日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

カテゴリ: ダークサイドミステリー

素敵な夢へと誘ってくれる童話・・・お姫様、王子様、不思議な魔法・・・そしてハッピーエンド・・・!!
と、思っていませんか?
甘くて優しい夢の裏側に隠れているモノが本当にあった悪夢だとしたら・・・??

ドイツ・・・ハーメルンの笛吹き男伝説・・・!!

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

新品価格
¥821から
(2019/6/6 06:49時点)



ハーメルンの笛吹き男・・・それはハーメルンという町を舞台にした物語です。
事件が起きたのは、1284年のある日・・・
ネズミがたくさん増えて、人々は困り果てていました。
そこにふらりと現れた旅の男・・・色とりどりの色の服を着たその男・・

「金をもらえるならネズミを退治してみせよう」

困っていた町の人は、不思議な男にお金を払うと約束し、お願いします。
男は笛を取り出すと・・・笛の音に誘われ、町中のネズミがついて行きました。
笛吹き男は、ネズミたちを川へ連れて行くと、一匹残らず溺れ死にさせました。
ところが町の人々は・・・

「お前は笛を吹いただけじゃないか?」

と、お金をくれませんでした。
笛吹き男は怒って姿を消しました。

笛の音に誘われ、町中の子が出て来ました。
その数、130人・・・!!
再び現れた笛吹き男は子供たちを町の外へ連れて行くと、山へと向かい、姿を消してしまいました。
親たちは嘆き悲しみます。
けれど、子供は二度と帰ってきませんでした。

ハーメルンの笛吹き男・・・これは、グリム兄弟の「ドイツ伝説集」に納められた物語です。
人びとが語り継ぎ、グリムが書き起こした伝説・・・
これは、本当に起きた事件が元になっています。
実際に、130人もの子供が忽然と消えた・・・??

ハーメルンは、かつて外敵から町を守る城壁で囲われ、教会の教えのもと人びとは暮らしてきました。
町には、子供失踪事件の傷跡が数多く残っています。
舞楽禁制通り・・・子供たちが笛に誘われ姿を消した道が・・・700年経った今でも、ダンスや音楽は禁じられています。
事件の重大さは、町の公式文書からもうかがえます。
15世紀から書かれてきた「法書」・・・そこには、当時のハーメルンの法律や取引について書かれています。
文書の日付の描き方は・・・”子供たちの失踪から283年・・・”失踪から年代数え直し・・・未来をリセットさせるほどの大事件でした。

伝説はまさしく謎だらけ・・・
余所者がハーメルンに来て130人もの子供たちをさらった・・・その点は、多数の歴史的文書で裏付けられた事実です。
1936年、ヒトラーが権勢をふるっていた時代に、ハーメルンの謎を解き明かす決定的な資料が発見されました。
北ドイツ・リューネブルクで・・・
リューネブルクの手書本(1430~50年)・・・事件の文字資料としては最古
事件からおよそ150年後に修道士が書いたもので、資料としては最も古いものです。

そこには、1284年の「ヨハネとパウロ」の日の出来事である
30歳ぐらいの若い男が、橋を渡り待ちに入ってきた
男は奇妙な形の銀の笛を持ち、町じゅうに吹き鳴らした
すると、笛の音を聞いた子供たち130人は、男に従って処刑場の辺りまで行き、そこで姿を消してしまった

この最古の話には、ネズミの話は出て来ません。
子供が消えたのは「処刑場のあたり」・・・
死を案じさせるかのような記述です。
確かに、失踪の原因については、「子供達が死んだ」とする説が多いのですが・・・
戦争に駆り出され無残にも全滅した戦死説・・・
城の外で、野獣に食い殺された野獣説・・・
死ぬまで踊り続ける舞踏病説・・・
ネズミを媒介とし、ヨーロッパ人口の半分ほどを殺した黒死病・・・ペスト説
命を奪う戦争や災害伝染病など・・・いずれの説も、城壁の中で生きる人々が外で蠢く死神をそれだけ恐れていたか・・・??を示しています。

町の中心にあるマルクト教会・・・
ここに子供達の「処刑場」のヒントがあります。

hue
かつて飾られていたステンドグラスを模写した絵(1592)
・・・カラフルの服の笛吹き男・・・このような放浪者は、特殊な技能や情報で重宝される一方、余所者として蔑まれました。

ハーメルンの城壁・・・上の門から出ていく子供達・・・先の山には確かに処刑場が・・・!!

絞首刑でぶら下がる死体と、車輪らしきものが・・・
車輪は・・・車輪刑と言ってキリスト教以前の時代侵攻に由来しています。
罪人の手足の骨を砕き、車輪に縛り放置するもので、神への生贄です。


処刑台の横・・・笛吹き男が進む先には、不気味に口を広げた地獄のような裂け目が・・・
この裂け目の中に子供たちは連れていかれたのか・・・??

この裂け目は実在していました。
隣町コッペンブリュッゲにあるイート山・・・
そこに子供たちが笛吹き男と一緒に入り込んだと伝わっています。
「悪魔のキッチン」という洞窟があるのです。
この悪魔のキッチンで子供たちに何が起きたのでしょうか?

ハーメルンで怒った130人児童失踪事件・・・子供たちはなぜ、どこに消えたのでしょうか?
事件の絵に描かれた黒々とした謎の裂け目・・・かつて洞窟だった「悪魔のキッチン」に笛吹き男と子供たちが入っていきました。
上から次々と石が落とされ・・・彼らはこの地域の領主の部下たちでした。
笛吹き男と子供たちは生き埋め・・・全員殺されたというのです。
「悪魔のキッチン」では、領主のシュピーゲルベルク一家によって、大勢が殺されたと伝えられています。
原因はここイート山にまつわる古くからの伝説です。

このヤマハ、キリスト教が入る以前からの土着の古代信仰の祝祭・聖なる場所でした。
古代の神々ブーダン(北欧ではオーディーン・戦争と死の神)・・・
土着信仰を持つ笛吹き男は、ハーメルンの子供たちを音楽で誘い出し、いにしえの神々を称える祝祭を行ったのでは・・・??
しかし、祝祭は性行為が伴い、羽目を外し、乱れ騒ぎ・・・カトリック教会が許すわけがありません。
土着の古代宗教は邪教である・・・
邪教の信者と見なされた子供たちは、笛吹き男と一緒に領主に生き埋めにされた・・・これが笛吹き男の真相・・・??

子供達は意図的に殺されたのか??
これほどの人数を跡形もなく消えさせるには、殺害しか説明がつかない??
もうひとつは、カトリック異端審問説です。
若者たちは、「異端者」として疑われたとき、大人たちは・・・??
自ら若者たちを殺害し、教会から町全体が疑われないようにしました。
そして、自分達が殺害したことをかくすために、後世「笛吹き男の伝説」をでっち上げたのです。

近年有力なのは・・・別の形の中世ヨーロッパの宿命に巻き込まれたという説です。
ドイツ、ポーランドに若者たちが移住させられた東方移民説です。
移民説の重要なヒントは似た地名です。
ハーメルンの傍に「ハーメルンシュプリンゲ」という地名があり、300キロ離れた土地には「ハンメルシュプリング」があります。
これ以外にも、ハーメルンの近くに「エベルシュタイン」とポーランドの「エベルシュタイン」、「シュピーゲルベルク」と「シュピーゲルベルク」、「ヒンデンブルク」が3カ所・・・これらは、ハーメルンから移住した人たちがつけたのでは??と言われています。
中世、城壁と城郭に守られた都市では限られた人口しか暮らすことができない・・・
そこで人口が増えると、長男以外は出ていかざるを得ない宿命だったのです。
狭く閉鎖的な城郭都市・・・若者は、広い世界への憧れの一方、危険かもしれない新天地移住を望むとは限らない・・・。
そこで、活躍したのはロカトール・・・移民請負人です。
ロカトールは甘い言葉で誘い、豊かな生活を夢見させ若者を連れ出したという・・・
笛吹き男は、このロカトールだったのでは・・・??

若者たちは騙されて連れ出された説
最大の理由は”聖地巡礼”。
「エルサレムに行くんだ!!」ということであれば、集団で移動することは十分にあり得ました。
集団妄想にかかりやすい時代背景にあったのです。
聖地巡礼・・・遥か彼方の聖地に行けば、永遠の平和を手にすることができるとして大勢の人々が故郷を捨てて行った巡礼・・・特に、当時、少年十字軍という熱狂的な巡礼集団は、各地の若者の憧れの的・・・
笛吹き男から聖地巡礼でエルサレムに行くと誘われ、実際は当方の見知らぬ植民地に連れていかれ、何らかの理由で消息不明になったのでは・・・??

