青いジャケットを着たかわいいうさぎ・・・
国や世代を越えて愛されているピーターラビット。
その絵本は、世界110か国以上で読まれ、シリーズ全体で2億5000万部が出版されています。
作者は絵本作家のビアトリクス・ポター。
ヘビやカエルを愛するちょっと変わった動物マニアのお嬢様でした。
世界中で愛読されているピーターラビットの本が、世界で最初に翻訳されたのが日本・・・1906年のことでした。
イギリスで初版が出てからわずか4年後、「悪戯な小兎」という題で雑誌に乗りました。
ピーターはペター、マグレガーさんは杢平爺でした。

どうしてポターはピーターラビットを描いたのでしょうか?
1866年ロンドンで生まれたポター。
当時のイギリスは、世界に植民地を持つ大英帝国・・・冨も文化も絶頂期をむかえていました。
父・ルパートは弁護士・・・巨万の富を築いた商人の家に生まれました。
新興の富裕層であるポター家は、貴族や名家の仲間入りをしようと人脈作りに忙しく・・・
母・ヘレンは上昇志向が強く、ポター家のルーツである商人さえも見下していました。
当時の金持ちの常として・・・ビアトリクスの世話は乳母任せ、学校には通わせず家庭教師に勉強を教えさせました。
母は、娘を上流階級の一員にしようと徹底的に躾をします。

母の写真は決して笑うことがなく、常に不機嫌で険しい表情をしています。
母親はポターに常に付き添い、何かしたい場合事前に言わなければなりませんでした。
日記や手紙から、母親とポターが上手くいっていなかったことは明らかでした。

そんなポターの楽しみは、夏のバカンスでした。
ロンドンを離れ、ポター家の故郷スコットランドの田舎で3か月過ごす・・・
19世紀のイギリス・・・スコットランドには古くから妖精伝説があり、乳母から神秘的な話を聞いて育ったポター。
森や草原に妖精を探しに行ったといいます。
ポターに書いた日記に残っています。
自分だけがわかる暗号で書いた秘密の日記・・・
「森には妖精たちが住んでいた
 丘の向こうから大きな月が昇ってくる
 すると妖精たちが現れて、滑らかな芝草の上で踊り始める」
ポターはいつしか絵筆を取り、虫や野の花を描くようになります。
さらに田舎でつかまえたネズミやトカゲをロンドンに連れ帰り育てるように・・・それは自分だけの動物園でした。
トカゲにヘビ、コウモリにハリネズミ、そしてピーターラビットのモデルのウサギ・・・
愛し方も一風変わっていて、買っていた動物が死ぬと鍋で煮て骨格を取り出してスケッチ・・・それぞれの骨に番号をうち保存しました。
そんなポターにとって、親の期待は苦痛以外の何ものでもありませんでした。
上流階級の男性と結婚し、ポター家の地位が上がることを夢見ていた両親・・・
年頃になると、父はポターを社交界に連れていきます。

「ハイヒールを履いてレストランで食事をし、不自然なぐらいウエストを絞っている女の人たちは、なぜずっと大騒ぎしていられるのだろう?
 お茶会も晩餐会も嫌い・・・この先もずっとこうなのかしら」

しかし、19歳の時、彼女の運命は大きく変わります。
現在ではリュウマチ熱と推定される病気にかかり、自慢だった髪を失いました。
髪の毛を失ったショックは大きく・・・しかし、

「私は赤い鼻と短く刈った頭で満足すべきなのだ
 孤独かも知れないが、不幸な結婚よりはまし」

病気のために、結婚には不向きとされ・・・大きくなったポターが情熱を注いだのがキノコ。
16歳のころからバカンスで訪れていた湖水地方で、キノコのスケッチをするようになります。
イギリス北西部に広がる湖水地方では、ローマ時代から羊の牧畜が行われていました。
人と自然が理想的な形で共存する地域は、ロンドンの富裕層には人気の保養地でした。
ポターは野山でキノコを採り、細かいひだの一つ一つまでスケッチ・・・キノコの生態を観察します。
ポターはきのこ研究にのめり込み、素人ながら栽培の難しい奉仕を育てることに成功。
誰も為し得なかったこの研究を発表したい・・・
1885年、29歳の時、ポターはロンドンにある植物研究のキュー王立植物園を訪ねます。
ところが・・・見知らぬ素人のしかも女性の研究など、まともに話を聞いてくれません。
ポターは研究を論文にし、博物学の権威・リンネ協会で発表したいと願い出でます。
しかし当時、女性は学会に出席することさえ許されていませんでした。
それどころかポターの論文は、研究に全く関わらなかった男性から発表され、学者への夢を絶たれてしまいました。
あまりにもひどい仕打ちでした。

