日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:パク・クネ

2014年4月・・・セウォル号沈没・・・韓国史上最悪の海難事故。
304人が犠牲となり、その多くが修学旅行中の高校生でした。
事故の原因の一つが、貨物の過積載とされます。
船が旋回した時、容量オーバーの貨物が崩れ、バランスを失った・・・
しかし、それが大惨事につながったのは、その後の救助の失敗によるものです。
船長や船員は、乗客に避難命令を出さず、咲に脱出!!
多くの乗客が取り残されていましたが、海洋警察は船内に入っての救助は行いませんでした。
しかし、沈没するまでの101分、悲劇に抗い、勇気ある行動を起こした人々がいました。

乗っていた乗客433人のうち、およそ7割が命を落とし、その大半が修学旅行中の高校生でした。
韓国でも屈指の大きさを誇る旅客船・・・しかし、あの日は出発から12時間後、大きな船体が急激に左に傾きました。
その時間が運命の分岐点・・・2014年4月16日、午前8時49分!!
突然、30度ほど傾いた船内は、パニック状態に陥りました。



①最初の通報者・・・チェ・ドクハ
逼迫する現場で、沈着冷静に行動した少年でした。
高校2年生だったドクハ・・・初めての修学旅行を楽しみにしていました。
修学旅行から帰らぬ人となったドクハ。
しかし、彼の勇気がなければ、悲劇はさらに大きかったかもしれません。
2014年4月15日、セウォル号はインチョン港から出航しました。
観光地・済州島へのナイトクルーズ・・・翌朝8時の到着予定でした。
この日、霧の為、他の便はすべて欠航・・・しかし、セウォル号だけが出航を検討していました。
貨物の運送が主な収入源・・・なんとか出発できないか、ギリギリまで判断を保留していました。
待つこと2時間・・・ドクハから両親に電話が入りました。

「お母さん、霧で修学旅行に行けないかもと言っていたけど出発できるんだって!!」

「良かったね、気を付けてね」

それが最後の電話でした。
予定より2時間半遅れた夜9時出航。
船上ではドクハが楽しみにしていた花火パーティーも行われ笑い声が溢れていました。

翌朝・・・セウォル号は済州島まであと3時間のところに来ていました。
少し曇っていはいたものの、海は穏やかでした。
朝食を済ませ、部屋で友達と会話をしていた時・・・お菓子の缶が左右に行ったり来たり・・・船が急に傾きました。
そして、午前8時49分!!
突然船が30度ほど傾きました。
進路を変えようとしたところ、船が横転・・・傾いたまま立て直すことができなくなりました。
船が傾いて3分後、

「現在の位置で動かず、手すりをもって待機してください」by船内放送

以後、10回以上にわたってその場で待機の船内放送が・・・!!
結果的に乗客が逃げ遅れる最大の原因となります。
この放送で高校生たちは安心しました。
しかし、この時、船員たちはパニックを起こし、外部に緊急連絡すらも行っていませんでした。
そんな中、単独で緊急通報センター119に通報したのがドクハでした。
事故発生からわずか3分・・・8時52分!!
それはセウォル号が発した初めてのSOSでした。

「119です」
「助けてください!」
「もしもし」
「もしもし
 ここ船の中なんですけど、沈没しています」
「沈没ですか」
「はい 済州島に向かっていたのに、船が傾いて・・・」
「ちょっと待ってください
 今乗っている船ですか?
 それとも近くの他の船が沈没するってことですか?」
「乗っている船です」

パニックの船内で、冷静に行動したドクハ・・・小さいころから落ち着いた少年でした。

本来ならば、支持をするはずの船員たちは、この時、何をしていたのでしょうか?
船員たちは、船が傾いて動くことができなかったと言っています。
しかし、その後、携帯を取りに部屋に帰ったり、三階に下りたりしているので言い訳にしか聞こえません。
遅れて操舵室に入ってきた1等航海士が、ようやく8時55分に済州島管制センターに連絡しました。
ドクハに遅れること3分・・・航海士も無線で連絡・・・しかし、つないだ先は、現場から遠い済州島でした。
しかも、救助を直接担当する海洋警察ではなく管制センターに連絡していました。
一方、日本の消防に当たる119へのドクハの通報は、現場近くのモッポの海洋警察に繋がりました。
しかし、担当者はドクハには答えられない質問を繰り返しました。

