英語で読むシェイクスピア四大悲劇 (IBC対訳ライブラリー) [ チャールズ・ラム ]

価格:2,160円
(2018/11/9 15:49時点)
感想(0件)



「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」
「ああロミオ・・・あなたはどうしてロミオなの?」誰もが耳にしたことのある名台詞・・・
書いたのは、ウィリアム・シェイクスピアです。
400年前のイギリスで数々の名作を残した世界で一番有名な劇作家です。
しかし、知名度とは裏腹に、その生涯は謎に満ちたものでした。

シェイクスピアが活躍したのは、イギリスのロンドン。
ミュージカルから古典まで世界で最も演劇が盛んな町の一つです。
グローブ座では、当時さながらの手法で演劇がされています。
ハムレット、オセロー、マクベス、リア王は、シェイクスピアの4大悲劇・・・そして、ロミオとジュリエット、夏の世の夢など・・・400年後の現在、シェイクスピアの作品は、100以上の言語に翻訳され、世界中で演じられています。
これほどまでに愛されるシェイクスピア作品は、幅広く、深い作品の世界です。
哲学的な台詞・・・庶民には知り得ない貴族や王家の醜い内幕・・・
知識と教養溢れる作品を書いたシェイクスピアは、上流階級の知識人・・・??
実は、ロンドンとは遠い田舎町で育った貴族とは縁のない大学も出ていない人物??

シェイクスピアの戯曲のセリフには、韻を踏んでいるところが多くみられます。
まだ、英語の確立していない時代でした。
シェイクスピアが作ったとされる言葉には・・・

lonely・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・孤独な               
fashionabule・・・・・・・・・・・・・・・流行の
manager・・・・・・・・・・・・・・・・・・マネージャー
belongings・・・・・・・・・・・・・・・・・所持品
employer・・・・・・・・・・・・・・・・・・雇用者
countless・・・・・・・・・・・・・・・・・・数えきれない
assassination・・・・・・・・・・・・・・暗殺
All's Well That Ends Well・・・・終わり良ければすべて良し

があります。
シェイクスピアは、生涯で40の戯曲を作っています。
しかし、直筆の原稿は消失・・・。
彼自身が書いた文字は、本人の署名を含めたった14語しか残っていません。
プライベートの手紙も残っておらず、息子の洗礼や、婚姻届け、土地の取引や遺言書などの公式のみです。
これは、シェイクスピア自身が意図したものではないか??と言われています。

手紙を書かないように気を付けていた??
痕跡を消そうとしていた形跡があります。
20代後半で、ロンドンの演劇界へ颯爽と登場したシェイクスピア。。。
しかし、それは劇作家としてではなく・・・舞台の役者としてでした。
その後、気鋭の劇作家となりシェイクスピア、いったい何があったのでしょうか?

シェイクスピアの生家が残っています。
生まれたのは、1564年。
日本では織田信長が活躍していた時代でした。
場所はロンドンから130キロ離れたストラットフォード、アポン・エイヴォン・・・田舎町でした。
町の中心を流れるエイヴォン川・・・今も緑豊かなこの土地で、シェイクスピアは幼少期を過ごしました。
父・ジョンの仕事は革手袋の製造でした。
ジョンは不動産の売買や高利貸しをして財を築きました。
1568年、シェイクスピアが4歳の時、父が町長に就任。
治安判事も兼任する父は、町の名士でした。
7歳になると、シェイクスピアはラテン語の学校に入学。
当時、ラテン語は、必修で、週6日、朝6時から夜6時まで勉強でした。
11歳の時、シェイクスピアに大きな影響を与えることが・・・
近くの城をエリザベス1世が訪れ、女王歓迎の式典がありました。
父に連れられてきたシェイクスピアは、そこで初めて本格的な演劇を目にすることに・・・!!
花火が打ちあがり、神話の人物に扮した役者たちが、演劇やダンスを披露・・・白の前の湖からは機械仕掛けのイルカが・・・!!
女王に歌を歌います。
この体験を色こく反映した作品が、悲劇「夏の夜の夢」です。
少年シェイクスピアの脳に刻み付けられたのは、どんな世界も見せてくれる演劇の魔法でした。