親たちも集団的な妄想に救いを求めました。
かつてのハーメルンの城門の一部・・・ラテン語の碑文に刻まれている笛吹き男の正体は・・・マグス・・・魔王であったと。。。
悪魔が子供たちをさらっていった・・・と思い込んだ・・・
それが、残された親たちの集団妄想だったのです。
記録に残して事件を語り継ぐことしか解決のしようがなかったのです。

ハーメルンの笛吹き男・・・この奇妙な伝説の中には、中世ドイツの人々が生きた辛く厳しい事実が詰め込まれているのです。

本当はエロいグリム童話 レッド・スウォード

新品価格
¥400から
(2019/6/6 06:46時点)



伝説を収集したのがグリム兄弟です。
白雪姫、赤ずきん、ブレーメンの音楽隊など童話も収集します。
そんなグリム兄弟とは・・・??
この「グリム童話」子供向けのおとぎ話とはずいぶんと違って怖い闇を秘めています。
グリム童話・・・その正式な名前は「子供と家庭のメルヒェン集」です。1812年にドイツで出版されました。
メルヒェンとは、もともと素朴な夢物語というよりは”ちょっとした噂”や”噂話”という意味です。
メルヒェン・・・民衆の口伝の物語を集めて発表したグリム兄弟・・・兄・ヤーコプと弟・ヴィルヘルムは、共に一流大学で教鞭をとった雄弁な言語学者でした。
そんな学者兄弟が大学とは縁遠い、民衆の口頭伝承収集の目的には高い志がありました。
グリム兄弟が活躍した19世紀初頭・・・ドイツはナポレオンに制圧され小国に分裂していました。
その各地の民間伝承の研究には、祖国統一の願いが込められていたのです。
ドイツは国民国家として統一しようということで、国民意識の形勢という点でも、昔話、神話や伝説を通して共通の民族意識を持とうという時代だったのです。
そんな時代にメルヘンを収集したのです。
ところが民間伝承の中には、子供と家庭にいかがなものかという話も・・・

白雪姫 (グリム童話)

新品価格
¥1,620から
(2019/6/6 06:48時点)



「ねずの木の話」・・・継母が前妻の子を箱に挟んで・・・首を刎ねられ・・・死体を刻んで窯の中でスープにしたら・・・で何も知らない父親はすべて平らげたとさ・

「豚の解体ごっこの話」・・・豚の解体ごっこをした子供達・・・本当に喉を小刀で切ったとさ。

実はこれは実際に起きた事件であり、気をつけるべき教訓として伝える必要があったのです。
未曽有の出来事、猟奇的な事件・・・おぞましいような事件は語り継がれていきます。
”メルヘンは本当は怖い”のではなく、”怖い事件を伝えているのがメルヘン”なのです。

グリム童話では・・・??
「ヘンゼルとグレーテルの真実」
森を彷徨ったヘンゼルとグレーテルは、お菓子の家を見つけます。
二人が夢中でお菓子を食べていると、中からヨボヨボのおばあさんが・・・
「遠慮なくお入り
 おばあさんのところにおいで」
おばあさんは優しいことに、食事やお菓子をくれ、夜には温かいベッドに寝かせてくれました。
ところが・・・おばあさんの正体は悪い魔女だったのです。
魔女はヘンゼルを閉じ込めると、グレーテルに
「兄さんを食べてやるからお前は食事を作れ」
と言ってこき使いました。
そこでグレーテルは魔女に、パンを焼くので火加減のお手本を見せてと頼みます。
魔女がパン窯に入ると・・・後ろからドーン!!
グレーテルが魔女を窯に閉じ込めたので、魔女は焼け死んでしまいました。
二人は魔女にの家で宝物を見つけると、ポケットにたくさん詰め込んで森の外のお家へ・・・
お金持ちになって家族と幸せに暮らしたのです。

勇気とハッピーエンドのお話しですが・・・?

本当は・・・??
物語の幕開けは・・・貧しい一家が食べ物に困ったところから始まります。
継母の恐ろしい言葉からすべては始まりました。
「子供達を森へ置いてけぼりにしましょうよ!!
 そうでもしなきゃ、私たち、とても助かりっこないわ!!」
ヘンゼルとグレーテルは親に捨てられていたのです。
14世紀から15世紀・・・大飢饉が何度もヨーロッパを襲いました。
相次ぐ異常気象で作物は不足、価格が高騰します。
貧しい者は次々と飢え死にしていきます。
ヘンゼルとグレーテルも自分達だけでも助かろうという親たちによって口減らしにされたのです。
中世ヨーロッパの森は、口減らしで捨てられた者や病で町を追われた者など、社会の犠牲者たちが身をひそめる場所でした。

森の奥の魔女とは・・・??
姥捨て・・・食糧難の時に子供たちが捨てられる・・・それ以上にお年寄りがターゲットになっていました。
働けなくなって食べるだけ・・・そういうお年寄りが森に捨てられたのです。
そもそも当時の魔女を語るうえで忘れてはならないのが魔女狩りです。
悪魔と契約し、みなを苦しめる魔女・・・その実態は、地域社会で目をつけられた人々に対する冤罪です。
魔女として殺された人は、ヨーロッパ全体で10万人に及んだといいます。
ヘンゼルとグレーテルも魔女狩りから森に逃れてきた人という可能性も・・・??

そもそも、口減らしとして親に捨てられたヘンゼルとグレーテル。
ところが二人が盛で生き延び宝物を持ち帰ると、親は手のひらを返したように捨てた二人を歓迎する・・・
宝物を持ち帰ったことで許されたのです。
これが実際に起きた事件だとすると・・・
森の中で出来事を勝たれえるのは生還者の二人だけ。。。
宝物を悪い魔女と語ったのもこの二人。
もしかすると、森で知り合った親切なおばあさんを殺し、財産を奪い、正当化する為に「魔女」と語ったのか?

青少年がお年寄りの命を奪って財物を奪って帰ってきた・・・
それは罪に問われても仕方がないことです。
しかし、「あのお年寄りは魔女だった」となると・・・
「魔女だったら命を奪ってもいいし、財物を奪ってきてもいいだろう」
そういった社会風潮の中で、二人の青少年は罪に問われることはなく、末永く幸せに暮らしたという・・・
事件です。
居場所を失くした者たちが、生きるために殺し合う森・・・
人間社会が弱者を追い込む闇だったのです。

グリム童話全集―子どもと家庭のむかし話

新品価格
¥3,888から
(2019/6/6 06:51時点)



シンデレラ・・・
それはベルサイユ宮殿を作った国王に仕えた17世紀フランスの宮廷詩人シャルル・ペローの作品が元になっています。
この作品を描いたペローは、フランス貴族の子どもたちの教育を考慮し、説話に脚色を加えています。
どんなに苦しくても、我慢していればいつか王様たちが助けてくれるというフランス貴族らしい生き方です。

しかし、100年以上後に作られたんグリム版は、全く違う生き方です。
まるで現代のサスペンスドラマのように、遺産相続で知恵を発揮!!恋の駆け引きは体力勝負!!幸せな結婚は策略で掴む!!女性の痛快逆転劇だったのです。

人間関係は・・・そもそもシンデレラは金持ちの娘・・・しかし、実母が死ぬと悲劇の人生まっしぐら!!
母から受け継ぐ遺産は成長するまで父親預かり・・・お屋敷のっとりの継母と義姉たち・・・
しかし、グリム版のシンデレラは、運命に黙って従う女ではありませんでした。
妖精など他人の力を借りることなく、自分の力で復活を目指します。

ポイント①妖精が出てこない!!
ほしいのは「ハシバミの若枝」
グリム版の最初のシーンでプレゼントを買ってきた父親・・・シンデレラには「ハシバミの若枝」を・・・。
これこそ、彼女が望んだものでした。
ハシバミの枝を実の母の墓に植えると・・・みるみる大きな木となります。
「ハシバミの木よ、私はドレスが欲しいの・・・!!」
すると、鳩が木に飛んできて、金銀のドレスと金の靴を落とします。
それは、妖精の魔法とは違い、リアルなドレスの現物です。
このハシバミの木には重要な意味があります。
ハシバミの木の枝は、不動産の譲渡行為の際に使われるものです。
木の枝を手渡す行為は、財産分与を意味するのです。
その木の枝土に挿し木をした・・・これが譲渡行為が完了したことを意味します。
法律的な象徴行為なのです。

