戦争の20世紀
第2次世界大戦中、連合国としてともに戦ったアメリカとソ連。。。
戦後処理や復興政策の違いで対立していくようになります。
ソ連は、ナチスドイツから解放された東ドイツで勢力を広め、東欧諸国はソ連の指導下で社会主義圏を形成。
これに対し、イギリスの首相チャーチルは、“鉄のカーテン”が下されているとソ連を非難します。それと共に、アメリカも対立していきます。
第2次世界大戦中の連合国の異質な存在だった大国ソ連。
ソ連・・・ソビエト社会主義共和国連邦です。
1917年のロシア革命により誕生したソビエト政権を経て、1922年に成立しました。
ソ連が力をつけていく中で、自由主義の代表となってきたアメリカが、経済的にも軍事的にも対抗していくようになります。
宇宙競争をはじめ、あらゆる面で対立していくようになります。
冷たい戦争=冷戦と呼ばれています。
帝国主義のような支配下に置いて植民地化にする(市場と原料を求める)領土を広げることではなく、経済・イデオロギー・・・すべてにおいて違うお互いへの危機感が、“小国が大国によって分断されてしまう”・・・という構図を招くのです。
第2次世界大戦から4年後の1949年NATO(北大西洋条約機構:アメリカを中心とする反ソ軍事同盟)結成。
その6年後、1955年には、ワルシャワ条約機構(ソ連と東欧諸国の8か国による軍事同盟)結成。
世界は、アメリカを中心とする資本主義国家とソ連を中心とする社会主義国家に二分されるようになります。
静かに睨みあうアメリカとソ連・・・
そこで起こったのは・・・朝鮮戦争。
第2次世界大戦後の朝鮮半島は、38度線で南北に分け、ソ連とアメリカが占領。
3年後の1948年にアメリカ占領地域で大韓民国成立。(大統領:李承晩)
同じく1948年にソ連占領地域に朝鮮民主主義人民共和国(首相:金日成)が成立します。
朝鮮は、もともと1910年に日本の植民地となりました。
太平洋戦争が終わり日本の支配が無くなり・・・朝鮮半島をどうするのか?
というときに・・・話し合いの結果、朝鮮を独立国家にすることが決まっていましたが・・・
敗戦間直の1945年8月8日に日ソ中立条約を破り、ソ連が対日参戦します。
満州国・朝鮮に侵攻しました。
1945年2月ヤルタ協定で米・ソ・英の間で密約されたことです。
朝鮮をどんどんソ連が制圧していく・・・これにあせったアメリカは、二つに分けて統治しよう・・・将来的には一つに・・・。
話し合いをしても決着はつかずに、それぞれの主義をもった国が登場してしまいました。
数年後・・・アメリカもソ連も撤退し・・・
半島統一の為に戦い北朝鮮・金日成に対し、ソ連のスターリンは・・・
アメリカとの戦争を危惧して許可しません。
しかし1950年・・・ついに許可をします。
なぜスターリンは北朝鮮の韓国侵攻を許したのか?
①ソ連が核開発に成功
②1949年中華人民共和国成立
③1950年アチソン演説(アメリカ不介入)
1950年、アメリカのアチソン国務長官が行った演説で・・・
アチソン・ライン(不後退防衛線)というのを示します。
これは日本やフィリピンを含むアメリカが責任を持つ郡司防衛ラインのことです。
そこに朝鮮半島は含まれていなかったのです。
必ずしもアメリカの朝鮮戦闘介入を否定したものではなかったのですが・・・
1950年6月北朝鮮が韓国に侵攻。
その数日後、アメリカが参戦。
予想外のことが起こった北朝鮮・・・
アメリカは国連を利用して、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・トルコ・・・国連軍を構成します。
実際はアメリカ軍が主体でしたが・・・。
中国は、人民解放軍を使ってまたもや南下してきます。
丁度38度線で膠着状態になってしまいました。
大国の思惑によって民族が分断された瞬間でした。
同じ民族同士が血を流し・・・今もまだ国が・・・民族が分断されています。
これは、世界大戦につながる可能性がありました。
マッカーサーは、満州地域を空襲しようとか、原爆を落とそう・・・と、提案していましたが・・・トルーマン大統領は、38度線を守れればいいのでは???
