ロシア発、世界最大のミステリー・・・ディアトロフ峠事件・・・
今から60年前、9人の若者が、冬山で一夜にして全員死亡・・・
マイナス30度の雪の中、遺体の多くは薄着、異常な骨折、顔の損壊・・・放射線の検出・・・
”死の山”で何が起こったのか・・・??
噂の説はなんと75!!どうして噂は拡大したのか・・・??

1980年代後半、世界的激動の時代でした。
ソビエト連邦のゴルバチョフ書記長は東西冷戦を終結させ、体制の維持が困難になったソビエト連邦は崩壊・・・
混乱の中、封印されていた遭難事件の詳細が、奇妙な噂となって西側に伝わりました。

1959年冬・・・ソビエト連邦・・・
現場は、国の中央部・・・ウラル山脈北東部・・・スヴェルドロフスク州
一月下旬、9人の若者が22日間の予定で冬山トレッキングを行っていました。
彼等は地元・ウラル工科大学の学生やOBでした。
男性7人、女性2人・・・全員が登山や長距離スキーの熟練者でした。
中でもリーダーのイーゴリ・ディアトロフ(23歳)は、経験豊富な雪山登山のエキスパートでした。
隊員からの信頼も厚く、そのディアトロフには恋心を抱く女性が・・・ジナイダ・コルモゴロワ(22歳)・・・ジーナ・・・経験豊富なハイカーで、社交的で誰にでも優しい女性でした。
グループ内には、ジーナに恋心を抱くものも何人もいました。
そしてリュドミラ・ドゥビニナ(20歳)・・・リューダ・・・最年少ながら、タフで活発な性格、カメラが趣味で、残された隊員たちの写真の多くは、リューダが取ったものでした。
他のみんなも、ディアトロフが特に信頼を寄せるメンバーでした。
そんなディアトロフ隊が目指したのが、ウラル山脈北部、標高1234mのオトルテン山・・・これまでルートが作られていない地域を進む過酷なコースでした。
彼等は、歌ったり踊ったり・・・仲良くオトルテン山を目指していました。

ところが・・・出発から10日目・・・2月1日。
悪天候・・・風速15~20mの強風・・・気温マイナス25~30度の極寒!!
薄暗い靄の中を、時速1.5キロで進みます。
目的のオトルテン山まで残り10キロ・・・
しかし、ここで日没・・・午後5時ごろテントを設営し、夜を明かすことに・・・。
雪の斜面を掘る一方、テントを張るために整地します。
しかし、この写真が彼らの最後の写真となるのです。

それから2週間・・・2月16日。
下山予定日から3日たってもウラル工科大学に一行からの連絡はなかったのです。
彼等が通う大学には、心配する家族からの電話がひっきりなしにかかります。
2月20日、地元の検察に捜査本部が設置。
大規模な捜索活動が始まりました。
そして・・・2月26日、捜索隊がテントを発見。
その場所は、目的地オトルテン山の10キロ南のホラート・シャフイル山の斜面・・・。
死の山と先住民たちが呼ぶ地域でした。
テントは雪に押しつぶされていました。
しかし、支柱のポールはロープで頑丈に縛られたまま立っていました。
雪崩に流された形跡はありません。
テントの中に人影はなく、靴や荷物は置いたまま・・・
テントは内側から数カ所が切り裂かれていました。
非常事態・・・??
地元の検察当局は、刑事事件として捜査を本格化!!
2月27日。。。捜索隊は、テントの近くで複数の足跡を発見!!
足跡をたどり、斜面を下った先に・・・リーダーのディアトロフ、女性のジーナ、男性隊員3人・・・相次いで死体が見つかりました。
その姿は、不可解なもの・・・
雪の中、薄着で靴も履かず・・・中には、下着姿ではだしの者も・・・周辺には脱ぎ捨てられた衣服が・・・!!
マイナス30度の寒さの中、一体なぜ・・・??
5人はテントから1.5キロ離れた下り坂で亡くなっていました。
非常事態でテントを出たとしても、靴もなしにどうしてこれだけも離れたのか・・・??
5人の体には、打撲や擦り傷以外に傷はなく、死因は低体温症による死・・・凍死と判定されました。
残りの4人は見つけられないまま捜査は難航・・・。
5人の遺体の謎も解けないまま2か月が過ぎた頃・・・溶け始めた雪の下からようやく4人の遺体が発見されました。
5人の遺体から、さらに75m離れたところでした。
靴を履いていないという状況は前の5人と同じでしたが、遺体は大きく異なっていました。
ある者は頭部が陥没損傷、ある者は肋骨5本を骨折し折れた骨が内臓に突き刺さり大量出血・・・
特に遺体の損傷が激しかったのがリューダ・・・肋骨10本が折れたうえ、心臓にその骨が突き刺さりそれが致命傷となっていました。
しかも、顔からは眼球と舌が失われ・・・検視官は彼等の死は暴力的な外傷による死としました。
車にひかれたような強い外力の影響としたのです。
その上想定外の謎が・・・リューダたち二人の衣服からは、異常な量の放射線が検出されました。
9人の内5人は低体温症による凍死、他の4人は強い衝撃による死亡・・・その上、放射線が検出されました。
2月1日の夜・・・いったい何が起きたのでしょうか?