海洋警察「モッポ海洋警察です
       位置を教えてください」
ドクハ   「良く聞こえません」
海洋警察「位置!
       緯度と経度を教えてください」
119    「この人は乗客なんです」
ドクハ   「携帯?」
海洋警察「もしもし、モッポ海洋警察です
       いま沈没中ということですが、船の位置はどこですか?」
ドクハ   「位置はよくわかりません
        いまここは・・・」
海洋警察「位置がわからない?
       GPSに出てないですか?
       緯度と経度・・・」
ドクハ   「ここから島が見えているんですけど・・・」
海洋警察「え?」
ドクハ   「よくわかりません」

海洋警察は、相手を船員だと思い込み、専門的な質問を続けました。
それでもドクハは、出来るだけの情報を伝えようとしました。

海洋警察「どこから出航しましたか?」
ドクハ   「きのう・・・」
海洋警察「きのう出航しました?」
ドクハ   「きのう8時ぐらいに出航したと思います」
海洋警察「8時ですね、どこから?」
ドクハ   「インチョン港からです」
海洋警察「インチョン港ですか?」
ドクハ   「はい」
海洋警察「船の名前は何ですか?」
ドクハ   「セウォル号です セウォル号!」
海洋警察「セウォル?」
ドクハ   「はい」
海洋警察「セウォル号?商船ですか?どういう船ですか?」
ドクハ   「え??」
海洋警察「船の種類は?旅客船ですか?漁船ですか?」
ドクハ   「旅客船だと思います」
海洋警察「旅客船ですね?」
ドクハ   「はい」

音声記録は4分17秒・・・ここで途切れます。
証言によると、この後ドクハは高校生が350人ほど乗船していることを伝えています。
さらに、船員がいたら変わってくださいと言われましたが、探したけどこのあたりに這いませんと言って電話が終わっています。
ドクハの通報を受け、海洋警察が出動!!
事故発生から40分後には現場に到着しました。
一刻を争う事態・・・船員より9分も早かったドクハの通報は、どれほど貴重なものだったでしょう。
しかし、1週間後、ドクハは遺体で両親のもとへ帰ってきました。

高校生ドクハのもたらした事故現場からの貴重なSOS・・・しかし、救助は一向に進まないまま・・・
船はさらに傾き、事態は緊迫していきます。
その中、独自の救助を行った男がいました。

②救助に駆けつけた男・・・パク・スンギ

事故当時、40キロ離れた場所にいたにもかかわらず、全力で駆けつけ28人の命を救いました。
事故現場からほど近い港町モッポ・・・
パク・スンギは、ここで不法な漁業を取り締まる漁業指導船に乗っています。
あの朝も、スンギはいつも通り不法漁船の取り締まりを行っていました。
事故の連絡を受けたとき、40キロも離れた場所にいたものの全力で駆けつけました。
ヘルメットのカメラのスイッチを入れます。
このカメラは、漁船の不法行為を証拠として残すために使っているものです。
現場についたのは、事故発生の77分後・・・10時6分ごろでした。
まもなく、奇妙な光景が目に飛び込んできました。
周囲に大きな船があるにもかかわらず、救助には参加せず待機していました。
スンギはそれを不思議に思いながら、傾く船に近づいていました。

「周りの船は危ないと思ったのか、待機しろと言われていたのか・・・」

スンギは驚きます。
救助を始めると間もなく、船の中から思いがけず大勢の人があらわれたのです。

「船の後方から学生たちが出てきたことで、中に乗客がいることを知りました
 とても緊張しました
 そうするうちに、周りの船も救助に加わったんです
 私たちのボートを見てついてきたと後から聞きました」byスンギ

セウォル号沈没まで残り25分!!
その時、船内はどうなっていたのでしょうか??

済州島での仕事のため、セウォル号に乗っていたキム・ソンムク。
ソンムクはこの時、4階のデッキ付近で救助を待っていました。
水面とは反対側で、救助のヘリコプターが飛んでいました。
しかし・・・

「ヘリは来ましたが、誰かおりてきたり、船内に入って救助するという気配はありませんでした」byソンムク

この時、ソンムクの頭をよぎったのは、まだ中に取り残されている他の乗客のことでした。
直前に見た廊下には、高校生たちが大勢いました。
そこで、彼は決意します。

「まず、中の廊下にいる人たちを助けようと思いました。
 引っ張り出せばヘリに乗せることができると・・・」byソンムク

まず、船内に消防ホースをたらし、中の人たちをデッキに引っ張り上げました。
次にソンムクは、中央ホールの横に・・・そこで中を見て愕然とします。

「たくさんの人がいたんです
 高校生も、大人も・・・小さな子供も・・・
 ホースを投げて救助しようと思ったけど、その時にはもう、90度ぐらいまで傾いていて・・・
 引っ張り上げるには、とても危険な状態でした」byソンムク

