世界のしくみがよくわかる!ニュースを読む技術 [ 池上彰 ]

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 ノーベル平和賞に隠された真実。

マララ・ユスフザイ17歳。
パキスタン出身の彼女は、女の子の教育の大切さを訴え続け、最年少17歳でノーベル平和賞を受賞しました。
その17歳の壮絶な人生とは??

パキスタンは、欧米とも仲がいい穏やかな国でした。
しかし、北部では、イスラム過激派が台頭、政府機関を追い出し・・・極端な宗教解釈によって支配し始めました。
女性の教育は許さない!!
多くの学校が爆破されました。

学校を経営する父の影響で11歳からブログを始めた彼女は・・・
過激派批判をします。
恐怖におびえながら生きる女子学生の日常を訴えます。
勇気ある少女と政府は表彰し、海外のテレビの取材にも堂々と登場しました。

「私には教育を受ける権利がある
 遊ぶ権利がある
 歌う権利、しゃべる権利、市場に行く権利、話す権利がある」

そしてあの悲劇が・・・!!

学校からの帰宅のバスで・・・
マララは銃弾に斃れます。
顔と首の二発!!撃ったのは過激派!!
イギリスの病院で大手術を受け・・・奇跡的に一命をとりとめました。

この事件によって、過激派と戦う少女として一躍時の人に!!
しかし過激派は、命を狙い続けると宣言しました。

しかし、声を上げ続け・・・
2013年7月国連で・・・世界に向けて堂々とスピーチ!!
教育を受ける権利を・・・!!
命の危険を抱えながらの堂々とした演説で。。。
2014年のノーベル平和賞を受賞しました。


そこには隠された真実が・・・??その光と影とは・・・??

過去にはノーベル平和賞を拒否したり、反発を生んだり、運動がおかしくなってしまったことがたくさんありました。

17歳、歴代最年少での受賞・・・その活動は世界中から称賛されました。
しかし、パキスタンや一部のインターネット上では??
「茶番だ!」「操り人形!!」「国民の恥!!」
どうしてでしょうか?

アメリカの無人機のパキスタン爆撃!!
ここに光と影がありました。
爆撃と批判はどのように繋がっているのでしょうか?

9.11をきっかけに、2004年からパキスタン北部に潜むイスラム過激派を撲滅するために、アメリカ軍は空爆を実施しています。
それに全く関係のない住民が巻き添えになって、死んでいるのです。
パキスタン政府はアメリカとの関係を大切にしたいようで・・・
自分達の国がアメリカに爆撃され、罪もない人々が死んでいるという現状に不満を抱く国民。
空爆の正当化のために、アララさんが受賞したのでは・・・??という人がいるのです。

ノーベル委員会がマララさんを選んだ理由は??
マララさんと一緒に受賞したのは、インドのカイラシュ・サティヤルティ氏。
彼は、世界中の奴隷のように働か去れている何百万という子供たちに対する活動で受賞しました。
インドでは、今でも学校に行けずに働いている・・・4000万人の児童労働があります。

サティヤルティさんは、1989年「南アジア子供奴隷解放連合」を設立。
学校にも行けずに働かされてきた子供たちを解放する活動を、30年以上続けてきました。
暴力、脅迫にも屈せずに・・・!!

マララさんが受賞するので、同じく選ばれたともささやかれています。その理由は・・・??
パキスタンとインドは隣同士ですが、昔から仲が良くありません。
60年以上の領土問題・・・カシミール地方を抱えているのです。
カシミール地方は、イスラム教徒とヒンドゥー京都が混在しています。
銃撃戦が度々発生し、終わりの見えない戦いをしているのです。

授賞式にお互いが、首相を呼びましょうという話にもなっています。
カシミール問題の解決策が出るかもしれません。


あげなければよかったノーベル平和賞。

1976年受賞したのは、北アイルランド市民のベティ・ウィリアムズさんとマイレッド・コリガン・マグワイアさんです。
1960年代後半から90年代にかけて北アイルランド紛争、イギリスからの分離独立を求める宗教対立による地域紛争がありました。
立ち上がった二人の市民が署名活動を開始、平和組織を結成し活動しました。
政治家でも、学者でもない・・・普通の市民の活動でした。
評価され受賞しますが、彼女たちの生活が一変します。
当時の賞金は3500万円程度、うらやまれる大金でした。
身に覚えのない噂が・・・。
他の組織から妬まれ、大喧嘩に発展します。
二人は活動を停止してしまい、組織は崩壊状態となってしまいました。


2009年受賞したのは、オバマ大統領でした。
大統領に就任して3か月の頃・・・
チェコ・プラハで、核兵器のない世界の平和と安全の実現に取り組む!!と、核保有国トップの発言でした。
このスピーチが評価され受賞したのですが・・・。

授賞式のスピーチで衝撃の発言が・・・!!
「戦争による武力は、人道的に正当化できると考えている。
 戦争がこれからもあると知りつつ、平和への努力を続けなければならない。」
平和賞に相応しくない・・・!!とも言われています。

世界で戦っているアメリカ軍の最高司令官として、言わざるを得なかったのかもしれませんが・・・。


ノーベル平和賞を500億円で買ったと言われた大統領。
2000年に受賞したのは、韓国・金大中大統領です。
北朝鮮に対し、武力よりも経済援助などの対話を重視し文化交流。
太陽政策をし、南北融和を目指しました。
2000年に北朝鮮・平壌で南北首脳会談をし、歴史的会談を実現しました。
授賞理由は、対北朝鮮の緊張緩和、韓国の民主主義推進でした。

