北大西洋魔の三角海域・・・バミューダ・トライアングル!!
100を変える船や飛行機が謎の失踪!!
宇宙人の仕業?異次元に飲み込まれたのか??

地球のおよそ7割を占める海・・・そこに、船や飛行機が跡形もなく忽然と消える場所が・・・
北大西洋魔の三角海域・・・バミューダ・トライアングルです。

アメリカ大陸の東・・・北大西洋のフロリダ・プエルトリコ・バミューダ諸島を結んだ三角海域・・・バミューダ・トライアングル!!
ここでは、船が・・・さらには飛行機が・・・突然謎の失踪をする・・・!!
例えば、1918年、アメリカ海軍給炭艦・サイクロプス号は、救助を求めるSOS信号すら発することもなく、乗組員309名を乗せたまま突如、消えました。

1925年、日本の貨物船来福丸・・・
「早く来てくれ・・・!!脱出できない!!」という奇妙な通信を残して消えました。

1945年、アメリカ海軍の爆撃機5機が、天気が良かったぬも関わらず・・・
「我々のいる場所は・・・どうやら・・・」という謎の言葉を残して5機が同時に消えました。
これまでに失踪した船と飛行機100以上・・・。
行方不明者は1000人を超え、生存者はおろか残骸すらなし・・・。
未だ一件も解決していません。
バミューダ・トライアングルとは・・・??

透明度の高い海で、珍しい淡いピンク色のビーチ、パステルカラーの街並み・・・カリブ海でも一二を争う観光地のバミューダ諸島・・・。
人々はバミューダ・トライアングル伝説をどう考えているのでしょうか?

ハリケーン?伝説?事故??
それともミステリースポット・・・??

どのような使用室事件があったのでしょうか?

1945年12月・・・フライト19事件
第二次世界大戦終結からおよそ3か月後・・・
フロリダにあるアメリカ海軍基地から5機の爆撃編隊”フライト19”が飛び立ちました。
離陸した時刻は午後2時・・・天候は飛行日和でした。
隊長は、飛行時間2500時間を超えるベテランでテイラー中尉。
訓練は、基地を出て低空爆撃訓練を行い、進路を二度変えて基地に戻るという極めて簡単なもので、まだ太陽が出ている4時にはすべてが終了する予定でした。
ところが・・・
「白い水に突入!我々は完全に迷った!!」という行進を最後に、5機の爆撃機が一斉に消えたのです。
そんなことが本当に起こり得るのか・・・??

調べてみると、事故を起こす気象状況ではないのに謎の更新を残して消失。
救助を求めるSOS信号を発することなく消失。のパターンが多いのです。
この「謎の消失」が起きる共通原因とは・・・??

・宇宙人による拉致
・異次元に迷い込んだ
・海底ピラミッド
・海の巨大生物

怪しげな仮説がいくつもあります。

自然現象の仮説では・・・

・ダウンバースト説
・メタンハイドレート説

と、仮説はいろいろあるものの、誰も目撃したものはいないので、原因不明です。
海で突如として消える・・・人間だけが消えることもあります。
最も有名な事件はメアリー・セレステ号事件です。
今からおよそ150年ほど前の1872年、ニューヨークの運搬船・デイ・グラチア号がポルトガル沖で奇妙な船を発見します。
船の名は、メアリー・セレステ・・・。
人の気配がなく、呼びかけてみても返事がない・・・。
調べてみても、人影はどこにもない・・・しかし、彼らは驚きの光景を目にします。
食堂のテーブルに湯気の立ったコーヒーやパンなどのまだ温かい食事があったのです。
直前まで人がいたのか・・・??
乗組員が誰もいないにもかかわらず、救命ボートは残されたままでした。
人だけが蒸発した・・・??