当時のドイツの慣習では、母の遺産は娘が受けついていました。
ハシバミの若枝をもらうことは、母の遺産を父親から受け取ること・・・若枝が大きな木になることはそれが増えること・・・。
シンデレラは、継母に知られることなく財産を殖やし、ドレスを買ったのです。
お金持ちに復帰したことを意味するのです。

ポイント② 
恋の駆け引きは強靭な肉体勝負
グリム版の特徴は、豪華なドレスと服で、3回も舞踏会に行っています。
一目ぼれした王子様は、シンデレラが誰か知りたがり・・・お城から逃げ出したシンデレラは見事なスピードで走り去り、家の鳩小屋に飛び込んで隠れます。
二度目は木に飛び移り身をかくします。
当時王族の結婚は、丈夫で健康な体である事が子孫を残すための大事な条件でした。
シンデレラは王子様に健康とたくましさを見せつけたのです。
しかも王子様の想いに応えずに逃げることも重大な戦略でした。

ポイント③
親をも黙らせる決定的証拠
舞踏会3日目・・・最後の日なのにシンデレラは素性を明かそうとはしません。
またも逃げ出すシンデレラ・・・王子も黙ってはいません。
階段に粘つくタールを塗り、娘の小さな金の靴をGET!!
そして以前娘が逃げ込んだ屋敷に金の靴を持ってやってきました。

「この靴がぴったり合う娘がここにいるはずだ」

「それはきっとうちの娘ですわ」

継母は、娘たちに靴を履かせるものの履けません・・・

「この家にもう一人娘がいるはずだ!!」

「おりますが、むさくるしい娘です。」

あくまでも邪魔をする継母・・・
当時ドイツの富裕層では、子供の結婚相手は親が決めていました。
自分の意志を縛る慣習を打破するため、シンデレラはこのタイミングを待っていたのです。
どんなに親が反対しようと大勢の人の前で決定的証拠である靴を履く・・・。
靴を履かせる行為は、ゲルマン世界の慣習のなかで婚約の成立を意味します。
若い娘が親の反対を押し切った常識破りの大事件が民間伝承となったのです。

ペロー版では、華やかな貴族社会での生き方を示す物語・・・グリム版は、運命に立ち向かう女性・・・当時のドイツに求められた物語でした。
当時ドイツは小国分率で、ナポレオンに占領されていました。
グリム兄弟は、占領下で苦労して「何とか独立を」と考えていました。
その想いがグリムの「灰かぶり(シンデレラ)」には色こく表れています。
どんな状況に置かれても、それを乗り越えていく能動的な女性が求められたのです。

人びとが記憶し伝える物語・・・それぞれの土地と人間を映す鏡なのです。



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

グリム童話集 5冊セット (岩波文庫)

新品価格
¥4,644から
(2019/6/6 06:45時点)

本当は恐ろしいグリム童話 (WANIBUNKO)

新品価格
¥617から
(2019/6/6 06:46時点)


人類滅亡の予言は数あれど、「ファティマ第三の秘密」こそ本物??
1981年5月2日、アイルランド航空164便でハイジャック事件が・・・!!
そこで犯人は前代未聞の要求をしました。

ローマ教皇ヨハネパウロ二世に「ファティマ第三の秘密」を公開するように伝えろ!!」

この異様な事件に、世界中のメディアが反応します。
犯人はカトリックの元修道士でした。
ローマ教皇が隠すファティマ第三の秘密とは・・・??

ポルトガルの小さな町ファティマ・・・
1917年三人の子どもの前に、ある日奇跡が起こります。
イエスキリストの母・聖母マリアが人類の未来を見通した3つの秘密を予言したのです。

人類の運命を物語るメッセージ・・・
子供のひとりによって書き取られ、今もなお厳重な建物深くに大切に封印されています。
そこは、キリスト教カトリックの総本山バチカン市国です。
世界で13億人の信者を持つその秘密図書館にファティマ第三の秘密が保管されています。
第三の秘密を呼んだあるローマ教皇は、その場でその恐ろしさに失神したと噂されるほどの内容でした。
聖母マリアが伝えた人類の未来とは一体・・・??


ヨーロッパの西に位置するポルトガル・・・16世紀には遠く日本にまで宣教師を送りました。
カトリック信仰に厚い国です。
リスボンから北におよそ120km・・・ファティマは現在、人口1万6000人の小さな町ですが、ファティマ大聖堂は世界有数のカトリック巡礼ととなっているので、聖母出現のお祝いの日には2日間でおよそ940万人もの巡礼者が訪れます。
町の中心には土産物屋があり、聖母マリアが所狭しと並んでいます。

大聖堂前の広場で跪いて進む巡礼者・・・こうして祈ることで願いが叶うといいます。
礼拝堂では世界中から集まった巡礼者が一身に祈りを捧げています。
ファティマの聖母マリア像・・・この礼拝堂こそ、かつてマリアの出現と言われるその場所です。
100年前、聖母マリアが出現した場所で一体何があったのでしょうか?

当時、人口わずか2000人ほどの農村ファティマ・・・
ここに、ルチア・フランシスコ・ジャシンタの3人の子供がいました。
5月13日、羊の番をしていた三人の前に、突然まぶしい貴婦人が現れました。
ひかりの貴婦人は語り始めます。

「怖がることはありません。」

ルチアが聞きました。

「あなたはどこからおいでになりましたか?」

「天国から参りました。」

ひかりの貴婦人は、これから大切なことを伝えるので、毎月13日にここへ来るように告げると姿を消しました。
それから毎月13日になると、子供たちはそこを訪れて貴婦人のお告げを聞くようになりました。
そして3回目の7月13日・・・後に3つの秘密と言われる未来に関するお告げを聞きました。
ひかりの貴婦人は、ある恐ろしい光景のイメージを見せ、言葉によるお告げ、別の恐ろしい光景をイメージで伝えました。
そして最後にこう言いました。

「誰にも言ってはいけません」

一方、不思議な貴婦人の出現は、あっという間にファティマ近郊に広まり、その姿を一目見ようと集まった人は回ごとに増え6回目の出現には約7万人が・・・取材に来るほどの騒ぎになりました。
この日を境にお告げは終わったものの、信者たちによって生母出現の地に小さな礼拝堂が立てられました。
13年後の1930年・・・ファティマを管轄するレイリア司教区が「生母出現は信じるに値する」とし、総本山のバチカンも、巡礼地として正式に認定。

生母がルチアたちに伝えた秘密とは・・・??

その第一、第二の秘密については、1941年修道女になったルチアが記録に残しています。

第一の秘密「地獄のビジョン」
悪魔と人間の形をした魂が大きな炎の中に漂い、苦痛と悲鳴のうめき声をあげていたという。

第二の秘密「生母のお告げ」
あなたたちは恐ろしい地獄を見ましたね
戦争はもうすぐ終わります。
しかし、もし人が神に背くのをやめないなら、ピオ11世が教皇である間に、もう一つのもっとひどい戦争が始まるでしょう
こうした戦争を防ぐためには、ロシアを私のもとに改宗させなさい
さもなければ、ロシアは戦争と教会への迫害を推し進めながら、自分の誤りを世界中にまき散らすでしょう

ルチアが書き記した第一、第二の秘密は直ちに公開され、世間は大騒ぎに・・・
生母が出現した1917年は、第一次世界大戦の真っただ中で、死者は史上最悪の1600万人と言われ、人類はまさに地獄のビジョンを見ていました。  
そして生母のもうすぐ戦争が終わるという秘密が告げられた翌年、第一次世界大戦は終わっています。
続いて、もっとひどい戦争が始まるというのは、1939年に始まる第二次世界大戦を指しているのではないか?
さらにロシアが自分の誤りを世界にまき散らすとは、1917年以降、ロシア革命によって誕生したロシア(ソビエト連邦)が、宗教を弾圧する思想で、世界を制圧すると警告したのではないのか?



そして第一、第二の秘密を書き記した3年後・・・1944年ルチアは問題の第三の秘密を書き記します。
しかし、ルチアは「第三の秘密」に条件を付けました。
封筒の表には、ルチアの直筆でこう書かれていました。

”聖母からの命令によって1960年まで開けてはいけません”

裏側の封印は三カ所もしていました。
世間は推測します。
危険な未来を見せた第一、第二の秘密なら、第三はもっと破滅的な世界戦争が・・・??

