我が目的・・・優れし者の理想郷・・・
600万人のユダヤ人を殺害し、20万人以上の障害者を殺害・・・
ナチス・ドイツ・・・その陰には、ナチスの政策に協力した数多くの科学者がいました。
残虐行為の重要人物でありながら、未だほとんど知られていない科学者がいます。
人類遺伝学者オトマール・フォン・フェアシュアー。
優秀な人間だけのユートピアを目指す化学・・・優生学を絶対視した男でした。

「病人と障害者は不妊手術すべきである」

フェアシュアーが作成した極秘文書が見つかりました。
そこに記された断種の文字・・・
障害者への強制的な不妊手術、断種がナチスの大虐殺の始まりでした。
フェアシュアーは、ナチスが目指したユダヤ人根絶に貢献しました。
しかし、フェアシュアーは、その罪に問われることなく、戦後は科学界のTOPとして君臨し続けました。
謎に包まれた科学者・・・命に優劣をつけた男は、いかにしてナチスを支えたのか??

古代ギリシャ世界で最強とされたスパルタの戦士たち・・・
スパルタでは、新生児が長老によって選別され、完全に健康で強い子供だけが、生きることを許されたといいます。
選ばれし優れた者だけのユートピア・・・
それは天国・・・それとも地獄なのか・・・??

2015年1月27日、ナチス・ドイツによる大量虐殺の象徴アウシュビッツ・・・
開放から70年を迎え、収容所跡では、追悼式典で祈りに包まれました。
ナチス・ドイツは、ユダヤ人だけでなく、障害者も殺害しました。犠牲者は600万人以上にのぼります。
こうした虐殺は、ドイツ最高の頭脳を誇る多くの医師や科学者の関与によって実現したものでした。

ヒトラーの主治医カール・ブラント・・・障害者を安楽死させる計画を立案、遂行・・・
精神医学者カール・シュナイダー・・・人体実験で、精神疾患の患者を殺害、解剖を繰り返しました。
アウシュビッツの医師ヨーゼフ・メンゲレ・・・収容された人々の標本を作り、死の天使と恐れられました。
さらに、近年の調査によって、これまで知られていなかった大物科学者の存在が浮かび上がってきました。

人類遺伝学者オトマール・フォン・フェアシュアーです。
戦後、大学教授として要職を歴任し、ドイツの学会トップとして君臨し続けた人物です。
2001年、かつてフェアシュアーが所長を務めた研究機関は、フェアシュアーが犯罪行為に手を染めていたことを認めました。
多くの学生や研究者から慕われていた穏やかな教授・・・
その男が、ナチスによる大量虐殺を科学者として後押ししていたというのです。

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ベルリン市内から4時間・・・ドイツ中央部に位置するゾルツ・・・
1896年、フェアシュアーはこの村を代々領地としてきた貴族の家に生まれました。
幼いころから自然科学に強い関心を抱いていたフェアシュアーは、
1919年、マールブルク大学で医学を学びます。(23歳)
そこで出会い、夢中になったのが、当時最先端の科学・優生学でした。

優生学・・・それは、19世紀から20世紀にかけて生物学の目覚ましい発展と共に誕生した新しい学問でした。
その基礎となったのは、ダーウィンの「種の起源」でした。
進化論・・・生物は、生存競争と自然淘汰によって進化を遂げてきたというものです。
さらにメンデルが、遺伝の法則を発見・・・この遺伝学が進化論と結びついて、優生学を推し進めます。
遺伝的に優れた者を残し、劣るものを取り除いて人為的に淘汰を行う・・・
そうすることで、人類の進歩を促し、よりよい社会・ユートピアの建設を目指す・・・それが、優生学です。

優生学は、当時世界中でブームでした。
優生学のテーマは、民族全体の健康を守ることでした。
病気や障害が高い確率で遺伝するのであれば、いかにして予防できるか・・・
つまり、”遺伝によって病気や障害が広まる事”をどうやって防ぐか・・・??
それが重要だったのです。

