人生を二度生きるーー小説 榎本武揚【電子書籍】[ 童門冬二 ]

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北海道宗谷岬から見えるのは、サハリン・・・樺太です。
1869年、ここで日本とロシアが緊張関係になりました。
ロシア軍が、樺太南部に上陸!!
日本人たちの目の前で、軍事基地を築き上げ、それに抗議する役人たちを連行したのです。
当時、樺太は、日本とロシアの雑居地・・・つまり国境がありませんでした。
主に北部でロシアが、南部で日本が活動していました。
そこに、ロシア軍が南部まで進出!!
ロシアは樺太全域を支配すべく行動を起こしたのです。
この問題を解決すべく、日本を代表してロシアと交渉したのが榎本武揚です。
当時、日本で数少ない外交のプロフェッショナルでした。


明治初期の千島列島・・・
ウルップ島に日本人は僅か30人ほど・・・。
千島列島の寒さは厳しく、島々にクラスのは、先住民と限られたロシア人のみでした。
農作物にも適さない島々・・・狩猟や漁業、産物の交易が主な産業でした。
1874年より1年間、その千島列島をロシアから譲り受ける外交交渉を行ったのが、特命全権公使・榎本武揚です。

榎本は、明治政府の中でも異色の男・・・。
1863年・・・榎本28歳・・・
幕末の激動が高まる中、日本を離れて世界的な海洋国家オランダに留学していました。
徳川家の家臣だった榎本は、海軍の幹部候補に選ばれ、軍事技術を学んでくるように命じられました。
この留学中、榎本は学問・・・海に関わる国際法の研究所「海律全書」に出会います。
ヨーロッパの海洋国家が積み上げてきた国際ルールの解説書です。
外国との接触の多い港や船で、国際問題になるようなことがあった場合に、どのような権利、義務が発生するのか?平和時と、戦争時に分けて解説したものです。

榎本は、この海の国際法によって、西洋列強の強さの土台には、軍事力だけでなく法律に基づく力があることを学びます。
これが榎本の大きな武器となるのです。

1867年、榎本32歳・・・
およそ5年間の留学を経て、日本の大転換期に・・・!!
徳川幕府が消え去り、後の明治新政府が樹立。。。
しかし、榎本は時代の流れに抵抗し、日本最強の軍艦・開陽丸での艦長となると、新政府の支配下にはいることを拒絶し、旧幕府艦隊を率いて江戸を離れ北へ・・・!!

当時、蝦夷地と言われた北海道の国際貿易港・箱館。。。
榎本は西洋式の城・五稜郭を拠点に、海軍と旧幕府勢力を結集、明治政府に対抗する政権を打ち立てようとしました。
箱館の政権を守るために榎本が用いたのは、軍事力だけでなく、国際法を最大限に駆使!!

諸外国に対し・・・「我らを交戦団体として認めよ!!」
交戦団体とは、政府と同じ政治や外交能力、国家に準ずる地位を国際的に認めさせようとしました。
これを認めれば、外国勢力は中立をしなければならず、明治政府に肩入れすることはできない・・・。

しかし、外国勢力・・・イギリス公使・パークスは、既に明治政府を後押ししているので、榎本の要求をはねのけます。
ここで榎本は・・・国際法の隙をつきます。
榎本は、箱館にいるイギリスやフランスの軍艦の艦長に通告します。
「我等には、外国の商船に対して、臨検が認められる。
 そのために、船に乗り込ませよ。」
臨検・・・函館を訪れる外国船に対し、積荷の検査ができるというものです。
密貿易の取締のため、イギリス・フランスの艦長は、その一部を認めます。
しかし、、、榎本の真の狙いは臨検ではなく・・・臨検は「交戦団体」に与えられる権利でした。
つまり、箱館政権は、臨検の権利を得たことで、
「交戦団体」と主張することができるようになるのです。

国際法を熟知しした、榎本の交渉が・・・巧みな外交手腕が、西洋列強を相手に発揮されたのです。
しかし・・・
1869年5月、榎本34歳の時・・・夢は、軍事力によって潰されます。
開陽丸を事故によって失った箱館政府に対し、明治政府軍は総攻撃をかけ、五稜郭の軍勢は降伏・・・
榎本は、反乱の首謀者として捕らえられてしまいました。

国のため、人々のために、自分が学んできたことは、本来尽くさなくてはいけない・・・

胸に秘めた新国家建設・・・それがかなわない現実・・・榎本は、国家への反逆者として明治の代を過ごすはずでした。
1872年、37歳の時、榎本は反乱の罪を許され出獄!!
豊富な国際知識を惜しまれてのことでした。
まもなく政府首脳の呼び出しで中央政界に・・・!!
招いたのは、明治政府を率いる内務卿・大久保利通でした。
背景には、この時幕府が抱えていた外交危機がありました。