1957年ルチアと面会したメキシコ人神父はマスコミに語っています。
「私はシスタールチアから聞きました
 聖母マリアが願った”祈り”と”献身”を人類が無視したために、1960年に世界に厄災が降りかかると」

またあるドイツの新聞は、「第三の秘密」をスクープ!!
20世紀後半において、すべての人類に大きな罰が下るであろう
全人類の大半を数分のうちに滅ぼすほどの威力を持つ武器が作り出され、偉大な者も小さな者も同じく滅びるだろう

一方バチカンは1960年を過ぎても第三の秘密を公開しようとはしませんでした。
これに世間は批判を浴びせます。
第三の秘密は本当に人類滅亡の予言なのか・・・??
ちなみに聖母マリアの出現の報告は、世界各地にあります。
数ある聖母出現の中で、どうしてファティマだけが騒ぎとなったのでしょうか?

世界各地で聖母マリアが出現したという報告は、数千件と言われています。
しかし、バチカンが公認した事例はわずか20件ほど・・・。
どうしてファティマの聖母出現が教会に認められたのでしょうか?
「ファティマの現象」を起こしているのは、宗教的なものだけか、政治的な関連もあるのか?
「ファティマ」は根本的に、政治的な出来事です。
「ファティマ」はバチカンにとって現代ヨーロッパの動きと大きくかかわるからこそ、世界的に注目されたのです。
バチカンはどうして遠くポルトガルの子どもたちの証言に興味を持ったのでしょうか?
それは当時のバチカンが宗教を否定する強大な勢力を政治的に警戒していたことにあります。
それは”共産主義”です。

1922年ソビエト連邦樹立
共産主義がヨーロッパに絶大な影響を及ぼしていました。
一方1929年、当時のローマ教皇ピオ11世はファティマの聖母のお守りカードを配り始めます。
1930年、バチカンはファティマを巡礼地として公認。
ここに政治的な意図があるといいます。
1930年代は、ソビエトの台頭をはじめ、宗教にとって厳しい時代でした。
特にヨーロッパでは独裁政治体制が敷かれ、神の存在を否定する思想や運動が進んだため、その運動に反発する動きが求められました。
「ファティマの聖母出現」が、まさにその役割を果たしました。
人びとは宗教を求める気持ちを強くし、教会は人々に足を運んでもたうため、神を信じる気持ちを持ってもらうために、「ファティマの聖母出現」をバチカンは利用したのです。

そして1939年第二次世界大戦勃発。
世界は再び地獄のような戦いの時代に突入します。
この頃、ファティマの三人の子どものうちルチアはスペインの修道院で神に仕える生活を送っていました。
そして第二次世界大戦がはじまって二年後の1941年、ルチアは24年前に聖母マリアから託された「第一第二の秘密」を記します。
そこに記された地獄のビジョンは、第一次世界大戦の終結、そしてさらに恐ろしい戦争が起き、ロシアを開宗させなければ世界を攻撃するだろうという内容は、翌年直ちに本として出版されます。

「人々が神への祈りを怠ると地獄のような戦争が起きる」

このメッセージは、バチカンにとってカトリック復権のため有効なものとみなされたのでした。

ルチアが見たという「地獄のビジョン」の多くは、ルチアが目の当たりにした内戦や第二次世界大戦から生み出されたと考えられます。
そこに込められたメッセージはシンプルです。
平和を勝ち取るためには、人々は真剣に祈りをささげなければならない・・・
そうしなければ、平和への道もない・・・
バチカンは、このようなお墨付きをファティマに与えたかったのです。

1944年第三の秘密・・・
バチカンは、「第三の秘密」を公開しようとはしませんでした。
そこには、第二次世界大戦終結後の新しい世界情勢”東西冷戦”をめぐるバチカンの政治的な狙いが伺えます。
1950年代、アメリカら自由主義陣営と、ソビエトら社会主義・・・共産主義陣営との対立が激化し、世界は大きく二つに分裂しました。
人びとは、両陣営が核兵器を使い第三次世界大戦が起これば、人類そのものが滅亡するという最悪のビジョンに恐れていました。
そんな時代だからこそ、「第三の秘密」を公開しないことに意図があったのです。
当時、「第三の秘密」には、こんな憶測がありました。
ロシアが世界に侵攻してすべてが終わる・・・
神を信じない人々の世界がやってくる・・・
そんな内容が書かれているのではないか?と。

教会は秘密を守れば守るほど、世間の勝手な憶測が高まる状況にメリットを感じたのです。
「第三の秘密」の内容をかくしておけば、宗教を否定する共産主義の反発が高まる・・・そのために重宝したのです。

バチカンが「ファティマ第三の秘密」を公開したのは1960年をはるかに超えた2000年。

2000年5月13日のバチカンによる会見は意外な言葉から始まりました。
「第三の秘密」を知りたがっている人は失望するかもしれません。
もしくは今までの様々な憶測のため、驚くかもしれません。
バチカンは「第三の秘密」の全文を公開。
その内容とは・・・??

計り知れない光の中に、白い衣をまとった教皇様のような司教が見えました。
他にも何人もの司教と司祭、修道士と修道女が険しい山を登っていました。
教皇様は、山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまずいてひれ伏されたとき、一団の兵士たちによって殺されました。

バチカンはこのビジョンを1981年5月13日に発生した「ヨハネ・パウロ二世暗殺未遂事件」の暗示と発表しました。
バチカンが長らく公表を拒んでいた第三の秘密をどうしてこのタイミングで明らかにしたのでしょうか?
そこには、ベルリンの壁崩壊をはじめとした1980年代から90年代にかけての冷戦構造の終結が大きくかかわっています。
2000年には、共産主義の脅威は消え去り、ソビエトも崩壊、秘密保持の必要が無くなったのです。
バチカンは「第三の秘密」を公開することで、ファティマを「反共産主義のシンボル」ではなく、改めて真の「神への祈りの中心」にしたかったのです。
約90年間にわたる政治的な目的からファティマはようやく解放されたのです。

しかし、これも有力な説の一つで・・・謎は今も明らかにはなっていません。
バチカンを疑う人は・・・
「第一第二の秘密」が世界と人類の地獄を語っている内容なのに、第三が教皇暗殺未遂事件では内容がかけ離れているではないか?
インターネットでも、真実はバチカンに隠蔽された??とも絶えません。
20世紀・・・二つの世界大戦をはじめ、人類が様々な激動に揺さぶられた時代を生き続けた「ファティマ3つの秘密」は、小さな村の子どもが伝えたそれは、秘密というものが人々に何をもたらすのか、私たちに教えてくれています。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

ファティマの真実 (スピリチュアルメッセージシリーズ)

新品価格
¥1,080から
(2019/5/14 11:36時点)

ファティマ 第三の予言

新品価格
¥11,564から
(2019/5/14 11:37時点)



「この車にもダイナマイトが仕掛けられているかもしれません」

犯行時間わずか3分・・・大胆な犯行・・・三億円が奪われた!!

san
昭和40年代を代表するこの顔・・・
今から50年前、日本犯罪史上最高額の現金が奪われました。
白バイ警官姿で騙し、誰一人傷つけず逃走!!
闇に消えた三億円・・・犯人はどこだ!?
その記憶の罠とは・・・??

1968年・・・昭和43年、東京オリンピックから4年・・・
日本は目覚ましい好景気に沸いていました。

この年、日本のGNPは、西ドイツを抜いてアメリカに次いで世界第2位に・・・!!
サラリーマンの平均月収は、5年で6割増しとなり、ボーナスも大盤振る舞い!!