しかし、2年後///
父親が事業に失敗し、かつての権力を失います。
シェイクスピア家の裕福な生活は一変し、貧乏生活へ・・・!!
父は妻の親戚から借金をし、土地も手放しました。
シェイクスピアはハムレットの中で言っています。
”金の貸し借り不和の基と 貸せば 金と友達を同時に失う 借りれば倹約が馬鹿らしくなる”

1579年15歳でシェイクスピアは学校を卒業。
その後、家業を手伝っていたとも、貴族の家庭教師をして家計を助けていたともいわれています。
ところが、1582年、18歳の時・・・ろくな稼ぎもないのに8歳年上のアン・ハサウェイと結婚。
この時、すでに子供を宿していました。
アンは、知り合いの農家の娘で、この結婚をシェイクスピアがどう思っていたのか・・・??
終わり良ければすべてよしの中で・・・”妻をめとれば 口答えも一緒についてくる 若くして結婚 待っているのは悔恨”と書いています。

アンは長女を出産し、2年後には男女の双子を出産します。
3時の父となったシェイクスピア・・・さらに家には父や幼い弟や妹たちが・・・20歳のシェイクスピアは11人家族・・・養わなければならない人がたくさんいました。
そんなある日、シェイクスピアは、故郷から忽然と姿を消してしまいます。
以後、数年間、彼の消息は分かっていません。

次にシェイクスピアが記録に現れるのはロンドン。
当時の女王エリザベス1世の芝居好きも追い風となり、演劇人気が空前の高まりを見せていました。
ここで戯曲を発表・・・したわけではなく、役者となって舞台に立っていたと言われています。
演じることより書くことの方が向いている??20代後半から劇作家として活動し始めます。
最初の作品・・・1590年~92年、26~28歳の時「ヘンリー六世」執筆
この王位継承の争いは、シェイクスピアが最も得意としたもので、全作品の1/4に出てくると言われています。
それには訳がありました。
当時イギリスでは、30年以上君臨していたエリザベス1世の王位継承問題が人々の関心の的となっていました。
ロンドンで演劇専門の劇場が現れるのは、シェイクスピアが現れるほんの10年前です。
政治情勢から王室のゴシップまで、新しいメディアだったのです。
観客が大好きな最新のゴシップをうっとりするほど教養ある台詞で包み込んだシェイクスピアの劇は人気を博します。

どのようにして、情報や知識を得ていたのでしょうか??
本は当時現在の車一台分ぐらいの貴重品でした。
友達が地元からロンドンに出てきて本屋を開いていました。
その店から本を借りたり、店で読ませてもらったりしていたのです。
そして、いろんな人たちから、いろんな話を聞くことで、情報収集を行っていました。
場所として想定できるのはパブ・・・パブこそが、シェイクスピアの大学だったのです。

1595年頃・・・31歳ごろ、不朽の名作「ロミオとジュリエット」を発表。
切なくも美しい恋愛劇です。
しかし、これはシェイクスピアのオリジナルではありません。
もとになったのは、30年ぐらい前に出版されていた「ロミウスとジュリエットの悲劇の物語」・アーサー・ブルック作です。
著作権という考え方のなかった当時、他の作品をコピーすることは良く行われていました。
シェイクスピアも、よく古典を元にして戯曲を書いています。
しかし、ただのコピーで終わらないのがシェイクスピアの凄さです。
もとの作品では物語の期間が9か月なのを6日間に、ジュリエットの年齢を16歳から13歳にしたのです。
もとの作品が、年長者の意見にそぐわないと不幸を招くという教訓的なのに対し、恋愛悲劇としました。
若い二人の純真さと、大人の醜さを対照的に書いたのです。
「ロミオとジュリエット」は空前の大ヒットとなります。
その後も、シェイクスピアは次々とヒット作を書きます。
友人の劇作家ベン・ジョンソンは作品を書きまくるシェイクスピアをこう書いています。
”素晴らしい想像力と、立派な考えを持ち、ジェントルな表現があまりにもスラスラと流れるから、時には止めてやらねばならないほどだった”と。
ロンドンの演劇界に衝撃を与えたシェイクスピアは、30歳の頃、一躍、人気劇作家の仲間入りを果たします。
売れても奢ることなく、故郷に仕送りをするなど、周りの評判は良く・・・

