日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

カテゴリ: ビーバップ・ハイヒール

今回の先生は、橋場日月先生です~~!!

今なお現代人を魅了してやまない戦国武将・・・。
血で血を洗う戦乱の世を勝ち抜くために、彼らが求めていたものは・・・お金でした。
戦国武将は、お金集めに必死でした。

織田信長・・・
当時、京都・大坂にまで勢力を伸ばしていた信長は、京都・大坂から多額の税金を徴収。
裕福な寺院、栄えていた堺・・・など。
この時集めていたお金は、ある金額と一致します。
それは、足利義昭を将軍に擁立する為に京都に攻め入った戦の費用でした。
戦をする・・・それは莫大な費用が掛かるという事。
優秀な武将や兵士を集める給料、費用、食費や刀、鎧、鉄砲・・・攻め落とした城の補修費・・・
何をするにもお金が必要でした。

戦国武将の力とは・・・すなわち資金力!!
腕っぷしの強さや大義だけでは勝てないのです。
天下を取る野望はあるが、お財布事情はギリギリ・・・
信長も資金繰りに悩む若手経営者だったのです。


豊臣秀吉が、信長の時代に大きな力を発揮したのが経費削減で下。
1581年、鳥取城を落とす際に・・・手っ取り早いのは兵糧攻め・・・
お金と時間がかかる・・・三木城の時は2年もかかってしまった・・・。
そこで・・・!!
秀吉は秘策で兵糧攻めを4か月に短縮しました。
その秘策とは・・・??
いつもの3倍の値段で米を買い占めたのです。
秀吉が潜り込ませた商人が、城の倉庫の米も買い占め・・・
この時の経費は2000万円。
しかし、米がない鳥取城はすぐに陥落。
これにより秀吉は、戦の時間を1年8か月短縮し、300億円もの経費削減をしました。

江戸幕府初代将軍・徳川家康・・・

戦国時代の家康は、250万石の大大名でありながら、戦国一のドケチでした。
食事は麦飯、服も質素で、下着も買い換えない・・・
そんな家康が天下人になれたのは・・・??

1595年秀吉の甥・豊臣秀次が謀反の疑いをかけられ、切腹させられる事件がありました。
そんな中、細川忠興の家臣が家康の元へ・・・
「実は我が殿は、秀次様より黄金100枚を借りておりました。
 一刻も早く借金を返し、関係を絶たねば、殿は秀次様の仲間と見なされ、切腹となります。
 どうか・・・お助け下さりませ。
 殿を救うと思うて、金子数枚だけでも貸していただけませぬか?」

戦国一のドケチの行動は・・・??
「・・・では、これを持っていかれよ」

なんと黄金100枚!!
現在の二億円、さらには、「返済は無用じゃ」と・・・
「その代わり、わかっておられますな・・・」
この時の恩を忘れていなかった細川忠興は、関ケ原の戦いで先陣を切って徳川方につきました。
普段ケチケチしてためたお金を、恩を着せるために使った家康・・・この買収戦略があったからこそ天下をとれたのです。

1605年、天下を統一した後も、決して贅沢をすることのなかった家康・・・
しかし、息子に将軍職を譲って大御所となった家康が、不思議な行動に・・・??
家康が金に糸目をつけずに買い始めたものは・・・石でした。
ある日突然大名を招集した家康・・・
「これより江戸城の石垣工事を行う!!
 皆も、協力せい」
庭の石を指し・・・
「大石は一つ白銀20枚(400万円)、小石はひと箱小判3枚(60万円)じゃ」
と、ただの意思を買い占め、高値で売りさばきました。
自作自演の恐ろしいマネー術でした。
当時のスペイン商人の手記によると、城の床がきんぎんの重みで抜けたほど潤っていました。


もう一人の達人は・・・伊達政宗!!
独眼竜で知られ、最盛期には114万石の大大名でした。
そんな政宗は、剛腕なマネー術が目立ちます。
領地でとれる砂金のパワーで、東北を席巻していた政宗は、秀吉にも莫大な賄賂を贈り可愛がられていました。

「ところでお前、会津に攻め入ったようじゃの?
 わしの許しを得ず、勝手に戦を仕掛けるなど、言語道断じゃ。
 仕置に会津は蒲生氏郷に与える!!」by秀吉

会津には欧州に匹敵する金山がある・・・政宗はそれを奪おうと会津を責め取っていました。
しかし、その行動に目をつけられ、よりによって会津はライバル蒲生氏郷の手に・・・!!

