映画やゲーム、漫画で活躍する闇の一族・・・永遠の命を持つ種族・・・バンパイア・・・吸血鬼です。
吸血鬼・・・それは人の血液を糧に、いつまでも若く美しく・・・永遠の命を生きる者です。
美しさと命・・・両方とも永遠に・・・??
実際に、人間が永遠の命を得たら・・・??
歴史に残る、吸血鬼の記録とは・・・??

吸血鬼のイメージは・・・朽ち果てたお城で、棺の中から夜な夜な出てきては美女を次々と自分と同じ魔物へと変えていく・・・ドラキュラ伯爵です。
東欧トランシルバニアからロンドンへ、美女を見つけるや生き血を狙う・・・!!
不老不死の怪物・・・その復活を防ぐには、胸に杭を打つ!!
1931年公開の映画「魔人ドラキュラ」・・・この吸血鬼イメージを生み出した原作は、1897年、イギリスの作家ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」・・・あくまでも創作です。
しかし、ドラキュラよりもはるか昔・・・吸血鬼は本当に現れていました。
歴史上、数多くの証拠が・・・!!

東ヨーロッパのブルガリア・・・黒海沿岸のソゾポルで・・・
2012年、墓地の遺跡から不気味な遺体が発掘されました。
その遺体の心臓には、鉄の杭らしきものが・・・!!
調査の結果、遺体は14世紀ごろ、50~60代の男性で、吸血鬼として蘇らないように、鉄の杭を打ち込んだと考えられます。
チェコ・・・オーストリア国境に近いチェスキー・クルムロフでは、18世紀の墓地遺跡で・・・頭蓋骨が両足の間に・・・!!
わざわざ体から切り離し置かれたもので、遺体損壊というタブーを犯しています。
吸血鬼の復活は恐れられていました。

オーストリアの首都ウィーン・・・音楽をはじめとする様々な芸術が花開いた中央ヨーロッパを代表する華麗なる都・・・。
1725年、原因不明の連続怪死事件が・・・!!
事件は、ウィーンから700キロ離れたセルビアの小さな村キソロヴァ。
記録によるとわずか8日間で9人が死亡、しかも、死の間際同じ証言をしていました。

「10週前に死んだ男に首を絞められた・・・!!」

死者による連続殺人・・・その正体とはバンパイア・・・??
人間の都ウィーンに人知を越えた恐怖がもたらされたのです。

当時、二軒が起きたセルビアは、オーストリアが新たに交流を始めた地域・・・
長い間、イスラム教を中心とするオスマン帝国に占領されていましたが、オーストリアとの戦争によってセルビアの一部からオスマン帝国が撤退し、オーストリアの影響下に入るようになっていました。
戦続きのセルビア・・・ウィーンの人々にとっては、はるか遠い未知の世界でした。
そこで、蘇る死者バンパイアとは・・・??
バンパイアの噂は、ウィーンから各国に広まっていきました。

ドイツのミュンヘンの図書館には、吸血鬼の中でも最も壮絶な被害の報告があります。
セルビアに駐留している軍医が上層部に報告した公式文書「バンパイアと呼ばれるものについて」です。
小さな村で起きたバンパイア事件・・・それは、セルビア南部メドヴェギア。
人口およそ240人・・・1726年頃、村人4人が連続して原因不明で死亡。
みな、死の直前にこう語りました。

「アルノルト・パウルに襲われた・・・!!」

アルノルト・パウルとは、約1か月前に荷馬車の事故で急死した男・・・
死んだはずの男が・・・墓場から蘇ったのか・・・??
パウルはバンパイアになったのか・・・??
村人たちは、パウルの墓を掘り起こし、棺を開けました。
すると・・・そこには・・・??
村人たちの証言によると、死体は完全で全く損傷がなく、目・鼻・口からは、新鮮な血が流れていました。
手足の古い爪は剥がれ落ち、新しいものが生えてきていたのです。
パウルはバンパイアになっていたのです!!

村を守るためにはバンパイアを滅ぼすしかない・・・
パウルの心臓に杭を・・・!!
この世の者とは思えない断末魔・・・パウルの息の根を止めた村人たちは、4人の犠牲者にも杭を打ち、死体を燃やし、灰にしました。
これでバンパイアが伝染する恐れは無くなる・・・誰もが安心しました。
ところが・・・村人はさらに死に続けました。
3か月で村人の死者17人・・・
一体どうして・・・??