”本当に正直な男で、表裏のないざっくばらんな性格だった”byベン・ジョンソン

しかし、1596年、32歳の時、故郷から思わぬ知らせが・・・11歳になる息子の死でした。
当時、イギリスではペストが何度も流行。
10人に一人が亡くなるほど猛威を振るっていました。
再会を心待ちにしていた息子の死・・・これを機に、シェイクスピアの作品が変わっていきます。

「ジョン王」より・・・
「死んだあの子がぽっかりあけた穴を 
 悲しみが埋め 悲しみがあの子のベッドに寝て 私と歩き回り 
 可愛い顔をして あの子の言葉を繰り返すのです。
 あの子のかわいらしさを あれこれ思い出させ 
 抜け殻となったあの子の服を 着てみせるのです」

王家のゴシップや派手な恋愛物語よりも、人間の苦しみや悲しみをより深く見つめる作品が増えていきます。

翌年、シェイクスピアは、故郷に果樹園と庭園付きの大きな屋敷を買い、家族を住まわせます。
妻や娘たちの悲しみを癒そうとしたのかもしれません。
一方、本人の生活は質素でした。
ロンドンで安い部屋を借り、家具もほとんど買いませんでした。
ただし、お金を増やすことには積極的で、投資用の不動産を購入したり、穀物を大量に仕入れたりして、こまめで堅実でした。
実は、脚本で得る収入は微々たるもので、当時、脚本は1本買いとりで、著作権もなかったのです。
主な収入は、劇団員としての分配金。
興行成績に左右される不安定なものでした。

息子の死から2年後・・・劇団に危機が・・・!!
シェイクスピアの拠点だった「シアター座」の劇場オーナーが亡くなったのです。
これを機に、地主が土地使用料を1.7倍に・・・!!
シアター座も明け渡せと言ってきました。
そんな高い土地代を払ったら、劇団を経営していくことができない・・・!!
しかし、支払いを拒否して劇場を失えば、芝居そのものができなくなる・・・!!
高い土地代を払うか?それとも新天地を探すのか??
人生の岐路に立たされたシェイクスピア・・・。
ある夜、密かに劇団員たちが行ったのは、劇場の解体でした。
そして、解体した材木で、別の場所に建て直したのです。
シェイクスピア劇の殿堂と言われ、後に数々の傑作が演じられるグローブ座の誕生でした。
これを機に、シェイクスピアは共同経営者に就任!!
名実ともに、自分の劇場を手に入れたのです。

こけら落としは”ジュリアス・シーザー”でした。
戦いに勝利し、市民に熱狂的に迎えられるローマの将軍・シーザー・・・しかし、シーザーが皇帝になることを恐れた元老院の政治家たちは、暗殺を企てます。
シーザーの友人のブルータスも計画に参加するように言われ・・・ブルータスは悩みます。
そして・・・”お前もか、ブルータス!!”
ジュリアス・シーザーはヒット作となります。
観客数は増加していきます。
安定した収入と、劇場を手に入れたシェイクスピアは、ますます創作に意欲を燃やします。
あの4大悲劇(ハムレット・オセロー・マクベス・リア王)もこの頃生まれました。
これらの作品には、自らの人生観をもうかがわせる台詞がちりばめられています。

リア王では赤ん坊について・・・
「人間 生まれたときに泣くのはな この大いなる阿呆の舞台にあがってしまったからなのだ」

ハムレットでは世の中について・・・
「雀一羽落ちるのにも 神の摂理がある
 無常の風は いずれ吹く 覚悟がすべてだ なるようになればよい」

マクベスでは死について・・・
「人生は歩く影法師 哀れな役者だ
 出番のあいだは大見得切って騒ぎ立てるが 
 そのあとは ぱったり沙汰止み 音もない」

今なお私たちの胸を打つ、数々の味わい深い台詞は、この頃生み出されていきました。

グローブ座で、次々と大ヒット作品を発表していくシェイクスピア。
しかし、人気絶頂のさ中、自ら筆を折り、故郷に帰ってしまいます。
どうして天才劇作家は引退したのでしょうか??