「いまに見ておれ!!」

と、政宗は常識外れの行動に出ます。
会津を引き渡す前に、事故に見せかけて金鉱を水没させました。
会津ではその後一切金が採れなくなり、奥州の金が高騰したとか・・・。

さらに江戸時代、政宗は会津への執着を捨ててはいませんでした。

「どうか、会津をお返しいただけませんでしょうか?」by政宗

「お前は素行が悪いから駄目じゃ」by家康

政宗の夢は再び潰えた・・・しかし、そんな中、あるニュースが舞い込んできました。

「いま、江戸は人が急に増えて、米が足りていないそうです。」by家臣
「何・・・??という事は?
 農民たちから余った米を買い占めるのじゃ」by政宗

安く買い占めた米を江戸で高く売るビジネスを始めます。
これにより年間10万石、約45億円の収入を得ました。

江戸っ子の胃袋を掴んだ政宗は、後に天下の副将軍と呼ばれるほどお金の力で幕府の実権を握りました。
しかし、病魔にむしばまれ死を悟ると、お金の力を誰よりも知っていた政宗は、市の3か月前、幕府の閣僚に頼みごとをしました。

「すまぬが少々金を貸してもらえないだろうか」
「して・・・いかほどに・・・」
「銀子1000貫・・・!!」
その額およそ30億円!!
お金がたくさんあるのにどうしてそんな大金を・・・??

「これで仙台藩は安泰じゃ
 わしの死後、仙台藩が無くなれば貸し倒れとなる・・・
 借金があれば、取り潰しになることはない」by政宗

仙台藩は、政宗の死後15代にわたり栄えたのでした。

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戦略は日本史から学べ 壬申の乱から関ケ原の戦いまで「戦い」のシナリオを紐 [ 橋場日月 ]

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結婚式にクリスマス、イースター・・・キリスト教から来たものがたくさんあります。
世界一の発行部数を誇り、世界で一番読まれている本・・・それは聖書です。
日本人にとってはあまりなじみはないですが、有名な物語もたくさんあります。
”アダムとイブ””ノアの箱舟””バベルの塔”・・・教会での結婚式、クリスマス・・・私たちの生活には聖書から来たものが溢れています。
しかし、中には勘違いも・・・ヒューマンドラマもたくさんあります。

クリスマスはイエス様が生れた日ではありません。
聖書にはイエスの誕生日は書かれていないのです。
正確にはイエスの誕生日は不明!!
ではどうして12月25日??
もともとこの日は、ローマで最大の祭りの日でした。
そして、キリスト教がローマの国教となった時・・・

「どうせイエス様の誕生日がいつかわかってないんだから、この日にお祝いすることにしないか?」
「それいいね!!イエス様、おめでとう!!」

ローマ最大の祭りのついでに誕生日が決まったのです。
なので、教会は12月25日を「イエス様の降誕を記念する日」としています。

さらに・・・キリストとは苗字ではなく、キリスト=救世主という意味です。
イエスの時代苗字はなく、イエスは”太郎”のようによくある名前でした。
人びとは頭に出身地などをつけて区別していました。
ナザレで生まれたので、ナザレのイエスと呼ばれていました。

アダムとイブの食べた禁断の果実はリンゴではありません。
アダムとイブは、禁断の果実を食べたことで、楽園を追放され、羞恥心などの苦しみを与えられます。
この時、イブが果実を2個食べたので乳房ができ、アダムが1個食べたので喉仏ができたとされています。
ちなみに英語で喉仏の事をAdam's appleと言いますが・・・聖書には禁断の果実がリンゴとは書かれていないのです。
ではどうしてリンゴと言われるようになったのでしょうか?
当時使われていたラテン語で、リンゴ=malus(マリュス)=邪悪という意味がありました。
この二つのキーワードから禁断の果実がリンゴという説が定着したのです。
ちなみに、リンゴ以外にはザクロ、ブドウ、イチジク、ナシが考えられています。

