ミッドウェー海戦「運命の5分」の真実

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2012年6月に行われた式典・・・それは、ミッドウェー海戦の60周年というものでした。
アメリカ・ミッドウェー島・・・小さな島をめぐっての激しい戦いでした。

1942年6月4日日本軍は、島にあったアメリカ軍基地への攻撃を開始します。
真珠湾攻撃の成功によって、勢いに乗っていた日本軍・・・
ミッドウェー海戦では、4隻の主力空母を投入、勝利を確信していました。

負けるなんて疑ってもいませんでした。
アメリカの攻撃の前に、空母は次々と炎上・・・
わずか1日で、空母4隻沈没、戦死者3000人以上も出してしまいました。
大敗北を喫したのです。

なぜ、負けるはずのなかった戦いに敗れたのでしょうか?
そこには、日本が想定していなかったアメリカ軍の奇襲作戦がありました。

アメリカは徹底した情報戦略で、空母で待ち伏せしていました。
近年公開された文書で、作戦の全貌が暴かれていたことがわかりました。

日本軍の情報は???
日本は、敵の戦力を過小評価していました。

一体どんな戦いだったのでしょうか?
それは、日本の組織の悪いところが全部出てしまった戦いでした。

アメリカが、日本の敗戦を分析したところによると・・・
①国力判断の誤り
②情報軽視
③兵站軽視
④組織の不統一
をあげています。

この④が、アメリカから見ても明らかだったそうです。

日本軍は、作戦重視、情報軽視で突き進んでいきます。
作戦ありきで後付していく・・・
そんな情報でした。

1941年12月8日ハワイ真珠湾攻撃をもって、日米の火ぶたあが切って落とされました。
この戦いで、アメリカ太平洋艦隊の主力戦艦を多数撃沈し・・・
大戦果を挙げることになります。

以来、半年にわたり、海軍はラバウル・オーストラリア・セイロン島を強襲・・・快進撃を続けました。

その推進役が・・・
連合艦隊司令長官・山本五十六でした。
山本は当時、航空母艦をあえて主力にして戦いを決行。
空母は、飛行機の発着を目的とした飛行甲板を持つ大型戦艦、画期的な兵器でした。

一見、日本の大勝利に見えた真珠湾攻撃・・・
しかし、山本はこの時、敵の3隻の主力空母を取り逃がしていました。
いずれ日本の脅威になる・・・
そう思った山本が立案したのが、ミッドウェー島攻略でした。


広島県呉市、かつて帝国海軍の拠点となりました。
ミッドウェー海戦の1か月前、1942年5月1日、戦艦大和で、ミッドウェー作戦図上演習が行われました。およそ100人が集まりました。
それを統括したのが、山本五十六と参謀長・宇垣纏です。

山本五十六は、アメリカに留学経験があり、日米の圧倒的な国力の差を知っていました。
だからこそ、長期戦に勝ち目はないと、考えていました、
早期決戦を考えていたのです。

作戦実施日は、1942年6月上旬とさだめました。

作戦計画では・・・
日本の空母は、赤城・加賀・蒼龍・飛龍。
①空母の飛行部隊がミッドウェー基地を空襲
②攻略部隊が上陸・占領
③ハワイからアメリカ空母を誘い出し撃滅させる
というものでした。

図上演習では・・・
サイコロを振って演習を行うのですが・・・

その出た目は。。。
アメリカ空母が逆襲・・・
空母は2隻沈没・1隻大破というさんさんたるものでした・・・。

参謀長の宇垣は・・・
「今のアメリカの命中弾は、1/3の3発とする。
 加賀沈没、赤城小破とせよ」
と、変更させました。

しかし・・・異議を唱える者はいません。
図上演習は、そのまま進み・・・日本の勝利で終わりました。
作戦を見直す時間のない中で、日本の勝利は変更できなかったそうです。

