1959年9月・・・
核戦争の恐怖が高まる中、ソビエトの最高指導者が融和を求めてアメリカを訪れました。
フルチショフがどうしても行きたいと望んだがかなえられなかった場所があります。
ディズニーランドです。
開園4年目を迎えた夢の国は、世界各国からの国家元首が訪問を希望するほどの憧れの場所となっていました。
ハリウッドのスターたちも招かれたロサンゼルスでの歓迎会で、フルチショフの怒りが爆発します。
「先ほどあの場所の視察は出来ないと言われた
何と言ったっけ・・・
そうそれだ、ディズニーランド
当局が、私の身の安全を保証できないからだそうだ
行くのを本当に楽しみにしていたんだ
せっかくアメリカまでやってきたのに、炎天下の車の中に閉じ込められるとは、思ってもみなかった」byフルチショフ
この2年後、フルチショフはケネディと会談します。
両国の首脳が、核の危険性、軍縮などについて直に話し合いました。
世界は、希望に向けて動き出したかのように見えました。
しかし・・・1963年11月22日、一人の男の死が世界に衝撃を与えました。
「8ミリカメラを回していると、大統領の車がヒューストン通りを曲がりました
カーブの中ほどまで来たとき、銃声が一発聞こえて、大統領はこんなふうにかがみこみました
そして、もう一発か二発、銃声がして、大統領の頭が割れて、血が噴き出しました
私は撮影を続けましたが、本当にショックでした」byザプルーダー
アメリカが悲劇に包まれたこの1日は、多くのカメラによって記録されていました。
アメリカの理想が終わった日・・・ケネディ暗殺
暗殺当日・・・
天気予報は外れ、ダラスは晴天となりました。
これが、世界の運命を変えることになります。
AM11:38・・・ケネディ到着・・・暗殺まで52分・・・
46歳の若き大統領・・・アポロ計画を推し進め、キューバ危機を乗り越え、ベトナムからの撤退を模索していたケネディは、翌年の再選を目指し、遊説の地・ダラスを訪れました。
シークレットサービスは、ケネディから支持者の少ないテキサス訪問にかける意気込みを聞かされていました。
「大統領から指示があったんです
テキサスに行くのは、出来るだけ多くの人に自分を見てもらい、声を聴いてもらうためだ
だから、車の屋根は外したい」と・・・。
車は、時速16キロでゆっくりと進みます。
SM11:52分・・・空港出発・・・暗殺まで38分・・・
町の中心部に入ると、熱狂した人々が車道にまで溢れていました。
急なカーブに差し掛かり、車は速度をさげます。
銃声は3発でした。
「突然右後方から爆発音が聞かれ、その瞬間、大統領がのどを押さえたのが見えました
何か、悪いことが起きたと思いました
私はステップから飛び降り、大統領の車に観買って走り出しました
二発目は、私には聞こえませんでした
車に手がかかったのですが、足が滑ってしまいました
車が加速したからです 後二歩のところでした
ようやくたどり着いたときには、三発目が大統領の頭に当たっていて、それが致命的な一発だったのです」byシークレットサービス
全米の大手テレビネットワークは、4日間にわたって通常番組をすべて中止します。
演説会場では、2500人の市民がケネディの到着を待っていました。
「なんとお伝えすべきかわかりません
真珠湾攻撃の日のような気持ちです
これは本当の話です
大統領と知事が、パレードの最中に銃撃されました」
暗殺現場のすぐそばに立つ教科書倉庫ビル・・・
銃声の方角から、すぐさまここが捜査されました。
このビルで働く従業員の一人の行方がわからない・・・
警察官が、容疑者を追跡中に射殺されました。
そして・・・
「公式発表によると、本日午後1時・・・
ケネディ大統領が死亡しました」
PM1:50分・・・身柄拘束・・・暗殺から1時間20分後・・・
ダラス市警は映画館で発見しました。
白人男性の身柄を拘束・・・
警察官射殺事件の容疑者とみられました。
容疑者は・・・リー・ハーベイ・オズワルド・・・24歳。
教科書倉庫ビルから消えた従業員でした。
マスコミは、オズワルドの過去をすぐに洗い出します。
ロシア人とされる妻とダラスに住んでいるということ・・・
8月にニューオーリンズでカストロ支援団体のビラを配布中に傷害事件を起こして逮捕されていました。
「私は共産主義者ではありません
マルクス主義も、そのほかの哲学も勉強しましたよ」
深夜、殺到したマスコミが、容疑者に質問を浴びせます。
「どういうことなのかわかりません
弁護士をつけてほしい
何が起きているのか本当にわからない
警察官殺害の罪に問われているということしか話してくれないのです
誰か法律で私を守ってください」
「大統領を殺したのですか?」
「その容疑は聞いていません
新聞記者に質問されて初めて知ったんです」
11月24日、オズワルド移送・・・暗殺から2日後・・・
オズワルドの移送が生中継されている中、再び衝撃が襲います。
容疑者のオズワルドが撃たれたのです。
撃ったのは、ダラス市民のジャック・ルビー・・・かなしんでいる大統領夫人がいたたまれなくなったという彼の供述を信じる者はいませんでした。
事件の半年後・・・暗殺現場を調べる政府の調査委員会のメンバーたち・・・
その報告書は、オズワルドの単独犯行と結論付けました。
しかし、国民は納得しませんでした。
社会主義勢力による暗殺・・・ベトナム撤退で利益を失う軍産複合体の陰謀など・・・
様々なうわさが流れました。
オズワルドを殺害したジャック・ルビーは、4年後に獄中で病死・・・その直前に、こう答えています。
「世界が真実を知ることは、決してないだろう
あの事件で、大きな利益を得た人々が、それを許さないだろう」