それは・・・北方の島をめぐるロシアとの問題でした。
宗谷岬から海を挟んで僅か40キロ・・・そこに北海道に匹敵する島・サハリン・・・樺太が・・・!!
この樺太は、江戸時代後期には、主に北部はロシア人が、南部では日本人が先住民と交易や漁業を行っていました。
特定の領土にはなっておらず、日露両国がともに治めあう雑居地に位置付けられていたのです。
国境もないままでした。
ところが明治初期・・・状況が急変。
樺太の南端・・・宗谷海峡に面した函泊は日本の影響下でしたが・・・
そこに大砲の収蔵庫、火薬庫・・・ロシアが突然築いた軍事基地が・・・!!
数百人の兵士が駐屯し、海上交通の要衝・宗谷海峡を監視しました。
ロシアは、樺太に国境がないことを口実に、軍を南部に進め、志摩すべてを手に入れようとしたのです。
この緊急事態に、明治政府は外交交渉を行い、樺太の領有について明確にする必要がありました。
そこで、ロシアとの大切な交渉を、大久保は榎本に任せたのです。
日本の命運が、榎本の外交手腕に任されたのです。

1874年3月5日、榎本に下された政府の命令書には・・・
ロシアとの交渉方針が明確に描かれていました。
①樺太の雑居を排し、境界を定ること。
②樺太で境界が定められず、島すべてをロシアが有する時、樺太と同等の釣り合う地を日本に譲らせること。
③その釣り合うべき地とは・・・「ウルップ島」よりカムチャッカ」に連なる「キュリル」諸島である。

まず、樺太の中で日本とロシアとの国境画定を目指す!!
次に国境画定が失敗し、ロシア領となり日本が手放さなくてはならなくなると、日本が樺太から失う権益の代償として、ロシアから千島列島すべてを譲らせるということです。

ここに、明治政府が国内で抱える深刻な問題がありました。
それが、不平士族の存在でした。
新しい国づくりが進む明治の世・・・士族は特権を次々と失っていっていました。
明治政府に不満を抱く氏族たちは・・・政府がロシアとの間で弱腰外交を行えば、怒りを爆発させて大きな反乱が予想されていました。
一方、樺太と千島列島を交換し、ロシアと対等な条約を結んだとすれば、明治政府の権威は守られる!!
しかし、この要求をロシアが飲むかどうかは未知数でした。
極めて実現困難な外交交渉・・・

1874年6月、榎本は、ロシアの都サンクトペテルブルクへ・・・
11月14日・・・外務省の一室で、日露国境交渉が始まりました。
榎本は、樺太の権利について・・・
「我が国は、樺太島の上で、両国、公平な教会を定めることを望んでいる。」
ロシアの代表は、ロシア外務省アジア局長のストレモウーホフ。
「全島を所望!!」
ロシアは、樺太で国境をひくのではなく、樺太すべてを主張しました。
そして・・・
「日本には、代償を用意する。」
好かざす榎本はかみつきます。
「帰国がいう代償とは、ウルップ島と1,2の小島だけであろう。
 これでは樺太ととても釣り合いませんぞ!!」by榎本

幕末、江戸幕府が国境交渉を行った際に、ロシア側が樺太の代償としてウルップ島案を提示していました。
幕府は拒絶していたのです。
榎本は、このことを思い、先手を打って、ウルップ島の名前がロシア側から出るのを拒否!!
ストレモウーホフは、思わず黙り込む・・・
榎本は、あくまで樺太で国境を!!
「私は、樺太で国境をひくこと以外、本国の命令を受けておりません。」

相手から妥協案を引き出そうとします。
国交交渉の初日、榎本は終始議論をリード・・・
樺太で国境をひく案を、ロシア側に持ち帰らせることに成功!!

ロシアが樺太国境案を受け入れるかどうか・・・
皇帝アレクサンドル2世にかかっていました。

1875年1月2日、第2回国交交渉。
ロシア側は、榎本が求めていた樺太で国境をひくということに対する皇帝の答えを・・・
「皇帝陛下は、海峡をもって両国の境とせよとの仰せであった。」
海峡とは・・・宗谷海峡のこと・・・樺太全島をロシアが領有するということです。
ここに・・・ロシアの野望、世界戦略が秘められていました。
ロシアは、不凍港の獲得と、勢力拡大を目指すため、南下してきていました。
これに反発したのが、世界各地に植民地を持つイギリスでした。

1853年ロシアはイギリスとクリミア戦争で激突!!
この戦いで、ロシアはイギリス軍に敗北・・・
10万以上の犠牲者を出し、南下政策を挫折していました。
この時のイギリスに対する苦手意識が、ロシアの東アジア政策にも影響していました。

イギリスは中国に植民地を持ち、東アジアに強大な影響力を持っていました。
明治政府の後ろ盾にもなっていました。
イギリスへの恐れが、樺太全土を・・・ということになったのです。

ロシアは、分割案を断固拒否!!
そこで・・・日本が雑居状態の樺太で得ていた権益を失うとなるとロシアは何をしてくれるのか・・・??
榎本の要求は・・・
「千島のうち、ウルップ島と近隣の3つの小島を日本のものとしたい。」
前回断っていたウルップ島と近隣の島を要求・・・。
この案ならば、ロシアとしても妥結可能・・・。
しかし、榎本が付けた言葉は想定外でした。

「加えて帰国の軍艦も樺太の価値に見合うだけ頂きたい。」by榎本

ロシア側にとってまさかの要求でした。
ロシアの海軍力を削減して、日本に軍艦を与えれば、南下政策に大きな影響が・・・しかも、樺太の価値に見合う軍艦の数は見当もつかない・・・
榎本の要求を受け入れるわけにはいかない・・・!!
ストレモウーホフは・・・樺太の代償となる領土としてロシア側の考えを伝えます。

「ウルップ島から500キロ北にある温ネコタン島までを譲る」というものでした。
樺太の価値を重大にアピールし続けた榎本の戦術に、千島列島のほとんどを手放すことに・・・!!

