20世紀最大の発見・・・兵馬俑。
そのすべての始まりは、一人の農民の鍬の一振りでした。

長い戦乱の世を一代で終わらせ、統一王朝を築いた秦の始皇帝。
その死後も仕える軍隊として作られたのが兵馬俑です。
威厳にあふれる将軍、武器を構える兵士、洗車をひく馬・・・始皇帝の軍隊を忠実に再現しています。
驚くべきことに、一人一人顔が違います。

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しかし、ここ兵馬俑・・・2000年間は土の中にいました。
そのまま埋まっていてもおかしくはない・・・。

1974年3月29日、中国中央部の荒れ地で、一人の村人が振り下ろした鍬が、偶然兵馬俑に当たります。
それからあれよあれよと・・・8000体の兵馬俑が現れました。
始皇帝の大軍団が、2000年の時の彼方から蘇りました。
今世紀最大の発見といわれる巨大遺跡でいた。

第一発見者・・・楊志発
最初に兵馬俑を掘り出したことで数奇な運命に翻弄されます。

中国中部陝西省の大平原・・・
都会から遠く離れた地で兵馬俑は見つかりました。
今や兵馬俑のおかげで見事に発見した村に、その男はいました。
楊志発・・・現在は自宅の一角で小さな記念館を開いています。
入場は無料で、話しも聞けます。

一本の鍬が、兵馬俑に当たった瞬間から、彼の人生は一変しました。
1974年、楊志発36歳・・・兵馬俑の発見は、いくつもの偶然が重なった結果でした。
楊の住む西楊村から1.5キロのところに始皇帝陵がありました。
しかし、当時の楊たちにとっては今日の暮らしの方が問題でした。
当時、中国はみんなで作ったものをみんなで分ける・・・共産主義体制が敷かれて25年目・・・
農村では食料は役所を通じて村人に均等に配給されていました。
しかし、どれだけもらえるかは、その村の収入次第・・・。
楊の村は、度々干ばつで、農作物がほとんどとれませんでした。
井戸は枯れ、どこを掘っても水は出ない・・・楊は家族を抱えて途方に暮れていました。
水よ・・・出てくれ・・・!!荒れ地を鍬で掘り続けます。

1974年3月29日・・・運命の日もそうでした。
村はずれのくぼ地・・・必死に4mぐらい掘った時・・・鍬がズボッと入り、抜けなくなりました。
土を払うと・・・そこには壺が・・・??
壺ではなく、それは神様の像・・・??
土の中から顔も出て・・・本物の人間のようでした。
最初の兵馬俑は、こうして姿を現しました。
掘り当てたいのは水・・・しかし、出てくるのは焼き物ばかり・・・。
楊は考えます。
始皇帝陵の近くで・・・大事なものなのでは・・・??
この日見つかっただけで、リヤカー3台分・・・地元の役人の元へと持ち込みます。

面倒と思っていた役人・・・陶俑ではないか??と気づきます。

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身分の高い人の墓に納められた陶器の人形・・・陶俑。
楊は、この時初めて自分が発見したものの価値を知りました。

役人は・・・
「手間賃はくれてやる
 とっとと井戸掘りにもどれ」と、30元をくれました。
当時の日本円でおよそ4,200円で、当時は現金は村人全員で分ける必要があり・・・楊の手元に残ったのは、0.13元・・・およそ20円でした。
農民の財産は集団のもので、個人の物はなく、方針に従わなければ食料ももらえませんでした。

あの掘り出し物はどうなるのか・・・??
井戸を掘り続けます。

役人は役人で困り果てていました。
妙な掘り出し物をどうするのか・・・??
国の法律もない・・・。
無かったことにしよう・・・役人は、倉庫の奥深くに兵馬俑を隠しました。
まだ残り、8000体もあるとは夢にも思わず・・・。

そしてそのまま3か月、事態は一転します。
きっかけは、北京の政府内で出回った密告文書でした。

従来の陶俑とは全く異なった等身大のものが見つかった・・・
地元の役人は、これに妥当の措置をしていません。

隠したつもりでも、情報は漏れていました。
密告を受けて政府が出した命令は・・・
「速やかに妥当な措置をとれ」でした。
妥当な措置とは・・・??
あいまいな命令でしたが、噂を聞いて楊は役所に駆けつけました。
発掘を手伝うつもりでした。
しかし、学者先生が発掘することに・・・。
発見したにもかかわらず、兵馬俑の外に追い出されてしまった楊・・・
その後、20年もの間遺跡に近づこうとはしませんでした。

所詮農民だから・・・と。

兵馬俑発見者の存在は忘れられました。
しかし、20年後、彼の立場は一変します。

すみやかに妥当な措置をとれ・・・に正面方立ち向かったのは、兵馬俑の初代発掘責任者・考古学者・袁仲一です。
最初に頼まれたときは、10日あれば終わると考えていました。
しかし、40年も兵馬俑に関わることとなります。
袁に託された任務は、ただの発掘ではありませんでした。
当時、中国では文化大革命(1966~1976)の嵐が吹き荒れていました。
名だたる歴史遺産が、次々と破壊されていた時代・・・兵馬俑は壊されていてもおかしくはありませんでした。