事件から60年、この不可解な事件に対して75のもの仮説が出されました。
獣害説・・・ウラル山脈にいる熊や狼・・・獰猛な野生動物に襲われたのか??
マンシ族襲撃説・・・マンシ族は、この地域で狩りをして暮らす先住民族・・・聖地としてあがめる山に勝手に登ったことに怒りを買ったのではないか?
スパイ暗殺説・・・隊員の中に外国のスパイがおり、その人物をソビエト当局が始末する際に、全員巻き込まれたのではないか?
恋愛沙汰の人間関係のもつれ説
雪男”メンク”の襲撃説・・・テントから見つかったカメラには・・・雪深い中、こちらを見ている影が・・・!!
こうした襲撃や殺人説は、遺体の傷から動物の爪や鋭利な刃物による外傷は見つかっておらず、雪男メンクの姿は隊員かも・・・??
最後の写真には暗闇に光る大きな光の玉・・・いったい何・・・??
事件当時、ウラル山脈一帯には、謎の光球の目撃がいくつも発生!!
目撃者の中には、捜索隊の警察官や軍の関係者もいました。
なので、この隊は、ミサイル実験のトラブルに巻き込まれた説や、UFO襲撃説まで登場・・・
仮説は増え続け、事件は世界最大のミステリーとまで言われるようになりました。

当時、ウラル地方周辺は、Mトライアングル・・・”ロシア版バミューダ・トライアングル”と呼ばれていました。
1980年代からUFOの目撃情報などが多数報告されています。
モノは消える・・・UFOは飛ぶ・・・UMA(未確認動物)は歩いている・・・オーパーツ、超古代文明の痕跡・・・怪奇現象のテーマパークでした。

この事件はソ連時代、タブーとして扱われており、公式見解以後、誰も触れられない状況にありました。
60年経って当局が取り組む・・・??
9人の死がセンセーショナルに受け止められ、60年経った今も、議論がなされている特異性があります。

事件原因の説・・・75・・・。

1959年、事件が起きた直後から、知能の検察局が現場の状況や原因を操作し、まとめた捜査報告書には何が書かれ、何が書かれていないのでしょうか?

ディアトロフ峠事件の報告書・・・表紙には機密文書・・・極秘の文字が・・・。
1959年、事件の捜査直後のこの文書には、現場に即した情報がまとめられています。
その物証、ディアトロフたちの家族や友人、学校関係者の証言、推測された事件原因が書かれていました。
ディアトロフたちの推定死亡時間は、最後の食事をとってから6~8時間後でした。
つまり、2月1日または2日に亡くなったことは明らかです。
その時、彼らに何が起こったのか・・・??
捜査報告書には・・・??

どうして9人はテントを離れたのか?
テントが雪崩で流されていないことから他の自然現象を考えてみると・・・
強風説・・・
ある捜索隊員の記録には・・・”死因は自然現象しか考えられません。彼らは強風に飛ばされたんです。”とあります。
現場は捜査日も強い風が吹いており、これを原因だという人は他にもいました。
ディアトロフたちを襲った強風を想定すると・・・
夜・・・尋常ではない風音に怯える一行・・・テントが飛びそうになったので、慌ててテントを切り裂いて外に飛び出たところ、隊員の誰かが風で飛ばされてしまう・・・
助けようとする仲間も強風にあおられうまくいかない。
全員流されるように斜面を下るしかなかった・・・。
吹雪の中、薄着で靴も履かず、1.5キロの距離を・・・そして9人の内5人は寒さと風が原因で亡くなりました。
死因は低体温症でした。
しかし、下着姿ではだしで亡くなったゲオルギーの原因は推定されていません。
マイナス30度の寒さの中、その奇妙な姿はどうして起きたのでしょうか?
冬山の遭難事例を考えると・・・あり得ることです。薄着で体が冷えて低体温症になって、錯乱状態になり・・・矛盾脱衣をしてしまうのです。
体温が34度以下まで下がると、内臓の機能を維持する為に血液を集中させます。
すると、冷え切った体の中心が温かくなり、体温調節中枢が麻痺・・・暑いと錯覚して衣服を脱いでしまうのです。