この作戦で勝つ・・・とならなければ、海戦後に上陸する輸送部隊、上陸部隊の演習が全部ストップしてしまう・・・。

実際に、敵空母が現れたらどう戦うのか???
本来、問題点を考えるための図上演習であるのに、作戦の練り直しは行われませんでした。
これがのちに、致命的な問題となることは、誰も知る由はありませんでした。

このミッドウェー作戦は、これから続くハワイ攻略の前哨戦・・・
止めてしまうことは出来なかったのです。

真珠湾の時も、この図上演習は行われています。
空母4隻で壊滅させられたので、2回目の図上演習を空母6隻で行っています。
時間があれば、作戦の見直しが出来たであろうに・・・

幕僚は延長した方が良いのでは???
でも、山本が首を縦にふらなかったのです。
アメリカが対日戦の前面に出てくる前に・・・
短期決戦をしたかったのでしょう。
山本は、戦果を見せつけないと、国民の心は離れてしまう・・・そう、思っていたようです。
国民の士気に対する平板な思い、固い考えがあったのです。

快進撃の絶頂期にあったミッドウェー海戦。そんな中、戦いの質が変わってきました。
軍艦による戦いと、空母による戦いの違いです。
軍艦はお互いが見えますが、空母は全く見えません。
つまり、情報戦へと変化していったのです。

日本が戦いに急ぐ中、アメリカ軍はどう動いていたのでしょう?
上官は、日本海軍の作戦内容について詳しく知っていました。
日本艦隊は162隻、4つの異なる進撃ルート・・・
司令官山本率いる戦艦大和の部隊、加賀・赤城・蒼龍・飛龍4隻の空母による奇襲攻撃だと・・・

どうして、筒抜けになっていたのでしょう??

ミッドウェー海戦の半年前、ハワイ真珠湾で日本に屈辱の敗北を喫したアメリカ・・・
責任を問われた太平洋艦隊司令長官・ハズバンド・キンメルは・・・更迭され、信任はチェスター・ミニッツでした。

真珠湾の過ちを繰り返さない・・・
ミニッツが最も大事にしたのが情報でした。
日本軍の暗号の解読に成功します。
太平洋艦隊司令部・暗号解読反では150人近い要員が、真珠湾攻撃の雪辱を晴らそうと・・・
24時間体制で解読に当たっていました。

日本側の動向を監視するミニッツ。
アメリカ国立公文書館には・・・決定的な文書が残っていました。

1942年5月13日、航空機運搬艦 五州丸の暗号解読電文です。
「基地設備と兵員を乗せAFに進出せよ」
とあります。
日本の攻撃目標をAFと特定したのです。
地点符号AF・・・それは、ミッドウェー島かさらに南のジョンストン島・・・と割り出します。
そこで・・・アメリカ軍はミッドウェーからハワイに平電文を出します。

「ミッドウェー島は真水が不足している」と。

偽の情報を傍受した日本軍は、本国に打電します。

「AFは真水が不足している」

日本軍の攻撃先が、ミッドウェーとバレた瞬間でした。


さらにミニッツは、日本軍の攻撃日を6月4日と断定。
戦いの準備を始めました。
ミッドウェーに爆撃機、戦闘機を増援、防衛も強化しました。
南太平洋にいた主力空母3隻をハワイに呼び戻します。
空母ヨークタウンは、90日の修理を不眠不休の72時間で突貫工事します。

そして、日本軍のミッドウェーに至る進撃ルートも解析します。
日本の侵攻作戦に対し、奇襲作戦に打って出ます。
空母3隻で待ち伏せします。
暗号解読班の予測通りに日本軍がやってきました。

アメリカ軍は、情報を武器にしたのです。

日本の情報を完全に把握していたアメリカ・・・
それは、ミッドウェーで初めて解読されたわけではなく・・・
1942年5月にあった南太平洋「珊瑚海」で行われた日本対連合国の海戦で、日本の動きは察知していました。
しかし、日本軍は、それにさえ気付いていなかったようです。

