「この車にもダイナマイトが仕掛けられているかもしれません」

犯行時間わずか3分・・・大胆な犯行・・・三億円が奪われた!!

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昭和40年代を代表するこの顔・・・
今から50年前、日本犯罪史上最高額の現金が奪われました。
白バイ警官姿で騙し、誰一人傷つけず逃走!!
闇に消えた三億円・・・犯人はどこだ!?
その記憶の罠とは・・・??

1968年・・・昭和43年、東京オリンピックから4年・・・
日本は目覚ましい好景気に沸いていました。

この年、日本のGNPは、西ドイツを抜いてアメリカに次いで世界第2位に・・・!!
サラリーマンの平均月収は、5年で6割増しとなり、ボーナスも大盤振る舞い!!

そんなボーナス支給日の昭和43年12月10日・・・
現場は、新宿から西に20キロ・・・中央線国分寺駅周辺・・・!!
この日は朝からバケツをひっくり返したような雨・・・
午前9時15分の少し前・・・日本信託銀行国分寺支店・・・大金を積んだ車が出発の準備をしていました。

輸送するのは東芝府中工場の従業員4523人分の冬のボーナスでした。
ジュラルミンケース3個分・・・総額約3億円でした。
現在の価値20億円相当が現金で用意されていたのです。
現代ならば、これほどの金額の取引はオンラインですが、昭和の時代は給料もボーナスも現金輸送なのでやむ終えません。午前9時15分、現金輸送車出発・・・
東芝府中工場まで3.5キロ・・・わずか10分ほどの道程でした。
銀行から中央線を越えて南に・・・毎月給料を運ぶ道でした。
銀行員4人にとっても、日常業務のはずでした。

ところが・・・後ろから来た白バイが横に・・・!!
目的地まであと数百メートル・・・府中刑務所の壁沿いで車を止められました。
運転していた銀行員は、窓を半分だけあけました。
「日本信託銀行の車ですか?
 小金井署からの緊急手配で、巣鴨の支店長宅が爆破されました。
 この車にもダイナマイトが仕掛けられているかもしれません。
 車内を探してください。」
銀行員たちは言われるままに車の中を探します。
その時、車の外から・・・
「あったぞ!!
 ダイナマイトだ!!
 避難しろ!!」
驚いた銀行員たちは車を脱出!!
物陰に隠れました。
入れ替わりに白バイ警官が運転席に乗り込むと・・・
エンジンをかけて急発進、府中街道方面に向かいました。
「なんて勇敢な人だ・・・!!」
白バイ隊員が身を挺して車をダイナマイトから遠ざけてくれたと銀行員は思いました。
ところが・・・9時25分・・・
おかしい・・・!!いつまでたっても煙を出して爆発する気配がない・・・!!
ダイナマイトではなく、それは発煙筒でした。
さらに、銀行員のひとりが気付きます。
「この白バイ、偽物だ!!」
騙された!!
午前9時28分、公衆電話から慌てて日本信託銀行国分寺支店に連絡。
それを受けた支店長はすぐに、警察に通報!!
府中三億円事件発生!!
被害額の多さに、警視庁の総力を挙げた捜査が始まりました。

午前9時34分・・・
”白バイ警官に偽装した男1名が、現金を積んだ乗用車を奪い、府中街道方面を逃走中
 被害者量は黒塗りのセドリック”
午前9府44分
警視庁は緊急配備の最高レベル”全体配備”を発令!!
都内すべての警察署、全所員に出動命令!!
機動隊員を含め全署員1万350人を緊急出動!!
パトカー631台出動!!
さらに御前9時46分、乗り逃げされた車が県外に逃走することを想定し、神奈川・山梨・埼玉に配備協力を要請!!
第一報からここまでわずか15分!!
”多摩 5 は 66-48”黒のセドリックは完全包囲され、犯人逮捕も時間の問題・・・??
ところが、午前10時18分
”国分寺史跡付近で現金輸送車を発見
 発見者は小金井署本村駐在所の巡査長”
車が発見されたのは、犯行現場からわずか600mの竹やぶ・・・
トランクに積んだ三億円はジュラルミンケースごと無くなっていました。

車の傍には、別の車両のタイヤや無数の足跡・・・
犯人は車を奪った直後に近場で乗り換えた可能性が高い・・・!!