一方、頭蓋骨、肋骨の骨折した遺体、目や舌が失われていた遺体は・・・??
1959年の報告書によると・・・彼らの死体はすべて水の中にありました。
死体は分解されており、水の流れがとても速く、さらに腐敗が進む可能性があります。
眼球は死体の死後変化・・・つまり、腐敗と分解によるものだというのです。
そして頭蓋骨の骨折は、頭部のけがは強い風によって倒れ、転倒した際に頭を石や氷などに激しく打った可能性があります。
さらに4人は、4~4.5mの雪の層の下から発見されました。
渓谷の崖の上から転落したことを示唆していました。
捜査を担当したものは、全ての死体に外傷や闘争の兆候はない、周囲に第三者の足跡は見つからなかったため、事件性を否定し、抗しがたい自然による不可抗力としたのです。

その一方、報告書には、自然災害では説明できない奇妙な現象も記録されています。
損傷が激しかった死体の衣服から放射線を検出・・・。
その放射線量は、一般的な放射線作業従事者の基準を超えるものでした。
これを報告書では、お福が大気中から落下した放射線粉塵で汚染されているか、放射性物質を取り扱う時に接触して汚染されると説明されています。
二人のうち一人は、原子力の研究者でしたが、もう一人は一般のウラル工科大学の学生でした。
汚染原因は記録されていません。

そして報告書には、自然災害とは無縁の謎の光球の記録も・・・!!
光球の目撃者の記録も多数残されています。
「午前6時40分頃、南側に点滅する明るく白い光のボールを見ました。」
「球は10分間見えた後、溶けるように北の空に消えました。」
しかし、その正体については報告書には記されていません。

”捜査書を極秘扱いとして機密書庫に保管せよ”

捜査書は、一般の目に触れることなく、事件そのものも世間に知らされず、”9人の死”の事実は闇へ消えたのです。

北極圏は冷戦時代、アメリカとソ連が一番対峙するピークポイントで、非常に軍事的な意味の高い場所でした。
ノーバヤゼムリャは、頻繁に核実験やミサイル発射などが行われていました。
そして、冷戦時代、軍事機密は非常に重要なものでした。
人命に影響を及ぼしていても、政府が隠そうとするのは自然なものです。
そこには検察の忖度があったのかもしれません。

2019年2月、ロシア最高検察庁が再調査を発表します。
ところが、6月、ディアトロフの遺族たち・・・ディアトロフ財団が記者会見をし、検察庁の発表に反論します。
事件をめぐり・・・何が起こっているのでしょうか?
事件から60年を迎えた2月1日・・・ロシア連邦の最高検察省がディアトロフ峠事件に於いて再調査を発表しました。
そして、チームが編成され、既に現地調査を行っていることを明らかにしました。
”抗しがたい自然による不可抗力の詳細な調査”だといいます。
「犯罪行為は絶対にありえない 
 意図的な犯罪説を支持する証拠はひとつもありません」
あくまでも自然災害が原因・・・雪崩説、雪嵐説、暴風雪を考えるというのです。
しかし、60年前の報告書では、雪崩説は全く言及されていませんでした。
捜索隊が発見した時、地中のポールはきっちり紐で固定され、雪崩で流されていなかった・・・。
しかも、雪崩が起きやすい傾斜は30度以上といわれています。
ディアトロフたちがテントを設営した場所は、15度~20度でした。
雪崩は起きにくいはず・・・
近年ロシアでは、ディアトロフたち自身の過失で雪崩が起きたという説が・・・??
彼等は斜面を掘り起こして整地し、テントを設営しました。
しかし、これによってテントの上の斜面の雪が支えを失い、そこに崩れた雪が小さな雪崩を引き起こし、テントをおしつぶしたというのです。
現地の調査を行ったロシアの地質学者によると・・・
彼等がテントを設営した場所の先に、30度の斜面がありました。
そこに、新説が降り積もると、下の雪はその重みで圧縮されます。
何度も繰り返されると、重なった板状の雪の層ができます。
この層は、雪が降るたびに圧縮されて、重くなっていきます。
そうした雪の板の塊(雪崩)が、テントを押しつぶしたのです。