村人たちは騒いでいました。
「パウルは人間だけでなく、家畜も襲って血を吸っていたのだ
 その家畜の肉を食べた者が、バンパイアになって、再びバンパイアを増やしているのだ」と。

問題の家畜を知らずに食べると誰もがバンパイアになる・・・!!
村人たちは、疑いのある墓を暴き、死者に杭を打ち込むだけでなく、死体の頭まで切り落としました。
さらに焼いて灰にしたのち、川に流し去りました。
18世紀前半・・・セルビアの農村からもたらされた2件のバンパイアの衝撃は、その存在を知らなかったヨーロッパ中西部へ・・・!!
事件は道端で配られた新聞などの出版物によって広まり、バンパイアの概念が、ヨーロッパ各地に知れ渡ったのです。
重要な点は、哲学者、医学者、神学者の間で行われた議論・・・
哲学者は、吸血鬼を撲滅すべき迷信と考え、医学者も信じませんでした。
しかし、神学者たちは”悪魔の仕業かも”ととらえ、否定しなかったのです。

使者がよみがえるという人知を超えた現象・・・
18世紀・・・人間の生と死の価値観を大きく揺るがしました。

ドラキュラは映画のドラキュラ伯爵という固有名詞、バンパイアは怪物の種族、吸血鬼はその日本語訳です。
吸血鬼の最低条件は、霊が生きた死体ごと戻ってくることです。

バンパイアになる人とは・・・??
生前に乱暴狼藉を働く困り者、無残な死に方をした者、志半ばで死んだ者・・・日本の御霊信仰に通じるものがあります。
そんな人が死ぬと、「戻ってくるんじゃないか?」と、人々の不安が強いと戻ってくる」
つまり、見えたり、聞こえたり・・・民間信仰の強さです。
自分達にとってはひっ迫した問題で、目の前で死体がよみがえるような現象が起きていると、その人たちが信じていて、その恐怖の方が、墓を暴くというタブーよりも大きかったのです。
バンパイアに襲われて死ぬと、その人もバンパイアになるというのは・・・??
そこには連続して起こる不可解な死がありました。
伝染病、結核が疑われています。
しかし、当時は魔術的な原因とし、その原因を擬人化したのです。

ゾンビとバンパイアには大きな違いがあります。
それは心と魂・・・。
ゾンビとは、ブードゥー教の秘術によって魂のない死体が動いたものです。
そこに意思はなく、操り人形のようなもの。
しかし、バンパイアは死体に魂が宿っています。
つまり、バンパイアが襲うのは自分の意志なのです。

18世紀、東ヨーロッパから広まったバンパイア・・・。
生きているしたいの恐怖・・・その原点は、掘り起こされた死体が、死んで時間がたったように見えないという驚きでした。
口や鼻の周りには、埋葬の時にはなかった血液が・・・
死体が腐敗していないだけでなく、髪やひげ、爪まで伸びている・・・
心臓に杭を突きさすと、恐ろしい叫び・・・
まさに、生きている死体・・・この正体とは・・・??

18世紀セルビアの2件の報告・・・その遺体の描写から、その原因を推測すると・・・
①死体は悪臭がほとんどせず、とても新鮮な状態
腐敗とは、細菌活動によっておこるもので、空気を必要とします。
土の中の深いところに埋めると、空気が限られているので、腐敗が進みにくいのです。
遺体の腐敗進行度は、空気中より土の中の方が8倍遅くなるといいます。
当時の人は、野ざらしの死体が腐敗するのは見ても、墓の遺体は確認したことはなかったでしょう。
そのため、予想より腐敗していない遺体を見て驚いたのだと考えられます。

②髪もひげも爪も伸びていた
実際に、死後、ひげが伸びていたり、髪の毛が延びていたりすることを観察できます。
心臓や呼吸が止まっても、すべての細胞はすぐに活動停止するわけではないのです。
暫くは、細胞が生き続け、死後も髪などが延びることがあるのです。

③口や鼻などについた血液
肺の欠陥に溜まっていた血液が気管へ染み出し、口や鼻から出てきた可能性が高いと思われます。

④心臓に杭を打った時の断末魔の正体
消化管や肺の中に腐敗したガスが溜まります。
体の外から杭を打ったり、圧迫したりすると、口や鼻にガスが移動することは起こり得ます。
その時に、気管や声帯、細いところを通り、音が出たのでは・・・??

