新島襄の手紙 (岩波文庫)

新品価格
¥945から
(2013/12/4 17:22時点)

1888年・・・もう、明治も21年になっています。の1月・・・。
翌年に憲法発布を前に・・・伊藤博文は草案作りに熱心に取り組んでいました。

yae












そして・・・この政治的難局に、相反する大隈重信を迎えました。
不平等条約の改正に向けて・・・


山本家は母・みねを失った平馬を養子に迎えていました。

yae2












子供がひとりいるだけで大騒ぎ・・・。
佐久は若返ったように。。。賑やかな毎日でした。
いや~、やっぱり当時は跡取りがいさえすればよかったの???みたいな展開です。。。
結構嫁に対してシビアあなんですよね・・・山本家。。。
嫁として言おう!!
「誰が痛い思いして産んだと思ってるねん!!」と。。。

が、この年の元旦に襄は心臓の発作で倒れていました。
なのに、仕事で頑張る、頑張る!!
来年の憲法発布に向けて、人材を育てるために大学設立に向けて頑張ります。

徳富蘆峰の雑誌「国民之友」。
そこに、福沢諭吉と並べて新島襄が語ってあり・・・恐縮する襄。。。
こう書いてありました。
「二君は実に、明治年間教育の二大主義を代表する日となれば、すなわち、物質的知識の教育は福沢君によって代表せられ、精神的道徳の教育は新島君によって代表せらる」と。。。

そう、東に慶応義塾の福沢あり、西に同志社の新島あり!!なのです。


大学創設の為に東京で募金集会をする機会があるという・・・提案する徳富蘆峰。。。
しかし、襄は病み上がりでした。。。
反対をする八重。。。
襄が無理をしないように、一緒に東京に行くことになりました。

温かくなってきた6月になって、東京にやって来ました。
東京帝国大学の山川健次郎を訪ねます。

「あの角場は・・・私が物理の道に進んだ出発点でした。。。」by山川健次郎

大隈重信邸で・・・
人々に寄付の参加を呼びかけます。
あ・・・岩崎弥之助がいる。。。
財閥・・・有力者たちは、襄の演説を聞いて・・・援助をかってでてくれます。
その金額は・・・現在の金額で億を超えていました。

その懇親会で・・・襄の体調は悪化していきます。。。

勝海舟のもとを訪ねた2人。。。
あ・・・今、政府に残っている人たちは小物揃い・・・と、勝海舟は言っとります。。。
それは本当だったという人もたくさんいますよね。
初代総理大臣の伊藤博文も???という人もいますが、山県有朋に至ってはだそうです。。。

勝海舟から、「国民之友」を使って募金を集めるべきだ。。。と、提案されます。
鎌倉で静養したあと、京都に帰ってきた八重と襄。。。って、本当に行っていたのかしら?八重。。。
お母さんのお世話の為に残ったんじゃないの???

そして、その京都では・・・
主治医に襄の余命を聞かされる八重・・・。

「次に発作が起きたら、破れるかもしれん・・・」と。。。

「私にはやることがあるんです。
 その日が近いなら、準備をしなければならない。。。
 怖いのは死ぬことではない。。。
 覚悟も決めず、支度もできぬままに、突然命を絶たれることです。。。」

という襄に、心を打ち明ける八重。。。

「命は、主の御手に委ねてあります。
 恐れることはない。。。」

yae3












襄の原稿をもとに、蘆峰が仕上げた大学設立の旨意は、「国民之友」をはじめ、全国20余りの新聞に掲載され、大きな反響を呼びました。

ますます仕事が増える襄。。。

身体が思うように動かない襄。。。
もどかしさが!!!

「やはり、間に合わないのか・・・???
 あともう少し!!もう少しで大学に手が届くのに・・・!!

 何一つ、たやすく出来たことはない。。。
 邪魔され、罵られ。。。
 全ては主のおぼしめしだと思えば試練も喜びに代えられた!!
 でも、耐えられない!!

yae4












 こんな所で・・・こんな所で死ぬなんて・・・!!!
 主はなぜもう少し、時を与えて下さらないのだ!!!
 死が私に追いついてしまう!!!」

あ~なんだか辛いですね。。。
”死が私に追いついてしまう!!”
切ないというか、哀しいというか。。。

「私がやらなければならないのです!!」

何がそんなに襄を駆り立てるのでしょう・・・???

「最後の一日まで、共に戦ってください・・・!!!」

強く、強く、教育の為に生きることを誓う襄なのでした。


1889年2月11日・・・
やっと大日本帝国憲法の発布式が行われました。。。
人民の声が、国を動かす日がやってきたのです。

yae5













そして襄もまた・・・
関東へと資金集めの旅にでるのでした。

最近の八重さん、あんまり活躍していませんがどうでしょう?
もともと男勝りで、おだてて男を持ち上げるような”あげまん”タイプじゃないですよね。
戦いの中でこそ光る八重・・・っていうのも、カッコいいですが、平和な時代には必要ないしなあ。。。
とも、思っちゃうのです。

そこで思い出したのが、少し前の大河ドラマ”江”です。
饅頭食って、子供産んで、お菓子食って、子供産んで、頓珍漢な事言って、子供産んで・・・みたいなの。。。
ガッツリ働いて、カッコいい女の人。。。なかなかいないのかも知れませんね。。。
となると、”鹿鳴館の華”であり、前妻の子を含めた8人の子どもを育て、夫婦仲もとっても良かった”良妻賢母”の大山捨松の方が、公私に渡って魅力的だったかも???

でも・・・次の次の大河は、松陰の妹です。
オタクの私でさえ、”久坂玄瑞の妻”ということしか知りません。。。
男尊女卑かも知れないけれど、やっぱり主役は男の人の方がいいと思うんです。
やっと今、男女同権ぐらいですからね。。。
きっと、女性のやることには制限がたくさんあったでしょうから・・・。
卑弥呼や持統天皇ぐらいまで遡らないとな~、って、マイナーもダメか???

あ~ 真田幸村、やってくんないかなあ・・・

帝国憲法はこうして誕生した ~明治・夢と希望と国家ビジョン~はこちら

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。

にほんブログ村

幕末・明治(日本史) ブログランキングへ

わが若き日―決死の日本脱出記

新品価格
¥1,470から
(2013/12/4 17:25時点)