90年前・・・催眠術や交霊術を発揮し、世界一の予言者と呼ばれた霊能力者がいました。
その名は、第三帝国の予言者エリック・ヤン・ハヌッセン!!
予言者ハヌッセンは、あやしい霊能力を使い、ヒトラーの黒幕と噂された謎の男・・・
ナチス・ドイツを支持すれば、幸せな未来が来ると、民衆の期待を煽り続けた時代の申し子です。
1932年アメリカ・・・子ヤギに布をかける怪しげな男女・・・大勢の観客が見守る中、魔法の呪文でヤギが人間に・・・!!
観客が大喜びのイリュージョンです。
20世紀前半、欧米を興奮の渦に巻き込んだ男エリック・ヤン・ハヌンセン。
ステージに立てば、常に満員!!
交霊術で死者の声を告げれば、トランス状態であらゆる未来を予測・・・
「ハヌンセン!!世界一有名な予言者」
1930年、41歳の時に出版した自叙伝”私の生命線”の序文には、
”透視能力や催眠術師として名を馳せた男の人生”
自信に満ちた謎の霊能力者はどこから来たのでしょうか?
ハヌンセンが生まれたのは、1989年6月2日、芸術の都ウィーン、かつて栄華を誇ったオーストリア帝国が衰退を迎えていた時代です。
ハヌンセンが育ったオッタクリングは、当時のウィーンの西のはずれ・・・労働者が暮らす貧しい地域でした。
本名ヘルマン・シュタインシュナイダー・・・ハヌッセンは、後に北欧風の芸名をつけたものです。
父ジークフリートは、ヨーロッパ各地を巡業する旅役者で、母ジュリーも同じステージに立つ歌手でした。
旅芸人の暮らしは不安定・・・食卓にはパンとスープだけだったといいます。
”父親は何の役にも立たない貧しい悪魔だった
私の子供時代は決して楽ではなかった
私は英雄になりたかった”
自伝によると、ハヌッセンは9歳の頃、近所の人々を前に初めて予言をしたといいます。
「この工場に指名手配のギャングが潜んでいるというお告げがありました
僕がこれから火をつけて、ヤツを追い出して見せます」
そして、工場に火を・・・すると、なんと本当にギャングが逃げ出してきたのです。
予言者ハヌッセンの始まりでした。
ところが、アメリカのハヌッセン研究者によると・・・実際にあった話ではないのではないのか??
彼は幼いころ、ウィーンの貧しい環境で暮らしていたので、裕福な人々と自分とのギャップをとても感じていました。
その体験から、彼が目指していたのは富と名声を手に入れること・・・そして、認められることでした。
人から注目されることに飢えていたのです。
ハヌッセンは、14歳の時、自分の力で一旗揚げようと親元を離れました。
サーカスの猛獣使い、歌手、マジックショー・・・あらゆるステージテクニックを学びます。
しかし・・・一向に目が出ません。
さらに25歳の時、第1次世界大戦が勃発・・・ハヌッセンは、半年で33万人の死者を出したポーランドの激戦地ゴルリツェに派遣されました。
いつ死ぬかもわからぬ日々・・・ハヌッセンは、自分の才能に目覚めます。
直属の上官の未来を超能力で予言します。
「赤ん坊が見えます 男の子・・・そう、元気な男の子が・・・!!」
言われた上官も半信半疑・・・ところが5日後、
「妻に子供が生まれたんだ
しかも男の子だ!!
予言が当たったよ!!」
大喜びした上官は、ハヌッセンを危険な前線任務から外しました。
ところが・・・この霊能力予言には種がありました。
前線近くの野戦郵便局・・・そこで働く友人を買収し、予言する相手あての手紙を前もってのぞき見していたのです。
1918年第1次世界大戦終了・・・
ハヌッセン30歳、ドイツの首都ベルリンに拠点を移し、再びステージへ!!
そこで、今まで学んだステージテクニックを花開かせます。
霊能力を駆使したテレパシーショーです。
ステージ上のハヌッセンは、まず、目と耳を完全にふさぎます。
その間に、観客の一人が、他の観客にわかるように客席のどこかにマッチ箱や煙草入れを隠します。
続いて、無作為に選んだ協力者の心をテレパシーで読み取ります。
「隠したものの形、材質、しっかり心の中でイメージしてください」
そして、協力者の腕を握り、その目と心を通して隠し場所探り当てるのです。
これぞ本物の神秘の力・・・!!