「キノコの研究以外に、何を楽しみに生きていけっていうの・・・??
 動物と絵・・・絵描きとして生きて行けたら素敵・・・!!」

この時、子供のころに勉強を教えてくれたアニー・ムーアがポターにアドバイスします。

「私の子供たちに書いた絵手紙を元に本を作ったらどう?」

ポターは、親しいアニーの子供たちに、多くの絵手紙を書いていました。
中でも息子のノエルが病気で長く伏せっていた時に書いたウサギの物語を思い出します。
主人公のウサギは、当時ポターが実際に飼っていたウサギ・・・ピーター・パイパーです。

「親愛なるノエル君へ・・・
 あなたにどんな手紙を書いてよいのかわからないので、4匹の小ウサギのお話をしましょう
 名前はフロプシーとモプシーとカトンテールとそれからピーターです」

イーターラビットは、3匹の妹ウサギのお兄ちゃん・・・
お母さんに止められていたにもかかわらず、お父さんが肉のパイにされてしまったマグレガーさんの畑に出かけました。
野菜を食べていると、案の定、マグレガーさんに見つかってしまいます。
必死に逃げるピーター・・・走る途中で靴は脱げ、ジャケットも網に引っかかり脱げてしまいました。
なんとか逃げ帰ったピーター・・・畑に置き去りにしたジャケットと靴は、マグレガーさんの畑の案山子として吊るされることとなりました。

自分を食べる人間から必死に逃げる話・・・
親の束縛から自由になりたい・・・というポターの強い気持ちが伺えます。
与えられたものを置き去って、新しい場所へという強い意志が伺えます。
親の敷いたレールには乗りたくないし、恋愛にも向いていない・・・
ピーターの絵本を書けば素敵なことが起こるかも・・・??

ピーターラビットの話を書き、絵本作家の道を歩み始めたポター・・・。
最大の障害は、母・ヘレンでした。
上流階級らしい振る舞いを求める母は、どこに行くにも使用人を同行させ、ポターを厳しく監視。
そんな中、どうしてデビュー作をヒットさせることができたのでしょうか?



この頃、イギリスでは絵本を富の象徴と言わんばかりに大型で豪華な高い絵本が流行していました。
しかし、ポターが出版社に持ち込んだサンプルは子供が自分で読むための手のひらサイズ・・・
こんな本は売れないと取り合ってくれません。
こうなったら自費で出すしかない・・・
本の挿絵やクリスマスカードで作った貯金を使い、250部が完成。
予算がないので絵は白黒でした。
これが目の肥えた文化人たちに受けます。
本を買った人にはコナン・ドイルもいたといいます。
その人気に目をつけたフレデリック・ウォーン社がポターの本を出したいと申し出ました。
担当の編集者は、ノーマン・ウォーン・・・ポターの2歳年下で、背の高い好青年でした。
しかし、出版に関しては意見が対立・・・
ノーマンは白黒の絵本は地味で売れない・・・すべての絵をカラーにと主張します。
しかしポターは、
「良質のカラー印刷にはお金がかかります。
 それに絵の大部分はウサギの茶色と(木や畑の)緑色です。
 だかたカラーにしても、面白みはありません。」
ノーマンは引き下がりません。
「ベストセラーにするためには、カラーでないといけません。
 挿絵を減らせば、コストは下げられます。」
ポターは、結局3つの条件と引き換えに、ノーマンの条件に従います。
①手のひらサイズの本
②子どもの小遣いで買える値段
③挿絵の色彩には妥協しない

ノーマンはポターの条件を忠実に、誠実に守ります。
ポターは、自分の意見を尊重してくれる男性に初めて出会ったのです。
絵本が完成するに近づいで、二人の間に信頼が・・・
ポターは使用人の動向付ではあるものの、ノーマンの家を度々訪れています。
ノーマンの家族はポターの家族と違い、兄弟もおいやめいもたくさんいて・・・
たくさんの人がいてにぎやかで、パーティーがあって・・・ノーマンはおいやめいたちから好かれていました。
二人がしばしば家族の輪の中にいたことは確かです。

自分の家とは違う温かな家庭・・・
ポターはノーマンにますます惹かれていきました。

1902年「ピーターラビットのおはなし」が世に出ます。
たちまち大人気を博し、諸藩の8000部が予約だけで完売!!
1年後には5万部を突破しました。
動物のしぐさなどのリアリティが・・・ポターの書いた挿絵が子供達にも受けた原因でした。
病気の男の子を励ますために書いた一匹のうさぎ・・・それが、ポター自身に生きる勇気を与えたのでした。