イエスの絵画は多く、そのほとんどが端正な顔立ちです。
しかし・・・聖書にはこう書かれています。
「私たちが看取れるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない」と書かれています。
そして、イエスは周りから”大飯喰らいの大酒飲みだ”と悪口を言われていました。

聖書に書かれているイエスの奇跡・・・
・知人の結婚式で水をワインに変えた
・嵐の中、船の上から「沈まれ」と命じ、嵐を止めた
・5つのパンと2匹の魚を増やし、5千人に振る舞う
・18年間病気で腰が曲がった人を治療した

そして・・・イエスは弟子のひとりに裏切られ、翌日処刑されることをも予言します。
最後の晩餐・・・
「この中に私を裏切るものがいる」と予言します。
誰も信じませんでしたが、実は弟子のユダが裏切ります。

最後の晩餐の後、3人の弟子を連れて近くの森に・・・
そして・・・
「私は明日、処刑される
 これから最後の祈りを捧げて来る
 その間、ここで起きて待っていなさい」
そう言い残し、イエスは茂みの奥へ祈りに・・・

「神よ、私は死にたくありません
 どうかわたしを助けてください」

イエスでさえ、死という現実を前に、恐れ震え、本気で嫌がっていました。
祈りを終え弟子たちのもとへ・・・すると、弟子たちは居眠りをしていました。

「あなた方は、わずか1時間も私と共に目を覚ましていられなかったのか?
 よいのだ・・・心は燃えていても、肉体は弱いものだ
 次は目を覚ましていなさい」

そしてイエスは再び祈りへ・・・

「神よ・・・私をお助け下さい」

そして2度目の祈りを終えて弟子たちの元へ戻ると・・・
またもや居眠りをしていました。
これを計3回繰り返し、最後の夜は更けていきました。

クリスマスはイエスの誕生日ではありません。
が・・・キリスト教徒にとってクリスマスより大事な日があります。
それは、イースター!!
イースターは「イエス最大の奇跡を祝う祭」です。
その奇跡とは、イエスの復活です。
死んだはずのイエス・・・しかし、その3日後、嘆き悲しむ弟子たちの前に現れました。
そしてイエスはこう言います。
「おはよう」
信者数20億人を誇るキリスト教・・・この最大の奇跡・・・「イエスの復活」が起きなければ、今のキリスト教はない・・・
その復活を祝うイースターこそが、最も重要な日なのです。 

鳩を飛ばす・・・
平和の象徴と呼ばれる鳩・・・その由来は、聖書の有名な「ノアの箱舟」です。
堕落した人間に神が激怒し、大洪水を起こすことを決意します。
真面目な人間のノアにだけ大洪水を伝え、ノアは巨大な箱舟を作るとそこにつがいの動物を乗せ、船の中でひたすら洪水がおさまるのを待ちました。
そして40日間の嵐の後、ノアは鳩を飛ばしました。
暫くして鳩が戻ってくると、口にオリーブの葉を加えていました。
ノアは、そのオリーブの葉で洪水が収まったことを知るのでした。
このエピソードから、鳩とオリーブの葉が平和の象徴となったのです。
国際平和を目的とする国際連合の旗にもオリーブの葉と鳩が使われています。
なので、オリンピックの開会式や結婚式などのお祝いの式典にも、鳩が使われるようになったのです。

アイドル・・・
アイドルという言葉も、聖書の中の言葉です。
アイドルの言葉の歴史は、旧約聖書に始まります。
アイドルとは神をかたどった偶像のことで、旧約聖書では偶像崇拝が禁止されています。
教会などでイエスの像などに拝んでいますが、イエスはあくまでも神の子です。
そのために、神を象った像は存在しません。
そして1950年代、アメリカでプレスリーやフランク・シナトラが登場すると、「熱狂的な人気を集めるポッと出の若者」という意味でアイドルという言葉が使われるようになりました。
日本では、和解人気者という意味だけが残り、次第に初々しい未完成のアイサ示唆を持つ存在を表す日本独特の「アイドル」を指すようになったのです。