1603年、シェイクスピアが39歳の時にエリザベス1世が死去。
45年間の統治に終焉がもたらされました。
新しく意義り合う国王となったジェームズ1世も無類の演劇好きでした。
新国王は、シェイクスピアの劇団の後援者になりたいと言ってきました。
劇団は、国王一座という大変な名誉をもらうこととなりました。
しかし、名誉とは裏腹に、一座を取り巻く環境が悪化していきます。
イギリスの景気が悪化、宗教対立がもとで新国王への反発が強まります。
そんな時代を反映してか、シェイクスピアの作品にも微妙な変化が現れます。
以前はたくさん書いていた喜劇を書かなくなり、重く暗い劇が多くなります。

マクベス
「永遠に安泰か
 これを限りに没落か
 俺も十分長いこと生きてきた
 わが人生の道は
 黄色い枯葉に変わった
 この年なら当然持っていてしかるべきの栄誉、愛、従順、大勢の友人など
 もはや持つことはかなわぬ
 その代わりにあるのは
 声に出されぬ深い呪い 口先ばかりの敬意、追従だ
 嘘とわかっていても 弱い心は受け入れてしまう」

そんな中、49歳の時に決定的な事件が・・・!!
グローブ座で火災が発生し、全焼!!
生活の糧であり、作品の発表の場であった劇場を失ってしまったのです。

晩年の作品「テンペスト」には・・・
「さて わが魔法は消えました
 残ったのは この身ばかりとなりました」

劇場を失ったシェイクスピアは筆を折り、故郷に帰りました。

シェイクスピアは大金を投じ、ストラットフォード・アポン・エイヴォンの特定地における穀物・家畜に対する税の10分の一をもらえる権利・・・「十分の一税徴収権」を購入していました。
老後の生活に安定した収入を求めたのです。
以後シェイクスピアは、死ぬまで家族と共に過ごしました。

1616年、52歳の時に体を壊したシェイクスピアは遺言書を書きます。
不動産や宝石、家具の大部分は娘夫婦へ。
さらに妹に30ポンドと居住権、3人の甥へそれぞれ5ポンド。
細かく記しました。
そして3か月後、シェイクスピアは故郷でその生涯を閉じました。
1616年4月23日死去・・・52歳の生涯でした。

亡骸は、ストラットフォード・アポン・エイヴォンの聖トリニティー教会に埋葬されました。
生れたときに洗礼を受け、故郷に帰ってからは通っていた教会でした。
妻・アンの隣で、静かに眠っています。

テンペストには、まるで自らの人生を振り返るようなセリフがあります。

「余興はもうおしまいだ
 この大地にあるものはすべて消え去るのだ
 そして 今の実体のない見世物が消えたように あとには雲一つ残らない
 私たちは夢を織り成す糸そのものだ
 そのささやかな人生は 眠りによって締めくくられる」

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

シルバー ネックレス ★ メール便 送料無料 ★ 『 ロミオとジュリエット 』 Nick Hubbard イギリス 輸入 925 silver 幸運 お守り チャーム アクセサリー カワイイ シェイクスピア おもしろ 個性的 ジュエリー 北欧 可愛い 誕生日 プレゼント 女性 雑貨 演劇 劇場 トップ

価格:2,592円
(2018/11/9 15:50時点)
感想(0件)

ロミオとジュリエット [ オリヴィア・ハッセー ]

価格:1,000円
(2018/11/9 15:51時点)
感想(29件)