そんなボーナス支給日の昭和43年12月10日・・・
現場は、新宿から西に20キロ・・・中央線国分寺駅周辺・・・!!
この日は朝からバケツをひっくり返したような雨・・・
午前9時15分の少し前・・・日本信託銀行国分寺支店・・・大金を積んだ車が出発の準備をしていました。

輸送するのは東芝府中工場の従業員4523人分の冬のボーナスでした。
ジュラルミンケース3個分・・・総額約3億円でした。
現在の価値20億円相当が現金で用意されていたのです。
現代ならば、これほどの金額の取引はオンラインですが、昭和の時代は給料もボーナスも現金輸送なのでやむ終えません。午前9時15分、現金輸送車出発・・・
東芝府中工場まで3.5キロ・・・わずか10分ほどの道程でした。
銀行から中央線を越えて南に・・・毎月給料を運ぶ道でした。
銀行員4人にとっても、日常業務のはずでした。

ところが・・・後ろから来た白バイが横に・・・!!
目的地まであと数百メートル・・・府中刑務所の壁沿いで車を止められました。
運転していた銀行員は、窓を半分だけあけました。
「日本信託銀行の車ですか?
 小金井署からの緊急手配で、巣鴨の支店長宅が爆破されました。
 この車にもダイナマイトが仕掛けられているかもしれません。
 車内を探してください。」
銀行員たちは言われるままに車の中を探します。
その時、車の外から・・・
「あったぞ!!
 ダイナマイトだ!!
 避難しろ!!」
驚いた銀行員たちは車を脱出!!
物陰に隠れました。
入れ替わりに白バイ警官が運転席に乗り込むと・・・
エンジンをかけて急発進、府中街道方面に向かいました。
「なんて勇敢な人だ・・・!!」
白バイ隊員が身を挺して車をダイナマイトから遠ざけてくれたと銀行員は思いました。
ところが・・・9時25分・・・
おかしい・・・!!いつまでたっても煙を出して爆発する気配がない・・・!!
ダイナマイトではなく、それは発煙筒でした。
さらに、銀行員のひとりが気付きます。
「この白バイ、偽物だ!!」
騙された!!
午前9時28分、公衆電話から慌てて日本信託銀行国分寺支店に連絡。
それを受けた支店長はすぐに、警察に通報!!
府中三億円事件発生!!
被害額の多さに、警視庁の総力を挙げた捜査が始まりました。

午前9時34分・・・
”白バイ警官に偽装した男1名が、現金を積んだ乗用車を奪い、府中街道方面を逃走中
 被害者量は黒塗りのセドリック”
午前9府44分
警視庁は緊急配備の最高レベル”全体配備”を発令!!
都内すべての警察署、全所員に出動命令!!
機動隊員を含め全署員1万350人を緊急出動!!
パトカー631台出動!!
さらに御前9時46分、乗り逃げされた車が県外に逃走することを想定し、神奈川・山梨・埼玉に配備協力を要請!!
第一報からここまでわずか15分!!
”多摩 5 は 66-48”黒のセドリックは完全包囲され、犯人逮捕も時間の問題・・・??
ところが、午前10時18分
”国分寺史跡付近で現金輸送車を発見
 発見者は小金井署本村駐在所の巡査長”
車が発見されたのは、犯行現場からわずか600mの竹やぶ・・・
トランクに積んだ三億円はジュラルミンケースごと無くなっていました。

車の傍には、別の車両のタイヤや無数の足跡・・・
犯人は車を奪った直後に近場で乗り換えた可能性が高い・・・!!

つまり、全体配備でセドリック包囲網を敷いたとき、別の車に乗り換えていたことになるのです。
犯人に先手を打たれた警視庁は、次の手を・・・!!
午前10時32分、全車両を止めて検問を徹底的にするよう一斉通達!!
ところが時は師走・・・検問によって主要道路は完全にマヒ!!
各地で大渋滞をおこします。
午後3時44分・・・苦渋の決断で全エリアの検問打ち切り!!
犯人は闇へと消えたのでした。

メディアは湧きます。
これまでの盗難の最高額は3100万円。
この年の宝くじの1等賞金が初めて1000万円にのり、大きな話題となった時代でした。
事件当日の夕刊は、どれも破格の扱いで・・・まさに映画や小説のように銀行員をだました手口は、用意周到な計算と準備が伺われました。

騙しの手口①「まさか白バイまで!?」
銀行員たちは・・・「白バイもあり、すっかり本物の警官だと思い込んでしまった」のです。
騙されるのも無理はなく、当時日本では警察官の変装での犯行はは珍しく、わざわざ偽の白バイを用意して運転するなど予想を超えています。

騙しの手口②「知らないはずの爆破脅迫」
いきなりダイナマイトという突拍子もない状況にも、信じ込ませる伏線がありました。
事件の4日前、日本信託銀行の支店長あてに脅迫状が・・・!!
現金300万円を要求、従わなければ支店長の自宅を爆破するという内容でした。
脅迫事件はまだ報道前で、関係者以外は知らないはず・・・
鮮やかで手慣れた警察官のような動き・・・銀行員たちは、本当の警察官だと思い込まされたのです。
前代未聞の手口に、日本中が衝撃を受けたのでした。
昭和43年12月10日・・・この日から時効までの7年間・・・予想外の罠が事件を未解決に引きずり込んでいくのでした。

事件発生から10日余り・・・警視庁は姿を消した犯人を探し出すために、市民の協力を得る切り札を公表します。
犯人を見た銀行員の証言で作られたモンタージュ写真・・・
モンタージュ写真作成は、似顔絵代わりに写真を使うことで、リアルな犯人の顔に迫れると期待されました。
銀行員の記憶から膨大な写真から似ている顔を2日間かけて作成しました。
さらに修正を加え・・・出来上がったのがモンタージュ写真でした。
警察は多量のチラシを配布、町中に張り出されました。
リアルな顔写真の効果は絶大でした。
公開初日から500件・・・多い日は1日1800件以上の情報が寄せられました。
捜査員たちは期待を寄せて、情報の収集に走ります。
ところが・・・この市民からの膨大な情報がかえって捜査員たちを苦しめることに・・・!!
どの業界でも「似てるな・・・アイツ・・・」「そっくりだぞ・・・」と、捜査本部に膨大な情報が寄せられました。
”ただ似てる”という情報でも放っておくわけにはいきません。
情報の9割が”似た人物”についてでした。
とんでもない数の捜査員が必要となり・・・
裏どり作業をやっても犯人に結び付かない・・・その上、手つかずの情報が増していくばかり・・・。
それでも捜査員たちは、モンタージュ写真を手に、地道な捜査しかありません。

ところが3年後・・・
有力な技術で作成された犯人像を捨てる・・・??
「これほどの情報がありながら犯人にぶつからないのは、どこかが間違っているのかもしれない。
 モンタージュをはじめ、すべての先入観を捨てて、新しい方針を打ち出したい」by捜査一課長
捜査本部は、捜査方針の転換を余儀なくされました。

目撃者の銀行員たちは・・・
直接見た窓越しの顔もあやふやなのに、毎日膨大な写真を見せられて「犯人に似てる顔があったら抜いてくれ」と、何万枚もみて・・・混乱してきて訳が分からなくなった??
顔写真を選ぶ作業は、記憶が混乱した状態で作られたというのです。
人が記憶を思い出そうとするとき、落とし穴があります。
人間ならではの「記憶のワナ」です。
それは言語隠蔽効果とよばれています。
目撃者の記憶は、一般に思われているほど正確ではありません。
顔の特徴を言語化してもらうと・・・自分が知っている”目の大きい人”のイメージに近づける形で記憶が書き換えられるのです。
ゆがんだ形で思い出してしまう可能性があるのです。
三億円事件の目撃者も、たくさんの写真を見せられ、顔の特徴を言語化、記憶が書き換えられた可能性があるのです。
捜査の切り札は、人間の記憶のワナにはまったのです。
そして、さらに巨大な迷宮が待ち構えていました。

三億円事件の捜査では高い壁が・・・
事件発生から4か月、この日突然犯人が逃走に使った車両が発見されました。
現金輸送車から乗り換え、行方をくらませた車・・・
発見されたのは、犯行現場からわずか4キロの団地の中で、シートをかけられ空のジュラルミンケースを乗せたまま放置されていたのです。
この頃、多摩地区はベッドタウン化が加速し、人口が爆発的に増加していました。
急激な街の変化は、些細な異変に無関心な風潮になっていました。
昭和40年代の変わりゆく風潮が、捜査陣の前に立ちはだかっていきます。
この頃、捜査陣に凄腕の刑事が参加します。
少年漫画「ザ・野良犬」の主人公にもなった平塚八兵衛です。
平塚が関わった100件の事件のうち、未解決はたったの2件・・・人呼んで「捜査の神様」でした。
当時、戦後最大の誘拐事件「吉展ちゃん事件」も犯人逮捕に導いた警視庁のエースです。

”ブツが物をいう”

物証こそが、重大な手掛かりを語ってくれる・・・これが平塚八兵衛の信念でした。
モンタージュを当てにせず・・・

「目撃っていうのは、あとでいろいろ雑音が入ったり、思い違いってこともある。
 しかし、遺留品は、ブツがものをいうんだ。
 これほど確かなことはない。」

犯人が残した偽の白バイ、乗り捨てた車、トランジスタメガホン、そしてレインコート・・・
捜査陣は、124点の遺留品の洗い直しにかかります。
捜査陣が目をつけたのは、遺留品の白バイにつけられていたトランジスタメガホンです。
同じ型は、825台製造されました。
トラメガに関する捜査・・・足を使った販売ルート、購入者の身元確認、2年間の捜査で686台の購入者まで突きとめたものの、残りの166台は未発見!!
購入者の線からたどるのは限界でした。