日曜日のお休み・・・
旧約聖書には、神は6日間かけてて音痴を想像し、7日目に休んだと書かれています。
当時7日目は土曜日で、ユダヤ教は現在でも土曜日が休日です。
日曜日が休日となったのは、イエスが復活した日が日曜日だったからです。
日本では、江戸時代「1」と「6」のつく日がお休みでした。
4日働いて1日休んでいましたが、欧米との交易で不便が出てきたために、明治時代に日曜日が休日となったのです。

目からウロコという言葉・・・
その昔、キリスト教徒を迫害していたサウロという男がいました。
その男、神の怒りに触れて突然失明しました。
同じころ、神に忠実だったアナニヤという男に神のお告げが・・・。

「アナニヤよ・・・サウロというもののところに行き、目を治してやりなさい。」

そこでアナニヤはサウロのもとに行き、神の言う通りにすると・・・
なんとサウロの目からウロコのようなものが落ち、再び目が見えるようになったのです。

「見える!!神よ!!ありがとう!!」

そしてサウロは改心し、忠実な使途となったのです。

天使・・・聖書には、天使がたくさん登場しますが、どこにも羽が生えているとは書かれていません。
古い絵には、天使には羽が生えていません。


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1953年大阪・梅田・・・旧大阪第一生命ビルの地下レストラン「ニュートーキョー」に500人を招待する展示会を3日間で店で開き、飲食を振る舞いたい」と依頼がありました。
三日間貸し切り・・・??
「常連客を蔑ろには出来ない・・・」と、店長は、ビルの屋上で展示会を開くことにしました。
夜景を眺めながらビールを飲めると展示会は大盛況に終わりました。

しかし・・・翌日・・・うわさを聞き付けた市民が押しかけてきました。
止む無く、屋上での通常営業を始めました。
こうして誕生したのがビアガーデンです。
エアコンがまだ普及していない時代に、風に吹かれながら屋上で冷たいビールで喉を潤すことはたまらないことでした。
こうして客の願いを叶えたいという店長の咄嗟のアイデア、新しい物好きな大阪人気質が・・・ビアガーデンは、大阪の風土が生んだビジネスでした。



1956年、大阪市中央区で印刷工場で働いていた兄弟は、カミソリでよくケガをしていました。
お金も学歴もない・・・発明しかない!!
兄の頭に浮かんだのは、戦後進駐軍が配っていた「板チョコ」でした。
そして、カッターナイフ・・・折る刃式カッターナイフの誕生でした。
刃を折るアイデアは板チョコから!!
刃こぼれしても、まだまだ使える・・・!!
大阪人の大発明でした。