ハヌッセンの霊能力ショーは、大ヒット、チケットは完売し、4万6000人以上を動員。
噂は瞬く間に広がり、ステージの依頼が殺到!!
月収は1000万円!!
セレブ相手の交霊術や、個人占いも始めます。
料金は1回で労働者の月給の4倍・・・30万円という荒稼ぎでした。
金と名誉を獲得したハヌッセンは、あらゆる欲望へと手を広げ、週末ごとに自分の高級ヨットにセレブを集め、いかがわしいパーティー三昧・・・
そんな彼のヨットに世間がつけたあだ名は「七つの大罪」号でした。
傲慢、強欲、色欲、暴食・・・欲望の赴くまま・・・ハヌッセンは、子供の頃からあこがれ続けていた世界へとなりあがったのです。
ハヌッセンは本当に霊能力の持ち主だったのでしょうか??
整理心理学の一種の応用的な手法を用いたと考えられます。
通常では気が付かない程度の僅かな反応を、彼が手を握ることによって読み取った可能性があります。
人力ウソ発見器です。
人間は、緊張すると無意識に脈拍が上がり、汗がにじみ、筋肉がこわばります。
テレパシーショーの場合、ハヌッセンが隠し場所に近づくと協力者は緊張し、このような生理現象が出ます。
そのまま通りすぎたりすればホッとして生理現象が弱まります。
ハヌッセンは、握った協力者の腕から微妙な変化を読み取りながら隠し場所に向かったとされます。
筋肉リーディングという高等テクニックです。
必要なものは観察眼、共感性です。
それをエンターテインメントでうまくパッケージングしたものなのです。
「僕は英雄になりたかった」
貧しかった時代から抜け出し、富と名声を手に入れたハヌッセン。
しかし、1度火が付いた野望は、治まることを知らず、更なる野望へと突き進んでいくのです。
霊能力ショーで成功したハヌッセン・・・種も仕掛けもあったとはいえ、並外れた才能がありました。
ステージが始まる前、ハヌッセンは助手を使って今日の観客の情報をリサーチしていました。
それを本番直前に暗記することで、どんな観客が相手でも言い当てることができるようにしていました。
観客は、ワンステージで数百人分・・・公演のたびに記憶をしていました。
数か月たっても完璧に覚えていたといいます。
しかし、彼はステージの成功だけでは満足しません。
さらなる富と名声を求めて近づいていったのは、あのナチスでした。
1930年初頭・・・ハヌッセンが活躍したドイツ・ベルリンは混乱の中にありました。
1929年に襲った世界好況によって、ドイツの失業者は600万人に膨れ上がっていました。
失業率は、実に30%・・・未曽有の危機・・・!!
そんな中、ドイツ議会では二つの政党が人気を集め、急成長をしていました。
ひとつは低賃金労働者層に支持され、富と権力を独占する富裕層打倒を目指すドイツ共産党、もうひとつは・・・
「他の政党をドイツから追い出すことが第一の目的だ!!」byヒトラー
アドルフ・ヒトラーを当主とするナチ党・・・国民社会主義ドイツ労働者党です。
話し合いばかりで問題解決ができない議会民主制ではなく、即断できる独裁制で新時代を切り開こうと訴えて人気を集めている勢力でした。
ナチ党と共産党は、お互いを宿敵と憎み、労働者層の占拠票を奪い合い、乱闘騒ぎを起こしていました。
そんなある日、ハヌッセンはベルリンの社交界でナチ党の幹部と友人になります。
ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ伯爵です。
ナチ党突撃隊ベルリン支部の指揮官でした。
突撃隊は、ナチ党が政敵を排除するための暴力専門集団で、その幹部へルドルフも強硬派の恐ろしい男・・・
ただし、ギャンブル好きという弱点を持っていました。
借金がなんと1億6000万円・・・そのうち半分をハヌッセンが肩代わりしたといいます。
ハヌッセンは、へルドルフの人脈を生かし、名だたるナチ党幹部に接近します。
ナチ党幹部に資金提供をすることで、上り調子の政治権力に食い込むことを狙いました。
ハヌッセンとへルドルフは、持ちつ持たれつの仲でした。
へルドルフはお金が必要で、ハヌッセンは上級階級のコネを求めていたからです。
ハヌッセンは更なる名誉と権力を得ようとしていたのです。
1932年1月・・・ハヌッセンは、世間への新たなアピールに打って出ます。
印刷所を買収し、新聞を発行!!