トラメガを白く塗った際の小さな紙きれが付着して残っていました。
今まで見逃していたわずか数ミリの紙切れ・・・
警視庁科学検査所に解析を依頼すると・・・いくつかの紙片からひし形の模様が・・・これを新聞の見出しを飾る「地紋」ではないか?ということに・・・。
地紋とは、見出しの文字を浮き出させる模様のことで、新聞社ごとに独自の模様を使っていたために新聞の特定が可能・・・??
事件発生前2年分の新聞から一致する「地紋」を探しました。
しかし、それは砂浜で米粒を探すような気の遠くなるようなものでした。
そこに奇跡が・・・!!
膨大な新聞記事の中からひし形が一致する記事を発見!!
それは、事件発生の4日前、サンケイ新聞の朝刊婦人面の記事の一部でした。
紙きれの質も分析・・・製紙工場から配達地域が割り出せる??
その結果、配達地域は犯行現場のあった弾t区で、配達先は数千件。
そこに犯人がいるのか・・・??
ブツが真実を語り始めました。
捜査員たちは多摩地区の新聞配達店を訪ね、配達先の名簿や順路帳の提出を求めました。
ところが・・・事件から時間が経ち、順路帳は破棄されていました。
どの家に配ったのかがわかりませんでした。
ここにたどり着くまでに2年がかかっていました。
犯人への手掛かりはどんどん失われていきます。
三億円事件の遺留品は、国内犯罪史上異例の124点・・・これほどあれば、犯人が特定できるのでは・・・??
しかし、だれが、いつ、どこで手に入れようとしたのかを突き止めることはできません。
遺留品の多くは大量生産、大量消費されたもので、犯人を絞り込めない・・・
高度成長の光と影・・・豊かさの昭和の死角が手掛かりを消していったのです。

三億円事件発生から7年目「時効」の年・・・
昭和50年1月、国民的人気を誇った競走馬ハイセイコーが惜しまれながら引退・・・。
2か月後、捜査の神様も引退宣言します。
3月5日、平塚警部勇退・・・時効まで9か月・・・

「辞めれば私に非難が集まり、再び三億円がクローズアップされる
 情報もくる
 首をかけた最後のかけです」

残された時間・・・捜査陣たちはギリギリまで新たな手掛かりを見つけ出そうとしていました。
時効まで3か月・・・17人にまで縮小されていた捜査員たちを87人に増員。
更に警察官2000人を動員してローラー作戦を実施!!
捜査結果をすべて洗い直します。
その上、警察らしからぬイベントも・・・遺留品を屋外展示し、一般公開します。
情報提供を呼びかけました。
こうした警察の努力で、世間も再び注目します。
刑事ドラマのスターたちも犯人を推理します。
超能力者も協力を提供。

しかし世間は全く違うノリでした。
犯人の気持ちを面白おかしくレコードにした利、劇画ヒーロー風の犯人Tシャツ、映画・・・犯人への手紙を募集した掲示板・・・
事件が起きたときの高度経済成長も2年前に終了し、熱い時代は冷めつつありました。
昭和50年11月・・・時効まで1か月・・・
捜査陣は最後の賭けに出ます。
時効に出る前にどうしても取り調べたい人物がいたのです。
最後の男・・・
身柄を確保した男は、出所不明の大金を持っていました。
当時ハワイに住んでいて・・・東京に帰ってきての取調べとなりました。
2週間の取調べ・・・しかし、事件への関与は認められず12月3日シロと断定・・・
時効まであと7日・・・最後の賭けが終わりました。

そして7年前と同じ雨・・・
12月10日午前零時・・・三億円事件時効成立・・・。
事件発生から丸7年・・・
捜査費用9億7200万円・・・延べ捜査員数17万1346人
捜査員の歩いた距離76万8150キロ・・・この距離は地球20周近くにもなります。
ところが町の人々は・・・もはや被害額三億円は特別な驚きではない・・・昭和は新しい時代へと移っていました。

現代では犯罪対策のハイテク技術は進んでいるものの、顔に対する人間の記憶は重要な役割を果たしています。
目撃者の記憶をもとにした似顔絵捜査・・・三億円事件のモンタージュ写真重視から、今は似顔絵への捜査手法へと変わっています。
モンタージュは撮影に時間がかかり、目撃者の記憶が変わりやすい・・・
三億円事件の教訓です。
一方似顔絵は、紙とペンがあれば現場ですぐに作成でき、記憶が鮮明なうちに犯人の特徴を引き出せるのです。
似顔絵で重要なのは決して捜査官から誘導しないこと・・・具体的な特徴を聞くのではなく、まっさらな印象から始め、人に寄り添う技術が必要とされています。
平成12年の似顔絵捜査官を設置以来、現在全国に6000人・・・人間の内面には人間でしかわからない不思議さがあります。
事件発生から半世紀たった今でも語り継がれる三億円事件・・・変わりゆく時代のなか、事件を未解決に導いた昭和の死角を何人はどのように見ていたのだろうか。。。
犯人は、その答えさえも闇に持ち去ったのです。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

府中三億円事件を計画・実行したのは私です。 (一般書 229) [ 白田 ]

価格:1,080円
(2019/4/27 08:17時点)
感想(4件)

【バーゲン本】昭和ニッポン15-昭和元禄と三億円事件 (昭和ニッポン) [ 一億二千万人の映像 ]

価格:1,542円
(2019/4/27 08:17時点)
感想(0件)

秘密の闇に隠されたお宝ロマン・・・現代に残された巨大な謎・・・それはナチス黄金列車でした。
2015年8月、ポーランド・ワルシャワにて・・・衝撃のニュースが発信されます。
「私が思うには、列車は99%埋まっています」byポーランド文化・国家遺産省・ジュコフスキ副大臣
ポーランドで地下に埋められた列車・・・
謎のナチス黄金列車発見か??
ヒトラーの秘密の黄金列車??!!
第二次世界大戦末期、黄金など300tの財宝を積んだ列車をナチスドイツがどこかに隠したのか??
その幻の列車の隠し場所は、戦後70年を経て判明したのか??

黄金列車発見か?となった発信地は、ポーランドのバウブジフ。
この町は、第二次世界大戦のさ中、ナチスの支配下にありました。
その頃に生まれ、語り継がれているのがナチスの黄金列車伝説です。

バウブジフを通る鉄道路線・・・線路わきの土手に・・・??
第二次世界大戦の終わりごろ、その辺りで列車を埋める作業に関わったとある老人が証言を残したのです。
その証言をもとに、レーダーなどで調査したところ、地中に列車のような反応を確認・・・
ここに、長さ100m級の列車が埋まっていると発表されたのです。

トレジャーハンターに聞いてみると・・・
レーダーで確認すると、自然の物体ではなく左右対称の人工のものが埋まっている・・・!!
その形は、第二次世界大戦の装甲列車が軍用列車のようにも見えました。
車両の大きさや、レーダー画像と一致するというのです。
ここに黄金や宝石など高価なものを載せていた可能性があるというのです。
100mもの列車をどのようにして埋めるのか??
現場には、元々トンネルが存在し、そこに列車を引き込んで、トンネルを爆破して丸々埋めてしまう!!
こんな大胆な隠蔽工作が、本当にあり得るのでしょうか?
ここから3㎞ほど離れたクションシュ城で、大工事が行われていました。

アドルフ・ヒトラー・・・自ら率いるナチ党を、ドイツ国家と一体化させ、独裁者として君臨。
ヨーロッパで領土拡大を重ね、第二次世界大戦を引き起こした張本人・・・
ナチス・ドイツは、このクションシュ城を第二次世界大戦中手に入れ、秘密基地として改修工事を行っていました。

城内のヒトラーの部屋から通じる秘密の扉・・・
その向こうに作られていたのは、専用のエレベーター・・・2基のエレベーターは、1944年に作られました。
完成すれば、地下50mまで降りることができました。
その地下には、巨大なトンネルが・・・現在残っているトンネルの長さは1km。
一説によると、ベルリンまで直通の専用列車を計画していたともいわれています。
これほどの大工事があったのなら、列車を丸ごと埋めたというのも信じられる・・・??