この機を見逃さず・・・

「樺太の代償として、カムチャッカまでの諸島をお譲りいただく。」by榎本

残りあと二つの島の譲渡を認めさせれば、樺太と千島列島を対等に交換という国内向けにもgood!!
しかし、「これは、軍が承知しない!!」
ロシアは、軍事的な理由で、榎本の追加要求を拒否!!
ロシア海軍は、オンネコタン島とパラムシル島の海峡を、太平洋への航路に利用していました。
これを日本に渡せば、海軍の航行の自由が奪われ、死活問題に・・・!!

「オンネコタン島までの案で妥結せよ!!」byストレモウーホフ

ここに榎本も策が尽き・・・あと一歩及ばず・・・。
オンネコタン島までで妥結するのか・・・??

領土問題を解決しなければ、日本とロシアはいずれ衝突する・・・
領土で妥協し、条約をまとめる・・・??
千島列島すべての獲得は断念する・・・??
国境が画定すれば、日露関係は安定する。
しかし、対等な領土交換だと国内にアピールできない・・・
政府に不満を持つ不平士族たちは、条約の破棄を訴えて反乱を起こすかも・・・??
別の妥結・・・??


明治政府の命令通り、領土の対等交換を求め続ける・・・??
ロシアに妥協しない・・・!!
千島列島すべての島を・・・!!
しかし、こんな要求をロシアが認めるのか・・・??
交渉決裂か・・・??
国境画定に失敗すれば、樺太南部、宗谷海峡などでロシアと軍事衝突・・・??

3月4日・・・大詰めを迎えた日露国境交渉・・・そこで榎本が選んだ道は・・・??

「キュリル全島をお譲りいただきたい。」

最後の局面で、再度千島列島すべてを譲るように迫ります。
前回、ロシアが拒否した案を、強硬に要求したのです。
榎本にはどんな勝算があったのでしょうか??

内々に他人より聞き込んだ事には、ロシア政府はもはや樺太の一案を早く片付けることを望んでいるとの事。。。

ロシアは、日本との国交交渉を早く解決したいと思っていました。
そんなロシア政府の機密情報を掴んでいたのです。
榎本が掴んだ機密情報の実態とは・・・??

当時のロシア政府は・・・2月5日、外務大臣のゴルチャコフが海軍に極秘の問い合わせを行っていました。
「どうしても必要な場合、ウルップ島からカムチャッカまでのクリル諸島を日本に渡すことができるだろうか?」と。
千島列島を重要航路とする海軍に、島をすべて日本に譲ってもいいか打診していたのです。
この案を飲めば、海軍は非常時に太平洋へ出る航路を失いかねない・・・
それでもゴルチャコフには、この交渉を早く終わらせなければならない理由がありました。

「今や皇帝陛下が日本との国境問題について速やかに解決するよう、おぼし召しである。」

皇帝アレクサンドル2世自ら、日本との国交交渉をすぐに妥結するよう求めていました。
皇帝がこの指示を出した背景には、日露交渉と同じ時期、国際情勢が急速に悪化していることがありました。
ロシアが忌まわしき宿敵・イギリスと再び激突する危険がある・・・!!

ヨーロッパでは、ロシアと結ぶドイツがフランスと開戦寸前でした。
背後に控えるイギリスとこれ以上関係を悪化させないよう、ロシア皇帝は働きかけようとしていました。
このことに全力で取り組むためには、日本との国交交渉をすぐにでも終わらせたい・・・
そんなロシアの内情を、榎本は的確につかんでいたのです。
ロシアに不利に働いている国際情勢を・・・!!
そんなロシア側に現れた焦りの様子を直接的に嗅ぎ取って、全千島の獲得に乗り出したのです。

3月24日、榎本に対し、ロシアの回答が示されました。

「ロシア国皇帝陛下は、クリル全島を日本国皇帝陛下に譲る・・・」

榎本は土壇場で、樺太放棄の代償として、ロシアから千島列島全島を譲らせることに成功したのです。
5月7日、交渉は最終的に妥結し、条約調印。

サンクトペテルブルク条約・・・日本では、樺太・千島交換条約と名付けられました。
大久保利通率いる政府は、「交換」という言葉を使い、条約の対等性を強調、国内の不満を抑え込んだのです。
こうして旧幕臣の榎本武揚は、日本政府の危機を救いました。

そして榎本はこの後も外務大臣などの要職を歴任し、近代国家の建設に身を捧げていくことになるのです。


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