日本軍の防諜については、やっているものの・・・
アメリカほど諜報を重んじていなかったのです。

アメリカに情報が漏れているかもしれない・・・
というのは、誰かが秘密を漏らしている、と、考えたようです。

例えば、代表的なのがゾルゲ事件。

日本海軍は、諜報活動は泥棒行為である・・・とすら思っていたようです。
正々堂々、作戦で打ち破る!!それが日本海軍の考え方でした。
そして、日本語の暗号が読まれるわけはないという根拠のない自信がありました。


アメリカの暗号と日本の暗号、難易度は???
日本海軍の暗号は、難易度は高かったようですが、アメリカが人海戦術を持って解読に成功したのです。
このアメリカと日本の情報に対する重きの違い・・・
それは、日本が情報を軽視しすぎる傾向があるのです。


1942年5月27日赤城・加賀・蒼龍・飛龍の機動部隊が出撃します。
空母機動部隊司令長官は南雲忠一でした。
そこに、山本率いる戦艦大和も続きます。

暗号が解読されているとも知らずに・・・

現地時間6月4日午前4時30分、空母部隊が到着すると・・・索敵を開始しました。
通常2回行われる索敵・・・ミッドウェー海戦時は1回のみでした。
その網も荒いものでした。おまけに、雲の上を飛ぶ者さえありました。
その雲の下に、敵艦隊が忍び寄っていたのです。3隻の敵戦艦があったのに・・・

午前6時30分ミッドウェー島空襲開始。
108機が空襲を開始します。
しかし・・・待ち受けていたのは、アメリカ軍の激しい反撃でした。
30分後、南雲司令部に報告が入ります。

「第2次攻撃の要あり」

この時、空母上には、攻撃機の約半数が待機、敵空母との戦いに備えていました。
魚雷・艦船用爆弾も装備しています。
しかし・・・第2次攻撃に見交わせるためには、対空母用の魚雷を陸上用爆弾へと変えなければなりませんでした。
作業に90分はかかるのです。

敵の空母に備えるのか?
ミッドウェー島の陸上攻撃を優先させるのか???

判断は・・・
「第2次攻撃隊の兵装を陸上用爆弾とせよ!!」
でした。

敵空母はいないだろうという判断でした。
急な作戦変更・・・
そこに危機が・・・

ミッドウェー島から攻撃隊が・・・次々と到達してきました。
迎撃したのは、当時世界最強と詠われた零戦でした。
攻撃は最大の防御とばりに攻撃をはね返します。

午前8時20分・・・
「敵は後方に母艦を伴う」との情報が入ってきました。
アメリカの航空母艦を発見したのです。


敵を探索すること・・・当時、空母にも偵察機すら乗せていませんでした。
偵察を軽んじていたこともうかがえます。
攻撃重視の日本海軍・・・

東条英機は、そもそもイギリスと戦争しようと思っていました。
アメリカが来るとは思っていなかったので・・・
アメリカと日本の関係は、抽象的だったとも言えるでしょう。

敵戦艦に驚愕する南雲中将。。。

急きょ空母との戦いを強いられます。
①陸上用爆撃機のまま直ちに出撃する
陸上用爆弾には、空母破壊の威力はありません。
でも、飛行甲板を破壊することで、航空機の発着を不能に出来ます。

②万全の態勢で攻撃に臨む。
時間をかけて、魚雷に付け替える・・・
これなら敵空母に致命傷を負わせることが出来ます。

南雲の決断は・・・
「雷装に転換せよ」
でした。

艦内は再び大混乱・・・
再び兵装転換作業に入ります。

零戦は、敵戦闘機と戦っており、空母上はがら空き状態・・・
そこに、新たな敵が・・・急降下爆撃機・ドーントレスです。

その時、甲板には、満タンに燃料を積んだ爆撃機と、魚雷、爆弾が所狭しと置かれていました。
あっという間の出来事でした。
わずか10分の間に、赤城・加賀・蒼龍の3隻が被弾、炎上しました。
最後に残った飛龍は、反撃を開始します。
必死の攻防の末、ヨークタウン大破。
しかし、反撃もそこまで・・・飛龍も敵の攻撃を受け炎上。
6月5日午前2時55分、全軍退去命令が出ました。