しかも財宝を満載した黄金列車・・・という伝説を裏付ける根拠がもう一つあります。
ナチスドイツがヨーロッパに作った巨大な鉄道網です。
ナチスドイツは、多数の物資を一度に運べる列車に注目・・・
1937年、鉄道を国家直営とし、あらゆる輸送を可能にしました。
大勢の兵士や武器を前線に送り届ける軍用列車、ヒトラー自身も専用の特別列車を作らせ動く司令本部としました。
莫大な金銀など財宝を運ぶ黄金列車が存在したのか??
ナチスの財宝は、ヨーロッパ各地で数多く隠されているという。
現代のポーランドで俄によみがえったナチス黄金列車と秘密の財宝伝説・・・その謎は・・・??

ナチスが略奪した財宝・・・
琥珀の間は、現在の価値で数百億円と言われ、財宝の中の財宝です。
ソビエトのエカチェリーナ宮殿に置かれていたものを、1941年ドイツ軍が略奪しました。
その後、空襲で燃え尽きてしまったが・・・密かに運び出され、人知れずどこかに眠っているという噂は絶えません。
そして、今でもヨーロッパでは、ナチスの財宝が発見され続けています。

2014年ドイツ北部のリューネブルク。
かつて岩塩の採掘で栄えた古い町並みの残る地方都市です。
ナチスの財宝を発見した人は、金属探知機で文化財の調査をしていました。
地元の考古学者から、古いお墓と思われる場所の調査をされたのです。
ある木の根元付近で金属探知機が反応・・・しかし、たいていは金属のゴミのことが多いのですが・・・
そこには1枚の見慣れない金貨がありました。
そして立て続けに9枚も・・・!!
翌日、役場の担当者、考古学者と調べてみると・・・2mほど掘り進んだところに・・・!!
金貨を集めるのに10日ほど・・・発掘されたのは19世紀から20世紀初頭にかけての古い金貨217枚!!
現在の価値にして550万円に当たります。
更に金貨入りの袋を閉じていたと思われるアルミ製の封印には、ナチスの鉤十字が!!
まさに、ナチスの財宝だったのです。

ナチスの財宝の多くは、1945年第二次世界大戦のドイツ敗北の頃に続々と発見されました。
チューリンゲン州メルカースの岩塩を採掘した穴には、金塊が8000個以上・・・全部で100tも隠されていました。
現在の価格でなんと5000億円!!
大量の指輪は、チューリンゲン州の強制収容所近くで発見されました。
囚人たちから奪ったものと思われます。
国家予算に匹敵するほどの隠し財産の多くは、ナチス・ドイツが略奪によって手に入れたものだとされています。
ナチスドイツが他国を占領した目的の一つは、その国が貯蓄している金を略奪することでした。
ドイツの利益のためというよりも、戦争を行う資金を調達するためです。
略奪と戦争・・・ヨーロッパ制圧の野望を実現する為に・・・!!

1939年9月1日、ドイツ軍は突然、隣国ポーランド侵攻。
第二次世界大戦がはじまりました。
周辺の国々を瞬く間に侵略する圧倒的な軍事力・・・
それを支えたのが、戦争を始める前から段階的に行ってきた略奪経済でした。
戦争開始の1年半前の1938年3月、ドイツは隣国オーストリアを外交圧力によって併合。
この時、オーストリアの国立銀行をドイツが吸収するという法令を出し、金1800億円をドイツへ!!
合法的にドイツの国家財産としました。
1939年にはチェコを保護領とすると、チェコ国立銀行の取締役を脅迫し、800億円相当の金をドイツへ譲渡させます。
こうして他国からの奪略を財源とし、第二次世界大戦を開始するや否や、占領したオランダ、ルクセンブルク、ベルギーからも金を略奪。
国家資産を1兆円以上も増やし、戦線を拡大させていきます。
略奪と戦争を一体化させた経済政策という恐ろしい国家運営を進めたのです。
更にナチス・ドイツは戦争の費用を生み出すために、個人・・・特定の民族から財産を略奪していきます。
狙われたのは、憎しみの対象となっていたユダヤ人でした。

1938年11月9日、11月ポグロム・・・
ドイツ全土で、ナチ党の党員や一般市民がユダヤ人に対し、暴動を起こしました。
数百ものユダヤ教教会堂に火が放たれ、7500ものユダヤ人商店が襲撃されるというすさまじいものでした。
これをナチ党の指導者たちは悪用します。
暴動の原因はユダヤ人側にあるとし、10億マルクの税金をユダヤ人社会全体に課しました。
依田屋人は全財産の25%を税金として納めよ!!
という法令まで発布!!
合法的な略奪を行っていきます。
新たな法律によって・・・
1938年11月 宝石美術品
1939年 2月 貴金属
1940年11月 カメラ、望遠鏡
1942年  1月 毛皮、ウール
貴重な財産をユダヤ人から奪い続けます。

ポーランドにあるアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所・・・ナチスドイツはこのような6カ所の強制収容所に財産を絞り尽したユダヤ人たちを送り込みます。
ここでは最後の略奪が行われました。
ユダヤ人の遺体から抜き取った金歯の山・・・金塊へと加工し、国家財産へ!!
ヨーロッパ隠されに隠され、伝説として私たちを引き付けるナチスの財宝は、こうして生み出されたものなのです。

ナチスドイツの略奪は、極めて合法的、組織的に行われました。
ナチスドイツの考え方としては、ユダヤ人の富は、ドイツ人に寄生して蓄えたと考えています。
だから、ユダヤ人からドイツ人が取り返すとなるのです。
当時はアーリア化と呼ばれ、ユダヤ人の土地・事業を売却し、所有権をドイツに移行していくのです。

問題なのは、国家的に特定の集団を収奪したことで、その手段は、税金・・・。
ユダヤ人に特別税を課し、いくら不法・不当であっても国家が課す以上払わないといけない仕組みになっています。払わなければ処罰されるのです。
合法的にユダヤ人の富を吸い上げることが可能となるのです。



財産税は持っている財産の25%・・・出国税25%・・・すべて吸い上げて身ぐるみをはいで海外に移住させる・・・強制収容所に送るシステムでした。

普通の法律は倫理的に正しいのですが、しかし、ここにおける合法的は、非倫理的な法律を作り、合法的な行為をして国家が行っていたのです。
アウシュビッツへドイツの国鉄で連れてくる場合、1キロ当たり4ペニヒ(約20円)を取っていました。
それが、当時の国鉄の収入の5割を占めていました。
平時の経済の中に「収奪」がシステムとして入っていたのです。
従順なユダヤ人は収奪を手伝わされました。
嫌だけど・・・やっている間は生きていられるかもしれない・・・極限の状態でした。

服従・・・「自分は不本意」の感覚がある
同調・・・やはり少し「不本意」の感覚がある
同一視・・・嫌なことを美に感じる

一般市民たちは、最初は「ユダヤ人気の毒」と思っていても、繰り返しているうちに「やっぱりユダヤ人は悪いし・・・」と変わって正当化されていくのです。

略奪によって集められた莫大な財宝を乗せてどこかにあるというナチス黄金列車伝説・・・
第二次世界大戦当時、実在した黄金列車がありました。
「ハンガリーの黄金列車」です。
50両の貨車に金塊や宝石類、財宝を積み込んで・・・その総額はおよそ3億ドル・・・なんと4700億円に当たるといいます。
しかし、その輝きとは逆に、ハンガリー黄金列車には、略奪の連鎖という人間の闇が隠されていたのです。

ハンガリー黄金列車の悲劇①
略奪されたユダヤ人の財宝
第二次世界大戦でハンガリーはドイツと共にソビエトと戦いました。
しかし、政治的にはドイツと距離を置いていました。
首都ブダペストの人口の1/5を超える16万7000人のユダヤ人は、経済活動に重要な役割を果たしていました。
そのため、ハンガリー政府は、ドイツからのユダヤ人引き渡し要請に協力を拒んでいたのです。
しかし、1944年1月、スターリン率いるソビエトは攻勢を開始すると、状態は一変!!
1944年3月、ハンガリーはソビエトへの寝返りを疑われ、ドイツによって軍事的に制圧されるのです。
ドイツの傀儡政権となった・・・ナチスの「略奪経済」を採用し、ユダヤ人財産の差し押さえを開始!!
従順なほどに提供するユダヤ人たち・・・「あとで戻す」・・・為政者が理不尽な略奪に人びとを従わせるカギがありました。
一連の法案の初期の段階では、財産の内容を報告することが義務づけられていました。
財産は管理され、戦争が終われば戻されるという印象を与えながら実際は押収・・・。
ユダヤ人も財産を手渡せば、これ以上のひどい目には遭わないと信じていました。
しかし、それは全くの幻想だったのです。