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核戦争の恐怖が高まる中、ソビエトの最高指導者が融和を求めてアメリカを訪れました。
フルチショフがどうしても行きたいと望んだがかなえられなかった場所があります。
ディズニーランドです。
開園4年目を迎えた夢の国は、世界各国からの国家元首が訪問を希望するほどの憧れの場所となっていました。
ハリウッドのスターたちも招かれたロサンゼルスでの歓迎会で、フルチショフの怒りが爆発します。
「先ほどあの場所の視察は出来ないと言われた
何と言ったっけ・・・
そうそれだ、ディズニーランド
当局が、私の身の安全を保証できないからだそうだ
行くのを本当に楽しみにしていたんだ
せっかくアメリカまでやってきたのに、炎天下の車の中に閉じ込められるとは、思ってもみなかった」byフルチショフ
この2年後、フルチショフはケネディと会談します。
両国の首脳が、核の危険性、軍縮などについて直に話し合いました。
世界は、希望に向けて動き出したかのように見えました。
しかし・・・1963年11月22日、一人の男の死が世界に衝撃を与えました。
「8ミリカメラを回していると、大統領の車がヒューストン通りを曲がりました
カーブの中ほどまで来たとき、銃声が一発聞こえて、大統領はこんなふうにかがみこみました
そして、もう一発か二発、銃声がして、大統領の頭が割れて、血が噴き出しました
私は撮影を続けましたが、本当にショックでした」byザプルーダー
アメリカが悲劇に包まれたこの1日は、多くのカメラによって記録されていました。
アメリカの理想が終わった日・・・ケネディ暗殺
暗殺当日・・・
天気予報は外れ、ダラスは晴天となりました。
これが、世界の運命を変えることになります。
AM11:38・・・ケネディ到着・・・暗殺まで52分・・・
46歳の若き大統領・・・アポロ計画を推し進め、キューバ危機を乗り越え、ベトナムからの撤退を模索していたケネディは、翌年の再選を目指し、遊説の地・ダラスを訪れました。
シークレットサービスは、ケネディから支持者の少ないテキサス訪問にかける意気込みを聞かされていました。
「大統領から指示があったんです
テキサスに行くのは、出来るだけ多くの人に自分を見てもらい、声を聴いてもらうためだ
だから、車の屋根は外したい」と・・・。
車は、時速16キロでゆっくりと進みます。
SM11:52分・・・空港出発・・・暗殺まで38分・・・
町の中心部に入ると、熱狂した人々が車道にまで溢れていました。
急なカーブに差し掛かり、車は速度をさげます。
銃声は3発でした。
「突然右後方から爆発音が聞かれ、その瞬間、大統領がのどを押さえたのが見えました
何か、悪いことが起きたと思いました
私はステップから飛び降り、大統領の車に観買って走り出しました
二発目は、私には聞こえませんでした
車に手がかかったのですが、足が滑ってしまいました
車が加速したからです 後二歩のところでした
ようやくたどり着いたときには、三発目が大統領の頭に当たっていて、それが致命的な一発だったのです」byシークレットサービス
全米の大手テレビネットワークは、4日間にわたって通常番組をすべて中止します。
演説会場では、2500人の市民がケネディの到着を待っていました。
「なんとお伝えすべきかわかりません
真珠湾攻撃の日のような気持ちです
これは本当の話です
大統領と知事が、パレードの最中に銃撃されました」
暗殺現場のすぐそばに立つ教科書倉庫ビル・・・
銃声の方角から、すぐさまここが捜査されました。
このビルで働く従業員の一人の行方がわからない・・・
警察官が、容疑者を追跡中に射殺されました。
そして・・・
「公式発表によると、本日午後1時・・・
ケネディ大統領が死亡しました」
PM1:50分・・・身柄拘束・・・暗殺から1時間20分後・・・
ダラス市警は映画館で発見しました。
白人男性の身柄を拘束・・・
警察官射殺事件の容疑者とみられました。
容疑者は・・・リー・ハーベイ・オズワルド・・・24歳。
教科書倉庫ビルから消えた従業員でした。
マスコミは、オズワルドの過去をすぐに洗い出します。
ロシア人とされる妻とダラスに住んでいるということ・・・
8月にニューオーリンズでカストロ支援団体のビラを配布中に傷害事件を起こして逮捕されていました。
「私は共産主義者ではありません
マルクス主義も、そのほかの哲学も勉強しましたよ」
深夜、殺到したマスコミが、容疑者に質問を浴びせます。
「どういうことなのかわかりません
弁護士をつけてほしい
何が起きているのか本当にわからない
警察官殺害の罪に問われているということしか話してくれないのです
誰か法律で私を守ってください」
「大統領を殺したのですか?」
「その容疑は聞いていません
新聞記者に質問されて初めて知ったんです」
11月24日、オズワルド移送・・・暗殺から2日後・・・
オズワルドの移送が生中継されている中、再び衝撃が襲います。
容疑者のオズワルドが撃たれたのです。
撃ったのは、ダラス市民のジャック・ルビー・・・かなしんでいる大統領夫人がいたたまれなくなったという彼の供述を信じる者はいませんでした。
事件の半年後・・・暗殺現場を調べる政府の調査委員会のメンバーたち・・・
その報告書は、オズワルドの単独犯行と結論付けました。
しかし、国民は納得しませんでした。
社会主義勢力による暗殺・・・ベトナム撤退で利益を失う軍産複合体の陰謀など・・・
様々なうわさが流れました。
オズワルドを殺害したジャック・ルビーは、4年後に獄中で病死・・・その直前に、こう答えています。
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