日本のいちばん長い日 [DVD]

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皇居の一角・・・昭和20年8月・・・当時の全閣僚が集まり、終戦を決定する会議が行われました。
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忠臣にいたのは、首相・鈴木貫太郎、徹底抗戦を唱えた陸軍大臣・阿南惟幾でした。

かつて二人は、侍従長と侍従次官として天皇の傍に仕えた因縁の間柄でした。

昭和11年2月・・・雪の東京で起こった2・26事件・・・
陸軍の青年将校たちが、天皇側近を殺害し軍政権樹立を目指したクーデターですが、標的には鈴木貫太郎がありました。
数発の弾丸を浴びるも、生き延びた鈴木貫太郎・・・。
9年後、総理大臣となった鈴木貫太郎は、131日に渡り戦争終結の困難に向き合うことになります。

いつ、どのようにしてやめるのか??後始末の難しさ、始めた戦争を終結させる・・・それは、日本史上最大にして究極の選択だったといえます。

昭和20年4月5日、かつての侍従長にして海軍大将・鈴木貫太郎は天皇に呼ばれ・・・
天皇は79歳の鈴木に組閣を命じます。
しかし鈴木は、軍人は政治に関与するべきではないと固辞します。

「鈴木の心境はよくわかる。
 しかし、この重大な時に当たって、もう・・・ほかに人はいない・・・
 頼むから・・・どうか、曲げて承知してもらいたい。」

anami翌朝・・・組閣を決意した鈴木は、真っ先に陸軍省へ・・・!!
目当ては阿南惟幾陸軍大将・・・陸軍大臣として入閣させようとしていました。

陸軍は戦争の実行部隊として、時に内閣以上の権力をふるう巨大組織となっていました。
戦時行政を遂行するにあたって陸軍大臣は必要で・・・信頼できる阿南を大臣としたかったのです。

「わたくしの最後のご奉公と考えますると同時に、まず、わたくしが一億国民諸君のまっさきに立って死に花を咲かせ、国民諸君はわたしくのしかばねを踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたします。」by貫太郎

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しかし、外務大臣・東郷茂徳は、戦争の早期終結を唱えていました。

鈴木は・・・表向きは戦争継続でしたが、戦況を見ながらどのように終結にもっていくか??考えながら行動していました。
昭和20年4月、沖縄本島では、激しい地上戦が行われていました。
日本軍は劣勢に・・・ヨーロッパは戦争終結に向かい始めていました。

5月7日、ドイツ無条件降伏、・・・同盟国を失った日本。。。
アメリカ・トルーマン大統領は、日本にも無条件降伏を求めます。

欧州方面に振り分けられていた部隊を、極東・太平洋方面に投入することができるようになり・・・日本にはたいへん不利な状況になってきていたのです。

日本の考えは・・・
①無条件降伏
②一撃講和・・・本土決戦で連合軍に一撃を与えてから講和に持ち込む
でした。

5月11日、鈴木は戦争の根本方針を策定する最高戦争指導会議の構成員を集めました。
軍部の意向を一身に受けた阿南陸相、客観的に分析し見据えた東郷外相ら閣僚と、陸海軍の統帥部・・・6人がメンバーでした。

この時、ソ連軍はヨーロッパから続々とシベリア方面へ・・・!!
何としてもソ連を日本側につけなくては・・・!!
”ソ連に仲介を頼む”・・・と、それまで強気だった鈴木が講和をにおわせます。
ソ連に講和を依頼するためには大きな見返りが必要・・・
その条件で対立します。

東郷外相は・・・日本の持つ様々な権益を手放し、日露戦争以前の状態に戻す必要がある。
これに対し、阿南陸相は・・・日本はいまだ、広大な敵地を占領している。日本が負けた形で終戦条件を考えることは反対だ!!指導者たちは、結局、ソ連への依頼は時機を見て・・・と、しか結論できませんでした。