つまり、全体配備でセドリック包囲網を敷いたとき、別の車に乗り換えていたことになるのです。
犯人に先手を打たれた警視庁は、次の手を・・・!!
午前10時32分、全車両を止めて検問を徹底的にするよう一斉通達!!
ところが時は師走・・・検問によって主要道路は完全にマヒ!!
各地で大渋滞をおこします。
午後3時44分・・・苦渋の決断で全エリアの検問打ち切り!!
犯人は闇へと消えたのでした。

メディアは湧きます。
これまでの盗難の最高額は3100万円。
この年の宝くじの1等賞金が初めて1000万円にのり、大きな話題となった時代でした。
事件当日の夕刊は、どれも破格の扱いで・・・まさに映画や小説のように銀行員をだました手口は、用意周到な計算と準備が伺われました。

騙しの手口①「まさか白バイまで!?」
銀行員たちは・・・「白バイもあり、すっかり本物の警官だと思い込んでしまった」のです。
騙されるのも無理はなく、当時日本では警察官の変装での犯行はは珍しく、わざわざ偽の白バイを用意して運転するなど予想を超えています。

騙しの手口②「知らないはずの爆破脅迫」
いきなりダイナマイトという突拍子もない状況にも、信じ込ませる伏線がありました。
事件の4日前、日本信託銀行の支店長あてに脅迫状が・・・!!
現金300万円を要求、従わなければ支店長の自宅を爆破するという内容でした。
脅迫事件はまだ報道前で、関係者以外は知らないはず・・・
鮮やかで手慣れた警察官のような動き・・・銀行員たちは、本当の警察官だと思い込まされたのです。
前代未聞の手口に、日本中が衝撃を受けたのでした。
昭和43年12月10日・・・この日から時効までの7年間・・・予想外の罠が事件を未解決に引きずり込んでいくのでした。

事件発生から10日余り・・・警視庁は姿を消した犯人を探し出すために、市民の協力を得る切り札を公表します。
犯人を見た銀行員の証言で作られたモンタージュ写真・・・
モンタージュ写真作成は、似顔絵代わりに写真を使うことで、リアルな犯人の顔に迫れると期待されました。
銀行員の記憶から膨大な写真から似ている顔を2日間かけて作成しました。
さらに修正を加え・・・出来上がったのがモンタージュ写真でした。
警察は多量のチラシを配布、町中に張り出されました。
リアルな顔写真の効果は絶大でした。
公開初日から500件・・・多い日は1日1800件以上の情報が寄せられました。
捜査員たちは期待を寄せて、情報の収集に走ります。
ところが・・・この市民からの膨大な情報がかえって捜査員たちを苦しめることに・・・!!
どの業界でも「似てるな・・・アイツ・・・」「そっくりだぞ・・・」と、捜査本部に膨大な情報が寄せられました。
”ただ似てる”という情報でも放っておくわけにはいきません。
情報の9割が”似た人物”についてでした。
とんでもない数の捜査員が必要となり・・・
裏どり作業をやっても犯人に結び付かない・・・その上、手つかずの情報が増していくばかり・・・。
それでも捜査員たちは、モンタージュ写真を手に、地道な捜査しかありません。

ところが3年後・・・
有力な技術で作成された犯人像を捨てる・・・??
「これほどの情報がありながら犯人にぶつからないのは、どこかが間違っているのかもしれない。
 モンタージュをはじめ、すべての先入観を捨てて、新しい方針を打ち出したい」by捜査一課長
捜査本部は、捜査方針の転換を余儀なくされました。

