水木サンの幸福論【電子書籍】[ 水木 しげる ]

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(2019/1/28 14:15時点)
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「ゲゲゲの鬼太郎」・・・鬼太郎をはじめねずみ男、一反木綿などのキャラクターは、50年以上愛され続けています。
作者の水木しげるがよく口にしていたのは・・・「なまけ者になりなさい」でした。
しかし、水木の人生は怠け者ではいられない大変なものでした。
太平洋戦争の激戦地へ行かされた水木は爆撃で左腕を失ってしまいます。
終戦後漫画家になるも全く売れず、食うや食わずの極貧生活・・・
40歳を過ぎてようやくゲゲゲの鬼太郎が大ヒット!!
すると、締め切りに追われる日々が始まりました。

大量のスケジュール帳には、仕事に追われハグルマのように動く人格を失った自身の姿が書かれていました。

「仕事の鬼になって何のために生きてきたのかわからない一生を送るのがいいのか、人間は結局、幸福になる方法を知らない・・・」

数々の経験を経て水木がたどり着いた怠け者の幸福とはどのような境地だったのでしょうか??

一反木綿、ぬりかべ、砂かけババア、猫娘、目玉おやじ・・・おなじみのキャラクター・・・水木は生涯で1000種類を超える妖怪を世に広めました。
どうして妖怪に興味を持ったのでしょうか?

1922年に生まれ、鳥取県境港市で海と山に囲まれ幼少期を過ごしました。
水木少年が大好きだったのが、眠ることと食べることでした。
5歳の頃、水木に大きな影響を与えることとなったのが・・・お手伝いさんの”のんのんばあ”でした。
のんのんとは、神仏に仕えることのことを指すこの地方の呼び名でした。
のんのんばあは、言い伝えや妖怪、不思議な話を聞かせてくれました。

境港市の正福寺は、のんのんばあによく連れられてきた場所で・・・
本堂に飾ってあるのが、地獄極楽絵図でした。
この絵に描かれている地獄を見て、死後の世界に強い興味を抱くことに・・・。

水木が弟と船着き場で遊んでいた時・・・疑問が浮かびます。
「人は死ぬとどうなるんじゃろう」
水木は3歳の弟を海に突き落としてしまいました。
たまたま通りかかった近所の人が助けて事なきを得たといいます。
そんな水木が何より情熱を抱いたのが絵を描くことでした。
1935年、13歳の時には天才少年画家現ると、絵が新聞に掲載されるほどの腕前で・・・
17歳になった時、絵を勉強しアンデルセンやグリム童話をヒントに手作りの絵本を作りました。
しかし、19歳の時平穏な生活に不穏な・・・
1941年太平洋戦争勃発!!
世の中は、戦争中心となり、水木少年もいつ徴兵されてもおかしくありませんでした。
近年見つかった直筆の手記には・・・

「画家だろうと、哲学者だろうと、土色に一色に塗られて死に場に送られる時代だ。
 もう、俺を苦しめるな、時代だ、運命だ、自己をすべて捨てて、死にながらにして生きるのだ。」

1943年、21歳の時、遂に招集され出征!!
むかったのは激戦が続く南太平洋・・・ニューブリテン島のラバウルでした。
水木はラバウルの中でも最前線に送られ、少数の舞台で敵軍を偵察していました。
しかし、その時・・・部隊が全滅!!
水木は慌てて崖から海に飛び込んで一人助かりました。
しかし、ここからたった一人、敵が潜むジャングルを通って味方の陣地にたどり着かなければならない・・・。
逃げている途中に装備を失った水木・・・どっちに進んでいいかもわからずジャングルを彷徨います。
この時、不思議な体験をしました。

「ジャングルを前へ前へと進んでいると、どうした訳か一歩も前へ進めなくなってしまった。
 僕はあまりの意外さに、闇の中に手を押し当ててみた。
 押してみると指が入った。
 あまりの不思議さに右も左も触ってみた。
 それこそ、目の前にぬりかべが出て来たように進めないのだ。」