ピーターラビットの大成功で、次々と絵本を出すポター。
「りすのナトキンのおはなし」・・・37歳
「グロースターの仕立て屋」・・・37歳
「ベンジャミン バニーのおはなし」・・・38歳
どの本も大人気でした。
世間知らずのポターを、公私ともに支えるノーマン。
「2ひきのわるいねずみのおはなし」(38歳)では・・・
ポターは自分の絵の参考にしようとノーマンが姪のために造ったドールハウスを見にいこうとしました。
しかし、二人の関係を快く思わない母・ヘレンはポターの外出を禁じます。
そこでノーマンはソールハウスの写真をポターに送り、本の完成を助けます。

ポターは以外にも商売のセンスを発揮します。
動物のぬいぐるみも自ら作り特許を取っています。
そこにもノーマンが力を尽くしたといいます。
さらにピーターラビットのボードゲームやティーセットも販売・・・キャラクタービジネスをしました。
二人は毎日のように手紙のやり取りをします。
いつしかポターは、ノーマンと恋に落ちていました。

絵本作家として大成功を収めたポター・・・
しかし、彼女は44歳でロンドンを離れ湖水地方に・・・

ピーターラビットの出版から3年後の1905年・・・ポターはついにノーマンから手紙で結婚を申し込まれます。
こちらはその時ノーマンにポターが送った絵です。

pota-













うさぎたちがひくかぼちゃの馬車で、まるでシンデレラのように王子様のまつお城へ・・・
二人で作り上げたピーターラビットがポターに幸せの魔法をかけてくれた・・・

しかし、両親はこの結婚に猛反対!!
上級階級と結婚させたい両親は、一介の編集者との結婚を許せませんでした。
それまで反発はしても親の言うことを聞いていたポターは・・・
この時ばかりは断固結婚するといいます。
激しく抵抗する娘を見た両親は・・・
婚約はお互いの家族だけの秘密という条件で二人の婚約を認めます。
そして、ポターをバカンスに連れ出してノーマンから引き離すのです。
頭を冷やさせようとします・・・それに従うポター。

「少し急ぎすぎたのかもしれません。
 でも、最後には上手くいくと信じています。」

ところが、婚約から1か月後・・・婚約者ノーマンが急性白血病に・・・ポターが見舞いに訪れる間もなく、急にこの世を去りました。

「ノーマンは亡くなりました。
 私は間に合いませんでした。
 でもそれでよかったのです。
 私はただ泣くばかりで、彼の心をかき乱すだけだったに違いないから」

ノーマンの形見となった婚約指輪を、ポターはずっと身につけていました。
両親がノーマンとの婚約を公にすることを認めなかったので、ポターには自分の不幸な状況を語れる相手がほとんどいませんでした。
愛する人と結婚するという未来が無くなり、これからの人生がどうなるかわかりませんでした。

しかし、ポターはなき恋人を思うだけの人生は送りたくありませんでした。

「私は来年、新たなスタートに挑まなければなりません」

1905年11月、ポターは絵本の印税と叔母の遺産をつぎ込んで、湖水地方にあるヒルトップ農場を購入します。
主にそこで暮らそうと決心します。
両親は田舎暮らしに大反対!!
しかし、ロンドンから定期的に湖水地方を訪問するということで、計画を認めさせます。
この農場でポターは、家を改築したり、増築したり、庭を作り直したりと、多くの時間を過ごすことができました。

ポターはここで新作も手掛けます。
「パイがふたつあったおはなし」
「こねこのトムのおはなし」
湖水地方の美しい風景がふんだんに使われた絵本は、さらにファンを増やしていきます。
絵本の印税が入るたびに、敷地を増やしていきます。
そんな時頼りにしたのが、5歳年下の地元の弁護士ウィリアム・ヒーリスでした。
二人は不動産の売買を通じて知り合って、気の合う友人になりました。
その関係は、ノーマンとの関係に似ていました。
最初は仕事上のつながりから、お互いの尊敬が生れ、友情に変わり、興味を分かち合うようになったのです。

二人で湖水地方を飽きることなく散歩し、愛を育みました。
時にはヒーリスに連れられて地元のレスリング大会に出ることも・・・
農場に来てから6年後の1912年、46歳の時にヒーリスからプロポーズされます。

「かつて私が婚約した人は死んでしまいました。
 だからこそ幸せになりたいのです。
 また不幸な目に合うとは信じたくありません。」

ところがまたもや両親が大反対!!
「編集者の次は、田舎の弁護士なんて・・・」
「私たちの面倒は誰が見るんだ!!」
80歳の父と73歳の母・・・ロンドンを離れたくない二人は、ポターを理解しようとはしませんでした。

