日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:ニクソン

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第2次世界大戦後、世界各地で紛争が起き・・・アメリカは多額のお金を使うことになります。
お金を世界中にばらまいてしまったのです。

朝鮮戦争・ベトナム戦争の勃発・・・最盛期には、50万の兵士が南ベトナムに送られました。
そして、毎日大量の爆弾を北ベトナムへ・・・!!
とてつもないお金を使ってしまいました。

おまけに南米の反政府ゲリラが・・・腐敗した独裁政権を支援します。
アフリカでもソ連側に入らないように・・・アメリカ側につくならたとえ独裁政権であろうと援助をする・・・
アメリカの仲間であれば・・・と、お金を世界中にばらまいたのです。

アメリカの持っていた金の量が急激に減ってきました。
1949年には245億ドルあった金塊が、1970年には111億ドルとなってしまいました。

はじめ、アメリカ本土にある金の価値の方が、世界中にあるドルより高かったのですが、アメリカがドルをばらまいた結果、世界中に出回っているドルのお金の量が、アメリカ本国が持っている菌よりはるかに多くなってしまったのです。

アメリカに金が無くなってしまう・・・

アメリカは居直って・・・「交換できない!!」
1971年ニクソン大統領がホワイトハウスから交換しないと宣言したのです。

「アメリカはドルを守らなければならない!!
 世界中の通貨を安定させるため、ドルと金との交換を禁止することにした!!」

これをニクソン・ショックと言います。
ドルをいつでも金に変えることができるから、ドルには信用がありました。
ただの紙切れになってしまう可能性のあるドル・・・しかし、これに変わるものがなかったので、世界のお金として使われることになったのですが・・・ドルの価値がどんどん下がっていってしまいました。
金1オンス=35ドルで交換だったものが、38ドルとなったのです。

どうする??

改めて「1ドルいくら」ということを、決めなおそうということになりました。

「固定相場制を決めなおそう!!」ということで、ワシントンのスミソニアン博物館に世界の代表が集まりました。
これをスミソニアン体制と言います。

結果、1ドル=308円になりました。
これも長続きせず・・・固定しておくわけにはいかなくなって・・・変動相場制となり・・・外国為替市場が誕生するのです。

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アメリカ大統領と言えばこの人、というくらいに人気は高く、世界的にも知られています。
テレビ時代の申し子と言われていました。
その在任期間はわずか、1036日。3年足らずです。
悲劇的な暗殺・・・その死もテレビが伝えました。

どうして今もなお、カリスマ大統領とされているのでしょうか?

ケネディがホワイトハウスで愛用していた机・・・
カーター、レーガン、クリントン、オバマ・・・歴代大統領が使ってきました。

ケネディが好きだった言葉

「神よ あなたの海は
 あまりにも広大で
 私の船はあまりにも小さい」

どうして今も昔もケネディは人を惹きつけるのでしょう?

①ホワイトハウス・・・大統領の生活は???

大統領一家が過ごします。地下三階、地上三階、132もの部屋があります。
1回には大広間が、2階は居住スペース
この場所で、生活し、仕事をします。
かっこいいイメージですが、小食でちょっとひ弱。
分刻みのスケジュールをこなしながら、お昼寝をしたり、自分の時間も大切にする・・・そんなジャックがそこにはありました。

②VOTE(投票)

43歳にして大統領となった男。
選挙によって史上最年少大統領となったジャック。
生まれ故郷ボストンで1917年5月29日に生まれました。
先祖はアイルランドからの移民、プロテスタントが政財界のボストンにあって、敬虔なカトリック信者でした。
父・ジョセフは、実業家として大成功。
でも、差別や偏見を受けた父は・・・勝負には絶対に勝て!!なんでも一番になれ!!と、育てます。

やがて、兄を追って名門高校へ進むものの・・・
あまり賢くはなかったようです。
ちなみに兄は、スポーツ万能・成績優秀で、将来は政治の世界で活躍することを期待されていました。
しかし、やんちゃなジャックは先生に怒られてばかり・・・
生徒同士の人気投票で・・・最も成功しそうな生徒に選ばれています。
勉強も、スポーツも得意ではないのに、魅力にあふれていました。

第2次世界大戦中海軍にはいったジャックに悲劇が・・・
1944年に兄・ジョーが戦死したのです。
ジョーを大統領に!!と、夢を描いていた父は、その思いを次男のジャックに!!

ケネディは、父の全面的な支援を受けて、29歳の若さで下院議員に・・・
それ以後も負け知らずでした。

議員としての成績はあまりでしたが・・・人気はぴか一でした。

そして、大統領選挙へ・・・
実力者を抑えて・・・43歳という若さで、民主党の大統領候補に選ばれます。
共和党の候補は、副大統領を2期も務めたニクソン。
下馬評ではニクソンが圧勝する予定でした。。。

ジャックは、若さと新鮮さを全面的に押し出します。
みんなとともに・・・気さくに話しかけ、人々の心を掴んでいきます。
そして、史上初の生放送の大統領候補のテレビ討論で・・・

