チャップリン自伝改版 [ チャールズ・スペンサー・チャップリン ]

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縛られることに抵抗し、どのような非難に晒されようとも自由を貫き、世界を笑いに包んだ男・・・
20世紀の喜劇王・チャップリンです。

笑い・・・涙・・・風刺・・・才能と栄光に溢れた輝かしい業績・・・
しかしチャップリンは自分の人生は・・・

「人生とは苦しみだ」

と言っていました。

自由を求めるチャップリンが自由を求めて戦ったのは・・・
ヒトラー、アメリカ・・・
そして・・・翻弄された人生。。。
天国と地獄を行き来した喜劇王です。

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チャーリーは、わざとちぐはぐな大きさの衣装にし、ホームレスのキャラクターを表現しています。

しかし、実際のチャップリンは・・・こんな感じ。cha2


世界の喜劇王はどのようにして生まれたのでしょうか???

イギリス・ロンドン。。。
下町にチャップリンの原点のミュージックホールがあります。
日々の貧しさをつかの間忘れられる場所です。
チャップリンの良心も、歌やものまねをする舞台芸人でした。

1889年4月16日、チャールズ・チャップリン誕生。
両親は離婚し、母が女手一つで育てていました。
が・・・母は、コメディやものまねを演じ、家族を笑いで包んでいました。

「私にとって母は、最高の芸人だった。
 私は身振りや表情で自分の感情を表現する方法や、人間を観察する力も学んだのだった。」

ところがある日・・・
母に異変が・・・!!
声が出なくなり・・・仕事を失ってしまいました。
それは貧乏になることを意味し・・・チャップリンは、母と離れ離れになってしまいました。

自分で稼がなければ生きていけない・・・職人についたり・・・時には物乞いなどをして過ごしました。
12歳の時、別れた父が死ぬことを知ると・・・
喪章をつけて花を売り・・・女性たちは、哀れな少年に同情して花を買いチップまでくれました。
生きるためには、きれいごとを言っていられなかったのです。

普通の子なら死んでいたところ、それに抵抗し、生き抜いたのでした。

18歳の時・・・生きるために・・・ロンドンの人気劇団に入団。
それは、両親と同じ大衆芸人でした。

チャップリンの当たり役は・・・酔っ払い・・・
全身を使ったアクション、メリハリ、タイミング・・・誰もが爆笑し。。。
ロンドンの大衆演芸で・・・週給75ドル(現在の約17万円)もらえるまでになりました。

チャップリン21歳の時・・・所属劇団の興業でアメリカに渡りました。
そこは、自由と成功の地・・・チャップリンの憧れの地でした。

”自らの努力によって身をたてることが出来る立身出世が可能な国”

でした。

24歳の時、映画会社からスカウトされます。

当時映画は、急成長の娯楽・・・
出身の階級など関係なく、人気スターになれたのです。
成功への登竜門でした。

1913年24歳の時に・・・映画会社と契約します。
期間は1年、週に150ドル。申し分ない金額でした。

が・・・この契約書、一度作り直されています。
作り直す前に・・・チャップリンはサインを拒否しています。
そこには絶対に受け入れられない項目があったのです。

「契約は、いずれか当事者の通知により解約できる」

という部分でした。

この項目の削除を求めたのです。
安定した生活は、絶対に失いたくはない・・・。
貧しさへの恐怖はそれほど根深かったのです。
 

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1914年「成功争い」で銀幕デビュー。

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お馴染みのスタイルではありません。
ドタバタ勢いで、どちらがチャップリンか分からない出来でした。



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しかし、2作目「ヴェニスの子供自動車競争」では・・・
本領発揮!!
既にチャーリーになっていました。
味のある動き・・・その個性的な動きに大爆笑!!




新作を発表するたびに、その笑いは鋭さを増していきます。
もっとチャップリンの映画を・・・!!映画館から注文が殺到します。
わずか1年足らずで週給1万ドル(現在の2300万円)へと・・・役者としての最高ランクにまで上り詰めたのでした。

ところが・・・トランクの中身は・・・
使い古したシャツと歯ブラシ・・・
小さなホテルに暮らしていました。
どんなに成功している時でも・・・
「もし明日、無一文になったら・・・」というのが口癖でした。
突然声が出なくなった母や、死の恐怖にさいなまれていたのです。
貧乏という苦しさは、いつもチャップリンの身近にあるものでした。

