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江戸時代、隠れキリシタンを見つけるために、行われていた踏絵。。。
このキリシタン禁制は、家康以来の大法として外国人にも適用されました。
実際、江戸時代初めに、外国人宣教師たちが棄教を迫られ拷問されたり、殉教したりもしています。
しかし、これはもちろん外交問題に発展しかねません。
外国人が崇拝するものを侮辱するのですから。。。
そこで、出島のオランダ館・館長ドンケル・クルチウスが、長崎奉行・川崎対馬守に踏絵の廃止を勧告。対馬守もこの案に賛成し、幕府もそれに同意しました。
そこで・・・1858年1月・・・日米修好通商条約の結ばれる頃に、長崎奉行管内で廃止されました。
230年目のことでした。
しかし・・・長崎以外では残っていて、日米修好通商条約の条約議定の会議でハリスが問題にしています。
結局、日本全国から消えたのは、宗門改めが廃止となった1871年のことです。
太政官布告で、キリシタン禁制が正式に解除されたのは、その2年後のことです。
では・・・踏絵そのものはどうなったのでしょうか?
長崎県に引き継がれ、1874年に教部省に。
事務移管に伴って、内務省の博物館へ。
その後・・・1947年文部省管轄の東京国立博物館へ。。。
その地下倉庫に眠っているようです。
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