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1893年、大阪市中央区で25歳の若者が小さな会社を立ち上げました。
「人のため、国のためになる仕事をするんや」という彼の名は森下博。
妻と二人の従業員で薬品の精製を行っていましたが、なかなか業績は上がらず鳴かず飛ばず・・・
1900年当時、日本では梅毒が猛威をふるっていました。
そこで博は東京慈恵会医科大学笹川三男三博士に梅毒の新薬を開発してもらいました。
名前は「毒滅」。
数年がかりで開発した社運を賭けた自信作!!
ただ売るだけでなく・・・医療大国ドイツのビスマルクをあしらった広告を出します。
その広告の狙いとは・・・??
有名人を起用することで、消費者に対し薬の信頼度をあげたのです。
当時、広告における人物起用は斬新で、画期的なことでした。
この広告はとにかく目立ち・・・「毒滅」は大ヒット!!
その名は瞬く間に世間に広がり、会社は軌道に乗り始めました。
2年後、博は勝負に出ます。
江戸から続く薬屋街・道修町・・・小林製薬や塩野義製薬など製薬会社のTOPがしのぎを削り合う薬の激戦区で勝負をかけます。
しかし・・・道修町での商売は甘くありませんでした。
当時の日本の医療は、進んでいませんでした。
貧しく、風邪や食あたりで命を落とす人も少なくありませんでした。
薬の長期保存も困難で、田舎では薬不足問題が起きていました。
簡単に持ち歩けて保存できる薬・・・新薬の開発に乗り出した博・・・博士に協力を依頼します。
自ら薬の本場・富山で生産方法を学びます。
そこでできたのが1905年「仁丹」です。
薬をコーティングするという画期的な技術を発案しました。
そして社員全員が、実際に自分の足で売り歩きました。
全国津々浦々まで・・・広告には莫大な資金を投じ、全国の薬局に特製の屋根看板を・・・大きなインパクトを与えます。
こうして仁丹は、2年で売上高業界第一位を達成します。その後も、広告塔や電柱広告など宣伝活動に力を入れ続けました。
発売以来、114年もの間売れ続けている仁丹・・・総合保健薬として開発されましたが、今は口中清涼剤として親しまれています。

現在森下仁丹は、胃・小腸・大腸で溶けるタイミングをコントロールできるカプセルを発明し、応用研究を進めています。
その技術を使って京都大学と画期的な製品を開発しています。
それは白アリの駆除剤で、卵を巣に持ち帰りなめて世話をする習性を利用し、殺虫剤を卵に似せたカプセルで持ち帰らせる=死滅するというものです。
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大阪・心斎橋に本社を構え、世界11か国に支社を持つタカラベルモント。
ある業界でトップシェアを誇るこの会社ができたのはおよそ100年前・・・。
1921年創業したのは吉川秀信22歳。
当時は鋳物を作る小さな鋳造所でした。
作っていたのはマンホールのふたや五徳・・・しかし、金属をガラスでコーティングするホーローの技術を採用したことで、意外な注文が入るようになりました。
理容イス・・・当時の理容イスは足やひじ掛けはホーロー鋳物が利用されていたので、大量の注文が舞い込んできたのです。

いっそイスを丸ごと作れないのか??
余所より早く、安く作るために・・・!!

1931年理容イスの生産を開始
そこで参考にしたのは、帝国ホテルの超一流理容室で使われていたアメリカトップメーカーのコーケン社のバーバーチェアーでした。
宝鋳造所第一号のイスが完成!!
平均価格の120円を大きく下回る50円で販売に踏み切りました。
しかし・・・売れない・・・。
鋳物工場が見様見真似で作った理容イス・・・そう簡単には売れませんでした。

吉川が足を運んだのは商売の神様「えべっさん」の今宮戎・・・
実際に座って体感してもらいます。
ショールームのような試みでした。
吉川のイスはえべっさんのイスと呼ばれるようになっていきます。

「枕の高さ、調節出来たら嬉しいんやけどなあ」

店主の意見を自ら現場で聞き込み、全国を売り歩きます。
主力商品となっていきます。

そして創業から34年、56歳になった吉川は決断・・・アメリカ進出です。

終戦から10年、やっと戦争の傷が癒されていた時期に・・・「国際貿易見本市」に理容イスを出展。
しかし、当時最先端だったアメリカの製品と比べ、品質が劣っていたためにトラブルが続出!!
アメリカとの技術の差に苦しみます。
そんなある日・・・ある理容店でイスの昇降に苦労する理容師を見かけます。
そしてあるアイデアが・・・世界初の製品・・・??
誰も開発したことのない、電動理容イスでした。
この発明で、アメリカのメーカーに挑みます!!

社運をかけて開発した電動理容イスは、異例の大ヒット!!

1969年、吉川は社名をタカラベルモントに改め、アメリカトップメーカー・コーケン社を吸収、一時はアメリカのシェアはほぼ100%に!!