その名も「週刊ハヌッセン新聞」です。
記事の中身は、
”10分の瞑想が3時間の睡眠に匹敵”
”自ら愛用のインド式数珠をPR”
”催眠による若返り療法”
大衆受けする健康情報や、お役立ち情報などをハヌッセンのオカルトチックな味付けで打ち出します。
これが大ヒット!!
創刊時の発行部数8000部が、1年後には15万部、さすが世間の空気を読むヒットメーカーです。
ところが、4か月後の5月、別の新聞から攻撃を受けます。
ドイツ共産党の機関紙「ベルリン・アム・モルゲン」です。
”ベルリンを支配する詐欺師”
”高級車、高級ヨット、印刷工場、全て詐欺まがいの商法で得た富”
”霊能力商売で荒稼ぎをし、欲望をむさぼるハヌッセンは、金持ちの堕落そのもの”
と叩かれたのです。
これに対し7月、ハヌッセンは自らの新聞で反撃!!
”ヒトラーに政権を”
”ヒトラーの首相就任やいかに?ゴール間近!”
予言や占いという形で、ヒトラーが政権を取るべきだと応援をはじめました。
ハヌッセンにとって、有力な人脈を作ってきたナチ党は、同じ共産党を敵とする仲間同士でした。
そこで、「ヒトラーがもうすぐ大統領から任命され首相になるはず」と世間にアピールします。
そして、共産党の勢力を削ぎ、攻撃から身を守ろうちしたのです。
一方ナチ党にとっても、人気者ハヌッセンによる「ヒトラーが政権を取る」予言は好都合でした。
黙っていても、プロパガンダをするハヌッセンは、利用価値がありました。
予言者ハヌッセンと扇動者ヒトラー・・・過激な方法で、大衆心理を掴む二人が今、歩み寄ろうとしていました。
ヒトラーに接近し、更なる栄光を目指すハヌッセン・・・そのハヌッセンを利用して、政権の獲得を目指すヒトラー・・・この二人には、多くの共通点がありました。
同じオーストリアの出身で生まれた歳も同じ1889年、2人とも孤独な幼少期を送り、若い頃はヒトラーは画家になろうとして挫折、ハヌッセンはショービジネスで失敗続き・・・
一方で、成功のきっかけは、ヒトラーは人の心をつかみ過激な演説で、ハヌッセンは人の心を操る怪しげなショーで・・・。
これは運命なのか??混ぜてはいけない危険な二人が、ドイツの未来を闇へといざないます。
1932年7月、ナチ党は第1党に・・・!!
”選挙戦に向けて星占い”
”ナチ党と突撃隊、そしてヒトラーなしでは国民の勝利とドイツの復活は不可能”
1932年後半、ハヌッセンは予言によるヒトラー応援にさらに力を入れていました。
一方、別の出版社からはハヌッセンとヒトラーのつながりを掻き立てる本が・・・!!
”ヒトラーが手を伸ばすとハヌッセンは手相を注意深く見てこう伝えた
「あなたはいつかドイツのアイドルになるでしょう
あなたが政府のかじ取りをする素晴らしい日がいよいよやってきます」”byハヌッセン ドイツのラスプーチン
大人気霊能力者のヒトラーへのいれあげぶりに、世間では引っこ抜くと声をあげる魔法植物マンドラゴラをハヌッセンがヒトラーに贈ったという噂も出ました。
アメリカCIAの機密文書では、諜報機関(OSS)によるヒトラー分析で、黒幕にハヌッセンがいると指摘しています。
”ヒトラーは、ハヌッセンという人物から定期的に演説や大衆心理のレッスンを受けていた”
ハヌッセンは、本当にヒトラーのアドバイザーだったのでしょうか?
ハヌッセンとヒトラーがあっていたという確証はありません。
世間の人々は、エゴやカリスマ性という共通点を持つハヌッセンとヒトラーがたがいにひかれ、繋がっていると信じたかったのかもしれません。
2人の実際の交流を勘繰るほど、ヒトラーの首相就任に期待をかけ、予言を続けるハヌッセン・・・!!