ダークなスーツに身を包み、身だしなみに気を付けてカメラ目線で話しかけます。
一方、ニクソンは・・・落ち着きがなく、汗をかき・・・視線が泳ぎます。

この討論をラジオで聞いた人々の判定は五分五分・・・
しかし、テレビで見た人たちの印象は・・・二人の差は明らかでした。
7000万人が見たといわれるこの討論、最初の15分で決まったといいます。
ケネディは国民に向けて討論し、ニクソンはケネディに対して討論していました。
討論前はケネディ47%・ニクソン53%が、討論後はケネディ51%・ニクソン45%となったのです。

その後ニクソンも必死に頑張りますが、わずか10万票の差で大統領の座についたのはジャックでした。
大統領就任式での国民への呼びかけは、後に有名な演説となりました。

そんなジャックの人気は???
人の心を掴むのが上手だったようです。
気取らない性格で、ハンディ、痛みのわかる人物だったようです。

そして、ジャクリーンと二人でホワイトハウスを変えていきます。
聡明なジャッキー、親友のチャールズ・バートレットが引き合わせました。

ケネディがホワイトハウスの主となると・・・
ジャッキーは知性的な女性で、芸術作品をそろえ、華やかな部屋へと変えていきます。
ホワイトハウスが人々の間に開かれた存在となるように・・・努力を惜しまなかったのです。
機知にとんだ受け答えをする二人の改革は、大統領を人々の身近な存在にさせていきました。

③フルシチョフ・・・若き大統領だったジャックを本当の政治家へと導いたのが、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフ。
1960年代、それは、資本主義と共産主義が真っ向から対立した冷戦の時代でした。

大統領に就任してから半年で・・・冷戦構造の打開を図るためにフルシチョフと会談へ・・・
フルシチョフは、話せば全て味方につけてしまうような人でした。誰であれ、説得できる人だったのです。

会談で、共産主義を高らかに主張するフルシチョフ・・・
ケネディは、話し合いの糸口も掴むことが出来ません。
普段は葉巻しか飲まないケネディが、通訳の煙草に手を伸ばしたと言います。
腰の痛みと極度の緊張。。。2日間の会談で具体的成果はほとんどゼロでした。

壁のようにそびえ立つフルシチョフに阻まれたケネディ・・・
肩を落としたと言います。

しかし、フルシチョフはケネディのリーダーとしての素質を見抜いていました。
フルシチョフの息子は・・・
「父・フルシチョフは、ケネディをひ弱な青二才だと見くびっていたというのは、アメリカ人の神話です。ケネディは、しっかりしたビジョンを持っていたと・・・アイゼンハワーよりも実力があると認めていたようです。」

1962年10月のキューバ危機・・・
アメリカのわずか南100キロにある共産主義国・キューバ・・・
ここにソ連が核ミサイルを配備しようとしていました。
のど元に突き付けられた核ミサイルの恐怖、人々は混乱し、マスコミは第三次世界大戦を煽ります。

ホワイトハウスでは・・・
軍の幹部がキューバへの軍事侵攻を求めます。
しかし、ケネディは・・・フルシチョフとの外交交渉で決着をつけようとしました。
キューバ近海を封鎖、ソ連の武器を積んだ軍艦の阻止を宣言しました。

「キューバからのミサイル攻撃は、どの西側諸国に対してであれソ連からアメリカに対する攻撃とみなす」

13日間にわたる交渉が始まりました。
その結果、アメリカはキューバを侵略しないと約束、あとはソ連側が決断すべきだ、とフルシチョフに委ねます。
これに対しフルシチョフは・・・
キューバからのミサイル撤去を約束しました。

1963年ケネディは西ベルリンを訪れます。
冷戦によって東西に分断された町・・・ここでケネディは、有名な演説をします。

「どこに暮らしていても、あらゆる自由な人はベルリンの市民です。
 ですから自由な人間として私は誇りを持って言うのです。
 イッヒ・ビン・アイン・ベルリナー
 (私はベルリン市民である)」

外交での実績を積み上げていたケネディは・・・リンカーン以来国内を揺るがしていた問題・・・黒人差別問題に取り組みます。
公民権を確立するためです。
「これまで長年、放置されてきた問題の解決を会議に求めます。
 アメリカの暮らしと法律から人種差別をなくすことです。」

黒人の公民権確立への道筋をたてたケネディ。
海を愛し、家族を愛し、自由の国を愛したケネディ。

1963年11月22日ダラスで・・・
人種差別が色濃く残るこの街で、自由で開かれたアメリカを訴えようとしていました。
しかし、12時30分、一発の銃声が鳴り響きました。
何者かによって銃撃されたのです。

若き大統領の死・・・

フルシチョフは、ジャッキーに、心のこもったお悔やみを・・・
これに対してジャッキーは、
「ケネディは、あなたと一緒に世界平和を実現したいと考えていました。
 しかし、夫はもういません。
 これからはあなた一人で実現していかねばなりません。」

もしケネディが生きていたら・・・
底辺の人々に手を差し伸べたケネディ。。。

ダラスにある博物館には、毎年30万人の人が訪れます。

どんな人の心の中にもある弱さ・・・
その弱さとうまく付き合ったからこそ相手を知り、自分を知り、国を知る・・・
それが、ケネディの強さでした。


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