吉田稔麿 松陰の志を継いだ男 (角川選書)

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吉田稔麿・・・普通の人にはあんまり馴染みはないかもしれませんが・・・
新選組好きにはたまらない宿敵です。

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この人も、とがったイメージがありますが・・・
「花燃ゆ」ではかわいい瀬戸康史くんが演じてくれています。

個人的には(↓)こちらの狂気な稔麿さんのイメージが強いのですが、ま、こちらはマンガ・アニメですから・・・。


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実際には瀬戸君の方がホントなのかもしれません。

名は栄太郎⇒23歳の時に稔麿と改名しました。
高杉晋作、久坂玄瑞、そして吉田稔麿を称して松陰門下の三秀(入江九一を入れて松下村塾 四天王)と呼ばれています。


吉田稔麿は、萩藩松本村新道に足軽・吉田清内の嫡子として生まれました。
安政3年11月、松陰主宰の松下村塾で最初の塾生である増野徳民に連れられ、松下村塾の門を叩き、門下生となります。
なので、松下村塾初期メンバーの一人です。

松陰は・・・特に親愛の情を示した稔麿には「無逸」という字(あざな)を付け、同じく「無」がつく字を付けられた増野徳民、松浦松洞と共に「三無生」とも言われています。
無駄口を利かず、謹直重厚な人物でした。

松陰は稔麿を「足下の質は非常なり」「才気鋭敏にして陰頑なり」「久坂玄瑞の才能は自由自在で妨げるものは何もない。高杉晋作は陽頑、つまり頑固さが表に出るが、稔麿の陰頑というのは、心に秘めた強い意志を持っている。それは人により安易に動かされるものではない」と高く評価したといいます。

ドラマでもそうでしたが・・・松陰に下獄の命が下されると、家族・親族一門を守るために師の元を離れました。松陰が江戸送りになるときも、合わせる顔がないと・・・隣家の塀の穴から見送ったとの逸話が残されています。

松陰死後も、暫く志士としての活動を控えていたものの、脱藩、京で行なわれた松陰の慰霊祭にも参加するようになります。

文久3年(1863年)6月、高杉晋作の創設した奇兵隊に参加。
7月には「屠勇隊」を創設。
8月の朝陽丸事件(幕府の軍艦を襲撃)では始末を任され、烏帽子・直垂姿で船に乗り込み、説得に成功します。

彼の名前が轟くのは・・・元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件。
池田屋の会合には稔麿も出席していましたが、一度屯所に戻るために席を外します。
 しばらくして戻ると新撰組が池田屋の周辺を取り囲んでいて・・・吉田は奮闘の末、討ち死にするのでした。

 最近の説では、長州藩邸に戻っていた吉田が脱出者から異変を聞き、池田屋に向かおうとするも加賀藩邸前で会津藩兵多数に遭遇し討ち死にした、とも・・・
池田屋で襲撃を受け、事態を長州藩邸に知らせに走ったが門は開けられる事無く、門前で自刃したという話もあります。
稔麿の最期については諸説ありますが、それだけ魅力的な人物だったのでしょう。

ドラマとしては、今はあんまり出番はないですが・・・また帰ってきますよ。
お楽しみに。。。

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