と、意見が相違し、マッカーサーは解任されました。
この時アメリカが攻撃していれば、第3次世界大戦が勃発していたかもしれません。
ベトナム戦争は・・・
ベトナムは、フランスや日本に1945年まで占領されていましたが・・・
1945年9月2日革命家ホー=チ=ミンが、ベトナム民主共和国建国を宣言。
しかし、フランスが戻ってきます。
南部の肥沃な地域が欲しかったようです。
傀儡政権を南政権に作ります。
しかし、インドシナ戦争に負けることとなるフランス。
ベトナム撤退などを定めた条約を・・・
1954年ジュネーブ休戦協定が結ばれます。
統一国家をつくっていこうとなっていましたが、これをアメリカが容認しませんでした。
もし南ベトナムを含むベトナム全土が共産主義になってしまったら???
カンボジア・ラオス・・・他の国々が、共産主義になってしまうことを恐れたのです。
フランスに勝利をおさめながらも、北緯17度で南北に分断・・・
ベトナム戦争はどのようにして始まったのでしょうか?
アメリカは、もともと支援だけ・・・
北ベトナムが南へ南へと・・・進んできたので、なし崩しに始まってしまいました。
始まったのはいつか分からない・・・というのがベトナム戦争の特徴ですが、1965年に北爆し、本格的な軍事介入が始まりました。
アメリカが南ベトナムを支援し、北ベトナムの爆撃を開始・・・北ベトナムにはソ連と中国がつき、南北の争いは激化していきます。
どんどんアメリカ兵、韓国兵・・・
共産主義化を防ごうとします。
ジャングルを丸裸に!!
枯葉剤をまいて・・・泥沼の戦争を始めます。
勝ったのは、北ベトナム・・・
アメリカは撤退し、北ベトナムの政府が誕生します。
アメリカは、大量の兵を投入しながら、敗れることになったのです。
大国の思惑で始まった戦争でしたが、そこには新しい形の戦いが・・・
ベトナムの民族自決・・・独立戦争でもあり、大国・アメリカとも戦っていく!!
アメリカ・日本でも反戦運動が起き、アメリカ・ソ連・中国などの大国の思惑も外れたものになっていきます。
当時の社会では、社会主義・・・共産主義化・・・などを持っていたソ連と、自由主義のアメリカ・・・今では考えられないイデオロギーの戦いがそこにはありました。
なぜ冷戦下で戦争が起きたのか?
戦争とは、大国の思惑によって引き起こされます。
大国が大きく変わらなければ、これからも連鎖していく・・・
その連鎖はなかなか止めることは出来ません。
20世紀は、大国の思惑と、戦争を支持した民衆の悲劇の時代でした。
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戦後処理や復興政策の違いで対立していくようになります。
ソ連は、ナチスドイツから解放された東ドイツで勢力を広め、東欧諸国はソ連の指導下で社会主義圏を形成。
これに対し、イギリスの首相チャーチルは、“鉄のカーテン”が下されているとソ連を非難します。それと共に、アメリカも対立していきます。
第2次世界大戦中の連合国の異質な存在だった大国ソ連。
ソ連・・・ソビエト社会主義共和国連邦です。
1917年のロシア革命により誕生したソビエト政権を経て、1922年に成立しました。
ソ連が力をつけていく中で、自由主義の代表となってきたアメリカが、経済的にも軍事的にも対抗していくようになります。
宇宙競争をはじめ、あらゆる面で対立していくようになります。
冷たい戦争=冷戦と呼ばれています。
帝国主義のような支配下に置いて植民地化にする(市場と原料を求める)領土を広げることではなく、経済・イデオロギー・・・すべてにおいて違うお互いへの危機感が、“小国が大国によって分断されてしまう”・・・という構図を招くのです。
第2次世界大戦から4年後の1949年NATO(北大西洋条約機構:アメリカを中心とする反ソ軍事同盟)結成。
その6年後、1955年には、ワルシャワ条約機構(ソ連と東欧諸国の8か国による軍事同盟)結成。
世界は、アメリカを中心とする資本主義国家とソ連を中心とする社会主義国家に二分されるようになります。
静かに睨みあうアメリカとソ連・・・
そこで起こったのは・・・朝鮮戦争。
第2次世界大戦後の朝鮮半島は、38度線で南北に分け、ソ連とアメリカが占領。
3年後の1948年にアメリカ占領地域で大韓民国成立。(大統領:李承晩)
同じく1948年にソ連占領地域に朝鮮民主主義人民共和国(首相:金日成)が成立します。
朝鮮は、もともと1910年に日本の植民地となりました。
太平洋戦争が終わり日本の支配が無くなり・・・朝鮮半島をどうするのか?