更に当時は、墓の下から死者がはい出そうとしている・・・??
その正体は、夜中に墓場をうろつくオオカミや野犬です。
死肉を食べようと、墓を掘り起こすため、浅く埋められた遺体が引きずり出されるのです。
地面の下や真夜中・・・見ていないところでの信じられない現象・・・それを、人々は「死体が生き返った」と、解釈することで納得したのです。

この死体が生き返るという考え方は、はるかな昔、ヨーロッパ各地で土着の信仰としてありました。
しかし、ヨーロッパ中西部では、キリスト教・カトリックが広まり、「死体が生き返る」という発想が消滅していきます。
死後、復活できるのは、神に選ばれたイエス・キリストだけ・・・。
その厳格な教えのもと、庶民の死体がよみがえるという発想は、消えていったのです。
一方、セルビア、ブルガリア、ルーマニアなどの東ヨーロッパは、ギリシャ正教でした。
正教には、広まった地域全体を一括して統制する権威が存在していません。
さらに、オスマン帝国に支配された時代も、地元の宗教に対して寛容でした。
そのため、土着の信仰である「生き返る死者」バンパイアの発想が根強く残ったのです。

この地域では、キリスト教を信じましたが、説明できない隙間が生じると、古い土着の宗教で埋めたのです。
この世から去ろうとしない腐敗しない遺体を見てしまった・・・
一体どう解釈すればいいのか・・・??
不可解な出来事を、バンパイアといういにしえの伝承に基づいて理解しようとしました。

よみがえる死者・・・忘れ去られた人間の根源的な恐怖は、18世紀、バンパイアの拡散によって再び蘇ったのです。
当時の人は、「死体が腐るもの」という強い思い込みがありました。
そして、普通、一度埋めた死体は戻さないので、彼らの腐るものという思いは続きます。
吸血鬼騒動が起こった時・・・誰かが吸血鬼のレッテルを貼られた時に墓を暴く・・・。
すると、新しい死体が眠っている・・・吸血鬼習俗がずっと続くのです。

西ヨーロッパはキリスト・・・神様が一番なので、勝手によみがえるのは、神様がなした業ではない・・・
悪魔や何か別のものだから、認められない・・・
しかし、東ヨーロッパは、土着の信仰がありました。
西から東にキリスト教が広まるときに、土着の信仰を巻き込んで広まったのです。
経済的にも西に比べて遅れていた東・・・
教育、情報ネットワークもまだ完備されていませんでした。
古くからの異教徒的な習俗・・・キリスト教以前の習俗が残り続けたのです。
東ヨーロッパは、イスラム圏にも近く、イスラム圏の風土や文化が東ヨーロッパの人々の死生観に関わっているのかもしれません。
生きてる赤回と死んだ後の世界が連続している・・・人類に根強い考え方です。
死んだ後もどこかで生き続けているのではないか?
霊はお墓にいる・・・近くの丘にいる・・・葬儀の時に副葬品を置く・・・その考え方は、キリスト教以前のヨーロッパにもありました。
遡れば古代エジプトにもありました。
ミイラのような、いずれはよみがえるだろうという考え方です。

「古事記」に、イザナギノミコトとイナザキノミコトの話があります。
死んだ妻を黄泉の国まで迎えに行くという話です。
生者の世界と死者の世界が繋がっている・・・人間にとっても根源的なことだったのです。
普遍的なテーマです。

118世紀前半、セルビアで起きた事件をきっかけに、よみがえったバンパイアの恐怖・・・
「死んだ人間の魂は、死体に戻り得るのか!?」
「バンパイアは本当に存在するのか!?」
吸血鬼論争が巻き起こり、人々は、超自然的現象におののき始めました。
その中で・・・

”なんということだろう!
 我が18世紀
 優れた哲学者や科学者たちが世界の法則を解き明かす時代に、人々が吸血鬼を信じているとは!
 しかも、これに対し、教会の聖職者たちは何もしていないのだ!”byフランスの哲学者・ヴォルテール

これまでの時代のような信仰心や感情に頼らずに、人間の理性で世界を捉える啓蒙主義の思想家たちが、吸血鬼は迷信であると批判!!
一方、政治の側から吸血鬼に立ち向かったのが、広大なハプスブルク帝国の実質的女帝と言われるマリア・テレジアです。
彼女が新しく影響力を得た東ヨーロッパを治めるためには、吸血鬼・バンパイアの正体を明らかにする必要があったのです。
マリア・テレジアは、オーストリアの大公妃であり、ボヘミアとハンガリーの女王でした。
彼女は、全ての領地に自分のルールを守らせました。
そこに、異教的な考えが入ることは認められませんでした。
官僚支配による国家の基盤を、危うくする要素は、調査し、排除することが重要だったのです。