6月9日、天皇は、満州から戻った梅津美治郎参謀総長から報告を受けます。
「若しアメリカが十ヶ師団を支那に上陸させたら、到底勝算はないと語った。
 梅津がこんな弱音を吐くことは初めてであった。」by昭和天皇独白録

3日後・・・海軍の実情が明らかになります。
小舟が特攻兵器と呼ばれ、戦争遂行能力は日に日に失われているという・・・。
負けを知らない帝国陸海軍の実情は、絶望的なものでした。
阿南陸相はこの頃、長野に入っていました。
長野市郊外松代・・・
陸軍はこの山中に、倉庫を装って広大な地下壕を構築していました。
一撃講和に向けた本土決戦に向けて・・・!!
阿南の長野行きはその視察だったのです。

固い岩盤を穿った地下壕は13㎞に及び、終戦後には完成していたといいます。
いたるところに残された削岩機で削られたあと・・・
計画では松代一帯に掘られた壕に、大本営や政府機関、天皇の御座所までが移転する計画になっていました。
こうして本土決戦が準備される中・・・沖縄戦は10万をはるかに超える犠牲者を出し、壊滅的な敗北を迎えようとしていました。

6月22日、最高戦争指導会議の構成員は天皇に呼ばれ・・・
天皇は・・・
「戦争の終結についても、速やかに具体的研究を遂げ、その実現に努力することを望む」
終戦に向けて大きく舵を取られました。
が・・・表立って行動すれば、今なお戦意旺盛な軍部がクーデターを起こす可能性が・・・!!
誰もが陸軍将校が起こした2・26事件を思い出しました。

日本は立憲君主国で、政党内閣が政治を動かしていました。
が・・・当時の日本は政党内閣が崩壊して10年以上たち・・・政党もすべて解消していました。
そんな中での戦争終結は。。。戦争責任が直接天皇にかかる可能性が多くありました。
そんな中、天皇に責任が及ばない範囲で立憲君主国の枠組みの中で戦争終結する・・・
そのために、国家意思をまとめるというのが鈴木の課題だったのです。
しかし、4か月必要だったのか・・・??
鈴木の判断によっては戦争の被害は軽減された可能性もあります。
しかし、人々の期待を裏切るような決断をしなくてはいけないときに、80日で結果を出せたのは早かったのかもしれません。
そして、終戦・・・深刻で重大な、期待を裏切る決断をするためには、指導部は一枚岩でなければなりませんでした。

戦況はますます悪化・・・
昭和20年6月23日、沖縄での日本での組織的戦争は敗北に終わりました。
アメリカ軍の本土空襲は激しさを増し・・・
7月26日ドイツ近郊に集まった連合軍首脳は、日本に降伏を求める”ポツダム宣言”を発表!!
鈴木内閣は、閣議でソ連を仲介に講和する方針を変えず、ポツダム宣言に意思表示しないこととしました。
ところが・・・鈴木は黙殺すると発言!!
これに東郷外相は、閣議の決定に反すると抗議しました。

入り乱れた混乱・・・時間だけが過ぎ・・・最悪の事態に・・・!!

8月6日、広島に人類史上初の原爆が投下!!
東郷外相は、モスクワに電報を打ち続けます。
原爆投下2日後・・・もっとも恐れていたソ連の参戦が!!満州に進撃します。
8月9日10時30分に行われた最高戦争指導会議で、ポツダム宣言を受諾しなければならない事態に・・・会議は紛糾!!

条件は・・・
東郷外相は国体護持。
阿南陸相は・・・
①国体護持
②占領は小範囲・小兵力
③武装解除は日本の手で自主的に行う
④戦争犯罪人は日本側で処分
国体護持を維持するためには②~④は欠かせない!!でした。

この会議のさなか、二発目の原爆が長崎に投下!!

2時30分・・・場所を移して議論が続けられました。
阿南陸相は、若手将校たちのクーデターが気がかりでした。
午後5時・・・大本営は満州国境を越えたソ連軍と交戦中と発表!!
今や一刻の猶予もない!!
この時、鈴木内閣は2つの選択に迫られていました。

①一撃講和(阿南陸相)
本土決戦し、少しでも有利な形で講和を!!
そうでなければ軍の武装解除は難しい・・・!!