目撃者の銀行員たちは・・・
直接見た窓越しの顔もあやふやなのに、毎日膨大な写真を見せられて「犯人に似てる顔があったら抜いてくれ」と、何万枚もみて・・・混乱してきて訳が分からなくなった??
顔写真を選ぶ作業は、記憶が混乱した状態で作られたというのです。
人が記憶を思い出そうとするとき、落とし穴があります。
人間ならではの「記憶のワナ」です。
それは言語隠蔽効果とよばれています。
目撃者の記憶は、一般に思われているほど正確ではありません。
顔の特徴を言語化してもらうと・・・自分が知っている”目の大きい人”のイメージに近づける形で記憶が書き換えられるのです。
ゆがんだ形で思い出してしまう可能性があるのです。
三億円事件の目撃者も、たくさんの写真を見せられ、顔の特徴を言語化、記憶が書き換えられた可能性があるのです。
捜査の切り札は、人間の記憶のワナにはまったのです。
そして、さらに巨大な迷宮が待ち構えていました。

三億円事件の捜査では高い壁が・・・
事件発生から4か月、この日突然犯人が逃走に使った車両が発見されました。
現金輸送車から乗り換え、行方をくらませた車・・・
発見されたのは、犯行現場からわずか4キロの団地の中で、シートをかけられ空のジュラルミンケースを乗せたまま放置されていたのです。
この頃、多摩地区はベッドタウン化が加速し、人口が爆発的に増加していました。
急激な街の変化は、些細な異変に無関心な風潮になっていました。
昭和40年代の変わりゆく風潮が、捜査陣の前に立ちはだかっていきます。
この頃、捜査陣に凄腕の刑事が参加します。
少年漫画「ザ・野良犬」の主人公にもなった平塚八兵衛です。
平塚が関わった100件の事件のうち、未解決はたったの2件・・・人呼んで「捜査の神様」でした。
当時、戦後最大の誘拐事件「吉展ちゃん事件」も犯人逮捕に導いた警視庁のエースです。

”ブツが物をいう”

物証こそが、重大な手掛かりを語ってくれる・・・これが平塚八兵衛の信念でした。
モンタージュを当てにせず・・・

「目撃っていうのは、あとでいろいろ雑音が入ったり、思い違いってこともある。
 しかし、遺留品は、ブツがものをいうんだ。
 これほど確かなことはない。」

犯人が残した偽の白バイ、乗り捨てた車、トランジスタメガホン、そしてレインコート・・・
捜査陣は、124点の遺留品の洗い直しにかかります。
捜査陣が目をつけたのは、遺留品の白バイにつけられていたトランジスタメガホンです。
同じ型は、825台製造されました。
トラメガに関する捜査・・・足を使った販売ルート、購入者の身元確認、2年間の捜査で686台の購入者まで突きとめたものの、残りの166台は未発見!!
購入者の線からたどるのは限界でした。

トラメガを白く塗った際の小さな紙きれが付着して残っていました。
今まで見逃していたわずか数ミリの紙切れ・・・
警視庁科学検査所に解析を依頼すると・・・いくつかの紙片からひし形の模様が・・・これを新聞の見出しを飾る「地紋」ではないか?ということに・・・。
地紋とは、見出しの文字を浮き出させる模様のことで、新聞社ごとに独自の模様を使っていたために新聞の特定が可能・・・??
事件発生前2年分の新聞から一致する「地紋」を探しました。
しかし、それは砂浜で米粒を探すような気の遠くなるようなものでした。
そこに奇跡が・・・!!
膨大な新聞記事の中からひし形が一致する記事を発見!!
それは、事件発生の4日前、サンケイ新聞の朝刊婦人面の記事の一部でした。
紙きれの質も分析・・・製紙工場から配達地域が割り出せる??
その結果、配達地域は犯行現場のあった弾t区で、配達先は数千件。
そこに犯人がいるのか・・・??
ブツが真実を語り始めました。
捜査員たちは多摩地区の新聞配達店を訪ね、配達先の名簿や順路帳の提出を求めました。
ところが・・・事件から時間が経ち、順路帳は破棄されていました。
どの家に配ったのかがわかりませんでした。
ここにたどり着くまでに2年がかかっていました。
犯人への手掛かりはどんどん失われていきます。
三億円事件の遺留品は、国内犯罪史上異例の124点・・・これほどあれば、犯人が特定できるのでは・・・??
しかし、だれが、いつ、どこで手に入れようとしたのかを突き止めることはできません。
遺留品の多くは大量生産、大量消費されたもので、犯人を絞り込めない・・・
高度成長の光と影・・・豊かさの昭和の死角が手掛かりを消していったのです。