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映画監督として活動しだしたチャップリン・・・。
笑い・・・涙・・・風刺・・・独特の魅力はどこから出てきたのでしょうか?
初期作品のNGフィルム・・・保存されているもので250本あります。
若きチャップリンは、作品作りでどんな試行錯誤をしたのでしょうか???
チャップリンの作品には台本はなく・・・
その時感じた面白いことを作品にしていっていました。
その為・・・撮影したのに使われないフォルムがたくさんあったのです。
当時の映画界に置いては異常な量でした。

当時は入念にリハーサルを行い・・・1テイクで撮るのが普通でした。
しかし、チャップリンの場合は、ギャグを試して何度も撮影をやり直しました。
少しでも良い笑いを生み出そうとしていたのです。
完璧な笑いを追求していきました。
そして批判も加えて仕上げます。
チャップリンは自由に作りながら、徹底的に追求していきました。

風刺の笑いで快進撃を続けるチャップリン。。。
しかし・・・初めての赤字作品が誕生してしまいました。
「殺人狂時代」です。
 

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1938年チャップリンは、風刺映画の大作に取り組み始めました。
「独裁者」です。
風刺の対象は・・・ アドルフ・ヒトラー・・・ドイツの民衆を圧倒的に先導した男です。
過剰で大袈裟なパフォーマンス・・・。
ドイツの民衆は、ヒトラーの作る熱狂へと引き込まれていきました。
一方でヒトラーは、国内をひとつにまとめるために、敵を作りました。ユダヤ人です。
周囲の国を敵とみなし、1939年ヨーロッパを第2次世界大戦に巻き込みました。
チャップリンは、ヒトラーに怒りを覚えます。
このままにしては置けない・・・!!

「独裁者」でチャップリンは、ふたりのちょび髭の男を演じます。
 

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ひとりは迫害に苦しむユダヤ人の床屋。
もう一人は、架空の国の独裁者・ヒンケル。世界のすべてを手に入れたい皇帝です。
ヒンケルの演説は、ヒトラーを髣髴させます。
叫んでいるのはでたらめな言葉。。。ヒトラーの演説が無意味であることを風刺しています。

チャップリンは、ヒトラーを笑い飛ばそうとしました。
ヒトラーを怪物のように書けば恐怖ですが、見方を変えれば非常に滑稽な存在です。
彼は独裁者を面白おかしく書くことで、やっつけようとしたのです。

そして・・・映画のラストでは。。。
自由の尊さを訴えます。
独裁者ヒンケルと入れ替わった床屋が、演説します。

”私は皇帝などなりたくない
 それは私には関わりのないことだ
 人間が命を賭けて守る限り、自由は滅びることはありません。
 権力者たちに身をゆだねてはいけません。
 君たちを奴隷にし、考えを指図し規制するものは、家畜のようにこき使い、単なる駒として扱うのです。
 独裁者は自分だけを自由にして、人民を奴隷にするのです。
 今こそ、世界の解放の為に戦おうではありませんか。
 国と国の障壁を取り去り、貧欲や憎悪や非寛容を追放する為に、理性の世界をつくるために
 兵士のみなさん、民主主義のもとで、みんなで手を繋ぎ、一つになりましょう!!”

笑いなど娯楽の要素のない、6分間が続きます。。。
その掟破りに、映画の担当が・・・収入が100万ドルは減ると反発します。
しかし、チャップリンは、このラストシーンにこだわりました。
1940年12月、「独裁者」は、一般公開をするや否や大ヒット。
たとえメッセージ性が強くても・・・チャップリンの映画は支持されたのです。

そして・・・チャップリンは、ちょび髭を止め・・・新たなスタイルに挑戦します。
1947年「殺人狂時代」です。
この作品は、コミカルな笑いを封印したブラックユーモアな作品です。
主人公は・・・実直な元銀行員。
しかし・・・裏の顔は・・・裕福な女性からお金を巻き上げて殺すという・・・連続殺人鬼でした。
映画のラスト・・・死刑になる直前に・・・

”戦争だって小さな争い事だってビジネスなんだ。
 1人殺せば悪党で、100万人殺せば英雄だ。
 数が殺人を神格化するんだ。”

この言葉でチャップリンが風刺したのはアメリカでした。
1945年第2次世界大戦終結。
国民はお祭り騒ぎ!!
その熱狂が止まないうちに、新たな敵を設定しました。
共産主義VS資本主義です。
冷戦時代に突入したのです。
戦争への嫌悪感が麻痺した世の中への率直な批判でした。