バミューダ諸島には、この周辺地域で発生した事故の一切の記録を保管している組織があります。
バミューダ海事オペレーションセンター・・・1980年に発足したバミューダ政府の運営機関です。
周辺およそ320キロのSOSを受け入れ、船や飛行機の捜索救助活動を行い、事故原因の調査を行っています。
そして追跡調査も・・・地元の船であろうと、外国の日寝であろうと原因を正確に把握できるまで徹底的に調査を行っています。

バミューダ・トライアングルで謎の失踪事件の記録は・・・??
船が座礁した記録はあるものの、原因不明で失踪したという記録などありません。
このエリアは、1年の半分はハリケーンが通過します。
以前はGPSもなく、ハリケーンの予測も不十分でした。
また、人的ミスも大きな要因として考えられます。
それらが船の失踪や沈没を起こしたのではないかと考えます。
今も、毎日何千もの船が通過しますが、何の問題も起きていません。

では・・・謎の失踪事件の話の出どころは・・・??
バミューダ・トライアングルの伝説について、世界的に影響を与えた一冊の本・・・
アメリカの言語学者で超常現象研究家のチャールズ・ベルリッツが1974年に書き下ろした「バミューダ・トライアングル」は20か国語に翻訳され、500万部を超える世界的ベストセラーとなります。
その内容は・・・??
日本の貨物船・来福丸・・・
「早く来てくれ・・・!!脱出できない!!」と、何かにとらわれたように救助を求め、バハマ諸島とキューバの間で行方不明になったとされています。
来福丸は他の船によって決定的瞬間が撮影されていました。
来福丸は、人知れず失踪したわけではなく、救助に来た船の目の前で大しけで沈没していたのです。
しかも、事故現場は、バミューダ・トライアングルから遠く離れたカナダ沖・・・!!
更に最後の交信も・・・
「本船は今や危うく沈もうとしている
 しかし、救いの船は60マイルのところからここに向かっている」
というもので、「早く来てくれ・・・!!脱出できない!!」とは言っていなかったのです。

ベルリッツは、「フライト19失踪事件」についても・・・
気温は摂氏18度、太陽はかがやき、雲はまばらで、理想的な飛行日和。
日常的な飛行訓練を率いたのは、飛行時間2500時間以上の指揮官テイラー中尉・・・。
この飛行中に、異常な事態が発生しそうな気配はこれっぽっちもなかった。

「白い水に突入した」という交信を残して、5機が突然一斉に失踪!!
ベルリッツはこの事件を、不可解な失踪を遂げた完全な消滅事件としました。
しかし、実際はどうだったのでしょうか?

アメリカ公文書館・・・ここに当時、海軍が行った事故調査報告書が残っています。
報告書によると・・・
フロリダ19の機体は、フロリダ半島の暗闇の中、不時着した。
当時その海域は荒れており、水上の不時着には適していなかった。
またその原因については・・・
フライト19の失踪は、リーダーでありインストラクターでもあったテイラー中尉の一時的な精神の混乱と、その結果の誤った判断によっておこった・・・
つまり・・・快晴であったが後に天候は悪化、テイラー中尉が一時的なパニックに陥ったことで、自分が飛んでいる場所を錯覚した可能性があったとされています。
白い水に突入とは・・・別空間に迷い込んだような交信記録はどこにもありませんでした。

ベルリッツは、海軍の調査結果には触れることなく実際にはなかった交信を捜索することにより、謎の失踪を演出していたのです。

こうした数々を検証したのが、アリゾナ州立大学図書館司書ローレンス・クシュです。
クシュは、ベルリッツが書いた36の事件のうち、23件は捏造・脚色と暴露しています。

「バミューダ・トライアングルの伝説は、要するに恋に作られたものである
 それはまず、ずさんな調査に始まり、次いで謝った概念や間違った推理、あるいは人々の興味や関心を煽ろうとする作家たちによって、故意に或いは無意識的に作られたものに過ぎない
 それが借り換えし語られたおかげで、真実めいたオーラを帯びてきたのである」


一方、乗り物だけ残して人だけが消えるケースも・・・それが、メアリー・セレステ号事件です。
無人で漂流する船に、なぜか出来立ての食事が残されていた・・・。
こちらも公式記録が残っていました。
船と貨物には保険が掛けられており、裁判が行われたのです。
証言台に立ったのは、メアリー・セレステ号を発見した船員や船の所有者です。
彼等は船の中で何を見たのか・・・??

