「今・・・ふたりは再びであった。。。 友となろう・・・!!」

しかしジャムハは・・・
「自分は何の助けにもならない・・・
 早く殺してくれ・・・。」

ジャムハ処刑!!
最大の友を手にかけたテムジンは、征服と略奪の道へと突き進んでいくのです。


モンゴルの遊牧民の暮らしを戦いに生かしていきます。
軍隊を、先鋒隊・本隊・後方隊に分け組織します。
先鋒隊・・・・戦闘専門
本隊・・・・・・略奪専門
後方隊・・・・補給専門


大帝国の原動力「鉄の矢じり」

モンゴルの首都・ウランバートルから東へ250kmにあるアウラガ遺跡。
テムジンが拠点とした場所で、墓もここらへんにあるのでは?と言われています。

そこで発見されたのは・・・鉄の矢じり。
他の部族もやっていたと思われますが、テムジンは鉄器の政策を大規模にやっていました。
このアウラガ遺跡では、鉄工房も発見されています。
遊牧民の彼等には、施設を作ることができません。
その為、鉄製品は略奪によって手に入れていました。
テムジンの時代に、伝統的な動物の骨から鉄のやじりが加わったのです。

交通の便の良いアウラガで、街道を通じてインゴットを輸入し、原料に鉄工房で武器を作っていたのでは?
と思われます。
遊牧民の生活を覆すものでした。

さらに西へ・・・!!
360年間争いの絶えなかったモンゴルを制圧!!
鉄の産地を略奪しながらの進軍・・・!!
1204年遊牧民を統一します。
そして・・・名をチンギス・ハンと改めるのでした。

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交易豊かな国・西のホラズム王国をターゲットに・・・!!
1218年モンゴルがホラズムに派遣した通商団450人が殺害されます。
これを機に自らも参加の西方遠征が始まります。
縦横無尽の騎馬軍団!!ホラズム軍は籠城するも、モンゴル軍の強さは圧倒的!!
わずか1年で、ホラズム制圧!!

屈服し、重複する者はみな、安全を保障され、厳罰による恐怖と屈辱に震えることはなかった。

抵抗する者には残虐さ!!
服従する者には寛大さ!!
と、民を支配していきます。
東西500kmにも及ぶ大帝国モンゴルが誕生しました。

商業を奨励し、商人たちを保護。
大陸の東西を結ぶ地域が統一され、シルクロードの交易が活発化していきます。

チンギスは、生涯遊牧民としての生活を止めようとはしませんでした。
自ら後継者を決めることはなく・・・
1227年馬から落ちた怪我がもとで衰弱し、66年の生涯を閉じたのでした。

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