秘密の闇に隠されたお宝ロマン・・・現代に残された巨大な謎・・・それはナチス黄金列車でした。
2015年8月、ポーランド・ワルシャワにて・・・衝撃のニュースが発信されます。
「私が思うには、列車は99%埋まっています」byポーランド文化・国家遺産省・ジュコフスキ副大臣
ポーランドで地下に埋められた列車・・・
謎のナチス黄金列車発見か??
ヒトラーの秘密の黄金列車??!!
第二次世界大戦末期、黄金など300tの財宝を積んだ列車をナチスドイツがどこかに隠したのか??
その幻の列車の隠し場所は、戦後70年を経て判明したのか??

黄金列車発見か?となった発信地は、ポーランドのバウブジフ。
この町は、第二次世界大戦のさ中、ナチスの支配下にありました。
その頃に生まれ、語り継がれているのがナチスの黄金列車伝説です。

バウブジフを通る鉄道路線・・・線路わきの土手に・・・??
第二次世界大戦の終わりごろ、その辺りで列車を埋める作業に関わったとある老人が証言を残したのです。
その証言をもとに、レーダーなどで調査したところ、地中に列車のような反応を確認・・・
ここに、長さ100m級の列車が埋まっていると発表されたのです。

トレジャーハンターに聞いてみると・・・
レーダーで確認すると、自然の物体ではなく左右対称の人工のものが埋まっている・・・!!
その形は、第二次世界大戦の装甲列車が軍用列車のようにも見えました。
車両の大きさや、レーダー画像と一致するというのです。
ここに黄金や宝石など高価なものを載せていた可能性があるというのです。
100mもの列車をどのようにして埋めるのか??
現場には、元々トンネルが存在し、そこに列車を引き込んで、トンネルを爆破して丸々埋めてしまう!!
こんな大胆な隠蔽工作が、本当にあり得るのでしょうか?
ここから3㎞ほど離れたクションシュ城で、大工事が行われていました。

アドルフ・ヒトラー・・・自ら率いるナチ党を、ドイツ国家と一体化させ、独裁者として君臨。
ヨーロッパで領土拡大を重ね、第二次世界大戦を引き起こした張本人・・・
ナチス・ドイツは、このクションシュ城を第二次世界大戦中手に入れ、秘密基地として改修工事を行っていました。

城内のヒトラーの部屋から通じる秘密の扉・・・
その向こうに作られていたのは、専用のエレベーター・・・2基のエレベーターは、1944年に作られました。
完成すれば、地下50mまで降りることができました。
その地下には、巨大なトンネルが・・・現在残っているトンネルの長さは1km。
一説によると、ベルリンまで直通の専用列車を計画していたともいわれています。
これほどの大工事があったのなら、列車を丸ごと埋めたというのも信じられる・・・??

しかも財宝を満載した黄金列車・・・という伝説を裏付ける根拠がもう一つあります。
ナチスドイツがヨーロッパに作った巨大な鉄道網です。
ナチスドイツは、多数の物資を一度に運べる列車に注目・・・
1937年、鉄道を国家直営とし、あらゆる輸送を可能にしました。
大勢の兵士や武器を前線に送り届ける軍用列車、ヒトラー自身も専用の特別列車を作らせ動く司令本部としました。
莫大な金銀など財宝を運ぶ黄金列車が存在したのか??
ナチスの財宝は、ヨーロッパ各地で数多く隠されているという。
現代のポーランドで俄によみがえったナチス黄金列車と秘密の財宝伝説・・・その謎は・・・??