目の前の患者だけでなく、民族全体を救うことが出来る・・・
フェアシュアーは、優生学に取りつかれます。
卒業したフェアシュアーは、1923年、大学の附属病院に勤務・・・遺伝生物学の研究を開始します。
そこで、優生学の研究対象として目をつけたのが、双子でした。
一卵性双生児は、同一の遺伝子を持ち、二卵性双生児は半分ほどの遺伝子を共有している・・・
一卵性と二卵性の双生児を統計的に比較することで、人間的に外見や体質に遺伝がどの程度関与しているのかがわかると考えました。

例えば、ある病気に二人ともかかる割合が一卵性双生児の方が高い場合、その病気のかかりやすさに遺伝が関わっていると考えられます。
フェアシュアーが調査したのは、当時死の病と恐れられていた結核でした。
結核は、感染しても発症する人としない人がいる・・・ここに遺伝的な影響があるのではないか??
一卵性と二卵性・・・併せて127組の双生児を調査します。
双生児が二人とも結核を発症する確率は、一卵性が二卵性に比べて45%高いという結果になりました。
フェアシュアーは、「結核の発症には、遺伝的な性質が相当な重要性を持つ」と結論付けました。
このフェアシュアーの結論は、間違ってはいなかったと最新の研究で解明されつつあります。
遺伝学者たちは、彼の研究を高く評価しました。
フェアシュアーは、遺伝に関する研究者として国際的に認められ、地位を確立しました。
フェアシュアーは、この研究の成果を優生学の分野で応用するべきだと主張しました。

「結核から民族を救うために、優生学を取り入れ、患者は不妊手術を行うべきである」byフェアシュアー

男性は輸精管、女性は輸卵管を切除するのが不妊手術です。
優生学では、これを断種と呼びました。
優生学の観点からすると、望まれない遺伝子を持った人間の生殖によって、特定の病気や障害が子孫へ受け継がれることを防がなければならなかったのです。

1931年・・・フェアシュアーは、障害者に対しても断種を行うべきだと主張・・・

「生涯がある子供を身籠る可能性があるならば、キリスト教的慈愛精神によって不妊手術、つまり断種を行うべきである」byフェアシュアー

キリスト教では許されないはずの不妊手術を正当化しました。
フェアシュアーは、断種を行わない方が、残酷なことだと考えました。
重い病気や、障害のある人々が増え続けると、ドイツ民族の負担は大きくなる・・・
多くのドイツ民族を救うために、小さな犠牲は仕方のないことだと考えたのです。

この頃、第1次世界大戦の敗北の痛手からようやく立ち直りかけたドイツを、世界恐慌が襲いました。
失業者は600万人にも及び、国民の生活は困窮を極めました。
ドイツの財政は、危機的状況に陥りました。

最大の人口を抱えるプロイセン州政府は、歳出削減の策を検討するため、フェアシュアーら科学者を招集しました。

「フェアシュアー教授は、非常に慎重であり、その計算によるとドイツにおける障碍者の数は20万人以上にも上ります
 障害者のためにさかれる支出を健常な人々のために役立てるべきではないか・・・」

プロイセン州政府は、フェアシュアーのデータをもとに、障害者の不妊手術を・・・断種法案を策定します。
そこにはこう書かれています。

”本人の同意があれば不妊手術を認める”

しかし、当時、国の法律では不妊手術は禁じられていました。
そのため、州独自の断種法は実現には至りませんでした。

1933年、事態は一変・・・フェアシュアーの救世主となる男が現れました。
アドルフ・ヒトラーです。
この年、ヒトラー率いるナチスが政権を掌握しました。
優生学に共感したヒトラーは、
「肉体的にも精神的にも不健康で無価値な人間は、子孫の体にその苦悩を引き継がせてはならない」と主張。
”遺伝病の子孫を予防する法律”・・・断種法を成立させました。
対象となったのは、当時は遺伝すると思われていた様々な病気、そして障害です。
さらに、この断種法は、フェアシュアーらの法律案から一歩大きく踏み込んでいました。
本人の同意なし・・・”強制的な不妊手術が可能”だったのです。