床は垂直になり、出口まで消防ホースで登るのは高校生の体力では困難でした。
他の男性と協力して救助を続けますが、引き揚げることはできませんでした。
外に出てはいけないという船内放送に従わなければならないと思っていた高校生たち・・・
しかし、電気が消え、雰囲気がガラッと変わります。
急に深刻になり、外に出なければと思ったのは足元に水が来てからでした。

中央ホールでは、ソンムクたちの懸命な救助が続いていました。
しかし間もなく、すさまじい勢いで船に水が入ってきました。

「手あたり次第、人を引っ張っていたけど、水の勢いで何人か外に投げ出されました
 本当に、あっという間の出来事でした
 最後、どうやって脱出したのかは覚えていません」byソンムク

事故発生から86分後、セウォル号は急速に沈み始めます。
沈む直前、スンギは二人の少年を救助。
この時ようやく船内放送に従っていてはいけないと思った高校生たちがたくさんいました。
生存者の証言によれば、流れ込む水流で泳いでもなかなか前に進まなかったといいます。
出られなくなってしまった生徒・・・悲鳴、鳴き声、ため息・・・
なんとか外に出ることができた高校生もいました。
水面に浮かんだ高校生に気付いたスンギ・・・全速力で彼のもとに・・・!!
彼は最後の生存者となりました。

「救命胴衣を掴んでただ空を見ながらボーっとしていた時に、漁業指導船の人が救ってくれました
 そして、あの中にまだ数十人いると伝えたら、何も言わず私の背中を軽くたたきました」

「とにかく、彼に言いたいことは、助かったのは私たちの力ではなく、自分の力だということです
 彼には、これからの人生もしっかりと生きてほしいです」byスンギ
 


事故発生から101分・・・セウォル号は海の底に沈みました。
中には、300人以上が取り残されていました。

「船が傾いたときは、乗客をすぐ助けるのが当然なのに、なぜそうしなかったのか
 周りにも船がいっぱいいたじゃないですか
 私には理解できません」byスンギ

「私はただ脱出を手伝っただけで、救助してあげたとは思っていません
 誰一人・・・1秒も、そこには”救助”というものは存在しませんでした
 私はこの事故は虐殺だと思います」byソンムク

あの日、なぜ304人もの尊い命が奪われたのでしょうか?

③事故の真相究明を追う記者・・・チョン・ウンジュ

彼女が暴いた真実は、海洋警察の責任を問い、裁判の結果を変えることとなります。
何が彼女を掻き立てるのか??
自己から2週間ほどたったころ、真っ白な表紙の雑誌が出版されました。

「ハンギョレ21」・・・セウォル号事故特集号

政府や船会社の杜撰さを、多方面から指摘しています。
記事を書いたのは、記者チョン・ウンジュ。

「表紙を白紙にしたのは、この事故を表す言葉なんてなかったからです」byウンジュ

彼女は当時、週刊誌「ハンギョレ21」の社会部のチーム長でした。
ウンジュが現場に入ったのは、事故の3日後でした。
子供の帰りを待つ家族たちは、まだ生きている可能性があると信じていました。

「今、総動員で創作活動を行っています」byパク・クネ
「現在500人の潜水士を投入しています」by海洋警察庁長

「嘘つくんじゃない!!」

家族は事件現場で、ほんのわずかな救助隊員しか動員されていない様子を目撃していました。
事実と異なる発表を繰り返す政府に、家族は泣き、怒りました。
ウンジュは、遺族たちの様子をまとめ、記事にし始めます。
その時、ひとりの母親が語った言葉が忘れられないという・・・

「お母さんは、天国で亡くなった子供に気っと会えると信じています
 そしてその時、子供に必ず伝えなければならないと思っていることがあります
 それは”お母さんはね、あなたのために戦って事故の真実をちゃんと明らかにしたんだよ”ということです
  そんな遺族のために、私の記事が1%でも力になればと思いました」byウンジュ

そして、事故から1年が経った頃、ウンジュは、遅々として進まない事故の真相究明に乗り出します。
当時、船員や海洋警察の責任を問う裁判の真っ最中でした。
しかし、証言に矛盾や間違いが多く、裁判は混迷を極めていました。
ウンジュは3人のメンバーと共に、15万枚の資料を読み込み、証言を一つ一つ確認していきました。

「当事者に同じ質問をしても、裁判によっては全く違う証言をしていたのです
 そこで、私はパズルをあわせるように、その共通点や相違点を比較することで、あの日の真相に近づくことができると思いました」byウンジュ

