戦闘機、戦車、マシンガン・・・人類は、自らを守り、他社を殺戮するため、あらゆる武器を生み出してきました。
そうした中、世界経済を崩壊する可能性を秘めた紙の兵器が存在します。
偽札・・・!!
この偽札を兵器としたのが、ナチス・ドイツ!!
通称・・・ヒトラーの偽札です。

第2次世界大戦のさ中、禁断の極秘戦略を発動させました。
敵国イギリスの偽札の大量生産です。
経済を破たんさせ、世界を我が物にせよ!!

オーストリア・トプリッツ湖・・・
ここに、ナチスの財宝伝説が存在しました。
1959年8月・・・大勢の報道陣が詰めかけます。
噂の財宝が引き上げられました。
19個の木箱・・・中には、イギリスの紙幣ポンド札が!!
種類は、5ポンド、10ポンド、20ポンド、50ポンド・・・その数22万枚、現在でおよそ25億円あまり!!
しかし、すべて偽札!!
長年、謎に包まれ、姿を現した通称ヒトラーの偽札!!

独裁者アドルフ・ヒトラーの野望の元、ドイツが国家として極秘に製作した偽札・・・
1939年9月1日、ヒトラー率いるドイツ軍は、150万の兵力で突如ポーランド侵攻!!
これに、9月3日、イギリス・フランスが宣戦布告!!
第2次世界大戦がはじまりました。
ただちに、イギリスとドイツとの間で熾烈な国際スパイ戦が展開します。
ヒトラーの偽札情報が、財所にキャッチされたのは、ギリシャのアテネでした。
大戦翌月の10月、ここで逮捕された謎のロシア人から地元の警察がドイツの極秘情報を記した手帳を押収しました。
この情報をイギリス公使が手にし、直ちに本国に送付しました。
その極秘情報とは・・・??

”今年9月18日、ドイツ財務省で開かれた会議で以下の計画が全会一致で可決された
 イギリスポンドへの攻撃と国際通貨としての破壊”

この会議で計画された偽札の量は、イギリス市場のポンド紙幣流通量の30倍・・・300億ポンドでした。
それを外国へ運び、各国のドイツ領事館員がタダ同然で市場にばらまき、ポンドの価値を崩壊させる!!
世界の基軸通貨・イギリスのポンドの信頼を完全に破壊すれば、ドイツの通貨・マルクが世界の支城を支配できる!!

紙幣に流通量の0.03%の偽札が入ってくると、お金に対する信用が失われます。
1%混入しただけで、経済は壊滅的な打撃を受けるのです。
第2次世界大戦の開始からわずか2週間・・・
ドイツは、ヨーロッパの戦場を越え、世界市場の支配への動き出していたのです。
偽札作戦・・・アンドレアス作戦を任されたのは、ナチスのエリート部隊である親衛隊・・・通称SSです。
責任者となったのは、親衛隊保安諜報部アルフレート・ナウヨックス大尉!!
1939年8月31日、ナウヨックスの指揮した部隊がドイツ領の放送局を襲撃しています。
ドイツのポーランド侵攻の口実を作るために、ポーランド人のドイツ放送局襲撃事件をでっち上げた闇の工作活動のプロでした。
ナウヨックスは、偽造の専門ではありませんが、精力的な男です。
そしてヒトラー総統からの命令をもらっていたともいわれています。
人殺しも厭わない人間です。
偽札作戦は、容易だと考えたでしょう。
この偽札作戦に、ドイツ内で強硬に反対する人物がいました。
ドイツ帝国銀行総裁ヴァルター・フンクです。

「偽札づくりは、国際条約に違反している!!」byフンク

1929年、スイス・ジュネーブで締結された「ぎっぞう通貨防止のための国際条約」では、外国の偽札製造に次のように禁止しています。

”国内通貨に関連する偽造行為と外貨に関連する偽造行為とを区別してはならない”

ナウヨックスは、フンクの反対により帝国銀行の協力が得られないため、国内の大学の研究者や、印刷職員を集め、ポンド札偽造の研究を始めます。
紙幣づくり・・・それは、4つの大きな工程に分かれています。

①原料選び
②透かし入れ
③原版づくり
④印刷

通常、このすべての段階で、偽造防止の工夫が凝らされています。

お札の製造技術は、国の最高技術を取り入れています。
一連の技術が相まって、偽造ができない紙幣となっています。

ナウヨックスがまず挑んだのが5ポンド札・・・現在の価値で今の2万5000円に当たる高額紙幣です。
1853年発行開始されています。
100年前の技術なら、偽造は簡単では??と踏んだのです。