三億円事件発生から7年目「時効」の年・・・
昭和50年1月、国民的人気を誇った競走馬ハイセイコーが惜しまれながら引退・・・。
2か月後、捜査の神様も引退宣言します。
3月5日、平塚警部勇退・・・時効まで9か月・・・

「辞めれば私に非難が集まり、再び三億円がクローズアップされる
 情報もくる
 首をかけた最後のかけです」

残された時間・・・捜査陣たちはギリギリまで新たな手掛かりを見つけ出そうとしていました。
時効まで3か月・・・17人にまで縮小されていた捜査員たちを87人に増員。
更に警察官2000人を動員してローラー作戦を実施!!
捜査結果をすべて洗い直します。
その上、警察らしからぬイベントも・・・遺留品を屋外展示し、一般公開します。
情報提供を呼びかけました。
こうした警察の努力で、世間も再び注目します。
刑事ドラマのスターたちも犯人を推理します。
超能力者も協力を提供。

しかし世間は全く違うノリでした。
犯人の気持ちを面白おかしくレコードにした利、劇画ヒーロー風の犯人Tシャツ、映画・・・犯人への手紙を募集した掲示板・・・
事件が起きたときの高度経済成長も2年前に終了し、熱い時代は冷めつつありました。
昭和50年11月・・・時効まで1か月・・・
捜査陣は最後の賭けに出ます。
時効に出る前にどうしても取り調べたい人物がいたのです。
最後の男・・・
身柄を確保した男は、出所不明の大金を持っていました。
当時ハワイに住んでいて・・・東京に帰ってきての取調べとなりました。
2週間の取調べ・・・しかし、事件への関与は認められず12月3日シロと断定・・・
時効まであと7日・・・最後の賭けが終わりました。

そして7年前と同じ雨・・・
12月10日午前零時・・・三億円事件時効成立・・・。
事件発生から丸7年・・・
捜査費用9億7200万円・・・延べ捜査員数17万1346人
捜査員の歩いた距離76万8150キロ・・・この距離は地球20周近くにもなります。
ところが町の人々は・・・もはや被害額三億円は特別な驚きではない・・・昭和は新しい時代へと移っていました。

現代では犯罪対策のハイテク技術は進んでいるものの、顔に対する人間の記憶は重要な役割を果たしています。
目撃者の記憶をもとにした似顔絵捜査・・・三億円事件のモンタージュ写真重視から、今は似顔絵への捜査手法へと変わっています。
モンタージュは撮影に時間がかかり、目撃者の記憶が変わりやすい・・・
三億円事件の教訓です。
一方似顔絵は、紙とペンがあれば現場ですぐに作成でき、記憶が鮮明なうちに犯人の特徴を引き出せるのです。
似顔絵で重要なのは決して捜査官から誘導しないこと・・・具体的な特徴を聞くのではなく、まっさらな印象から始め、人に寄り添う技術が必要とされています。
平成12年の似顔絵捜査官を設置以来、現在全国に6000人・・・人間の内面には人間でしかわからない不思議さがあります。
事件発生から半世紀たった今でも語り継がれる三億円事件・・・変わりゆく時代のなか、事件を未解決に導いた昭和の死角を何人はどのように見ていたのだろうか。。。
犯人は、その答えさえも闇に持ち去ったのです。

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