文化大革命・・・それは、当時の中国全土を吹き荒れた破壊と粛清の嵐でした。
新しい文化を生み出すスローガンのもと、古くからの歴史遺産が容赦なく破壊されていきました。
其れに抗う者たちは、反体制分子として厳しく処罰されました。
破壊を止めることは誰にもできない・・・。

折角見つかった兵馬俑も、このままでは・・・!!
そうなる前に、ピンチを救ったのは・・・袁仲一でした。
権力のプレッシャーと、学者としての使命・・・その狭間で戦います。

発掘隊のメンバーには、
「危険な時代だから一歩間違えば刑務所に行くかもしれない・・・でも、私たちで兵馬俑を守り抜こう!!
 たとえ逮捕されようとも、歴史の犯罪者にだけはなってはならない!!」そう決めていました。

悲壮な決意で発掘に臨んでいた袁仲一。
文化大革命の中、ギリギリの戦いが始まりました。

陝西省西安・・・この町で20代から考古学者の道を歩んでいた袁。
31歳の時、文化大革命が起きました。
毛主席の本を読み、毛主席の言葉を聞き、毛主席の指示に従おう・・・
毛沢東と違う考えを解く者たちは、自己批判を迫られさらし者に・・・
その敵意は、歴史自体にも向けられ、由緒ある仏像でも破壊される・・・!!
古い価値は否定しろ・・・!!考古学者には最低の時代でした。

文化大革命によって貴重なものが壊されました。
しかし、それを口に出すことは許されませんでした。
そんな袁が、運命を変える一報を受けたのは、1974年7月!!

兵馬俑発見から4か月後のことでした。
すみやかに妥当な措置をとれ・・・!!という命令でした。
破壊せよ・・・??
とにかく物を見て見よう・・・と、村を訪れます。
すると・・・ゴミ捨て場に陶俑の手が転がっていました。
兵士の胴体が植木鉢に・・・子供が腕でチャンバラを・・・!!
最初に発見した人は役所に届けていましたが、かなりの数の村人がこっそりと掘り返していました。

役所の倉庫に眠っていた兵馬俑も日の目を見ます。
陶俑は、秦より後の時代にも作られていますが、2、30cm・・・大きくても60cmほどしかありません。
兵馬俑は実物大・・・!!誰も見たことのない大きさでした。
遺跡の広さは想像をはるかに超えていました。
そこまで言っても終わらない・・・兵馬俑1号抗の大きさは1万4000㎡・・・世界でも1、2を争う規模の地下遺跡で、中身はぎっしり・・・!!
考古学者全員が大興奮でした。
大大大発見だったのです!!
どう措置する・・・??
絶対に守り抜く!!どうやって文化大革命の破壊を免れる・・・??

この時代でも壊されなかったもの・・・それは、万里の長城です。
どうして壊されなかったのか・・・??それは、秦の始皇帝が築いたものだったからです。
当時、始皇帝は特別な存在でした。
毛沢東が礼賛していたのです。
その理由は焚書坑儒。
始皇帝が儒教の学者を土に埋め、書物を焼き払ったという故事です。
毛沢東も、古い思想を否定する点では同じ・・・!!
この時代、始皇帝の行いはいいこととされ、彼の残したものは例外的に破壊を免れました。
兵馬俑が始皇帝のものだとわかれば・・・!!
始皇帝陵の近くで発見されたことから予感がありましたが・・・
与えられた発掘期間はわずか1年・・・なんども延長を訴えます。
遺跡の規模はとてつもなく大きい・・・途絶えることなく出てくる・・・
しかし、当局の決定は変わりませんでした。
始皇帝に関わるものを・・・??
いよいよ危険を感じ始めた1975年4月・・・
機嫌まで3か月を切ったある日の事・・・
兵馬俑が持っていた武器に、作らせた人物の名が書かれていました。
相邦の呂不韋・・・兵馬俑は焼き物ですが、武器は本物を持っていました。
その一つに明記されていたのです。
相邦とは、秦の国の政治のTOPに当たる存在、呂不韋とは始皇帝の若き日に相邦を務め、歴史書にも登場する人物です。

遂に、兵馬俑が始皇帝と結びつきました。
呂不韋は始皇帝と縁が深い人物です。
これで兵馬俑を守れる・・・!!

袁が突き付けた100点満点の回答・・・誰もが納得する妥当な措置でした。
これには毛沢東も大喜び。
1975年7月12日、始皇帝の遺跡、兵馬俑が発見されたという第一報が世界に向けて発信されました。
すると、全部掘り出せ、早く掘り出せと要求の嵐・・・
それをはねつける袁・・・10年でも20年でも待ってもらう・・・と。
袁は、発掘と修復が終わるまで、遺跡を考古学者の管理に置き、政治の介入を拒みました。

文化大革命という混乱の中、孤軍奮闘した袁・・・しかし、一つだけできなかったことがあります。
写真の公開です。
中国政府は詳細な情報は国家機密として写真は一切公表しませんでした。
闇に葬られる・・・??