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①原料選び
ナウヨックスは、大学の研究機関で5ポンド札を研究させました。
すると、わざわざトルコ産の亜麻(40%)、ハンガリー産の苧麻(60%)の割合で混ぜていることが判明します。
ナウヨックスは、早速同じ原料を取り寄せて紙づくりを開始します。
これで第一段階クリア??
紙幣を鑑定する際の基本・・・手触りが全く違いました。
本物ははるかに滑らかな手触りだったのです。
そして、紫外線の商社を行うと、ナウヨックスたちの紙は反応しないが、本物の5ポンド札は青く発光しました。
つまり、蛍光物質が混ぜられていたのです。
ドイツの偽札作戦の情報がもたらされたとき、イングランド銀行の副総裁は自慢げにこう言ったといいます。

「そんな計画、まるでおとぎ話のようですな」

一見古臭そうに見えながら、大英帝国の威信をかけた偽造防止の工夫がなされた5ポンド札・・・!!
ナウヨックスの偽札づくりは、紙づくりという最初の段階から大きな壁に行き当たったのです。

ドイツの首都ベルリン郊外の住宅街・・・
1939年12月、親衛隊が借り上げた邸宅に何台もの印刷機が運び込まれました。
実はここは、ポンド札の原板や印刷の研究施設・・・アンドレアス作戦は、普通の屋敷に偽装した印刷工場で極秘に進められました。
ナウヨックスは、印刷段階前のポンド札の分析に難航・・・

②透かし入れも難航していました。
透かしは、紙を作る工程でくわえられる・・・すかして見ると、インクを使わずに立体的な表現がなされています。
5ポンド紙幣の透かしは、ほぼ全面に・・・さらに、細部に濃く見える透かしが施されていました。
薄く見える白透かしと、濃く見える黒透かし・・・この違いは、凹凸のある網で、原料を溶かした繊維をすき上げたときに生じる紙の厚みの差・・・
光を当てると、薄いところは光を多く通して白透かしに、厚いところは透過光が少なく黒透かしになります。
そこで、この透かしをドイツの最も古い製紙工場のすき入れ職人に再現させたところ・・・
ポンド紙幣のようなシャープな透かしにはならず、輪郭がぼけた印章にしかなりません・・・
手触りも、紫外線反応も、すかしも・・・偽物とバレる状態でした。
減量が同じで技術力も高いはずなのに、何が間違っているのか??

ドイツ側のスパイが仕掛けます。
ロンドンのイングランド銀行に潜入していた親衛隊諜報部員が重要な情報を手に入れたのです。

”5ポンド紙幣は、使用済みのボロ布を材料としている”
 
知らせを受けたナウヨックスは、原料の麻を布にし、機械掃除などでボロボロになるまで使用・・・
そのボロ布を裁断し、改めて紙をすき上げました。
すると・・・本物と同じ柔らかさになりました。
ポイントは、布の摩耗による麻の戦意の変化でした。
また、透かしも、繊維が細かくなることで微細な表現化可能になる、本物同様のシャープな仕上がりに!!
さらに、使い古された汚れた繊維を白くするため、5ポンド札には蛍光増白剤が入っていることも判明しました。
これが、紫外線検査で青く光る秘密だったのです。

ナウヨックスは、第一段階の原料選びと第二段階の透かし入れを同時に突破します。

③原版づくり
原版は、通常、原図を書く→金属板を彫る
当然この段階でも偽造防止の罠が仕掛けられています。
ポンド紙幣の原板のなかで、最も偽造が難しいのはイギリスを象徴する女神・ブリタニア像。
ここには、微細印刷が施され、これを偽造すると細かな部分がくっついて黒くなるのです。
ナウヨックスたちが作ったものは、部分的に黒く潰れてしまいます。

さらに・・・
④印刷の工程ではさらに最大の難関が待っていました。
ブリタニアの衣装の影・・・微細なところをマイナーチェンジをしてあるのです。
イングランド銀行は、5ポンド札の図柄を10万枚で原版を改変していました。
その数、紙幣全体100カ所に及ぶと言われています。
いつ、どのような改変をしたかの情報を持っているイングランド銀行側は、それらを照合すれば本物か偽物か、簡単に判断できるのです。
時間ごとに改編されるワナ・・・
これほど膨大なポイントには、対応のしようがありません。

そこでナウヨックスは、1940年4月、諜報部員をスイスの銀行に派遣・・・
そこで大きな賭けに出ます。
諜報部員は、窓口で偽札の試作品を差し出し、こう申告したのです。