ウンジュが特に注目したのは、救助を指揮した海洋警察の現場責任者の裁判です。
犠牲者304人のうち海洋警察が責任を負うのは56人のみ・・・残りは責任が意図される判決が下されていました。
どうしてか??
海洋警察の主張は・・・
通報を受け、救助船が現場に到着したのは9時30分ごろ・・・
しかし、船内にあれほどの乗客がいるとは知らなかった。
それを知り、無線を報告したのは9時44分・・・この時点で避難命令を出したとしても、助けられたのは56人だ。

しかし、納得できないウンジュは、徹底的に資料を読み返し、ある記録を見つけ出します。

「海洋警察は、現場とのやり取りを無線で行っていたと主張していましたが、私は携帯電話も使われていたことに気付きました
 その履歴を調べてみたら、9時36分まで遡ることが分かったんです」byウンジュ

携帯電話の記録から、9時36分には船内に乗客がいることに気付いていたと立証。
それは、直ちに避難命令を出せばほぼ全員を助けられたはずの時間でした。
裁判での趣味レーションは、助けられたのは303人となります。
この事実は、後に続く控訴審でも採用されることとなります。

「国の間違いで、多くの人が亡くなったということです
 国は、303人の命の責任があるんです」byウンジュ

結局、海洋警察の現場責任者は、業務上過失致死で懲役3年が確定しました。
そして、乗客を残して脱出したセウォル号の船長は・・・殺人罪で無期懲役が下されました。
彼女はその後も、スクープを連発します。

”船員を先に救助した事実を海洋警察は知っていた”
”セウォル号を管制していなかった管制センター”

そして、世間を最も驚かせた記事が・・・

”セウォル号最後の交信記録”

それによればなんと・・・”あの船では全員は助かりません”
乗組員は、救助の船が小さく、全員は乗れないことに気付いていたのです。
だからこそ、避難命令を出さず、自分たちだけで逃げたのではないか??
その疑惑を突き付けます。

自己から7年・・・裁判は、まだ続いています。
ウンジュと遺族の戦いは終わらない・・・!!

「何より大事なのは、あの日に一体何があって、なぜ助けられなかったのか?
 それを徹底的に明らかにすることだと思います
 政府はそれをする事で、国民も韓国が抱える問題をしっかり再認識できるんです
 セウォル号事件が、韓国社会に教訓を残せるとしたら、それしかありません」byウンジュ

自己から3年が過ぎた2017年4月・・・慰霊祭に、最後に救出されたパク・ジュンヒョクの姿がありました。
20歳を迎え、兵役を控えていました。
将来の進路は未定だが、一つだけ決めたことがある・・・

「少なくとも、自分がやるべきこと、責任を負うべきことを出来る人間になりたいです」byジュンヒョク

悲劇から何を学ぶのか・・・その問いかけが終わることはない。。。

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あの時・・・韓国を覆った熱狂・・・それは、史上空前の規模でした。
韓国初の女性大統領・朴槿恵・・・彼女のあんな末路を、誰が想像したでしょうか?
大統領は、ある女の操り人形らしい・・・その驚きのスクープは、一人の記者の執念の取材から始まりました。

韓国第18代大統領・パク・クネ・・・クリーンなイメージで大きな期待を寄せられていました。
しかし、まさかのスキャンダルで、その姿は一変しました。
ある女性の言われるがままに便宜を図り、大統領の権限で金を集めたばかりか、国の機密文書まで渡し、指図を受けていたという信じられない疑惑です。
結局、大統領の座から引きずり降ろされ、裁判で懲役25年の判決が言い渡されました。

事件が発覚するや否や、韓国中が一人の女の素性に騒然となりました。
チェ・スンシル・・・父親は、新興宗教の教祖でした。
パク・クネとは、およそ40年に渡る深い付き合いで、しかしその存在は、表舞台ではほとんど知られていませんでした。
チェ・スンシルは、大統領からの絶大な信頼を武器に国政に介入・・・
人事をほしいままに操り、一兆円以上不正に蓄財したといわれています。

2013年2月大統領就任式・・・

「新政府は経済の復興と国民の幸福、そして文和隆盛を通じて、新たな希望の時代を切り開いていきます」byパク・クネ

大統領に一体何が起こったのか・・・??
韓国史上最悪と言われるこのスキャンダル・・・その裏には、取材に命を懸け、翻弄された者たちの知られざる苦悩がありました。
韓国を揺るがした大統領の疑惑・・・その舞台裏のもう一つの戦いが!!

