沖縄一中鉄血勤皇隊 [ 田村洋三 ]

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琉球大元学長の東江康治さんがお亡くなりになりました。
沖縄戦で兄と敵味方に別れた・・・そう、「最後の絆」・・・あのドラマの主人公です。

satou彼は・・・太平洋戦争末期の沖縄戦で鉄血勤皇隊として動員され、米軍の攻撃で右胸を撃ち抜かれたが、一命を取り留めました。
当時、米国生まれの兄が米兵として沖縄に入り、敵味方に分かれた兄弟としても知られています。

戦後、米政府の援助で米国に留学。教育心理学が専門で、1984~90年に琉球大学長。
同県名護市の名桜大の設立に携わり、94~00年に初代学長を務めました。平和論の講座を設けるなど平和教育に力を入れ・・・05年に瑞宝重光章を受章しました。


2011年に放送されたこのドラマ・・・ストーリーは・・・

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貧しい家庭に生まれた子供が、親に楽をさせようと思う一番の近道は軍人だった・・・。
そんな当時、学業優秀な長男の盛勇は海軍兵役学校への進学を目指していました。
が・・・しかし、かつてアメリカで出稼ぎをしていた父・盛長と妻・カマドは、地道に働けば成功も夢ではないと、盛勇をアメリカへと送り出すのでした。
このまま沖縄にいれば徴兵されるかもしれない・・・
息子を軍人にしたくない二人は、アメリカなら戦争に巻き込まれることはないだろうという考えもあったからです。

戦争に行かないためのアメリカ行き・・・
なのに、フランク・ヒガシと名を変え、アメリカ人として生きる決意をした盛勇にアメリカからの徴兵出頭命令書がつきつけられました。
1940年選抜訓練徴兵法(アメリカに住む21歳から30歳の男性に兵役を義務づけた)により、移民である盛勇にも入隊が求められたのです。
そう、新しい祖国の為に・・・
おまけに、拒否するなら帰国しろと言われ、仕送りのためには留まるしかなく・・・
1941年10月、盛勇はやむなくアメリカ陸軍に入隊するのでした。

1941年12月、真珠湾攻撃を機に、日本とアメリカとの戦争が始まり状況は一変します。
1944年の沖縄大空襲以降、沖縄は激戦地となり・・・
沖縄全土の男子中学生もまた戦場へと借り出される非常事態となり、次男・康治は、学友とともに極秘部隊「鉄血勤皇隊」の少年兵として戦場に送られることになるのでした。

一方、盛勇も、大きな選択を迫られていました。MIS(アメリカ陸軍情報部)として忠誠登録に署名するか?、拒否をして強制収容所に送られるか??
盛勇は、署名をしMISとして日本に送られることになりました。

”子供を軍人にしたくない”という両親の思いとは裏腹に、二人は敵同士として戦場での再会を余儀なくされるのです。


当時の日系アメリカ人と言われる人たちは、このMISになった人が6000人とも言われています。
日本人の親を持ち日本語を話せることと、アメリカに忠誠を誓わせるためにも必要だったのかもしれません。

そして・・・皮肉にも、この日本語の呼びかけがあってこそ、沖縄での戦いでの玉砕が減ったのかも?とも言われています。

戦後・・・兄の盛勇は、アメリカ政府の通訳として沖縄に駐留します。
結婚して沖縄に住まいを構えるものの・・・ふるさとの占領に手を貸すことに深い矛盾を感じ、アメリカへ戻り、庭師として働きながら、沖縄からの留学生を支援し続けます。
そして、今回亡くなった康治は教育者としての道を歩み、ふるさとの名護に大学を創設するのです。

そう・・・名前を聞いたときは誰??なんて思いましたが、佐藤健君が演じた少年だったのです。

この時代・・・日本は閉鎖的な島国といいながら、中国・台湾・アメリカ・ブラジル・・・
貧しさから抜け出すためにたくさんの人が新天地を目指しました。
ちなみに移民となった人々の県は沖縄が一番多いのですが、私の住んでいる和歌山県も、山ばかりで耕作地が少なく・・・口減らしのために・・・沖縄に次いで移民の数が2位だと聞いたことがあります。

戦前・戦中・戦後・・・そんないくつもの苦労を乗り越えてきた方が、また一人お亡くなりになられました。
本当にお疲れさまでした。

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