しかし、応援を初めて数か月・・・現実はなかなか予言通りにはいきませんでした。
8月・・・ドイツ政府の内部で「大衆に人気があるヒトラーを首相に任命するべきでは?」という意見が上がります。
しかし、大統領ヒンデンブルクはこれを拒否。
しかも、3か月後の11月6日、選挙でナチスは議席数を230→196と大きく減らします。
ヒトラーとナチ党の銃成長が行き詰ったのです。
さらにハヌッセン自身にも危機が訪れます。
12月12日、ある一般新聞のスクープ記事に、ハヌッセンは驚愕します。
”予言者の闇・・・ハヌッセン・・・本名ヘルマン・シュタインシュナイダーはユダヤ人である”
ハヌッセンの結婚式の証明書には・・・ユダヤ人教会で行われたと司祭が書き記しています。
ハヌッセンはこれまでユダヤ人という事実をひた隠しにしてきました。
この報道に、友人へルドルフは激怒!!
「君がユダヤ人だというのは本当なのか??」
彼が所属するナチ党は、設立当初からユダヤ人をドイツ民族の敵とみなす反ユダヤ主義を掲げていました。
しかも、へルドルフは、突撃隊幹部としてベルリンでのユダヤ人迫害に積極的にかかわる強硬派・・・!!
ハヌッセンがユダヤ人だとしたら、ただで済ますわけにはいかない・・・!!
「それは全くのでたらめだ・・・
俺の両親は、デンマークの貴族だったが、早くに亡くなってしまい親切なユダヤ人夫婦の養子になった」byハヌッセン
ステージで鍛え上げた度胸と機転で、とっさに過去をでっち上げ、なんとかその場を取り繕いました。
ユダヤ人でありながら、ナチ党の幹部たちと付き合い、さらにはヒトラーの政権獲得を応援するハヌッセン・・・
どうして、このような危険な行動をとったのでしょうか??
知人に語っています。
「私は、ナチの反ユダヤ主義は、ナチ党が選挙で大衆の支持を得るためのトリックに過ぎないと思っていた」byハヌッセン
ハヌッセンは、ナチ党の行動の真意を、完璧に読み取れていると自信を持っていました。
さらに・・・彼は、ナチの寄付金の領収書、借金の借用書を大量に持っていました。
これが世間に出ると、ナチはユダヤ人のハヌッセンを頼りにしているとバレてしまいます。
ナチは、自分になついているし、この切り札がある限りは安全だと考えていたのです。
多少のリスクは乗り越えられる・・・ハヌッセンは自分の未来をヒトラーの成功に賭けました。
その賭けは、ある日突然決着を迎えます。
1933年1月28日・・・内閣が突如総辞職・・・
2日後の1月30日、ヒンデンブルク大統領は、ヒトラーを首相に任命しました。
ヒトラー政権が誕生したのです。
予言がついに現実となりました。
”ハヌッセン新聞、世界史を先取り”
その上、ハヌッセンは、ヒトラーに自分を売り込むかのような熱烈なメッセージを
”帝国首相閣下!
私は閣下の時代の到来を予見し、それを信じてきた人たちに真実をそのまま告げました
これまで私は閣下の成功を予言するたびに、嘲笑され、風刺画を描かれ、イカサマ予言者と呼ばれました
それでも自分が再興の社会「閣下の社会」に属しているという思いこそが、私の慰めとなったのです”
ヒトラー政権誕生と時を同じく・・・1933年1月、ハヌッセンはベルリン中心街の高級アパートに入居します。
内装に2000万円以上かけた部屋を披露します。
通称オカルト宮殿・・・友人たちを招いて交霊術や占星術を行う特注テーブル。
セラピーを行う帆船を模した巨大な像
全ての客室には盗聴器がつけられ、ゲストの占いやショーに当たっての情報収集も万全でした。
我はヒトラーの予言者・・・ハヌッセンは栄華の絶頂にありました。
午後9時30分ごろ・・・民主主義政治の中心・国会議事堂が炎上します。
真赤な炎と黒煙に包まれました。
駆けつけたヒトラー首相は、これは共産党による国家転覆の陰謀だとまくし立てました。
「まさに今、ドイツの新たなる章の幕開けを目撃している
この炎が始まりだ!