1017年3月10日・・・憲法裁判所によってパク・クネ大統領が罷免・・・その座を追われました。

大統領の疑惑を誰よりも早くつかみ、世に知らせようとした記者・・・イ・ジンドン
彼の極秘取材は、苦い結末を迎えていました。
首都・ソウル・・・その中心にある住宅街にイ・ジンドンは暮らしています。
22年間の記者生活を終え、今はフリーのジャーナリストとして活動しています。
その取材は、危険に身をさらす戦いでした。
事件の始まりとなったスクープ・・・
ジンドンが勤めていたのはテレビ朝鮮。
2011年に出来たばかりのケーブルテレビでした。
経験者を集め、ニュースやバラエティーを中心に放送しています。
ジンドンは元々新聞記者でした。
政府の不正を暴く、数々のスクープをものにしてきました。
その経験を買われ、報道局の特別取材部長に抜擢されました。

放送局の知名度を上げ、視聴率を上げようとみんなで頑張りました。
知人から1本の電話を受けたのは、会社に入って3年が過ぎた頃でした。
話だけ聞こうと待ち合わせに向かいます。
期待はしていませんでした。
なにしろ、この手の話はしょうもないものがほとんどだったから・・・。
カフェに現れた体格のいい男・・・コ・ヨンテでした。
アジア大会に出たこともある元フェンシング選手でした。
案の定、切り出された話は退屈でした。

「一緒に住んでいる女が自分の家から1千万円の現金を盗んでいった
 そのお金を取り返してほしい」

というものでした。
情報提供というものの、男女関係の愚痴ばかり・・・
だったら警察に。。。というと、

「警察に頼んでも、あの女はすべてをもみ消してしまう
 警察に行っても何の意味もない」

どういうことなのか・・・??
ニュースになりそうもない痴話げんか・・・しかし、一つだけ引っかかる点がありました。
その女の名前・・・”チェ・スンシル”

「もしかして、昔パク・クネとの関係が話題になっていたチェ・テミンの娘のことか?」

と聞いたら、「そうだ」というのです。
実は、パク・クネには大統領になる以前から、密かに囁かれていた噂がありました。

その当時の韓国は、軍事独裁政権・・・そこに君臨したのが大統領のパク・チョンヒ・・・パク・クネの父親です。
妻が暗殺されたため、ファーストレディの役を娘のパク・クネがしていました。
ちょうどその頃・・・一つの噂が持ち上がります。
チェ・テミンという新興宗教の教祖が、パク・チョンヒ親子に取り入り、陰で私腹を肥やしているというのです。
そして、チェ・テミンは、娘のチェ・スンシルをパク・クネに近づけます。
彼女は、大学時代からパク・クネと交流。
やがて親子は、パク・クネが理事長を務める財団を利用して、多額の金を蓄えたと噂されました。
記者のイ・ジンドンも、噂を聞いたことがありました。

その後、パク・クネは、韓国初の女性大統領となりました。
クリーンなイメージで、かつての噂は薄れていました。

”コ・ヨンテがなぜそんなにチェ・スンシルのことを恐れるのか”

大きな疑問と胸騒ぎが・・・
もしかしたら、これを取材したら相当大きなニュースになるのでは??と、イ・ジンドンは直感します。
同姓同名の別人かどうか調べます。
唯一手に入ったのは、娘の馬術競技の観戦している1枚でした。
サングラスで顔はわからない・・・
コ・ヨンテから持ち込まれた写真は、ゴルフ中・・・こちらもサングラスをしていました。
しかし、白い帽子、白いパンツ、白い腕時計・・・間違いなく同一人物でした。

写真を嫌がるという点が、記者魂を刺激・・・ジンドンは、コ・ヨンテの取材を深めていきます。
コ・ヨンテによれば、政府の役人がチェ・スンシルに頻繁に会いに来て、いつも彼女に何かを報告しているようでした。
会いに来るときは、官用車を遠くに止めたり、他の車に乗り換えたりしていました。
チェ・スンシルがよく出入りするのは、ソウル市内の洋服の工房。
大統領専用に衣装を作っているという・・・
コ・ヨンテに頼んで、監視カメラをつけてもらうと・・・1か月後、遂に映像が手に入ります。
そこにはチェ・スンシルが・・・ワイシャツの男がメモを差し出しました。
その男は・・・映っていたのは、大統領の秘書に当たる行政官でした。
大統領の側近と呼ばれる人物です。
男がどれだけ大統領に近いか・・・大統領に当選した翌日、両親の墓参りをするパク・クネのすぐ後ろに控えているのがその男でした。
最も傍で大統領を支える一人・・・
チェ・スンシルは民間人です。
民間人が、大統領の行政官にぞんざいな態度をとっていました。
裏で彼女が権力を握っているに間違いないと思われました。
大統領の補佐官を通してチェ・スンシルは何を企んでいるのか・・・??
ジンドンは、地道に取材をします。