ナチスが略奪した財宝・・・
琥珀の間は、現在の価値で数百億円と言われ、財宝の中の財宝です。
ソビエトのエカチェリーナ宮殿に置かれていたものを、1941年ドイツ軍が略奪しました。
その後、空襲で燃え尽きてしまったが・・・密かに運び出され、人知れずどこかに眠っているという噂は絶えません。
そして、今でもヨーロッパでは、ナチスの財宝が発見され続けています。

2014年ドイツ北部のリューネブルク。
かつて岩塩の採掘で栄えた古い町並みの残る地方都市です。
ナチスの財宝を発見した人は、金属探知機で文化財の調査をしていました。
地元の考古学者から、古いお墓と思われる場所の調査をされたのです。
ある木の根元付近で金属探知機が反応・・・しかし、たいていは金属のゴミのことが多いのですが・・・
そこには1枚の見慣れない金貨がありました。
そして立て続けに9枚も・・・!!
翌日、役場の担当者、考古学者と調べてみると・・・2mほど掘り進んだところに・・・!!
金貨を集めるのに10日ほど・・・発掘されたのは19世紀から20世紀初頭にかけての古い金貨217枚!!
現在の価値にして550万円に当たります。
更に金貨入りの袋を閉じていたと思われるアルミ製の封印には、ナチスの鉤十字が!!
まさに、ナチスの財宝だったのです。

ナチスの財宝の多くは、1945年第二次世界大戦のドイツ敗北の頃に続々と発見されました。
チューリンゲン州メルカースの岩塩を採掘した穴には、金塊が8000個以上・・・全部で100tも隠されていました。
現在の価格でなんと5000億円!!
大量の指輪は、チューリンゲン州の強制収容所近くで発見されました。
囚人たちから奪ったものと思われます。
国家予算に匹敵するほどの隠し財産の多くは、ナチス・ドイツが略奪によって手に入れたものだとされています。
ナチスドイツが他国を占領した目的の一つは、その国が貯蓄している金を略奪することでした。
ドイツの利益のためというよりも、戦争を行う資金を調達するためです。
略奪と戦争・・・ヨーロッパ制圧の野望を実現する為に・・・!!

1939年9月1日、ドイツ軍は突然、隣国ポーランド侵攻。
第二次世界大戦がはじまりました。
周辺の国々を瞬く間に侵略する圧倒的な軍事力・・・
それを支えたのが、戦争を始める前から段階的に行ってきた略奪経済でした。
戦争開始の1年半前の1938年3月、ドイツは隣国オーストリアを外交圧力によって併合。
この時、オーストリアの国立銀行をドイツが吸収するという法令を出し、金1800億円をドイツへ!!
合法的にドイツの国家財産としました。
1939年にはチェコを保護領とすると、チェコ国立銀行の取締役を脅迫し、800億円相当の金をドイツへ譲渡させます。
こうして他国からの奪略を財源とし、第二次世界大戦を開始するや否や、占領したオランダ、ルクセンブルク、ベルギーからも金を略奪。
国家資産を1兆円以上も増やし、戦線を拡大させていきます。
略奪と戦争を一体化させた経済政策という恐ろしい国家運営を進めたのです。
更にナチス・ドイツは戦争の費用を生み出すために、個人・・・特定の民族から財産を略奪していきます。
狙われたのは、憎しみの対象となっていたユダヤ人でした。

1938年11月9日、11月ポグロム・・・
ドイツ全土で、ナチ党の党員や一般市民がユダヤ人に対し、暴動を起こしました。
数百ものユダヤ教教会堂に火が放たれ、7500ものユダヤ人商店が襲撃されるというすさまじいものでした。
これをナチ党の指導者たちは悪用します。
暴動の原因はユダヤ人側にあるとし、10億マルクの税金をユダヤ人社会全体に課しました。
依田屋人は全財産の25%を税金として納めよ!!
という法令まで発布!!
合法的な略奪を行っていきます。
新たな法律によって・・・
1938年11月 宝石美術品
1939年 2月 貴金属
1940年11月 カメラ、望遠鏡
1942年  1月 毛皮、ウール
貴重な財産をユダヤ人から奪い続けます。

ポーランドにあるアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所・・・ナチスドイツはこのような6カ所の強制収容所に財産を絞り尽したユダヤ人たちを送り込みます。
ここでは最後の略奪が行われました。
ユダヤ人の遺体から抜き取った金歯の山・・・金塊へと加工し、国家財産へ!!
ヨーロッパ隠されに隠され、伝説として私たちを引き付けるナチスの財宝は、こうして生み出されたものなのです。

ナチスドイツの略奪は、極めて合法的、組織的に行われました。
ナチスドイツの考え方としては、ユダヤ人の富は、ドイツ人に寄生して蓄えたと考えています。
だから、ユダヤ人からドイツ人が取り返すとなるのです。
当時はアーリア化と呼ばれ、ユダヤ人の土地・事業を売却し、所有権をドイツに移行していくのです。

問題なのは、国家的に特定の集団を収奪したことで、その手段は、税金・・・。
ユダヤ人に特別税を課し、いくら不法・不当であっても国家が課す以上払わないといけない仕組みになっています。払わなければ処罰されるのです。
合法的にユダヤ人の富を吸い上げることが可能となるのです。



財産税は持っている財産の25%・・・出国税25%・・・すべて吸い上げて身ぐるみをはいで海外に移住させる・・・強制収容所に送るシステムでした。

普通の法律は倫理的に正しいのですが、しかし、ここにおける合法的は、非倫理的な法律を作り、合法的な行為をして国家が行っていたのです。
アウシュビッツへドイツの国鉄で連れてくる場合、1キロ当たり4ペニヒ(約20円)を取っていました。
それが、当時の国鉄の収入の5割を占めていました。
平時の経済の中に「収奪」がシステムとして入っていたのです。
従順なユダヤ人は収奪を手伝わされました。
嫌だけど・・・やっている間は生きていられるかもしれない・・・極限の状態でした。

服従・・・「自分は不本意」の感覚がある
同調・・・やはり少し「不本意」の感覚がある
同一視・・・嫌なことを美に感じる

一般市民たちは、最初は「ユダヤ人気の毒」と思っていても、繰り返しているうちに「やっぱりユダヤ人は悪いし・・・」と変わって正当化されていくのです。

略奪によって集められた莫大な財宝を乗せてどこかにあるというナチス黄金列車伝説・・・
第二次世界大戦当時、実在した黄金列車がありました。
「ハンガリーの黄金列車」です。
50両の貨車に金塊や宝石類、財宝を積み込んで・・・その総額はおよそ3億ドル・・・なんと4700億円に当たるといいます。
しかし、その輝きとは逆に、ハンガリー黄金列車には、略奪の連鎖という人間の闇が隠されていたのです。

ハンガリー黄金列車の悲劇①
略奪されたユダヤ人の財宝
第二次世界大戦でハンガリーはドイツと共にソビエトと戦いました。
しかし、政治的にはドイツと距離を置いていました。
首都ブダペストの人口の1/5を超える16万7000人のユダヤ人は、経済活動に重要な役割を果たしていました。
そのため、ハンガリー政府は、ドイツからのユダヤ人引き渡し要請に協力を拒んでいたのです。
しかし、1944年1月、スターリン率いるソビエトは攻勢を開始すると、状態は一変!!
1944年3月、ハンガリーはソビエトへの寝返りを疑われ、ドイツによって軍事的に制圧されるのです。
ドイツの傀儡政権となった・・・ナチスの「略奪経済」を採用し、ユダヤ人財産の差し押さえを開始!!
従順なほどに提供するユダヤ人たち・・・「あとで戻す」・・・為政者が理不尽な略奪に人びとを従わせるカギがありました。
一連の法案の初期の段階では、財産の内容を報告することが義務づけられていました。
財産は管理され、戦争が終われば戻されるという印象を与えながら実際は押収・・・。
ユダヤ人も財産を手渡せば、これ以上のひどい目には遭わないと信じていました。
しかし、それは全くの幻想だったのです。