1933年は、優生学者にとって開放の都市でした。
彼等は新しい法律に満足でした。
そこに、”強制”という文字があったからです。
フェアシュアーはこの政策をさらに医学界に広げるため、自ら主宰して雑誌を発行します。
その中でヒトラーを、「優生学を国家の主要原則とした初の政治家」として称賛しています。
一方、ナチスもフェアシュアーを評価します。

”我が党に対して、完全な忠誠心を持っており、政治的宣伝の前でも意義がある”

フェアシュアーにとってナチスは、優生学に基づいたユートピアを実現してくれる存在でした。
ナチスもまた、政治でやりたいことを実現する為に、医学者や遺伝学者の知識を必要としていたのです。
ナチスと結びついたフェアシュアーは、凄まじい出世街道を歩むこととなります。
フェアシュアーは、フランクフルト大学に新設された遺伝病理学研究所の所長に就任・・・
まず最初に取り組んだのは、フランクフルト市民の遺伝情報の収集でした。
病院、養護学校、福祉施設から家族の病気や履歴、生涯の有無と言った情報を入手し、遺伝カードを作成。
3年間でフランクフルト市民のおよそ半分に当たる25万人の遺伝情報を収集しました。
断種すべき人々をあぶり出すためでした。
さらに、フェアシュアーは、自ら調査の現場に乗り出していきます。
彼が所長を務める研究所に保健所の資格を取得させたのです。
この資格があれば、住民を直接診断することが出来る・・・!!
これまで審査と診断結果をもとに、遺伝的に健康と判断したカップルには結婚を許可し、適正証明書を発行します。
しかし、遺伝的に問題があると判断した場合、断種をある場所に申請する権限がありました。
その名も優生裁判所です。
断種法遂行のためにナチスによって設立された裁判所です。
法廷では10分もかからず審査され、次々と判決が下されていきました。
その裁判の記録が残されています。
1000以上ある記録の中から、フェアシュアーが直接かかわったケースが見つかりました。
15歳の少年・・・養護学校を出たばかりで、フェアシュアーは彼を思考速度が遅いと診断しました。
少年は明確に能力が欠けていると書かれています。
彼には精神遅滞が確認されたのです。
先天性の知的障害でした。
診断の結果、断種が申請されたのです。

結婚の申請に来た女性は・・・
ドイツの首都は何処か?
フランスの首都は??という質問に答えられず、さらに、字を読むこともできないと付け加えています。
彼女は妊娠6か月で、お腹の子の父親と結婚するつもりでした。
フェアシュアーは、彼女を知的障害と診断し、早急に中絶し断種すべきだと記しています。

病気や障害のない社会を作ることが出来るならば、断種は素晴らしいことだと彼は思っていました。
つまり、自分達が行ったことは、人道的だと信じていたのです。
1945年までにおよそ40万人が強制的に断種されました。
犠牲者は、当時のドイツ国民の200人に一人にのぼりました。

病人や障害者を徹底的に排除してきたナチスは、次の段階へと進んでいきます。
ユダヤ人の根絶です。
ヒトラーは、ユダヤ人があらゆる欠陥を持った劣等人種であると主張しました。

「ユダヤ人は何処にでも住み着く 
 どこでも金儲けを始めるユダヤ人こそ、国際的な不穏分子だ」byヒトラー

これに科学者の立場から、フェアシュアーも加担します。

「異人種が移住してくると、異質な遺伝が持ち込まれ、ドイツ民族が変えられてしまう
 ユダヤ人が増加し、影響が大きくなることを阻止しなくてはならない」byフェアシュアー

ユダヤ人を排斥する動きは日ごとに激しさを増していきます。
1935年血統保護法を制定、ユダヤ人とドイツ人の婚姻・性交渉を禁止しました。
発覚すると禁固刑や懲役刑に処せられました。
優生学に基づく政策が次々と打ち出される一方で、ある問題が浮上します。