そして1年半の取材の末・・・報道に踏み切ります。
ジンドンが報じたのは、政府が後押しする財団に、巨額の金が不自然に流れている実態でした。
ただし、第一報では、敢えてチェ・スンシルの名前は出しませんでした。
しかし、関係者の証言から、財団を牛耳っているのはチェ・スンシルで、集めた資金を自分の会社に流していることをジンドンは掴んでいました。
まずは疑惑を報じ、世間の関心を集めたところで本人に直撃!!
3日がかりの貼り込みの末、駐車場でついにチェ・スンシルを捕まえます。
ついに、チェ・スンシルをカメラの前に引きずり出しました。
集めた疑惑の数々を一気に公表するだけ・・・しかし、そこには覚悟が必要でした。
ジンドンの家族は、以前にも取材で脅迫されたことがあったのです。

しかし、このスクープ・・・まさかのお蔵入りが決まります。
会社の上層部から圧力がかかったのです。
1か月後、意外な追い風が・・・!!
ある新聞社が財団の本当のボスはチェ・スンシルでは・・・??という疑惑を名前を出して報じたのです。

ジンドンの一報が出た後、他のマスコミが財団の背後を調べ始めていました。
その一人が、ハンギョレ新聞パン・ジュンホです。
周辺取材から、疑惑の中心がチェ・スンシルであることはつかみました。
しかし、財団のあらゆる資料にその名はなく、関係が証明できない・・・
財団の理事長の経歴を調べると、最近までマッサージ店を経営していました。
それを怪しみ、元スタッフを直撃すると・・・

「チェ・スンシルさんは、うちの常連の一人でしたよ」

チェ・スンシルは、財団の理事長になる人物を探していました。
その人も、財団で働かないかと、直接誘いを受けていました。
自分の意のままに動かせる人物をトップに据え、その陰で、財団を牛耳っているのではないか??
チェ・スンシルの存在を始めて公にしたスクープでした。
そしてハンギョレ新聞は、あるメッセージを紙面に乗せます。
それは、あのジンドンたちに向けたものでした。

「私たちはが取材の一歩を踏み出すことが出来たのは、テレビ朝鮮の報道があったからです。
 私たちはその跡を追っていくうちに、この事件のパズルを完成させるための決定的なピースが存在することを知りました。
 テレビ朝鮮は、そのピースを手にしているようですが、報道はしていません。
 いつ世に出して頂けるのでしょうか
 パク・クネ大統領の力が弱まった時なら、報道することが出来るのでしょうか」byハンギョレ新聞

多くのマスコミが、その矛先をチェ・スンシルに向け始めました。
財団以外にも、様々なルートで金を集め、不正に蓄財していたという疑惑・・・!!
名門大学に圧力をかけ、娘を裏口入学させている疑惑・・・
そしてその疑惑の目は、いよいよ大統領本人に向けられていくことになります。
大統領を陰で動かし、私腹を肥やしていたというチェ・スンシルの疑惑・・・しかし、この事件、韓国に最も大きな衝撃を与えたのは大統領が国家の機密文書すら差し出し指示を受けているという報道でした。