共産党の活動家は、全員射殺だ!!」byヒトラー
一方、国会炎上前夜・・・
あのオカルト宮殿にセレブや新聞記者を招き交霊会を行っていたハヌッセン・・・
ハヌッセンは翌日のヒトラーと同じようなことを口走っていました。
「炎が見える、巨大な炎・・・火事だ・・・大きな火災が発生している
放火魔が、罪を働いている」byハヌッセン
それはまさに、国会議事堂放火の予言でした。
実は、この国会議事堂放火事件は、ナチの自作自演と言われています。
自ら国会に放火した上で、共産主義者を犯人に仕立て、クーデターをでっち上げたのだという・・・
ヒトラーは、ヒンデンブルク大統領に依頼し、緊急事態に対応する法令を布告。
事件翌日には、国民の基本的人権のほとんどを停止、共産主義者の徹底弾圧を強行しました。
逮捕者2万5000人以上・・・ヒトラーはわずか1日で、敵とみなす相手を一掃する手段を手に入れたのです。
遂に、恐怖政治の本性をむき出しにしたヒトラー・・・
国会放火事件を予言したハヌッセンは、ヒトラーの陰謀を事前にリークしたことになります。
ハヌッセンは、特別なセンセーションを見せたかったのでしょう。
自分がいかに予知能力を持っているか・・・実行直前の国会議事堂放火に関する情報は、へルドルフから得ていたと思われます。
ハヌッセンのこの予言が浅はかで、行き過ぎだったのは言うまでもありません。
この直後から、ハヌッセンは何者かの影におびえるような発言を友人に語るようになります。
「私の頭上には、暗い雲が浮かんでいて、それが覆いかぶさっている
自分に残された時間はわずか
自分には大きな災難が近づいている
ここ数週間、気分が乱れていて、武装した護衛なしには劇場へ向かいたくない
できるだけ早くアメリカに腰を下ろすつもりだ」byハヌッセン
1か月後の4月からは、ウィーンでの公演を控えていました。
これを機に、海外脱出を目指そうとしたのか・・・??
しかし、一方で、ハヌッセンの秘書は近証言をしています。
「ハヌッセンの部屋には、ナチ党員の証明書がありました」
追い詰められたハヌッセンは、ベルリンでキリスト教に改宗して、ナチ党に入党しています。
これは、ハヌッセンの最後の悪あがきだったのです。
このままベルリンでナチとの良好な関係を期待するのか?
それとも海外へ脱出した方が安全なのか??
しかし、ウィーン公演へ向かう10日ほど前・・・ハヌッセンは再びあってはならないミスを犯します。
1933年3月19日、ある出版社の買収に参加したハヌッセンは、売り手側の裏切りに遭います。
へルドルフの部下の突撃隊幹部ヴィルヘルム・オーストが、買収に割り込んできたというのです。
「それなら、おーすとはこれまで私が貸してきた金をすべて返すべきだ」
ナチが、ユダヤ人のハヌッセンから借金をしていることは、借金証書をハヌッセンが切り札にするほど重大な秘密でした。
それを、おーすとにつながる人物の前で、口走ってしまったのです。
いつものステージ・・・出演時間の夜10時になってもハヌッセンは姿を見せませんでした。
その2時間前・・・オカルト宮殿を訪ねたのは、4人のナチ突撃隊員でした。
オーストもいました。
「借用証書全てを渡してもらおう」
もはや、友人の顔ではありませんでした。
「それは渡せない」
抵抗するハヌッセン・・・しかし借用証書も寄付金の領収書もすべて奪われました。
ハヌッセンは車に乗せられました。
2週間後の1933年4月7日・・・ベルリン郊外の森で遺体が発見されました。
背後から3発の銃撃を受けた遺体は、野生動物の餌食となっていました。
ハヌッセンが連れ去られる前日の3月23日、臨時の国会議事堂をナチ突撃隊が包囲する中、全権委任法が成立。
ヒトラーは、国会を通さず、自由に法律を作る権限を手に入れました。
もはや、予言者など不要でした。
やがて、独裁政治を確立していくヒトラーによって、ドイツ支配下のユダヤ人は、財産も、人権も、そして命を奪われていきます。
ベルリン中心部から南西に30キロ・・・ハヌッセンは、遺体発見の勅語、ドイツ・朱ターンすドルフの南西教会霊園に埋葬されました。
墓碑銘には、エリック・ヤン・ハヌッセンとだけ・・・華やかな肩書も、ユダヤ人としての本名もない・・・。
埋葬の時、参列者はわずか7人でした。
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