「ユダヤ人とはだれか・・・??」

ユダヤ人とは誰か・・・??
驚くべきことに、ナチスはユダヤ人をハッキリと特定する方法を持っていませんでした。
ユダヤ人とドイツ人の外見には、たいして差がありません。
ナチスにとって問題だったのは、誰がユダヤ人で誰がユダヤ人でないかをハッキリと確定できなかったことです。
こうしたユダヤ人問題を検討するナチスの委員会の顧問として招かれたフェアシュアー・・・
ユダヤ人を科学的に特定する方法の研究に取り掛かります。
フェアシュアーは、ユダヤ人の特徴を徹底的に検証します。
①ユダヤ人男性の身長は161cm~164cmである
②ユダヤ人の鼻はかぎ鼻である
③ユダヤ人は特有の体臭がある
④よくかかる病気
などを事細かく調査します。

その過程で、フェアシュアーは、ユダヤ人の特徴がわかったと考えました。
「ユダヤ人は他の民族と比べて、糖尿病などの発病、聾や難聴などの障害が起こる頻度が高い」byフェアシュアー

そして、こう訴えました。

「ドイツ民族の特徴の保存が脅かされないよう、ユダヤ人を完全に隔離することが必要である」byフェアシュアー

結局、彼はユダヤ人根絶に向けても協力したことになります。
ナチスがユダヤ人を隔離し、殺害することを正当化したのです。
フェアシュアーがユダヤ人の科学的特定に励んでいる頃、一人の新人医師が研究所に赴任してきました。
ヨーゼフ・メンゲレです。
メンゲレは、博士論文で最優秀という評価を受けた期待の新人でした。
フェアシュアーは、すぐにメンゲレの有能さを認め、自分の後継者に相応しいと考えました。
メンゲレもまた、フェアシュアーを師と仰ぎ、フェアシュアーのような教授となることが目標となりました。

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1942年、フェアシュアーは、ドイツが誇る世界的研究機関・カイザー・ウィルヘルム人類学 人類遺伝学 優生学研究所所長に46歳で就任します。
より化学的に、簡潔にユダヤ人を確定できないか・・・
フェアシュアーは、ある研究に取り組みます。
それは、血液の研究でした。
人種によって血液中のたんぱく質に違いがあるのではないか??
フェアシュアーは、ユダヤ人特有のたんぱく質を発見しようと考えました。

彼は、人種診断を客観化して、簡単に血液テストでユダヤ人を確認できるようにしようとしたのです。
つまり、人種の証明を外見のみに依存させないということです。
この研究には、大量の血液が必要となります。
ユダヤ人はもちろん、比較のために様々な人種の血液を入手しなければなりませんでした。
そこへ、弟子のメンゲレがある場所へ赴任することが決まります。
アウシュビッツ強制収容所です。
ユダヤ人をはじめ、ポーランド人、ソ連軍捕虜など、14万人が収容されていた最大の使節でした。
収容所医師となったメンゲレは、フェアシュアーの命令の元、ありったけの血液を集めました。
ある人は1日に2度も3度も採血されました。
抵抗することは許されませんでした。
ある人は血液がなくなるまで採血され、しぼんだビニール袋のようになって倒れました。
メンゲレが採取した血液標本には、人種や年齢、性別が記され、フェアシュアーの元へ次々と送られました。
フェアシュアーは、報告書にこう記しています。

「私の助手であり共同研究者のメンゲレ医師が、血液標本を続々と届けてくれている
 様々な人種200人以上の血液標本が集まった」

メンゲレは、フェアシュアーが興味を引きそうなもの・・・眼球や内臓、骨格なども手に入れようと考え、収容された人々を殺害し始めます。
当時、フェアシュアーは同僚に宛てた手紙・・・
「私の特異性たんぱく質についての研究が、ついに決定的な段階に達しました」

このプロジェクトは、誇大妄想でしかありませんでした。
科学的な事実というよりも、フェアシュアーの願望がもとになったものでした。
彼の研究は、論理的に非難されるべきもので、科学と呼べるようなものではなかったのです。