暫く進もうと試みたものの・・・馬鹿らしくなってその場で眠ってしまいました。
翌朝起きてみると・・・水木は驚きます。
そこは切り立った崖の上だったのです。
このまま進んでいたら崖から落ちていたところでした。
不思議な何かのおかげで命拾いをした水木・・・。
その後、日本軍と合流でき、奇跡的に生還を果たします。

「人間が生きているということは、自分以外にどんなものの力が作用しているかしれない。
 自分の意志以外の様々な要素が自分を生かしてくれている。
 軍隊生活で、それがわかった。」

ラバウルで所属部隊が全滅する中、命からがら帰ってきた水木しげる・・・この時、22歳でした。
しかし、数日後、命の危険が・・・マラリアでした。
高熱に苦しみ・・・よりによってこの時、敵の爆撃を受けることに・・・!!
左腕に重傷を負い、手術で腕を切断された水木・・・野戦病院に運ばれ、誰もが助からないと思った・・・その時・・・「食べたい・・・」と、食べ物を求めました。

必ず生きて帰る・・・

水木が戦場に持って行った「ゲーテとの対話」という本に・・・至る所に水木が線をひいています。

生きている限り頭をおこしていよう
まだものを生み出すことができる限り、諦めはしないだろうよ

手術から回復した水木は、片腕で絵を描き始めました。
目に映る風景、兵隊・・・
この頃、水木の人生に影響を及ぼす出会いが・・・
ある時、現地の村に行けばタバコと食料を交換してもらえると聞きました。
水木はさっそくジャングルを探し回り、現地のトライ族の村へ・・・!!
村の生活は農業を主体とした素朴なものでした。

彼らは1日に3時間ぐらいしか働かない
熱帯の自然は、それくらいの労働で十分に人間を食べさせてくれる
熱帯だから、衣料も住居も簡単でいい
人間が自然に対し、闘いを挑むのではなく、自然が人間を生かしてくれるのだ

それ以来、上官の目を盗んでは彼等と交流し、彼らを書き留めます。
すっかり村人と仲良くなった水木は、祭りで踊りを見せてもらったり、自分用の畑を作ってもらったりしました。
そんなある日、左腕の傷跡が変わってきたことに気付きます。

切った腕からかすかに赤ん坊の匂いがする・・・
なんだか生命が底の方から湧き上がってくる匂いだった
ぼくは何となく希望がわいた

村の暮らしの中で、生命力がみなぎってきました。

1945年8月、上官の命令を受けて集まった水木たちは、日本の敗戦を知らされました。
部隊は日本に引き上げる・・・水木はトライ族に別れを告げに行きました。
ところが。。。
「脱走してここへ残れ、家も建ててやる」
村の人々の熱心な誘いに心を打たれます。

人は大地に生まれ、大地に還っていく
金儲けや出世にあくせくせず、山や川、草木に抱かれて小動物や虫たちと一緒に暮らし、土に還るのもいい

その夜、上官に現地に残りたいと申し出ました。
しかし、とにかく一度日本に帰って両親に相談してからでも遅くはないだろうと帰国を勧められます。
迷いに迷ったが、帰国することに・・・この時、23歳でした。

1946年、24歳の時、故郷に帰ります。
両親と再会・・・

景色も明るく見えて仕方がない
利き腕の右手があるぞとむしろ気持ちが昂ってきた

戦後の混乱期、東京に出た水木は鮮魚店やタクシー会社・・・さまざまな職を渡り歩きます。
しかし、どれもうまく行かず・・・流れ着いたのが神戸。。。
1950年28歳、水木通りにあるアパートで暮らし始めました。
この時、人生の歯車が大きく動き始めました。
同じアパートの住人に紙芝居作家がいました。

これはいい商売だ
好きな絵を描いて金を稼げるなんて最高じゃないか!!

水木はその作家の紹介で、紙芝居の世界へ・・・!!

戦争が終わって内地に帰って、なにかもうけものをした人生
付録の人生という気がした
だったら、好きなことをして死のう!!

そして、アパートの名、水木荘からペンネームを得、終戦から6年・・・1951年、29歳の時に作家「水木しげる」誕生!!