ジャーナリスト、オードリー・トッピング・・・兵馬俑の価値を世界に知らしめた女性です。
兵馬俑は世界の宝へと変身していきます。
兵馬俑の運命を変えたオードリー・トッピングは、今、アメリカに住んでいます。
中国とのつながりは深く、先祖は19世紀の末から中国でキリスト教の布教をしていた宣教師でした。
中国=怖いというイメージが世界で広がっていた中で、何度も中国を取材し、人々の生の声を使えることを使命としてきたトッピング・・・1975年、兵馬俑を訪れたときも、もともとは別の取材を進めていました。
父の中国訪問を記事・・・父が周恩来などと面会するという記事・・・にするつもりでした。
父・チェスター・ロニングは、カナダの外交官でした。
イギリスのエリザベス女王や、インドのネルー首相などとも親しく交流した世界的な有名人物でした。
父の特別待遇を利用して中国を訪れることができたトッピング・・・
周恩来、鄧小平らとの会談を取材中に、思いがけないニュースを知ります。
北京で新聞を見ていたら、兵馬俑発見の記事が・・・
政治家の記事よりもこちらの記事を・・・!!
予定を切り上げ、すぐに遺跡へ・・・!!

発掘現場に向かおうとしたとき、役人が立ちはだかります。
兵馬俑遺跡を訪ねてきた欧米人など初めて・・・しかもカメラを持っている・・・。
ウソ泣きをして連れて行ってもらう・・・
「カメラはダメです!!」
しかし、予備のカメラを持っていました。
足を踏み入れた発掘現場・・・一目で圧倒されます。
いにしえの戦場が目の前に広がっていました。
こんな素晴らしい遺跡を目にしたら・・・ジャーナリストのすることはただ一つ!!
覚悟を決めてカメラで写真を撮りたい・・・!!
同行していた娘を囮に使います。
質問をしてメモを取り続け、役人の目を母からそらします。
その隙に撮った写真・・・撮れたのはごくわずかで、ピントもくるって使えません・・・。
滞在時間2時間・・・写真は撮れないまま、現場を後にします。
折角の取材をニューヨークタイムズに・・・!!
現場を見たものでしか書けない臨場感・・・!!
詳細に書かれたその記事・・・しかし、写真はないのでインパクトはありませんでした。
書きたいことは山ほどある・・・!!

考古学会で一番権威のあるナショナルジオグラフィックに売り込みます。
しかし、読者は写真なしでは許してくれませんよ!!
現場に行ったのに、どうして写真がないのか・・・??
世界中の人は、見たこともない写真を待っている。
どうやって写真を手に入れる・・・??

中国の秘密ルートを使いました。
発掘現場の誰かから写真を横流ししてもらいました。
トッピングが写真を入手たのは1976年の秋・・・同じころ、中国は激変を迎えていました。
1976年9月9日・・・毛沢東死去。
これを機に、文化大革命は収束に向かいます。
1年半後・・・もう誰も危害が及ばない・・・
1978年4月、ナショナルジオグラフィック誌・・・オードリー・トッピングは写真を掲載します。
世界はこの時初めて兵馬俑を見ます。
兵馬俑は今や世界の宝となりました。
この記事が、兵馬俑の価値を世界中に伝えたのです。
トッピングの記事の翌年・・・兵馬俑博物館がオープン!!
初日から外国人が殺到します。
1984年、たっての希望で兵馬俑を訪れたのはアメリカ合衆国レーガン大統領でした。
それからも相次いだビップに、中国政府も写真撮影を黙認・・・
1987年にはユネスコの世界遺産に登録され、名実ともに世界の宝となりました。
もう・・・兵馬俑を破壊しようと思う者もいない・・・!!

この記事によって、ようやく一人の男が見出されます。
忘れ去られていた第一発見者の農民・・・楊志発。
トッピングの記事を読んだ外国人が、楊のもとを訪ねてくるようになります。
聞かれるまま秘話を話していた楊・・・本をだすと瞬く間に8か国語に翻訳されます。
1994年6月、役所から「外国人に話をしたり、サインをするなら博物館の中でやってほしい」と頼まれます。
楊は20年ぶりに兵馬俑の近くに。。。
6月26日、兵馬俑博物館でサイン会開始・・・大行列となります。
アメリカ大統領クリントンもその一人です。
不遇だった兵馬俑の発見者は、外からの評価によって報われます。

誰一人かけても世界に知られることはなかった奇跡の遺跡兵馬俑・・・
2000年の眠りから掘り出したのはひとりの農民でした。
兵馬俑発見の直後にとった3歳の息子との写真が宝物です。
息子に話します。
「父さん、なんかすごいものを見つけてさ・・・」
息子に自慢ができてうれしかった。
それだけで十分だ・・・。


一本の鍬によって2000年の歴史から蘇った兵馬俑・・・
その瞳は、愚かで愛すべき人の営みを、これからも見つめ続けるのです。


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