その報道の発端は、チェ・スンシルのものとされるタブレット端末を、あるクルーが見つけたこと・・・。
ソン・ヨンソク・・・タブレット端末を手に入れた記者!!
彼が率いるチームは、不思議な状況でこのタブレット端末を発見!!
韓国中をあっと言わせました。
物議をかもす物証を見つけてしまったのです。
韓国中が熱中する報道合戦に、ケーブルテレビJTBCは出遅れていました。
その差を埋めるには、一発逆転のスクープしかない!!
特別取材チームのソン・ヨンソク。
これまで数々のスクープをものにしてきたヨンソク・・・しかし、このタブレットの報道を巡って、彼のチームは葛藤を抱えることとなります。
あの時、ヨンソクが狙いを定めたのは、チェ・スンシルと大統領の関係を暴くことでした。
他社が見落としている情報源はないか・・・??
浮かんだのは、チェ・スンシルと一緒に大統領の衣裳店を運営していたコ・ヨンテでした。
彼を徹底的に取材すれば、具体的な何かが出てくるのでは・・・??
当時、コ・ヨンテはチェ・スンシルの愛人と噂されていました。
様々な会社を任され、多くの時間を一緒に過ごしていました。
ヨンソクは、コ・ヨンテ名義のオフィスをすべて回れと部下に指示します。
不思議な物証は、そのうちの一カ所で見つかりました。
訪ねたのは、新人記者でした。
その会社は、引っ越しをした後で、もぬけの殻でした。
しかし、木製の机が一つだけ残されていたのです。
警備員がカギを開けてくれたので部屋の中に・・・
そして、何気なく引き出しを開けると・・・中にあったのは、会社に関係する文書、メモリーカードが抜きとられたデジタルカメラ、そしてタブレット端末・・・機種は古く、充電が切れていました。
会社へ持ち帰って色々調べると・・・いろいろ確認することが出来ました。
その中身は・・・パク・クネ大統領が、休暇時にとった非公開の写真でした。
大統領に極めて近い者しか取れないであろう写真・・・
そして、大統領の演説の原稿らしきものも・・・!!
あちこちに添削したような赤字が入っています。
さらに北朝鮮に関する文書など、国家機密と思われるファイルが200以上も含まれていました。
どうして引き払われたオフィスにこんなものが・・・??
偶然か、誰かが仕組んだのか・・・??
しかし、これほどの物証を利用しない手はない・・・!!
タブレットからは他にもチェ・スンシルのプライベート写真や、娘のアカウントも見つかりました。
このタブレットが、チェ・スンシルのものである可能性が極めて高いと判断し、報道することにしました。
問題は、報道のやり方・・・
タブレットに機密ファイルがあったと報じても、政府から否定されれば次の手が無くなってしまう・・・
そこで、一計を案じます。
10月24日、第一報では、タブレットのことは一切触れず、情報を小出しにするのが彼らの作戦でした。
2日後、大統領府は、演説文が外部に出るなどありえないと、報道を全否定します。
そこでヨンソクたちは、次の情報を出します。
今度は、何者かの手直しの跡が残っている大統領の演説文を証拠として示したのです。
翌25日、大統領は会見で釈明に追われます。

「チェ・スンシルは、大統領選挙の時、主に演説や広報などの分野で意見や感想を伝える役割をしました。
 就任後にも、一定期間、一部の資料について意見を聞いたこともありますが、大統領府の補佐体制が整ってからはやめました。」

疑惑の一部を素直に認め、事態の収拾を図ったのです。
しかし、これが大統領を追いつめることに・・・!!
会見のわずか4時間後、JTBCは、大統領の説明の矛盾を突きます。

史料の中には、国家安全に関する機密や経済政策を含む内容があったことを・・・!!
チェ・スンシルという一民間人に、国家機密まで渡していた・・・!!
演説などで助言を受けていたという大統領の説明を覆すスクープでした。
ひとつ説明するたびに、その嘘が暴かれる繰返し・・・
大統領の言葉をそのまま信じる人は、もはやいなかったのです。

そしてこの時、テレビ朝鮮がお蔵入りになっていた映像の公開に踏み切ります。
チェ・スンシルが、大統領の側近をあごで使う・・・あの衝撃的映像です。
国民の怒りが、爆発します。

「パク・クネは退陣せよ!!」

デモの参加者は、瞬く間に膨れ上がります。
3か月目には、1日で170万人にまで達していました。
エスカレートする報道合戦の中、大統領のパク・クネは何を思っていたのでしょうか?
憲法裁判所が弾劾に動き始める中、ただ一人大統領への直接インタビューを許されたジャーナリストがいました。
ネットを中心に活躍する保守派のジャーナリスト、チョン・キュジェでした。
その頃、全てのメディアが大統領を引きずり降ろそうと躍起になっていました。
そんな中、大統領にインタビューしても、非難を浴びるのは確実でした。
大統領は、疑惑について静かに釈明をするだけでした。
インタビューでも淡々としていました。
空虚さを感じさせるほど何の感情も伝わってこない受け答え・・・
そこには、権力への執着も、報道への怒りも見えませんでした。

2017年3月、憲法裁判所はパク・クネが法を犯したと認定・・・史上初の大統領の罷免が決まりました。
裁判で、あのタブレット端末は、チェ・スンシルの物と認められました。
しかし、偶然過ぎる発見の状況には、疑いの声がやみません。
パク・クネの支持者たちは、JTBCの一連の報道に抗議デモを続けてきました。
捏造ではないのか・・・??と。

チェ・スンシルは、二審で懲役20年の判決をうけ、現在上告中!!
パク・クネには、二審で懲役25年の判決が下されました。
彼女は証言を拒み、上告を望まなかったと伝えられています。