1945年1月27日、アウシュビッツ強制収容所開放・・・
5月7日、ドイツ降伏は無条件降伏を受け入れました。

フェアシュアーは、自分に不利な書類をすべて破棄、証拠を隠滅します。
敗戦と同時に、それまで権勢を誇ってきた科学者や医師たちは、一転して追われる身となりました。
障害者の人体実験を繰り返したカール・シュナイダーは、連合国軍に逮捕され、自殺。
障害者を安楽死させる計画を実行したカール・ブラントは、戦争犯罪人として裁判にかけられ死刑となりました。
フェアシュアーの愛弟子のヨーゼフ・メンゲレは南米へ逃亡・・・死ぬまで34年間、逮捕に怯える日々を送りました。
フェアシュアーも連行され、尋問が行われました。
フェアシュアーはそこで、「アウシュビッツでの出来事を一切しらなかった」と証言しました。
結局、フェアシュアーは罰金600ライヒスマルク・・・45万円ほどの罰金で許されました。
カール・ブラントは、誰一人として自分の手で直接殺していませんが、処刑されました。
フェアシュアーも同じように裁かれるべきでした。

フェアシュアーは、研究者としての実績が評価され、1951年名門ミュンスター大学に迎え入れられます。
新設された人類遺伝子学研究所の所長に就任します。
科学の世界に返り咲いたのです。
その翌年には、ドイツ人類学教会会長に就任。
フェアシュアーは、過去について沈黙を守り、学会トップの座に居座り続けました。

1968年・・・
フェアシュアーは、故郷ゾルツで家族と休暇中でした。
その帰り道、車にはねられ意識不明の重体に陥ります。
昏睡状態は11か月続き、1969年8月8日・・・家族に見守られながら、この世を去りました。
享年73歳でした。
学会から尊敬ウを集め、家族に愛された戦後の人生でした。

もし、彼が事実をすべて話していたら、そのキャリアは終わっていたでしょう。
フェアシュアーが反省していたか、罪の意識を感じていたかについては疑問です。
むしろ、自分の行いに誇りを持ったまま、墓場に行ったのではないか・・・??

フェアシュアーの追悼記事・・・

”オトマール・フォン・フェアシュアー教授は、信仰心があつく、模範的な人物であった
 彼はどんな困難に置いても理解に満ち、寛容だった”

戦後、フェアシュアーは、友人に手紙を書いていました。

”あの忌まわしい過去について話すのはやめておきましょう
 もうすぎさったことですから”

遺伝によって人間に優劣をつけた優生学・・・果たして過去のものなのか・・・??

フェアシュアーの死後、遺伝の研究は飛躍的に進み、生命科学の発展によって遺伝子の働きが次々と明らかになりました。
血を作る遺伝子、皮膚を作る遺伝子、筋肉を作る遺伝子、病気や障害の原因となる遺伝子も発見されています。
こうした遺伝子を調べることで、退治に病気や障害がないかを診断する出生前検査も格段に進歩しました。
最新の解析技術・次世代シーケンサー・・・人の全ての遺伝情報を、わずか1日で解読できます。
この技術を使って、妊婦の血液中に含まれるDNAを分析・・・簡単な血液検査だけで染色体異常の可能性がわかるようになりました。
日本でこの方法を使って受診した人は3万人以上・・・ダウン症などを引き起こす染色体異常の可能性が見つかり、精密検査で異常が確定した妊婦の9割以上が、人口妊娠中絶を選択しています。
さらに、生命のあり方を大きく変える技術も生まれています。
2015年4月、中国で人の受精卵に遺伝子操作が行われました。
特定の遺伝子を切断して働かなくさせたり、別の遺伝子を組み込ませたりするゲノム編集・・・
この技術を使って、血液の病気に関する遺伝子を操作したといいます。
生命の設計図を自在に操る力を手に入れた人類・・・
いずれ、望み通りの人間をつくることも可能とされています。

ナチスを率い、人間の淘汰を進めたアドルフ・ヒトラー・・・こんな言葉を残しています。

「大衆の理解力は非常に小さく、忘却力は非常に大きい」

かつてフェアシュアーが所長を務め、アウシュビッツから送られる血液を受け取っていた研究所・・・
現在では、ベルリン自由大学の施設として使われています。
その入り口にヒトラーの言葉に抗う一枚の碑文が掲げられています。

”フェアシュアーは、ナチス・ドイツの非人道的な政策に科学的根拠を提供し、淘汰と殺人にも積極的に関与した
 この犯罪は、あがなわれないままである
 科学者たちは、その学術研究の内容と結果に責任を持たなくてはならない”


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