②無条件降伏(東郷外相)
阿南陸相が軍の暴走を案じているのはわかるが、降伏や占領は耐え難いものの・・・
原爆を開発したアメリカに対する戦力はもはやない!!
国体護持だけを条件に・・・国の復興に力を入れるべきでは・・・!!

軍にとってはこの違いは大変大きなものでした。
四条件が認められなければ、降伏になってしまう・・・。
当時の軍は降伏を禁じていて、かなりの抵抗がありました。
軍として円滑に終戦をまとめようとして抵抗していたのです。
本土決戦・・・降伏・・・どちらも大きな痛みを伴いました。
発足から125日・・・行き場を失った静木内閣は行き場を失います・・・!!

ポツダム宣言の受諾条件を決着させるために、鈴木首相は大日本帝国憲法に違反することを承知で天皇の裁可を仰ぐ決断を下しました。
8月9日午後11時50分・・・朝の最高戦争指導会議から13時間以上たっていました。
天皇が会議室に入ったのは日付が変わったころ・・・
天皇の前でも、東郷外相と阿南陸相は持論を曲げない!!
午前2時を過ぎた頃・・・丁寧にお辞儀をし・・・
「なにとぞ思し召しをお聞かせくださいませ。」by貫太郎
「それならば私の意見を述べよう・・・
 私の意見は外務大臣の意見に同意である。。。」by昭和天皇
ここに聖断は下り、国体護持だけを条件に降伏することが連合軍に通告されました。
8月12日、連合軍から届いた回答に陸軍は納得できません。
それは、そこには国体護持が明記されていなかったからです。
阿南陸相は、陸軍各軍司令官に向けて徹底抗戦の意志を明らかにします。

翌日の会議でも、東郷外相・阿南陸相どちらも譲らず・・・!!
天皇にゆだねる決意をする鈴木貫太郎!!

最高戦争指導会議のメンバーに加えて全閣僚が出席した御前会議・・・
午前11時2分、天皇が姿を現し・・・東郷外相の意見を支持!!
「先方の回答をそのまま受け入れてもよろしいと考えている。
 私が直接国民に呼びかけるのが一番良い方法なら、いつでもマイクの前に立つ。
 ことに陸海軍の将兵の動揺は大きく、陸海軍の大臣は彼らの気持ちをなだめるのに相当の困難を感ずるだろうが、必要があるなら私はどこへでも出かけて行って親しく時さとしてもよい。」
天皇の言葉を聞き・・・阿南陸相は陸軍各部隊に発信!!

小職等は万感の涙を飲んでこれを伝達す。
天皇の意志のもと、整然と戦いを終えるようにと・・・

官邸に戻ると遺書を書き上げた阿南陸相。

8月15日、鈴木内閣の閣僚たちの一日は、阿南陸相の自決のニュースで開けます。
終始、意見が対立していた東郷外相は・・・
「そうか・・・腹を切ったか・・・阿南という男はいい男だな。。。」と言ったという。
夕刻、鈴木貫太郎は、首相としての最後の閣議で閣僚たちの辞表を取りまとめ、天皇に奉呈しました。
発足から131日・・・鈴木貫太郎内閣は、その職務を終えたのでした。

彼らが守ろうとした国体とは・・・??
形のない国体を守れるのか??
国体をどう守るかは憲法を超えた問題でした。

終戦の前夜・・・
終戦の証書の完成を前に、阿南陸相は訴えます。
「もし、この証書の内容を深夜に発表したら、軍の衝撃は大きく膨れあがり、不測の事故が発生しないとも限らない。
 私の最後のお願いだが、証書の好評は夜が明けてからにしてほしいと思うが、いかがなものだろう。」
最後まで軍の暴走を案じた阿南陸相・・・
その思いは聞き入れられ、8月15日の晴れ渡った空に、天皇の声が流れました。

戦後70年・・・歴史の新しい歩みがここから始まったのでした。


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