「このポンド札は、闇市場で入手した
 おそらく偽物だと思います
 鑑定してもらえますか?」

ただちに鑑定され・・・ところが、「正真正銘の本物ですね」

実は、イングランド銀行の艦艇システムには大きな欠陥がありました。
イングランド銀行では、国内では持ち込まれたお札の偽造防止のポイントをチェックしますが、外国の銀行に対しては、機密漏洩を防ぐために教えていなかったのです。
つまり、イングランド銀行自体の偽造防止のシステムが厳重でしたが、海外の銀行ではほとんど機能していなかったのです。
多少不完全な出来であっても、イギリス以外の銀行を通せば偽ポンド札の流通は可能・・・アンドレアス作戦は、発動に向け大きく前進しました。

しかし、その矢先・・・ナウヨックス突然の失脚!!
偽札製造の責任者から外されました。
原因は、上官である親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒとの対立が噂されていますが、真相は不明です。

1941年の秋、アンドレアス作戦休止

しかし、ナチスの偽ポンド札製造のへの野望はこれで終わったわけではなかったのです。

策謀のプロ・・・ナウヨックスが失脚したことで、一旦休止となったナチスの偽ポンド札作戦・・・
再会するにあたっても、機密保持にも力を入れないとドイツ国内にいる連合軍のスパイにバレてしまいます。
やがて、ナチスドイツは偽札づくりを行っても、絶対に秘密が漏れない場所を思いつきます。
それは、ユダヤ人たちの強制収容所でした。

1941年6月、ソビエト侵攻・・・わずか4か月後、首都モスクワ近くまで・・・その後戦線は膠着。
1942年5月8日、親衛隊は、再び偽ポンド計画を再開しました。
責任者は、書類偽造課長ベルンハルト・クリューガーでした。
ベルンハルト作戦とされた計画は、前回から目的を変更、イギリス経済の破綻ではなく、偽ポンドを大量に印刷し、武器・物資を購入、戦線拡大と長期戦による戦力の不足を補うためでした。
ベルンハルトはこの大規模プロジェクトを誰にも知られずに進められるとっておきの場所を思いつきます。
そこが、ナチスに拘束された多くのユダヤ人たちの送り先・・・強制収容所でした。
ベルリンから北に30キロ離れたザクセンハウゼン強制収容所・・・最大で4万7000人以上収容したと言われる巨大施設です。
ベルンハルトはこの一角・・・バラック18・19に、2代の印刷機などを持ち込み、極秘の偽札印刷所にしました。
秘密裏に作戦を実行できる場所を見つけたベルンハルトは、印刷工、彫金師、グラフィックアーティストなど印刷技術を持つユダヤ人囚人25人をザクセンハウゼンに集め、偽札づくりの職人として働かせました。
さらにベルンハルトはユダヤ人職人のために一人ずつベッドを用意して十分な睡眠を与え、栄養のある食事、さらに防寒のための服まで与えることで、作業に集中できるようにしました。

そして何度も囚人に言い聞かせます。

「いい仕事をすれば、報酬と命の保証があります
 しかし、働かない者は容赦なく撃ち殺します」

囚人を使った理由・・・それは、いざという時、簡単に口封じができることでした。
1942年12月、ザクセンハウゼン強制収容所で偽札製造が開始されます。

③④の工程に進みます。

原版・・・本物のポンド紙幣の画像紙幣をスクリーンに拡大、肉眼では見えなかった細やかな点や線を見つけ出し、原版をより正確に修正します。
最後に出来上がった原版で印刷・・・そして、イングランド銀行が仕掛けた100以上の罠などは、精巧に偽造できているか、検査が命じられます。

アンドレアス作戦の偽札と比較すると・・・??
黒くぼやけた部分がはっきりと・・・顔や影もしっかりと書かれていました。
本物と見まがうほどの品質となった偽札・・・
しかし、高品質の偽札を完成させた囚人たちは葛藤の中にいました。
その一人・・・ユダヤ人印刷工のアドルフ・ブルガー・・・
ブルガーは、戦後生き残り、ナチスの偽札作戦を記録して世に伝えた男です。
ブルガーは、当時の心境をこう書き残しています。

「ユダヤ人を紙幣偽造に駆り出すというアイデアは、まさに悪魔でないと思いつかないだろう
 我々は、第三帝国最高機密の担い手になってしまったのだ」

1942年8月・・・スロバキア出身のブルガーは、ドイツ占領下のチェコスロバキアで妻とともに逮捕・・・
その後、妻のギゼラは、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、殺されました。
最愛の人をナチスに奪われ、偽札づくりに素直に従うことなどできない・・・!!
ブルガーは抵抗を始めました。
印刷のローラーをわざと汚す・・・
原版に傷をつけたりして偽札の増産のペースを落とすように工作。
また、イギリスでは紙幣をピンでとめて保管することから偽札に流通しているかのように穴を開けていましたが、ブルガーはイギリス人が避けるようなブリタニアに穴をあけました。
それを手にした誰かが違和感を感じるように仕込んだのです。
しかし、職員はさらに集められ、141人もの囚人が昼夜二交代制で偽札を大量に生み出していきます。
ブルガーの水面下での抵抗は、あまりにも微力でした。

