時代を動かし、時代に名を残していく天才たち・・・
しかし、そんな彼らの影には、天才と呼ばれながら歴史の波にのまれ消えた天才がいました。

大阪市中之島に建つ大阪市中央公会堂・・・
かつてヘレン・ケラーや、ガガーリン大佐などの公演が行われました。
歴史的建造物として国の重要文化財となっています。
そんな公会堂の片隅に・・・ある男の銅像が・・・

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岩本栄之助です。
明治時代、株トレードの天才といわれ、北浜の風雲児と呼ばれた大富豪な男です。
そんな彼の最期は・・・39歳の若さでピストル自殺という壮絶なものでした。

どうして岩本はこのような死に方を選んだのでしょうか?

今から100年以上前の事・・・
岩本商店を経営し、株式投資をしていた岩本・・・
株の買い方は、世間が”買い”なら”売り”、世間が”売り”なら”買い”という逆張りでした。
これがことごとく当たり、莫大な財産を築きます。

時に相場に失敗した株仲間を助けることもあり、その中には野村證券の創始者・野村徳七もいました。

そんな岩本は、明治42年、渡米実業団の一員としてアメリカ視察に・・・!!
そこである建物に心を奪われます。
カーネギーホールです。
実業家アンドリュー・カーネギーが、人々の為に私財を投じて完成させたコンサートホールでした。

「僕の仕事は、儲かるばかりとは決まってない商売や
 いつ一文無しになるかしらん
 それやったら、成功している時にみんなの為になんかせなあかん・・・!!」

岩本は私財を人々の為に使うことに決めます。
明治44年、大阪に数十億円を寄付。
その寄付金を使って作られたが、大阪市中高公会堂だったのです。

「自分だけ儲かればええと考えている奴は、本当の商売人やない
 これでやっと、私も本当の商売人になれたのかもしれへんなあ」

この寄付によって、岩本の名は、大阪商人の鑑として知れ渡ったのです。

しかし・・・ここから彼の人生は歴史に翻弄されていきます。
寄付から3年後の大正3年、第一次世界大戦勃発!!
戦争物資の需要増加による好景気で、株価は上昇し続けました。
岩本は売りにかけました。
しかし、本格的な大戦景気が起こり、止まらない株価暴騰・・・!!
株価の下落にかけていた岩本は、資産が底をつきます。
ただただ膨れ上がる借金・・・

大阪に寄付したお金を返してもらう・・・??

「あかん、いちど寄付したもんを返してくれというのは大阪商人の恥や
 あの金は、みんなに気持ちよう使ってもらいたいんや」

大正5年10月22日は、おだやかな秋晴れでした。
岩本は従業員たちとマツタケ狩りに行く予定でしたが、家に残りました。
午前中は店の書類の整理・・・午後は三越呉服店に行き写真を撮りました。
その帰り道・・・まだ建設中の中央公会堂へ・・・

はようできてほしいなあ・・・
この建物が、大坂発展の為に少しでも役に立てたらええなあ

家にて・・・乾いた銃声と共に、天才と呼ばれた男の一生が幕を閉じました。
寄付からわずか5年後のことでした。
傍らにあった遺書にはこう書かれていました。

全財産を債権者に提供
妻子のためには、一文たりとも使ってはならぬ
株式投機は自分一代に限り、子孫は決してすべからず

岩本の遺志を継いで大阪市が中央公会堂の建設を続行!!
岩本の死の2年後に完成しました。


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