1755年、マリア・テレジアは、モラビア地方にバンパイアの謎を解き明かす調査団を派遣・・・それを指揮したのは、マリア・テレジアの侍医、ゲラルト・ファン・スウィーテンでした。
調査隊は、モラビア地方のバンパイア伝説が残る村々で、村人の協力を得て、実際の墓を掘り起こし、遺体を村の中心に集めます。
吸血鬼の疑いのある死体は19体・・・
棺を開け、死体ごとに腐敗の状態を注意深く観察しました。
現場からの調査結果をスウィーテンがまとめ、世界初の「吸血鬼に関する医学的報告書」が完成しました。

”私は確信した
 死体は必ずしもうじ虫の餌食になるとは限らない
 墓を暴くと、しばしば腐敗していない完全に元の姿の死体にお目にかかることがある
 したがって、超自然的理由がなんら存在せずとも、何年もの間、死体が腐敗しないことがあると結論する”

さらに、バンパイアが生きている人の息を詰まらせたりすることで、人々を不安がらせるという点に注目しました。
犠牲者が一斉に語る「よみがえった死者が首を絞めた」という証言です。
スウィーテンは、不思議な共通点があることに気付きました。
そして意外な結論に・・・

「犠牲者の大多数は、ベッドで寝ている時、しばしば激しい呼吸困難に襲われたらしい
 ところが、ベッドの上に起き上がる格好になると、憑き物が落ちたように穏やかになる
 この症状は、肺などの呼吸器をめぐる胸部疾患ではないか
 甚だしい息切れが、恐怖と不安を呼び起こし、バンパイアに首を絞められる幻想をもたらしたのではないか」

バンパイアの記録には、何らかの病気を暗示する記述が数多くあります。
「バンパイアがいて人が死んだ」・・・というもので、「噛みついて血を吸い人が死んだ」ではないのです。
そこにいるだけで死ぬ・・・吸血鬼は病巣そのものです。

ヨーロッパでは、呼吸器の病である結核、ペストやコレラなどが、歴史的に何度も流行し、膨大な数の人命が次々と失われていきました。
伝染病の原因が、まだ、正確に特定されていない時代・・・理不尽に人が死ぬ正体不明の不安や恐れを、人々は吸血鬼のせいにしていたのです。

「原因が理解できない異常な現象に接した場合、その現象は人間の力ではどうにもならない不可抗力からきていると推理しがちなのだ」byスウィーテン

スウィーテンの報告を読んだマリア・テレジアは・・・
1755年「バンパイア 魔法 魔女など迷信に基づく行為を禁止する法令」を出します。
その後、19世紀・・・医学や生物学、化学が発達し、死者がよみがえり危害を加えるというバンパイアは、人々の心から次第に消えていきました。

当時、オーストリアとオスマン帝国は、セルビアの辺りを境に接していました。
オスマントルコ帝国は、自身の領土を増やしたい・・・戦争が起きていました。
当時、オーストリアが国境を防衛するにあたって、その土地に住んでいる人を傭兵として雇うという話がありました。
しかし、その村に住んでいる人たちがバンパイアを恐れて逃げてしまったら・・・??
国境を警備することができません。
そのような軍事的側面もあったのです。
迷信やバンパイアなどの伝承を駆逐して、国を固める改革を始めたのです。

19世紀・・・科学の発展が、ヨーロッパの人々の生きている死体・・・バンパイアの迷信を駆逐していきました。
しかし!!
吸血鬼は新たな時代の闇から、復活を遂げることに・・・!!
その闇とは、「人間の欲望」でした。
1816年、スイス・ジュネーブで・・・レマン湖のほとりの山荘で、5人の男女の”魔物誕生”のきっかけとなる集まりがありました。
主賓は、イギリス貴族で詩人のジョージ・ゴードン・バイロン、28歳。
数多くの女性と同時に恋愛を重ねては、破滅へと追い込む・・・愛欲と背徳の危険な男でした。
バイロンは後に、「ディオダディ荘の怪奇談義」と呼ばれる有名な一夜で、運命的な呼びかけをします。

「ここにいるみんなで1つずつ物語を書こう
 怪奇談を・・・!!」

ここで、有名な2大怪奇文学が誕生することとなります。

当時、文学の世界では、幽霊、怪奇現象をテーマにした神秘的、幻想的なゴシック小説が流行っていました。
「啓蒙思想」が人間の理性を重視した反動で、感情重視の「ロマン主義」が生れ、恐怖やサスペンスが好まれるように・・・!!