ナチスドイツの制圧からわずか4か月・・・およそ44万人のハンガリー系ユダヤ人はアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に移送・・・
今、理不尽な命令に従っておけば、あとで穏便に元の状態に戻れる・・・そう信じた人々にあとは来ませんでした。

持ち主の失われた莫大な宝石や貴金属・・・これら略奪品は、一旦ハンガリー政府に納められるものの、すぐに別の場所へ・・・。
その積み込まれた先は、黄金列車でした。

ハンガリー黄金列車の悲劇②
相次ぐ”略奪の連鎖”
1944年9月、ソビエト軍ハンガリーへ侵攻・・・首都ブダペストに近づいてきました。
ソビエト軍の略奪を恐れたハンガリー政府は、国家資産をドイツへ避難させ始めました。
工業製品など様々な国家資産を積んだ列車が次々とドイツに向かいます。
列車の便は1000本にも上りました。
そんな中、ハンガリー政府が秘密裏に用意した列車がありました。
ユダヤ人から略奪した財宝を非難させるための特別列車でした。
12月15日、金塊や宝石類、高価なじゅうたんなどの4700億円相当の財宝を積んだ48両の列車がブダペストを出発!!
その後、国境の町ブレンベルグバーニャに3か月停車。。。この停車中、財宝は仕訳けられ、周辺で略奪した財宝も運び込まれました。
ところがこの間に、戦争の状況は大きく進み、黄金列車は窮地に立たされます。
ソビエト軍はハンガリーの大部分を占領し、黄金列車に迫っていました。
一方西からはアメリカを中心とした連合軍が、ドイツ本国へ侵攻。
当初はドイツに逃げ込むはずだった黄金列車は、ヒトラーのアルプス要塞と噂されていたオーストリアのザルツブルク方面へと向かいます。
ところが・・・3月29日、最初の事件が起こります。
財宝のうち、仕訳けられたダイヤモンドや金などの高級品が多数持ち去られたのです。
持ち去ったのは、財宝の管理をしていたハンガリー憲兵隊のトルディ・アールバード大佐でした。
トルディ大佐は、自分が車で先行し、列車が進めるように段取りをつけてくると称し、なぜか40箱以上の財宝と共に姿を消したのです。
指揮官自らが財宝を持ちだしたのを皮切りに、黄金列車は人々の欲望を引き寄せるかのように略奪の危機にさらされます。
軍隊の襲撃・・・しかも味方であるはずのドイツ軍の兵でした。
一体どうして・・・??
1945年4月16日、ベルリン総攻撃!!
5月2日、ソビエト軍に攻め込まれ、遂に陥落!!
略奪経済で人々を従え、ヨーロッパを戦火に巻き込んだアドルフ・ヒトラーも4月30日に自殺!!
5月10日、国家の後ろ盾を失ったドイツ兵は、黄金列車へと群がったのです。
さらに・・・国破れ敗北者となって彷徨う列車には、民間人や鉄道員までが財宝に殺到!!
ユダヤ人から略奪した財宝は、略奪される側へと転落!!
その忌まわしい略奪の連鎖は、数十年後の現在まで影響を及ぼしていき、予想しない事態に発展していきます。