製造された偽札の額は、1億3400万ポンド!!
少なくとも1000万ポンドは使用したといいます。
それは、現在の価値にして560億円!!偽札は、武器購入や、スパイの報酬に利用され、やがてヨーロッパ全土に流通していったのです。

1944年6月6日、ノルマンディ上陸
ソビエト軍による本格的な反撃を開始!!
東西からの侵攻を受け、ドイツは敗色濃厚となっていました。
しかし、その年の秋・・・ザクセンハウゼン強制収容所の印刷職員たちに新鋭隊から意外な命令を受けます。
ドル札の偽造作戦です。

ヒムラー長官から命令があったという説もありますが、そいつ敗戦前の1944年後半から始まった偽ドル製造は、戦後のナチス逃亡の資金のためだったのは明白です。
偽ドル紙幣づくりは、もはや戦争の勝ち負けは関係なく、敗戦後のナチス幹部たちの国外逃亡用の資金だったのです。
妻を収容所で殺され、すべてを奪われた印刷工ブルガーは、ポンド札の時以上に偽ドル作戦への水面下での抵抗を決意します。
ブルガーは、機械の調子が悪くなるようにして完成を遅らせます。
ところが、これを怪しいとにらんだベルンハルトは、直接囚人たちの元を訪れ問いただします。

「作業が遅れている理由は何だ??」

「少佐殿、作業の遅れは、非常に細い線を書かなくてはならないためです
 進めるためには、中国筆が必要です」byペーター・エーデル

「お前たち、本当か??
 嘘をつくものは、即刻、処刑する!!」

「本当です!!」

なんと、その場にいた囚人たちは、嘘をついて全員ブルガーをかばったのです。
ドイツ兵のラジオなどから、戦況を知った彼らは、偽ドルづくりをドイツ敗北まで引き延ばすことで何とか生きのびようと意見が一致していたのです。

「私たちには義務があった
 なんとしても、
 ここで行われている恐るべき犯罪を世界に知らさなければならない
 自由の身になった暁には、この目で見たことをすべて証言しよう
 私たちは沈黙してはならない
 女性や子供がガス室に送られる様子を見た人、死にゆく者の悲鳴を聞いた人は、沈黙してはならないのだ
 忘れてもならないのだ」byブルガー
 
1945年3月13日、ザクセンハウゼン強制収容所にベルリンから電報が届きます。

「作業を停止せよ!!」

連合国軍の接近に伴い、偽紙幣製造の拠点は別の場所に移動・・・
印刷機と共に、囚人たちを乗せたドイツの列車は、東西から迫る敵の目を逃れながら、オーストリアを南へと移動・・・
1月後には、レードル=ツィプフ強制収容所へと向かいました。
囚人たちは、5月から強制収容所で偽札製造が再開されると聞かされました。
ところが・・・
4月23日、ソビエト軍がベルリンに突入、市街戦が始まりました。
4月30日、総統アドルフ・ヒトラー自殺!!
ナチスの指揮命令系統は崩壊しました。
ただちに偽札づくりの現場でも異変が起きます。
刷り上がった偽札や印刷機がトラックで移送・・・。
印刷途中のもの、出来の悪い偽札は、次々に燃やされました。
親衛隊が、証拠隠滅を始めたのです。
さらに5月3日、囚人たちは50キロ離れたエーベンゼー強制収容所へと移送されます。
偽札印刷に関わった囚人138人・・・口封じのために全員処刑されようとしていました。
ナチスの犯罪を暴露する為に、屈辱に耐え、これまで時間稼ぎをして生き延びてきたのに・・・

1945年5月5日、エーベンゼー強制収容所に歓喜の声が響き渡りました。
囚人を処刑するはずだった新鋭隊員たちは逃亡・・・収容所は囚人たちの手で自由となったのです。
5月7日、ドイツ無条件降伏!!
やがて奇跡的に生き延びたブルガーたちの証言によって、ナチス・ドイツの偽札づくりが明らかになっていくのです。

「解放された後、私は警察に行き事情を話した
 すると、プラハの中央銀行にある230枚のポンド札の確認を求められた
 銀行員はすべて本物と鑑定しましたが、私には1/3が偽物だとわかった
 ブリタニアに穴があいていたからね」byブルガー

出回っている偽札の額は、少なくとも日本円にして560億円・・・
ナチスが作り出した巨額の偽札は、戦後、各国の金融機関を困らせ続けたといいます。

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