よみがえる日本の城 (2) 江戸城・小田原城・八王子城・佐倉城・大喜多城石垣山一夜城 中古価格 |
ああ・・・もう40回になっちゃいましたね。
棄も産まれて、秀吉大暴走!!
天下統一をはかろうとしているのに・・・天下統一が足元から崩れて行きそうな雰囲気。。。
その天下統一は御北条を残すのみとなっていました。
棄は”鶴松”に改められ、淀城から大坂城へと移されました。
なんとそこにはたくらみが??
淀の方が大坂城に住み、北の政所には聚楽第に移れという。。。
鶴松を育てるために・・・という理由はついているものの、追い出されるような形にも見えました。
大名の妻子を大坂に集め・・・いわゆる江戸時代の江戸詰めと同じ人質ですね。
逆心を抱くものをなくそうと・・・豊臣政権・文治派の台頭です。
おねを、聚楽第でそのお世話係に仕様という算段です。
ま、これは三成ひとりではなく、秀吉の命なんですけどね。
御多分に漏れず、他と同じように上洛する光と糸なのでした。
関白秀吉は、どうしても後北条を滅ぼしたいとのこと・・・??
お・・・出てきましたよ、秀長。。。
豊臣家の行く末を心配して、官兵衛に相談しています。
そうなのよね・・・。この秀長がいればこその豊臣家なんです。
これから病になるのを示唆するかのように、しみじみ酒を楽しみながら豊臣家を心配している秀長でした。
お・・・上杉・前田、名前だけ登場です。
三成が中心となって策を練っていますが・・・
はてさてどうなることでしょう??
1590年3月1日・・・一路、小田原を目指す一行。
途中小田原城に寄ろうとしますが、三成が阻止しようと・・・
「なりませぬ!!殿下!!駿府城ご入場はアブのうございます。
聞き捨てならぬ噂がございます。
徳川殿は北条と縁続き、裏で手を組み、殿下を亡き者にせんと企てておると・・・!!」
「ばかばかしい・・・!!」
と、官兵衛が一蹴!!
義理の弟も信用せずに素通りするなど・・・!!
と、官兵衛の意見を採用。
官兵衛憎し~~~!!な、三成です。
そうなんですよね、本当の徳川はどうだったんでしょう??
北条とは、もともと争ってはいましたが、仲良くなるために次女の督姫を北条氏直に嫁に出しています。
そして・・・折衝の窓口だった北条氏規は、北条氏政の兄弟。
氏規は家康とは旧知の仲・・・今川時代に人質にされていた時に、北条家からの人質としてやってきていた・・・という経緯もあって、結構仲が良かったので、三成としてはそんな気になる噂もあったかもしれませんが・・・
それにしてもいちいち細かいというか、気の小さい三成なのです。
で・・・小田原攻めは・・・??
官兵衛が無言で茶碗を差し出した相手は・・・なんと三成でした。
あ・・・この時の三成の戦いは、のぼうの城を見てね。
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利休の提案で、茶々を呼ぶことになりました。。。
そこには、利休なりの考えがあったようで・・・
茶々と鶴松を引き離すためでした。
お・・・
おまけに派手好みな天下人は、利休の一輪挿しにも文句を付け出しました。
派手でないと許せない模様・・・。
遊び女や猿楽者を招き、遊び放題の秀吉。。。
本当は色んなことがあったのに、いきなり笠懸山(石垣山)一夜城が・・・!!
これで北条の戦意喪失になったことは間違いないのですが、ここまであったはずの山中城の戦い、一柳直末(秀吉家臣&官兵衛妹婿)の死、松田憲秀の寝返り、松田直秀の裏切り、小田原評定etc.までふっとばされています。
この一夜城にしても、本当は80日かかってるのに。。。
「思い知ったか!!北条!!」by秀吉。なんですが・・・なんて軽い言葉。。。
これだけ命を懸けたもろもろのことをすっとばされているので、ほんと軽く感じちゃう・・・。
おまけにつてもないのに官兵衛が折衝しに北条に行くことに・・・
じゃじゃ~ん!!
第1話のOPに戻ってきました。
カッコいいですよ、官兵衛!!これまでのことを思うと感慨無量です。
「某、黒田官兵衛と申す!!
関白殿下の名代として参上つかまつった!!
ご城主北条殿にお目通り願いたい・・・!!
”国滅びてはまたと還らず。死人はまたと生くべからず”
方々、命を粗末になさるな!!
生きられよ・・・!!」
降伏することを進言する官兵衛・・・
武田信玄や上杉謙信でさえも落とせなかったこの城を、百姓上がりの秀吉に落とせないと頑固なまでにいう氏政。
あ・・・松田憲秀のことを口で言ってます。。。ここまでするなら、すっとばしてないことにする方が、わかりやすいと思うんだけど。。。
お・・・小田原評定のこともね。。。
味方(補給路)のない籠城に先はないことを説く官兵衛。。。
降伏するなら、伊豆・北条の2か国安堵で許してくれるという・・・。
???デジャヴ???
7月5日小田原城開城。
ちなみに、三成の忍城攻め失敗は、意味深なフラグを立てたにもかかわらず、”しくじりおった”の一言で終わり。。。
官兵衛を立ててくれる秀吉ですが・・・
いつも言ってますが、”軍師官兵衛”なんだから戦いを・・・城攻めを・・・!!
って舌の根も乾かぬうちに・・・
「ところで官兵衛。。。小々形勢が変わってのう。。。
北条を許すのは止めにした!!
氏政には切腹を命じる。氏直は高野山へ追放じゃ!!」by秀吉。
「お待ちください!!
それは・・・話が違いまする・・・!!」
なんだか三成の入れ知恵のようです。
「北条の所領は家康に与える。
このまま北条を生かしておけば、いずれ家康と組み、このわしに仇なすに決まっておる・・・!!」
「これは、徳川さまの動きを封じるためにございます。
徳川を遠い関東へ追いやってしまえば、豊臣の天下は安泰・・・!!」by三成。
ひざから崩れ落ちる官兵衛。。。
またもや約束を違えてピンチに陥る官兵衛。
親方様のために働いてるのにねえ・・・
利休&官兵衛で愚痴り中。
そして・・・決意する利休なのでした。
「取り返しがつかなくなる前に・・・!!」by利休。
う~ん・・・最後の大きな戦いなんですけどね。。。
もっと戦いを・・・!!
実際、長宗我部や島津は許したのに、宇都宮や北条は許してもらえなかったっていうのはなんなんだろう??って考えてみました。
長宗我部はまだまだ戦国も早いうちに降伏したことかな・・・
島津はかなり遠かったこと&1年かかった=戦費がかさんだことと、島津自身が結構四面楚歌だったこと。
利用価値としての島津・・・琉球と繋がりが深かったことも理由の一つかもしれません。
ま、源義経以降ず~っと幕末・・・いえいえ現在まで続いている家なので、そうそう絶えません。
宇都宮は意固地になったこと。
北条は・・・潰すのに良い大きさだったこと&最後まで従わなかったこと。
そして、やっぱり徳川との組んだ場合に一番恐ろしい敵となるってことが理由にあげられるかと思います。
なので、あながち三成、間違ってなかったかもよ。
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