70歳になった吉川は・・・「世話になった業界には恩返しを・・・」と、大阪万博でのパビリオン単独出展でした。
それは、無謀ともいえる挑戦でした。
大企業は出展しているものの、中小企業はたかラベルモントだけだったのです。
そんな吉川に惹かれ・・・黒川紀章がパビリオン設計を担当し、コシノジュンコがコスチュームを担当しました。
目標100万人のところ、300万人が来場!!出展は大成功に終わりました。

今も理容イス世界トップを走るタカラベルモント・・・図々しいほどのチャレンジ精神と行動力、なにわの商人吉川の物づくりの情熱は、創業100年経った今も脈々と受け継がれています。

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忍者文芸研究読本

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忍者の歴史はいまから600年前の南北朝時代。
激しい争いの中、情報収集・潜入活動などの技術が発達し、「忍び」という職業として成立しました。
以降、徳川家康、武田信玄、毛利元就・・・忍びを使わない武将はいませんでした。

しかし、本当の忍者は、私たちの想像とはかけ離れています。
戦闘のプロのイメージが強いですが・・・戦いません。
今でいうスパイのような存在で、敵と対峙することよりも、生きて情報を持ち帰るのが任務でした。
戦うのは最後の手段だったのです。

さらに手裏剣はウソ・・・十字型の手裏剣は欠点だらけです。
鉄製なので重すぎる・・・軽快な動きを必要とされる忍者には不向き!!
さらに、鉄は高価なものなので、勿体ない!!投げるのを躊躇。


kunai


普段携帯していたのはクナイ!!

穴を掘る、壁を上る際の足場、武器!!
汎用性があり、武器として携帯するには最適でした。



忍者の真実其の一
忍者は黒装束を着なかった
忍者と言えば、黒装束に身を包み、華麗に潜入!!というイメージが強いですが・・・
敵地で隠密行動するのに・・・忍者とわかる黒装束は目立ちすぎる!!
どうして忍者と言えば黒装束というイメージがついたのか・・・??
それは、歌舞伎!!
江戸時代、観客が一目で忍者と認識できるように衣装を黒装束にしたのが始まりです。
その名残から、忍者=黒装束というイメージがついたのです。
では、本当の忍者は・・・??
状況によって使い分けていました。
潜入先の住民や、風景になじむように変装していたのです。
町人から情報を聞き出すときは、町人・商人・お坊さん・山伏・・・。
潜入先の方言を話せるように訓練していました。

城や屋敷の中を覗きたいときには虚無僧・・・顔を見られることなく、偵察に適していました。
城や屋敷に潜入する時は、放下師、猿楽師に・・・大名に気に入られれば、屋敷に呼んでもらえ、重要な情報を集めることができました。
これらは、七方田とよばれ、忍者の基本の変装術でした。

忍者の真実其の二
忍者は将棋が強かった。
当時の庶民の娯楽は将棋でした。
知らない土地の人と仲良くなるためには、最高のコミュニケーションツールでした。
忍者は誰とでも相手ができるように、人並み以上の腕前を持っていたといいます。

忍者の真実其の三
そして・・・将棋には勝ってはいけません。
相手のことを操り、秘密を聞き出すうえで重要なことは・・・うつけ者を演じることでした。
かしこく振る舞うと、相手は気分を害して口を閉ざしてしまう・・・。
相手を気持ちよくさせることが大切なので、将棋でわざと負けることも多かったといいます。
情報を聞き出すために、忍者はプライドを捨てていたのです。

忍者の真実其の四
潜入には穴を掘る。
鍵縄を使って城や屋敷に潜入することは、見張りに見つかる危険性があります。
なので、潜入のためには、穴を掘ってトンネルを通す・・・完成までに数か月かかることもありました。
また、壁が木造ならば、塩水を吹きかけ少しづつ木を腐らせ穴をあけていました。

忍者の真実其の五
忍術は科学だ。
実在の忍者は、超能力を使えたわkではありません。
忍術とは科学の応用なのです。
忍者は、今でも専門家しか知らないような科学的知識を豊富に持っていました。
夜の山奥で道に迷ったら・・・方角を知るために、火を起こし・・・縫い針を使って方位磁石をつくりました。
熱残留磁化という仕組みで、縫い針と水だけで方角を特定していました。