ゲゲゲの鬼太郎・・・テレビ放送から50年、現在も親しまれています。
しかし、水木が鬼太郎を書きだしてからヒットするまで15年かかっています。
どうして大ヒットしたのでしょうか??
神戸で紙芝居画家となった水木・・・7年後、紙芝居に見切りをつけ上京します。
1957年35歳の時でした。
翌年には「ロケットマン」で漫画家デビュー。
その後も次々と漫画を描くものの、ヒット作に恵まれず、本と布団以外は質屋に入れる極貧生活でした。
1961年の正月、突然故郷の両親が訪ねてきます。
もうすぐ40歳だというのに未だ独身の水木・・・
見かねた両親がお見合いの話を持ってきたのです。
相手は地元の10歳年下の布枝という女性でした。
故郷に帰って布枝に会うと、5日後には結婚し夫婦で東京に戻りました。
結婚しても水木の生活は変わらず、仕事を始めると部屋に籠りきり・・・

1962年40歳の時長女誕生!!
しかし、お金がありません・・・。
そんな水木に千載一遇のチャンスが・・・!!
少年漫画雑誌からの依頼でした。
編集者が水木に提案したのが当時はやっていた宇宙が舞台のSF漫画。
しかし、少し考えて・・・
「宇宙ものは不得手です
 すみません」

人気雑誌に連載すれば、暮らしはずっと楽になるのに・・・
数か月後、今度は自由なテーマで書いてほしいと依頼が来ました。
それなら・・・と、快く仕事を受けます。
1965年当時、庶民の憧れだったテレビ・・・
画面から不思議な男の子が出てくるテレビくんは大好評!!
水木はこれで、雑誌社の漫画賞を受賞。
40歳でした。

これを機に、水木のもとに次から次へと依頼が・・・
そして、ゲゲゲの鬼太郎で人気が爆発します。
悪さをする妖怪から人間を守るため、鬼太郎が正義のヒーローとして大活躍するストーリーです。
この鬼太郎は、紙芝居作家の時代から水木が何年も書いていたキャラクターでした。
”墓場鬼太郎”・・・ゲゲゲの鬼太郎とは別物です。
墓場鬼太郎は当てもなく全国をぶらぶらしています。
少年のような身なりでもタバコを吸い、大金が手に入るとスポーツカーを乗り回すなど人間臭いキャラクターです。
社会風刺の強い漫画でした。
しかし、雑誌に乗せるにあたり、多くの注文が・・・

合理的に・・・
わかりにくいストーリーは絶対に避けてください

雑誌になると・・・1話1話、格闘をして妖怪をやっつけることに変わりました。
これを機に、悪い妖怪をやっつける勧善懲悪のストーリーに変わります。
子供に人気が出るように、見た目も丸みを帯びたかわいいキャラクターに・・・。

1968年45歳の時にテレビ放送開始!!
巨人・大鵬・卵焼きと言われるほど、強いヒーローが人気だった時代、鬼太郎は大ヒットします。
しかし、水木自身はこの鬼太郎に疑問を抱いていました。

正義のヒーローが出てきてやっつけるのは好ましいことではない
あまりに単純すぎて
ただやっつけるだけなんで、いったい何のために・・・??
ただ正義のためですよ

水木の死後、自宅の本棚からスケジュール帳が見つかりました。
仕事の予定やアイデアが書かれた雑記帳・・・
ゲゲゲの鬼太郎の大ヒットの頃にはこんなことを描いています。

マンガは衝撃を毎回与えなくてはいけない
読者が原点、読者が原点、読者が原点・・・
ヒット作を生むための努力・・・ヒットだけを追求??自分が納得・・・??
板挟みで苦しんでいました。
そんな水木を救ったキャラクターが、ねずみ男でした。
金と権力が大好きなねずみ男は、鬼太郎を利用して金儲けを企んだり、嘘をついて人をだまそうとする・・・
正義とは正反対のねずみ男は、昔の鬼太郎でした。