地獄のような有様でした。

日本は、1日で4隻の主力空母、約300機の航空機、3000人以上の将兵を失うことになりました。
日本海軍必勝の戦いだったミッドウェー海戦は、一方的な大敗北に終わったのです。


どうして、ずぶの素人の南雲中将が指揮したのか???
それは、年次と学校の成績です。
おまけに、空母戦は、1か月前が初めてという世界で初めての戦い方だったのです。
ドイツやイギリスなどではありえない戦い方です。

そこを考えると、南雲だけを責めるのは酷・・・
全ての人が、未知の戦いだったのです。
空母同士の戦いの勝敗は、10か0・・・五分五分のない戦いなのです。


兵装転換の理由は???
陸上用爆弾が空母に有効かどうかがわからない・・・
零戦の護衛なしでの行くのは危険・・・
この葛藤から、兵装転換を行ったようです。


「陸」の組織での情報収集は・・・
南満州鉄道による「陸」の情報収集があり、約40万人の社員を動員して満州国や中国の情報を・・・官と民の情報を上手く使っていました。

しかし、「海」の作戦での情報収集は、全く違うものでした。

敗北から3日後の1942年6月10日海軍情報部のラジオ放送では・・・
それは、ミッドウェー海戦の華々しい戦果でした。

「6月5日 
 敵アメリカの前進根拠地であるミッドウェーを急襲し、
 敵の航空母艦群を誘き出し、これと猛烈な格闘戦を演じ、
 ホーネット型航空母艦一隻を大破し、
 エンタープライズ型航空母艦1隻を撃沈いたしたのであります。」

あたかも日本が勝利したかのような報道でした。
軍令部により、国民には徹底的に隠ぺいされました。

それは、天皇にも・・・
1942年7月14日に、天皇に上奏された海軍の艦隊編成表には・・・
沈没したはずの赤城・飛龍が載っています。

ミッドウェーで戦った将兵たちもあおりを受けます。
外出禁止、内地に帰ってきても、一般の人びと、家族との接触すら禁じられました。

では、ミッドウェー海戦の責任者たちの処遇は???
沈没する空母から一命を取り留めた南雲忠一中将は・・・
後方にいた戦艦大和の山本五十六に敗戦の報告をします。
「大失策を演じ、おめおめ生きて帰れる身ではなかったのですが
 ただ復讐の一念に駆られ生還してきました。
 どうか、復讐できるよう取り計らって頂きたい」

「承知した」

この二人の責任が追及されることはありませんでした。


日本の海軍は、責任者を出しません。
どうして???
日本海軍の指揮官は、ほぼ全員海軍兵学校の卒業生です。
きわめて人数が少なく仲がいい。
日本海軍伝統の責任に対する処置と言えるでしょう。

その後南雲は、第3艦隊の司令長官など歴任し、1944年7月サイパンで戦死。

日本海軍の不敗神話が崩れ、大敗北を喫したミッドウェー・・・
以後、アメリカとの戦いで、日本が優位に立つことはありませんでした。
この敗北を知られると、勝てない戦争の意味が解らなくなってしまう。。。

ミッドウェー海戦について、陸軍は的確な評価をしています。
戦争の規模について再考しなければならない時期であると・・・。
でも、それは、“致し方ない”
ということで、国民の精神によって乗り切ろう・・・となったのです。

日本は、総括をしない国・・・総括すれば、責任が明確になってしまいます。

この体質は・・・今も変わらない???

このミッドウェーから何を学べるのでしょう???
それは、議会、政治家の役割、あり方です。
1937年以降、特別会計予算の7割だった空母予算。
日本人らしい自己満足的な作戦・・・
隠さないで総括すること、それが必要です。

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