ハンガリー黄金列車の悲劇③
現代まで残る略奪の傷
1945年5月、ドイツ敗北!!
混乱の時代、ユダヤ人から略奪した財宝を乗せ国外脱出しながらも逆に略奪の的として狙われたハンガリー黄金列車・・・窮地に立たされた指揮官たちの苦渋の選択は・・・アメリカ軍への幸福でした。
ソビエト軍や敗残ドイツ兵に略奪されることよりも、アメリカ軍に平和的に保護を求めることで、ルールにのっとった管理下に置かれる道を選びました。
1945年5月11日、ハンガリー黄金列車はアメリカ軍が接収・・・財宝も連合国軍の管理下に入りました。
ところが・・・略奪の連鎖は止まりません。
アメリカ軍兵士たちが財宝を私物化!!
最後まで奪略を免れた財宝は、アメリカ駐留軍の推定によれば推定1990億円・・・
半分以上の財宝が消えていたのです。
それから50年近く・・・1998年アメリカ連邦議会で、ユダヤ人が奪われた財産の行方を調査する「ホロコースト資産委員会法」が制定。
これによってアメリカ合衆国第42代大統領ビル・クリントンを中心とする大統領諮問委員会が芸術や文化財、金融資産の分野で調査を開始。
ハンガリーの黄金列車も調査対象となり、アメリカ兵による略奪について報告がなされました。
「米軍の高官は、自分たちの個人的用途のために黄金列車から財産を盗み、さらにその財産は、陸軍取引所を通して売られました。
 黄金列車から財産が盗まれたことを示す明らかな証拠も存在します。」
アメリカ政府は、自国平氏の50年以上前の略奪、犯罪行為を認めたのです。
この後、アメリカに住むハンガリー系ユダヤ人からの集団訴訟に・・・アメリカ政府は2550万ドルを支払い、和解しました。
アメリカ政府は、略奪された被害者とその相続人に対する社会福祉のための基金設立に2550万ドルにあてられました。
しかし、「あとで戻す」という国家の偽りの言葉によって略奪された宝石、指輪、貴金属などの大切な宝物が、元の持ち主にかえることはありませんでした。

戦場で、勝った側が負けた側のものを持ち帰る・・・これは常にあり得ることです。
たとえ横領したとしても、そんなに悪いことをしているという感覚はないのです。
非常に短いタイムラグで課題をこなすことを繰り返していると、人間は思考が浅くなります。
なので、想像する心の動きが戦争によって失われていくのです。
「どうしてそんなことができるのか?」
そんな現代の日本の私たちの感覚・・・それは深い思考ができる状態で、静かな中で考えるからできることなのです。
戦争になったら論理は変わってしまうのです。
圧倒的多数が死亡している・・・その死亡した人の財産はどうするのか?
個人に返しようもないのです。

人から物を奪う略奪、そしてその略奪の連鎖・・・
戦争は、人が人を殺す以上のことがあります。
それは、人間が歴史の中に作り上げてきた「規範」を破壊する・・・人間の存在価値である規範、人間性が気付かないうちに破壊されることが怖いのです。
ホロコーストは、史上最大の強盗殺人・・・600万人という人間が死んでいます。
その背後では、物凄い額の財産が奪われていて、それについては討論してきていません。
もちろん、物より命の方が大切なのですが、物を失うこと・・・それは、そのもの自体の価値を越えた何かを失うこと・・・家族の思い出、歴史という付加価値が奪われているのです。
付加価値は対価がなく、奪われた人はお金を返してもらってもそれは同じではないのです。
ナチスの略奪は、たくさんのものを破壊しました。

財を奪うことが人間の根底、心理面も破壊し、命だけではなく、奥ある付加価値も奪う・・・その闇の部分が垣間見ることができます。
しかし、その「闇」は、人間みんなが持っているものなのです。

ポーランドの黄金列車は結局どうなったのでしょう?
2015年に世間をにぎわせたポーランドのナチスの黄金列車発見騒動・・・
地元大学の研究チームが地中を調査した結果、
「トンネルはあったとしても、そこに鉄製の構造物はないでしょう」
期待された100m級の列車は存在しない??という結果となりました。
列車のようなレーダー画像は、現場の上を通る電線の影響か??と指摘されました。
2016年とレジャーハンターが現場を掘ってみると・・・古い鉄道のレールを発見!!
隣の線路の廃材らしい・・・最終的に6mのところまでショベルカーで掘り、財宝を積んだ列車は発見されませんでした。
再び伝説の彼方へ消えた黄金列車・・・そのまばゆい輝きに心がひきつけられるとき、欲望の闇は私たちを争いへと引きずり込むのです。


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