水木自身が作詞した主題歌・・・
高度成長真っただ中の日本を妖怪に託して皮肉ったのかもしれません。

もう一つ水木がこだわったのが、妖怪を決して殺さないこと・・・

作り話の世界で会っても、お父ちゃんは相手が死ぬところを見たくないわけなんだよ。
戦場で散々見てきたからね
それに妖怪には、いろいろ世話になっているから殺すわけにはいかん

そして鬼太郎は、水木は生涯描き続ける作品となりました。

80歳を超えた水木はエッセイを執筆します。
人間の永遠のテーマとなる「水木サンの幸福論」です。
幸福になるヒントは水がは良く書き残していた言葉にあります。

「なまけ者になりなさい」

売れない作家の頃から人一倍働き、数々の作品を残して来た水木・・・
なまけ者とは正反対でした。
どうしてなまけ者になれと言ったのでしょうか?
のんきでなまけ者・・・??

手記には、カラカラと音を立てて回るハグルマ・・・その中心には劇画作成機が・・・。
タイトルは「自画像」
雑誌社の歯車となってマンガを描き続ける顔のない自分自身の姿でした。

近頃は地獄に行かんでも地上にいくらでも地獄が見れる
試験地獄、交通地獄、公害地獄、値上げ地獄、ノルマ地獄、医療費地獄・・・

なまけもの、面白いおじいさん・・・そんな風に水木しげるを見てもらいたいと思っていたようですが、実際の武良茂はものすごく勤勉で、真面目で全く違いました。
50歳を前にして働きづめだった水木の身体に異変が・・・
連日強いめまい、耳鳴り・・・妻の勧めで病院に行くと過労と診断されました。
慢性的な寝不足のために、心と体が悲鳴を上げていたのです。
15年間、休みなく働き続けてきた水木は、初めて夏休みをとることに・・・。
水木が向かったのは、かつて兵隊として赴き、終戦を迎えた南太平洋のラバウルでした。
あれから25年の月日がたっていましたが、トライ族の人々に会いたかったのです。
村人たちは大歓迎!!
水木のために、鶏や豚が焼かれ、村には音楽が・・・!!
東京の大都会で暮らす水木は、自然と暮らすトライ族と過ごし初めて気づかされたことがありました。

彼等の中には「幸せ」という言葉はありません。
それでも彼らの村には「幸せ」の空気が充満しています。
「幸せ」なんていう言葉は、ない方がいい。
そんな言葉があるから、人は幸せを叫ぶのです。

帰国後、これまでの仕事をセーブするようになります。

多忙と不安に苛まれて生きるのはもうコリゴリだった。
生来身に備わったのんきな「水木サンのルール」を今こそ取り戻すべきだ。
仕事をセーブしたのは楽をするためではない・・・自分が本当にやりたいことに取り組むためでした。
水木はラバウルで村人たちに会うだけではなく、亡くなった戦友たちのために小さな墓標を立ててきました。
そして自らの戦争体験を伝える「総員玉砕せよ!!」を執筆。

仕事に追われるのではなく、次第にやりたい仕事を自分で追いかけるようになってきた。

次に水木は日本中、世界中にいる妖怪探しの旅に出るように・・・

日本は電気が普及して明るくなり過ぎたのに加え、世の中自体が百鬼夜行の様相になったのに怯え、本物の妖怪たちが姿を消しつつある。
妖怪も住めないようなところは、人間を幸せにしてくれるわけがありません。

各地を訪れた水木は、妖怪の気配を感じることができたといいます。

驚き、感動し、嬉しくなった。
再び信じる気持ちを確かめたときの気力の盛り上がりは凄かった。
生きる希望がわいてきたのだ。

1996年74歳で世界妖怪協会を設立。
大好きな妖怪研究に精力を注ぎ、80歳を過ぎても国内外を飛び回りました。

「水木大先生から見ると普通の人は怠け者なの。
 水木さんは怠け者のふりして人一倍働く方だから、だから、人は騙されてなまけて生きられると思うらしいね。
 人は、私から見るとあまり働かないね。」by水木しげる

2015年11月、水木は自宅で転倒し、頭を強く打ち入院・・・帰らぬ人となりました。
享年93歳でした。

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