火の扱いにもなれており、忍び松明は雨にぬれても消えにくい特殊な松明でした。
独自に火薬を調合します。それに利用するのは・・・糞尿と灰汁を煮込み、冷却して火薬(硝石)を作り出していました。

忍者の真実其の六
忍者はサバイバルの達人。
時に山中に身を隠すことの多かった忍者は、サバイバル術にも長けていて、自生する植物の種類を見極め、飢えをしのいでいました。
兵糧丸というもち米や砂糖を練って作った高カロリーの非常食も持っていました。
それだけでなく、梅干しと砂糖を元に作った非常食・水渇丸で・・・酸味と唾液を分泌させ、のどの渇きを癒したといいます。

忍者の真実其の七
くのいちは存在しなかった。
女性がいたという書物は残っていません。

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古くからの「当たり前」に隠された意外な真実とは・・・??

私たちの暮らしに溶け込んでいる礼儀や作法、習慣・・・古くから日本に続く伝統・・・。
「初詣」は、日本ならではの伝統です。
関東なら明治神宮、関西なら伏見稲荷大社が例年のTOPを走り続けています。
毎年同じ神社にお参りします。
わざわざ混む正月に・・・??
初詣のルーツは「恵方詣り」です。
室町時代には行われていましたが・・・
恵方詣りとは、正月に縁起のいい恵方にあるお寺や神社を参拝することでした。
恵方には4つの方角があり、毎年異なっていました。
どの神社も、恵方に当たるのは4年に一度、それに合わせて参拝者も行く神社を変えていました。
しかし、明治30年頃・・・ある男の思惑がこの伝統を覆します。
男の名は、立川勇次郎です。
彼は、鉄道事業に参入しようとしました。

「庶民にとって、汽車に乗ることは憧れとなっている・・・彼らを取り込もう!!」

明治5年に初めて鉄道が開業。
人々の注目を集めていました。
「そうだ!!恵方詣りと汽車を結び付けよう!!」

明治32年、川崎駅~川崎大師間、2キロの路線を開通します。
明治37年には品川まで延長。
川崎大師に遠方からの客も増え、参拝客が激増します。
恵方詣りをする人が激増したのです。
ところが・・・
「恵方詣りでは、4年に一度しか集客できない!!」
そこで・・・
「そうだ!!
 いっそのこと、初詣を!!」
初詣なら、恵方に関係なく参拝できます。
新しいシステムでした。
これが大当たりして、川崎大師には毎年多くの人が参るようになりました。
同じように、他の電鉄会社も「初詣」を打ち出し、沿線の神社を宣伝します。
いつしか、恵方詣りという伝統は消え、電鉄会社による「初詣」が新しい伝統となったのです。

平安神宮に隠された京都の意地

明治の初め、突然都が東京になってしまった・・・。
天皇陛下も東京へ・・・。
宮中御用達の老舗が次々と東京に拠点を移し、人口は激減!!経済は停滞!!

「このままやったら、京都も奈良みたいになってしまう・・・」
「大きな神宮を作って、この京都がほんまの都やっちゅうのを見せつけたりまひょ。」

明治28年平安遷都千百年記念祭が行われます。
この時、そのシンボルとして平安神宮を造ることになりました。
しかし、莫大なお金が要る・・・
国を頼らず、建築費をすべて寄付で捻出します。
平安神宮には、京都人の意地と底力が隠されているのです。


正座に隠された恐ろしい仕掛け

古来正座は、神仏を拝むときなど神聖な儀式のときに作法として行われていました。
平安時代の装束は、下半身は大きくゆっくりと作られています。
これは、正座ではなく、あぐらを組むことを前提に作られています。
日常の礼儀としては、あぐらが正式だったのです。

江戸時代初期、参勤交代が制定されました。
江戸城内の作法として正座を強要されることとなります。
将軍と対面する時、彼らに正座させることで、将軍を神格化し、忠誠心を植え付けたのです。
これが、新しい礼儀として拡散し、庶民へと普及したのです。