ナチスドイツの制圧からわずか4か月・・・およそ44万人のハンガリー系ユダヤ人はアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に移送・・・
今、理不尽な命令に従っておけば、あとで穏便に元の状態に戻れる・・・そう信じた人々にあとは来ませんでした。

持ち主の失われた莫大な宝石や貴金属・・・これら略奪品は、一旦ハンガリー政府に納められるものの、すぐに別の場所へ・・・。
その積み込まれた先は、黄金列車でした。

ハンガリー黄金列車の悲劇②
相次ぐ”略奪の連鎖”
1944年9月、ソビエト軍ハンガリーへ侵攻・・・首都ブダペストに近づいてきました。
ソビエト軍の略奪を恐れたハンガリー政府は、国家資産をドイツへ避難させ始めました。
工業製品など様々な国家資産を積んだ列車が次々とドイツに向かいます。
列車の便は1000本にも上りました。
そんな中、ハンガリー政府が秘密裏に用意した列車がありました。
ユダヤ人から略奪した財宝を非難させるための特別列車でした。
12月15日、金塊や宝石類、高価なじゅうたんなどの4700億円相当の財宝を積んだ48両の列車がブダペストを出発!!
その後、国境の町ブレンベルグバーニャに3か月停車。。。この停車中、財宝は仕訳けられ、周辺で略奪した財宝も運び込まれました。
ところがこの間に、戦争の状況は大きく進み、黄金列車は窮地に立たされます。
ソビエト軍はハンガリーの大部分を占領し、黄金列車に迫っていました。
一方西からはアメリカを中心とした連合軍が、ドイツ本国へ侵攻。
当初はドイツに逃げ込むはずだった黄金列車は、ヒトラーのアルプス要塞と噂されていたオーストリアのザルツブルク方面へと向かいます。
ところが・・・3月29日、最初の事件が起こります。
財宝のうち、仕訳けられたダイヤモンドや金などの高級品が多数持ち去られたのです。
持ち去ったのは、財宝の管理をしていたハンガリー憲兵隊のトルディ・アールバード大佐でした。
トルディ大佐は、自分が車で先行し、列車が進めるように段取りをつけてくると称し、なぜか40箱以上の財宝と共に姿を消したのです。
指揮官自らが財宝を持ちだしたのを皮切りに、黄金列車は人々の欲望を引き寄せるかのように略奪の危機にさらされます。
軍隊の襲撃・・・しかも味方であるはずのドイツ軍の兵でした。
一体どうして・・・??
1945年4月16日、ベルリン総攻撃!!
5月2日、ソビエト軍に攻め込まれ、遂に陥落!!
略奪経済で人々を従え、ヨーロッパを戦火に巻き込んだアドルフ・ヒトラーも4月30日に自殺!!
5月10日、国家の後ろ盾を失ったドイツ兵は、黄金列車へと群がったのです。
さらに・・・国破れ敗北者となって彷徨う列車には、民間人や鉄道員までが財宝に殺到!!
ユダヤ人から略奪した財宝は、略奪される側へと転落!!
その忌まわしい略奪の連鎖は、数十年後の現在まで影響を及ぼしていき、予想しない事態に発展していきます。

ハンガリー黄金列車の悲劇③
現代まで残る略奪の傷
1945年5月、ドイツ敗北!!
混乱の時代、ユダヤ人から略奪した財宝を乗せ国外脱出しながらも逆に略奪の的として狙われたハンガリー黄金列車・・・窮地に立たされた指揮官たちの苦渋の選択は・・・アメリカ軍への幸福でした。
ソビエト軍や敗残ドイツ兵に略奪されることよりも、アメリカ軍に平和的に保護を求めることで、ルールにのっとった管理下に置かれる道を選びました。
1945年5月11日、ハンガリー黄金列車はアメリカ軍が接収・・・財宝も連合国軍の管理下に入りました。
ところが・・・略奪の連鎖は止まりません。
アメリカ軍兵士たちが財宝を私物化!!
最後まで奪略を免れた財宝は、アメリカ駐留軍の推定によれば推定1990億円・・・
半分以上の財宝が消えていたのです。
それから50年近く・・・1998年アメリカ連邦議会で、ユダヤ人が奪われた財産の行方を調査する「ホロコースト資産委員会法」が制定。
これによってアメリカ合衆国第42代大統領ビル・クリントンを中心とする大統領諮問委員会が芸術や文化財、金融資産の分野で調査を開始。
ハンガリーの黄金列車も調査対象となり、アメリカ兵による略奪について報告がなされました。
「米軍の高官は、自分たちの個人的用途のために黄金列車から財産を盗み、さらにその財産は、陸軍取引所を通して売られました。
 黄金列車から財産が盗まれたことを示す明らかな証拠も存在します。」
アメリカ政府は、自国平氏の50年以上前の略奪、犯罪行為を認めたのです。
この後、アメリカに住むハンガリー系ユダヤ人からの集団訴訟に・・・アメリカ政府は2550万ドルを支払い、和解しました。
アメリカ政府は、略奪された被害者とその相続人に対する社会福祉のための基金設立に2550万ドルにあてられました。
しかし、「あとで戻す」という国家の偽りの言葉によって略奪された宝石、指輪、貴金属などの大切な宝物が、元の持ち主にかえることはありませんでした。

戦場で、勝った側が負けた側のものを持ち帰る・・・これは常にあり得ることです。
たとえ横領したとしても、そんなに悪いことをしているという感覚はないのです。
非常に短いタイムラグで課題をこなすことを繰り返していると、人間は思考が浅くなります。
なので、想像する心の動きが戦争によって失われていくのです。
「どうしてそんなことができるのか?」
そんな現代の日本の私たちの感覚・・・それは深い思考ができる状態で、静かな中で考えるからできることなのです。
戦争になったら論理は変わってしまうのです。
圧倒的多数が死亡している・・・その死亡した人の財産はどうするのか?
個人に返しようもないのです。

人から物を奪う略奪、そしてその略奪の連鎖・・・
戦争は、人が人を殺す以上のことがあります。
それは、人間が歴史の中に作り上げてきた「規範」を破壊する・・・人間の存在価値である規範、人間性が気付かないうちに破壊されることが怖いのです。
ホロコーストは、史上最大の強盗殺人・・・600万人という人間が死んでいます。
その背後では、物凄い額の財産が奪われていて、それについては討論してきていません。
もちろん、物より命の方が大切なのですが、物を失うこと・・・それは、そのもの自体の価値を越えた何かを失うこと・・・家族の思い出、歴史という付加価値が奪われているのです。
付加価値は対価がなく、奪われた人はお金を返してもらってもそれは同じではないのです。
ナチスの略奪は、たくさんのものを破壊しました。

財を奪うことが人間の根底、心理面も破壊し、命だけではなく、奥ある付加価値も奪う・・・その闇の部分が垣間見ることができます。
しかし、その「闇」は、人間みんなが持っているものなのです。

ポーランドの黄金列車は結局どうなったのでしょう?
2015年に世間をにぎわせたポーランドのナチスの黄金列車発見騒動・・・
地元大学の研究チームが地中を調査した結果、
「トンネルはあったとしても、そこに鉄製の構造物はないでしょう」
期待された100m級の列車は存在しない??という結果となりました。
列車のようなレーダー画像は、現場の上を通る電線の影響か??と指摘されました。
2016年とレジャーハンターが現場を掘ってみると・・・古い鉄道のレールを発見!!
隣の線路の廃材らしい・・・最終的に6mのところまでショベルカーで掘り、財宝を積んだ列車は発見されませんでした。
再び伝説の彼方へ消えた黄金列車・・・そのまばゆい輝きに心がひきつけられるとき、欲望の闇は私たちを争いへと引きずり込むのです。


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

ホロコーストと国家の略奪 ブダペスト発「黄金列車」のゆくえ [ ロナルド・W.ツヴァイグ ]

価格:3,564円
(2019/4/16 07:23時点)
感想(0件)

ヒトラーの娘たち ホロコーストに加担したドイツ女性 [ ウェンディ・ロワー ]

価格:3,456円
(2019/4/16 07:25時点)
感想(0件)





このページのトップヘ