しかし・・・南北会談直前に、事業対価として5億ドル送金し・・・首脳会合開催に寄与したのです。
会談実現のためのお金と言われ、500億円でノーベル賞を買った男と批判されました。


1973年平和賞最大の事件。
「ノーベル平和賞なんて要らないよ」と、はじめての受賞辞退です。
この時選ばれたのは、ベトナム戦争終結に導いた男、アメリカ・キッシンジャー大統領補佐官と、北ベトナムのレ・ドゥク・ト政治局員です。
冷戦時に南北に分かれていたベトナム。
アメリカが北ベトナムを攻撃、激しい空爆、枯葉剤を使い一般市民を巻き込みました。
そんな悲惨な戦争を終わらせたとして平和交渉をしたふたりが選ばれたのです。

レ・ドゥク・ト氏は辞退すると・・・
平和賞総設から今年で114年、後にも先にもこの1回だけです。
その理由とは???

そもそも戦争をしかけてきたのはアメリカで・・・
それを止めたら平和賞受賞って、おかしくない??ということなのです。
ベトナムは平和になったのではないと辞退したのです。


スウェーデン出身のアルフレッド・ノーベルの遺言として始まったノーベル賞。
現在、物理学・化学、生理学医学、文学、平和、経済学と、6部門ある中で平和賞だけ違う国・・・ノルウェーが決めています。
これもノーベルの遺言です。
1814年~1905年まで、スウェーデンがノルウェーに支配されていました。
独立をかけて、険悪なムードになっていたのです。
戦争か平和か・・・その瀬戸際にいるノルウェーに、ノーベル平和賞を選んでもらおうと思ったのです。

平和賞は、世界中から届く推薦状をもとにノルウェーのもと国会議員ら5人によって決められています。
推薦できるのは、各国の国会議員や大学教授などです。
誰が推薦されたかは、50年間非公開です。


過去にもらえなかった大物は・・・??

インド建国の父、マハトマ・ガンジー。
イギリスの植民地だったインドを暴力に頼らない平和活動で独立させたのです。
世界の平和活動家のお手本となりました。
ダライ・ラマ14世や、アウンサン・スー・チーも影響を受けたと言われています。
5回も候補となっていたものの全て落選。
そこには、当時のノーベル委員会の思惑が・・・
イギリスに対して逆らっている人・・・
第2次世界大戦当時、国王は、ナチス・ドイツから逃れるためにイギリスに亡命していました。
なので・・・イギリスに逆らっている人には・・・と、遠慮した?と言われています。

1939年に候補となったのは・・・アドルフ・ヒトラー。
推薦した人の思惑は??
1939年は、第2次世界大戦が始まった年です。
独裁者が候補となったわけは?
”ノーベル平和賞を与えてしまえば、戦争を始められないのではないか?”という思惑が働いたのです。


世界を変える後押しになったノーベル平和賞。
南アフリカで・・・徹底的な黒人差別。
人種差別反対デモでは、白人警察官の容赦ない取り締まり!!
アパルトヘイト・・・人種隔離政策です。
黒人たちの支えとなったのが、デズモンド・ツツ司教です。
白人からも尊敬されていたツツ司教は・・・白人に堂々と説教師、先進諸国に直談判します。

「我が南アフリカに対し、経済制裁措置をしてほしい・・・!!
 経済制裁で、新しい南アフリカの設立を支援していただきたい!!」と。

このお願いによって、世界に南アフリカの実情が理解されたのでした。

1984年人種差別に立ち向かった英雄の受賞。。。
これが、世界的な人種差別の反対運動を過熱化させます。
10年後のアパルトヘイトの撤廃へと繋がっていくのです。


2010年の受賞。。。
授賞式に出席できなかったのは・・・天安門事件のリーダー的存在の人権活動家・中国の劉暁波。
事実上共産党の一党独裁の中国にあって、民主化や基本的人権を訴え続けています。
2008年国家政権転覆扇動罪で逮捕されてしまいました。
しかし、その活動は世界に評価されたのです。

中国はノルウェーに対し・・・
「平和賞を授与すれば、両国の関係は悪化するだろう」と、通告しています。
委員会のメッセージは・・・??
言論の自由、表現の自由がない中国を世界に知らしめるためのメッセージだったのです。


1901年から、128の人と団体が受賞してきた平和賞。
初期の頃は、戦争を終結した人が受けることが多かったのですが・・・
80年代以降は、人権問題に取り組んだ人たちが多く受賞しています。
最近では、環境問題・・・時代と共に変化を遂げる平和賞。

地球環境問題に取り組めば・・・干ばつが無くなり・・・戦争が無くなる・・・??
新しい紛争を防止することに繋がるとしています。

2006年に受賞したのは、バングラデシュの銀行。
バングラデシュでは、3割が貧困層で、1日100円で生活しています。
グラミン銀行は、貧困撲滅の後押しをしています。
銀行に賞を与えた理由は??
経済的に自立し、貧困から脱出することが、戦いを防ぐ結果に繋がるということです。

思惑の光と影を知ったうえで、ノーベル平和賞を考えてみましょう。

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