というときに・・・話し合いの結果、朝鮮を独立国家にすることが決まっていましたが・・・
敗戦間直の1945年8月8日に日ソ中立条約を破り、ソ連が対日参戦します。
満州国・朝鮮に侵攻しました。
1945年2月ヤルタ協定で米・ソ・英の間で密約されたことです。
朝鮮をどんどんソ連が制圧していく・・・これにあせったアメリカは、二つに分けて統治しよう・・・将来的には一つに・・・。
話し合いをしても決着はつかずに、それぞれの主義をもった国が登場してしまいました。
数年後・・・アメリカもソ連も撤退し・・・
半島統一の為に戦い北朝鮮・金日成に対し、ソ連のスターリンは・・・
アメリカとの戦争を危惧して許可しません。
しかし1950年・・・ついに許可をします。
なぜスターリンは北朝鮮の韓国侵攻を許したのか?
①ソ連が核開発に成功
②1949年中華人民共和国成立
③1950年アチソン演説(アメリカ不介入)
1950年、アメリカのアチソン国務長官が行った演説で・・・
アチソン・ライン(不後退防衛線)というのを示します。
これは日本やフィリピンを含むアメリカが責任を持つ郡司防衛ラインのことです。
そこに朝鮮半島は含まれていなかったのです。
必ずしもアメリカの朝鮮戦闘介入を否定したものではなかったのですが・・・
1950年6月北朝鮮が韓国に侵攻。
その数日後、アメリカが参戦。
予想外のことが起こった北朝鮮・・・
アメリカは国連を利用して、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・トルコ・・・国連軍を構成します。
実際はアメリカ軍が主体でしたが・・・。
中国は、人民解放軍を使ってまたもや南下してきます。
丁度38度線で膠着状態になってしまいました。
大国の思惑によって民族が分断された瞬間でした。
同じ民族同士が血を流し・・・今もまだ国が・・・民族が分断されています。
これは、世界大戦につながる可能性がありました。
マッカーサーは、満州地域を空襲しようとか、原爆を落とそう・・・と、提案していましたが・・・トルーマン大統領は、38度線を守れればいいのでは???
と、意見が相違し、マッカーサーは解任されました。
この時アメリカが攻撃していれば、第3次世界大戦が勃発していたかもしれません。
ベトナム戦争は・・・
ベトナムは、フランスや日本に1945年まで占領されていましたが・・・
1945年9月2日革命家ホー=チ=ミンが、ベトナム民主共和国建国を宣言。
しかし、フランスが戻ってきます。
南部の肥沃な地域が欲しかったようです。
傀儡政権を南政権に作ります。
しかし、インドシナ戦争に負けることとなるフランス。
ベトナム撤退などを定めた条約を・・・
1954年ジュネーブ休戦協定が結ばれます。
統一国家をつくっていこうとなっていましたが、これをアメリカが容認しませんでした。
もし南ベトナムを含むベトナム全土が共産主義になってしまったら???
カンボジア・ラオス・・・他の国々が、共産主義になってしまうことを恐れたのです。
フランスに勝利をおさめながらも、北緯17度で南北に分断・・・
ベトナム戦争はどのようにして始まったのでしょうか?
アメリカは、もともと支援だけ・・・
北ベトナムが南へ南へと・・・進んできたので、なし崩しに始まってしまいました。
始まったのはいつか分からない・・・というのがベトナム戦争の特徴ですが、1965年に北爆し、本格的な軍事介入が始まりました。
アメリカが南ベトナムを支援し、北ベトナムの爆撃を開始・・・北ベトナムにはソ連と中国がつき、南北の争いは激化していきます。
どんどんアメリカ兵、韓国兵・・・
共産主義化を防ごうとします。
ジャングルを丸裸に!!
枯葉剤をまいて・・・泥沼の戦争を始めます。
勝ったのは、北ベトナム・・・
アメリカは撤退し、北ベトナムの政府が誕生します。
アメリカは、大量の兵を投入しながら、敗れることになったのです。
大国の思惑で始まった戦争でしたが、そこには新しい形の戦いが・・・
ベトナムの民族自決・・・独立戦争でもあり、大国・アメリカとも戦っていく!!
アメリカ・日本でも反戦運動が起き、アメリカ・ソ連・中国などの大国の思惑も外れたものになっていきます。
当時の社会では、社会主義・・・共産主義化・・・などを持っていたソ連と、自由主義のアメリカ・・・今では考えられないイデオロギーの戦いがそこにはありました。
なぜ冷戦下で戦争が起きたのか?
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大国が大きく変わらなければ、これからも連鎖していく・・・
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