正式な宣誓をしたのち、当時の様子をこう証言しました。

「私と二人の男がメアリー・セレステに乗り込みましたが、誰もいませんでした。」

テーブルに温かい食事はあったのか・・・??

「船室にも調理室にも、食事の準備をしている様子はありませんでした。
 船室ではパンや食べ物などは見ませんでした。」

なんと・・・最大の謎ともいえる温かい食事はなかったのです。
では・・・救命ボートは残されたままだったのか・・・??

「ボートはどこにも見当たりませんでした。
 だから、何隻あったのかもわかりません。」

救命ボートは使われていた・・・??
つまり、伝説で語られている事とは異なり、船員たちは救命ボートで船を離れた可能性が高いのです。
しかし、この裁判においても、なぜ乗組員たちが船を離れたのかは不明でした。
ところが10年後、メアリー・セレステ号が再び出航することに・・・
伝説が再燃します。
1883年6月9日に書かれたロサンゼルス・タイムズ・・・
「なぜ いかにしてメアリー・セレステ号はみじんになったのか?」
調理室では静かに火が燃えていて、夕食は手つかずのまま残され、まだ温かかった
航海日誌は発見された1時間前に記入されたばかり・・・
このように、船から突然乗組員がいなくなったと強調!!
さらに、救命ボートもそのままだった・・・
乗組員が脱出した可能性まで捻じ曲げたのです。
メアリー・セレステ号事件は実際のところ、救命ボートが無くなっていたことから”乗組員がなぜ船から離れたのかわからない”という事件でした。

それが、温かい食事や救命ボートが残されていたとすることによって、乗組員が船から突然消え失せたという話になったのです。
そしてこれが知られるようになったのは、有名なある人物とのかかわりがありました。
コナン・ドイルです。
ドイルは事件の12年後、メアリー・セレステ号をモデルにしたコーンヒル・マガジンに「J・ハバフック・ジェフソンの証言」(1884年)という短編小説を発表します。
これを多くの読者が、事実に基づいた小説だと信じたのです。

更に謎は有名になっていきます。
事件を元に、「ファントム・シップ」(1935年)・・・映画まで作られたのです。

どうして事実と異なる伝説が生まれたのでしょうか?
メアリー・セレステ号事件というのは、非常に興味を掻き立てられる事件でした。
乗組員がなぜか船を捨て、そのままいなくなってしまった・・・
とても不可解な事件です。
しかしそれだけでは少し面白みに欠けていました。
人々はつまらない事実よりも、面白い伝説やフィクションを好みます。
そのため、歴史上沖田多くの出来事を人々は誇張して伝えようとします。
その結果、事実に対して尾ひれがつき、船が発見されたときには「温かい食事が残っていた」「救命ボートが残っていた」といった要素が加えられて、面白い物語に変化していったのです。

バミューダ・トライアングル・・・そしてメアリー・セレステ号事件・・・
人知れず目撃者のない海で起きた事件を多少脚色してもわからないだろうと人為的に膨らませた伝説でした。

バミューダ諸島水中探査研修所には・・・「バミューダ・トライアングル謎の解明」という場所があります。
2018年にオープンしたばかりで、バミューダ・トライアングルの情報を集めた世界初の施設です。
観光客たちがこの展示を望んでいたのです。
私たち人類は、これまでに地球上のあらゆる場所を踏破してきました。
しかし、海には今なお未知の領域が残っている・・・海は人間にとって永遠の謎なのです。

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