「厄介なことだらけでした。
 両親はくだらないことにこだわって、長いことヒーリスさんが家に来るのを許しませんでした。
 良心の反対は、私たちの絆を強くしただけなのに・・・」

結局、両親の反対を押し切って・・・1913年、47歳で結婚。
この頃作った絵本「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」は、ぶたのカップルのお話。
農場から市場に向かうピグリン・ブランドは、途中で人間に捕まってそこで黒豚のピグウィグと出会います。
2匹はベーコンにされようとしていました。
そこで二人は逃げ出して、丘の向こうのはるかな国へ行くのです。

親が決めた予想される人生は嫌だったのです。
結婚を機に、本格的に湖水地方で生活したポター・・・47歳にして新しい生活の始まりました。

ヒルトップ農場の傍で、ヒーリスとの新婚生活を始めたポター・・・
ところが1年後に母が亡くなると、母は近くに移り住んできました。
にもかかわらず、ロンドンを懐かしみ生活に馴染めなかった母・・・年を取ると益々意固地な性格に・・・。
ポターが母のために雇った使用人を1日でくびにしたこともありました。

母と違い、全くロンドンに未練のなかったポターは「まちねずみジョニーのおはなし」(52歳)を書いています。
田舎育ちのネズミ・チミ―は、街のネズミ・ジョニーと友達に・・・
チミ―は田舎では食べられない御馳走でもてなされます。
しかし、チミ―は故郷が恋しくなって田舎に戻っていまいました。
すると今度はジョニーがチミ―に会いにやってきました。
しかしジョニーは田舎暮らしに退屈し、都会に戻ってしまいます。
物語の最後をこう締めくくっています。

あるひとはあるばしょがすきで、またべつなひとはべつなばしょがすきです。
わたしがどうかといいますと、チミ―とおなじようにいなかにすむほうがすきです。
と。

この本を出して以降、ポターはあまり絵本を描かなくなっていきます。
代わりに増えたのが土にまみれ羊やガチョウたちと暮らす時間です。

「私は今、消えた親羊と子羊を男の子と大騒ぎしながら2時間も探して帰ってきたところです。
 現実に生きている動物の世話をしていると、どうも本に書かれた動物がつまらないものに思えてきます。」

特に力を入れたのがヒツジの飼育です。
湖水地方原産の頭の白いハードウィック種です。
かつてこの地の羊毛産業を支えていました。
しかし、羊毛に代わって化学繊維が登場し、ハードウィックは激減します。
ポターはローマ時代から湖水地方の風土を作り上げてきたこの羊を絶やしてはいけないと考えたのです。
この頃、ポターの愛する湖水地方に開発の危機が迫っていました。
北部の工業都市に住む人々の休暇のために、開発するのにうってつけだったのです。
ポターが湖水地方に移り住む前、45歳の時のこと・・・
ある日、湖に大きな音が響き渡りました。
ロンドンの金持ちが乗ってくる水上飛行機でした。
飛行機はひっきりなしにやってきて・・・飛行機工場の計画まで・・・!!

「まるで1千万匹のギンバエが一斉にうなっているようなうるささです。
 静かなウィンダミア湖がメチャクチャよ。」

ポターは、計画中止の嘆願書を作成し、地元で署名運動を大々的に始めました。
その甲斐あって、工場建設は中止となりました。

ポターは、農場や土地を買い足すために、印税を費やします。

「湖水地方が俗悪になるのを防ぐため、私はよくやっていると思います。
 真の教育が進んで行けば、自然の美しさの価値が認められるようになるでしょう。
 でもそれが遅すぎれば、取り返しのつかないことになります。」

1932年、ポターが66歳の時、彼女の人生を縛り続けた母が亡くなります。
93歳の最後まで、ヘレンはポターと仲たがいしていました。

「母は頭の素晴らしく明晰な人だった。
 が・・・亡くなって私はほっとしている。」

70歳の声をきく頃には、体力が衰え風邪をひくこともしばしば・・・

「私は年を取ることを少しも不快に思っていません。
 たとえ床にふせっていても、目に浮かべることができます。
 老いた自分の足ではもう二度と行けない高原やデコボコ道、足元の悪いぬかるも、ワタスゲなどを一歩一歩(心の中で)たどって行けるということです。」

1943年12月22日・・・ビアトリクス・ポターは、77歳でこの世を去りました。
遺骨はポターの愛した湖水地方に散骨されました。
散骨を行った羊飼いが散骨を行った場所を語らずに亡くなったので、その場所は今の謎のままです。
東京ドーム370個分に相当する4300エーカーの広大な土地と16の農場は、ポターの遺言により自然保護団体ナショナル・トラストに寄贈されました。

ポターが亡くなって75年・・・湖水地方は、今も昔のままの美しい自然を守っています。

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