万歳に隠された明治政府の思惑

本来日本では正式な儀式では無言で行います。
しかし明治22年、大日本帝国憲法発布に併せ、明治天皇が観兵式に臨むことに・・・。
すると、啓礼だけでは物足りない・・・
外国のように歓喜の声を上げては??ということで、
「万歳、万歳、万々歳!!」ということになりました。
万歳とは、古くから長寿や末永い繁栄を意味していました。
明治天皇に向かって、初めて万歳三唱を行うこととなりましたが・・・
その大きな声に馬が驚いて立ち止まってしまいました。
なので、2回目の万歳は小声、万々歳は言えずに終わってしまいました。
以後、「万々歳」は省略され、「万歳だけ三唱」となったのです。


あぶらとり紙に隠された意外なルーツ

古くから舞妓や芸子が活躍する京都・・・
彼女たちの必需品の一つがあぶらとり紙です。
京都の伝統のお土産物と思われがちですが・・・
しかし、そこには意外なルーツが・・・。

大正から昭和にかけて、映画全盛期で、数多くの映画撮影が行われてきました。
しかし、フィルムの感度が悪い当時は、役者が大量のライトを浴びていました。
顔に油が浮いてしまう・・・。
そこで、テカリを何とかする為に、化粧品卸業・國枝茂夫が考えます。
試行錯誤の末に・・・和紙・・・金箔の裏打ち紙に目をつけます。
この紙は、顔の油をとってくれる上に、化粧が落ちません。
撮影所や舞台で重宝されていきます。
そして・・・「手帳型にしたら使いやすくなるかも??」
大正10年頃、手帳型に加工し、販売します。
たちまち映画関係者、舞妓・芸妓の間でも評判になります。

伝統には、様々な人々の思惑が隠されているのです。


海外の伝統にも不思議なルーツが・・・。

世界最大の領土のあるロシア・・・古くから音楽やバレエが盛んで舞台芸術の国といわれています。
マトリョーシカ・・・伝統的な入れ子人形として世界に知れ渡っています。
その誕生のきっかけは、19世紀後半。
ロシアの鉄道王を夫に持つマモントフ夫人には、悩みがありました。

「一体何を出店したらいいのかしら・・・??」

数年後に開かれるパリ万国博覧会・・・出店するロシアならではの民芸品を決めかねていました。
当時、ロシアでは急速に産業が進歩、しかし、イギリスやフランスから遅れているために、ロシアの文化をアピールする必要がありました。
そんな中、日本との友好を図るために来日し、箱根へ・・・。
その時入った土産物店で見つけました。

「この人形を、ロシア風にアレンジして頂戴。」

帰国し、お抱えの木工職人に言いました。
依頼を受けた木工職人は、試行錯誤の末・・・マトリョーシカを作ったのです。

ロシアの民芸品として出展されたマトリョーシカは、評判を呼び、銅賞を獲得し、ロシアの名産品として世界中に知られるようになったのです。
そのモデルとなったのが・・・入れ子の七福神人形だったのです。


世界屈指のリゾート地ハワイで・・・。
1885年サトウキビ畑の開拓で、日本人が移住。
約15年の間に、22万人が移住しました。
しかし、「3年で400万円稼げる」と、移民募集をしましたが、そかし、実態は人身売買に近く、賃金ももらえず着る者にも困る始末でした。
それでも勤勉で節約家の日本人・・・。
移住者のひとりでシャツの仕立て職人・宮本長太郎は・・・着物として用をなさなくなったものをシャツに仕立て直しました。
アロハシャツは、宮本が考案したもので、派手なデザインはもともと着物の柄だったのです。
これが口コミで広まり、1904年アロハ専門の店をオープン。
彼は、アロハシャツとして和柄のシャツを仕立てたのです。
観光客はもちろん、現地のハワイアンも購入。
アロハシャツは、ハワイの正装として認知されていきます。
世界中から愛され続けているアロハシャツは、日本人がルーツだったのです。

海外の伝統にも知られざる歴史と思惑が隠されているのです。

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