チャップリンは殺人狂時代を自らの最高傑作とし、自信に満ちていました。
ところが・・・映画が公開されると・・・
アメリカ連邦議会で猛烈に批判されます。

”チャップリンを国外追放するための訴訟を要請します
 彼がハリウッドにいること自体がアメリカの体制にとって有害なのです”

当時アメリカでは、全ての疑わしい共産活動を排除する赤狩りが行われていました。
アメリカに避難的な言動をしたチャップリンは・・・”国家の敵”とみなされたのです。
”危険思想をばらまく資本主義の敵”のレッテルが張られたのです。
殺人狂時代を上映する映画館が、上映をボイコットしていきます。
テレビ放映も中止されます。
それでもチャップリンは・・・民衆が支持してくれると思っていました。
「アメリカ人はユーモアが解ると信じていたのだ。」
しかし・・・結果は惨憺たるものでした。
チャップリンは、アメリカの大衆からも見放されたのです。
5年後・・・家族とイギリスに船旅にでたチャップリンに絶望的な知らせが届きます。
”アメリカへの再入国困難に”
アメリカからの事実上の国外追放だったのです。
63歳でした。

40年前。。。自由と成功を求めてやってきた憧れの国・アメリカ。。。
その悲しさを・・・
「私の愛したアメリカは、もうどこにも存在しない・・・」
と、表現しています。

アメリカを追われたチャップリンは・・・???
生まれ故郷のイギリスで・・・制作活動に意欲をみせます。
1957年「ニューヨークの王様」
革命を避けて、ニューヨークに逃げてきた王様が赤狩りに狙われて窮地に陥るなど・・・アメリカを痛烈に批判します。
1967年「伯爵夫人」
マーロン・ブランドとソフィア・ローレン・・・
自分を追い出したアメリカを意識して負けまいとする作品作り。。。
しかし、長年慣れ親しんだスタッフがいない現実に・・・
「ハリウッドのスタジオでは、誰もが私の我儘を聞いてくれた。
 しかしイギリスでは、他の馬小屋に入れられた馬のようで、取り残されたように感じた。
 他のスタジオで演じ振る舞うことは、本当に辛いことだった。」

これらは・・・アメリカでの作品には遠く及びませんでした。
チャップリンも80歳になり・・・
しかし、赤狩りが過去のものとなったアメリカ・・・。
1972年には、チャップリンが映画界に残したはかりきれない功績に対して、アカデミー名誉賞の授与が決定されます。
チャップリン・・・20年ぶりのアメリカでした。
拍手で熱烈歓迎されたチャップリン。。。
授賞式では、涙を浮かべながら・・・
「この栄誉に、この場にお招きくださったことに、どう感謝を述べればよいのかわかりません。
 素晴らしい素敵な皆様に・・・ありがとう。」

風刺も毒気もなく、ただ感謝を述べたチャップリン・・・

多くの人を笑いで救おうとしたチャップリン。。。
しかし、自分の一生を振り返って・・・”地獄だった”と表現しています。
みんなを幸せにしようとすることは・・・本人にとっては地獄。。。

スイス・レマン湖畔。。。
チャップリンは、晩年をここで過ごしました。
愛する家族と静かに暮らしながら、新しい映画の構想を練っていました。
その中に、チャップリンが自らの生涯を描いたかのような企画がありました。
その直前までとりかかっていたのに間に合わなかったその作品。。。
「フリーク」
物語の始まりはチリの海岸。。。
翼の生えた少女が現れて・・・人々に衝撃を与えます。
やがて少女はイギリスへ・・・天使と崇められたり迫害を受けたり・・・
世の中の気まぐれに翻弄されます。
苦難の末に自由の身となった少女は、故郷を目指して飛び立ちます。
そして物語の最後は・・・
少女は、故郷にたどり着けず、大海原で死んでいた。。。
人々は語る、
「可哀想に・・・難しい人生を送ったなあ。。。
 だが遂に、彼女の抱えていた問題も終わった。」

1977年12月25日、チャップリンは・・・88歳で人生の幕を下ろしました。
自伝の中で、成功と苦難を味宇ワイつくした人生を・・・

「私が味わった不幸、不運が何であれ、もともと人間の運・不運などというものは、空ゆく雲と同じで結局は風次第のものにすぎないと信じている。
 人間はみな、苦しんで生きるよりほかないのだ。」

個人としての自由を求める戦いは死ぬまで続いていたのです。
人間の分かり合えない部分を笑いで共有しようとし、その媒体として映画を選んだ・・・。
苦しみを主体的に選び、その”苦しみを貫く自由”を選んだ人でした。


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