この怪奇談で後にメアリー・シェリーが書き上げたのが、人間の死体に科学で命を与え人造人間を作りだし、神に背く野心を実現した若き科学者・・・その破滅の物語・・・「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」1818年

もう一つ・・・バイロンの主治医ジョン・ポリドリが、バイロンを主人公にしたと言われる怪奇小説・・・「THE VAMPYRE.」・・・吸血鬼です。
ロンドンの社交界に現れた謎の魅力を持つ貴族ルスブン卿・・・
彼とか変わった女性は、欲望の犠牲になると言われる不気味な男・・・
やがて彼の行く先々で、吸血鬼事件が・・・!!
怪しまれたルスブン卿も、旅先で襲われ死亡するが・・・ある日、ロンドンの群衆に死んだはずのルスブン卿が・・・!!
彼はやはり、吸血鬼なのか・・・??
バイロンにのように貴族で女性との愛欲におぼれ、破滅へと追い込む吸血鬼・・・。

古き土着信仰のバンパイア・・・死からよみがえるる死体は、人間の理性によって消えつつありました。
しかし、啓蒙からロマンの時代へと変わりゆく中、「よみがえる死体」は「欲望の吸血鬼族」として生まれ変わったのです。

思想は流れがあります。
ロマン派の時代は、感情を重んじる時代でした。
理性で理解できないものに対するあこがれや、興味が広がってきている時代でした。
理性で理解できない自然現象と大きく絡み合っている吸血鬼という存在は、時代の流れや思想の流れと美味く重なって、生まれてきているのです。

もうして復活を遂げた吸血鬼は、怪奇小説の世界で急速に進化していきます。

1847年に発表された「吸血鬼ヴァ―二―」では、噛まれた者まで吸血鬼になるというかつてのバンパイアの正室が付け加えられました。
1872年「カーミラ」では、寝ている女性を襲うのは、美貌の女吸血鬼・・・
ここにも東欧由来の要素が加えられ・・・棺桶で眠る・杭を打たれて死ぬという描写がなされるようになります。
こうした吸血小説の系譜を踏んで・・・1897年ロンドンで、もっとも有名な吸血鬼が誕生します。
”ドラキュラ”です。
ドラキュラ伯爵の生まれは東ヨーロッパ、ルーマニアのトランシルバから西ヨーロッパのロンドンへ。
美女たちの生き血を吸っていました。
作者のブラム・ストーカーは、過去の様々な吸血鬼作品以上に、東ヨーロッパのバンパイアからアイデアやイメージを加えていました。ドラキュラ伯爵のモデルのひとりが、現在のルーマニア・・・15世紀にあったワラキア公国の君主、ヴラド三世・・・オスマン帝国軍の攻撃を何度も撃退し、ドラゴンの息子”ドラキュラ公”と呼ばれていました。
そして・・・もう一つの呼び名は、串刺し公。
敵の兵士だけでなく、自国の民でさえ、生きたまま串刺し処刑することがあったといいます。
ヴラド三世の異名と、冷酷なイメージを主人公にまとわせたストーカーのドラキュラは、ロンドンを中心に大ベストセラーとなります。
世界最先端の都市での吸血鬼の復活・・・!!
その背景には、かつての生きている死者とは違う当時のイギリスの恐怖が・・・!!
イギリスは、大英帝国の終焉を迎えようとしていました。
植民地の反乱などにてこずっている時代背景があります。
今まで劣っておると考えていた人々が、自分達よりも勝った力を持ってくるのでは・・・??
他者に対する恐怖感を覚え始めていました。
ドラキュラが、英国の退廃していくひずみの部分・・・恐怖心を担う存在となり、多くの人に受け入れられていくのです。
大都会ロンドン・・・富を求めてやってくる移民たち・・・衰退と貧困という問題を抱えたロンドン市民は、自分達が取って代わられるのでは・・・??
漠然とした不安を抱えていて、そこにドラキュラが登場するのです。

東ヨーロッパから血液・・・命の源を奪いに来た魔物は、当時の社会の不安や恐怖を映し出していたのです。
読み手が何に対して恐怖心や違和感を感じていたか・・・映し出す鏡としてドラキュラは解釈されたのです。

人びとが抱く恐怖・・・それは、時代や場所で変わりゆく・・・しかし、吸血鬼はそのたびに現れ、まるで人類の天敵のように復活し続けるのです。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

吸血鬼ドラキュラ 創元推理文庫 / ブラム・ストーカー 【文庫】

価格:929円
(2019/8/3 20:18時点)
感想(0件)

ヴァンパイア・ダイアリーズ〈シーズン1-8〉 DVD全巻セット [DVD]

価格:19,191円
(2019/8/3 20:19時点)
感想(0件)