様々な謎を含みながらも、大統領の罷免に行きついたチェ・スンシル事件・・・
その最も大きな後押しとなったのは、民衆の力でした。
毎週土曜日に行われたデモは、全部で20回、参加者数は1600万人以上・・・その規模は史上空前のものとなりました。

そこに、片道5時間かけて参加していた高校生イ・セロムがいました。
家族の反対を押し切ってデモに参加し続けました。
デモを支えた原動力とは・・・??
ソウルの中心部にある広場・・・あの時、この広場は大統領の罷免を求める人たちで埋め尽くされていました。
あのデモは、規模だけでなく、雰囲気も今までと全く違っていました。
空前のデモを支えた思いとは・・・??

現在、ソウル市内の大学に通うイ・セロム。
事件を知った時は、受験を1か月後に控える高校生でした。
夢はデザイナー・・・そのためには、熾烈を極める大学入試を突破しなければならない・・・!!
そんな中、飛び込んできたのが、あの許せないニュースでした。
チェ・スンシルの娘が、名門大学に裏口入学していたのです。
ニュースでデモを見て一緒に声を上げたくなった・・・心配する家族の反対を押し切って、参加を決めました。
同じ受験生の友達7人と共に・・・!!
バスで5時間かけてソウルに向かいます。
衝突があるかもわからないと考え、洋服の下に何重にも段ボールを巻いていました。
しかし、100万人が集まったデモの光景は、想像とは全く違っていました。
デモなのに暴力的ではなく、警察がカイロをくれたり・・・とても不思議な感じでした。
言いたいことがある者は、段に上がって自由に声をあげました。
そこにアーティストたちが加わり、思い思いのパフォーマンスをしました。
そして夜は、社会の暗闇を照らす意味で、みんなでろうそくの灯をともしました。
これまでデモで多くの死者を出した反省から、新たな方法がいつの間にか生まれていたのです。
そんな中、みんなに交じって初めてシュプレヒコールを上げたセロム・・・
学校に戻り、友達に写真を見せて状況を話すと、デモに参加したいという友人が増えていきます。
以後、セロムは毎週土曜日、4か月にわたってデモに通い続けることになりました。

同じ頃、SNS上では・・・”#ところでチェ・スンシルは?”と書かれるように・・・。
何にでも、”#ところでチェ・スンシルは?”とつけるのが大流行します。
疑惑から国民の目をそらそうとする政府に対し、自分たちは忘れないという意思表示です。
若者たちが編み出した知恵でした。
そして、あのデモが空前の規模になった理由がもう一つ・・・
生れてはじめてデモに参加する人がたくさんいました。
今までは政治に興味のなかった人々が、政治に興味を持つようになった原因は、セウォル号事件でした。
2014年に起きたセウォル号沈没事故・・・修学旅行中の高校生を含む304人が無くなった事故です。
パク・クネ大統領は、遺族に真相究明を約束したものの、救助が出来なかった理由や、事故原因は明らかになっていません。
遺族たちは、黄色いリボンをシンボルに、今回のデモに参加していました。
その悲しみは、デモに集まる人々に共有されていきます。
黄色いリボンをつける人が少しずつ増えていきます。
今回のデモでは、「これが国家なのか?」という声が、上がっていました。

「子供達がよりよい国で暮らしてほしい」
「今回のことをちゃんと覚えておいてほしい」

全国で、延べ1600万人以上が参加したデモ・・・
警官隊との暴力的な衝突は、ついに一度も起きませんでした。
そして、デモが始まって6か月目・・・大統領の罷免が決まりました。
今も、大統領府の目の前にある一角で、あの時の映像が流されています。
ロウソク革命・・・壁には、訪れた国民からのメッセージが・・・

”これからも、一歩ずつ進歩しますように”
”よい国になることを願っています”

民衆に選ばれた者が、民衆の力によって引きずりおろされる・・・
そのあまりにも劇的な例が、パク・クネ大統領の罷免でした。
彼女は証言を拒否・・・真相は闇に埋もれようとしています。
しかし、韓国の人々は、自分達の国を自分たちの手で守ろうとしたのです。
歴代大統領は、これまで悲惨な末路をたどってきました。
ある者は不正な蓄財を行った罪などで死刑判決・・・
またある者は、収賄容疑にまみれ、自ら命を絶ちました。
新たにムン・ジェイン政権が誕生しました。

不正にまみれてきた黒い歴史に終止符は打たれるのでしょうか??
記者たちが、命を懸けて戦わなければならない政府とは、一体、誰のためにあるのでしょうか??


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