そして近年、ロシア以外の研究者の検証も行われ、山の地形などから強風ではない、特殊な気流・・・渦ができたとする説が・・・。
彼等はテントを山の風下に設営しました。そして、渦に巻き込まれたのです。
この上なく最悪の場所だったのです。
テントが設置されたのは、左右が対称の半円形の山の風下・・・
強風がこの山に当たると、風邪は左右に分かれ、山の側面に細かい渦を発生させる・・・これが山を越えたところで、一つの大きな渦に成長し、強力な渦がテント周りを通ります。
眠っている間に2つの渦が近づくことにより、地面の振動を感じ・・・さらに非常に大きな轟音が・・・それが長時間続くと、人々は圧迫感や恐怖心を感じます。
こうした異常事態に隊員たちはテントを飛び出したのでは・・・??というのです。

再調査で解明されるはずでしたが・・・
2019年6月26日、ディアトロフ財団記者会見で・・・

「ディアトロフたちに登山経験がなく、自分達で雪崩を起こしてしまったと書いてある
 こうやって国民をだまそうとする検察のやり方、どうなんですか??
 僕たちは、毎年雪を調べている!!
 データはたくさん持っています。
 雪崩はあり得ません。」

会見を開いたのは、1990年に創立したディアトロフ財団で、事件の真相究明を目的に活動しています。
彼等は旧ソビエト体制は、事実の隠蔽や陰謀を仕組んだと疑い続けているのです。

情報隠蔽を疑う理由の証拠は、1959年の捜査報告書の表紙です。

そこに・・・捜査報告書の事件番号が未記入なのです。
事件ごとに番号が決められ、それに基づいてすべての記録が整理保管されているはずなのに・・・。
事件番号もない、捜査資料番号も不正確・・・
不都合な文章を抜き、捏造文書を加えても、検証不可能・・・!!

さらに財団には、日付についても矛盾しているといいます。
1959年2月、学生捜索隊として捜索活動に参加したテントの第一発見者は・・・
「テントは2月26日に、27日に遺体が発見された
 テントは私たち捜索隊が発見したという事になっている
 当時、どういう訳か、私たちは案内人によってテントのすぐ近くに連れていかれた
 私たちが乗ったヘリコプターは、まだ見つかっていないテントの近くに行けたのか・・・??
 すでに誰かに発見されていたのです。

 報告書に書かれている捜査開始の日は2月6日。
 なぜ2月6日に刑事事件の捜査が始まっているのか。
 志望者が出ていることを知っていたからでしょう。

 これは仕組まれていたこと
 すべてはシナリオだったんです
 死亡原因を自然現象によるものとするための工作なんです」

報告書では、全ての捜査開始日の日付が2月6日になっています。
ディアトロフたちが遭難したのが2月1日~2日。
家族達が大学に連絡したのが2月16日。
報告書の日付は2月6日・・・。
はるか以前から検察が動いていたことになります。

自然現象説で解決を図ろうとするロシア検察庁・・・事件当時の当局の疑惑を訴える財団・・・事件は混迷を深めます。

ソ連時代は環境汚染があって、閉鎖都市もあり、核実験などが行われていました。
人的被害もたくさんありました。
ソ連が崩壊し、被害を訴える声が起きます。
しかし、ほとんどが操作されない状況が続いています。
しかし、あえて再調査とは・・・??

ソ連時代、文書はきちんと作られ、全部きちんと保存しておくというのがソ連政府の性格です。
文書がいい加減に作られてしまうことに非常に違和感を感じられます。

今なお、事件の解明を目指すディアトロフ財団・・・
どうして軍隊用の水筒がディアトロフ財団の遺品に紛れていたのか?
この水筒にはアルコールが入っていましたが、ディアトロフたちはアルコール入りの水筒を持って行ってはいませんでした。
ディアトロフ財団の創設者は、遺族でも関係者でもありません。
しかし、子供のころ、偶然遭難者たちの葬儀を目撃・・・大勢の若者たちの死さえ隠され続けてきたことに理不尽さを感じていました。

「この世で最も価値のあるものは真実です。
 もしそれを知らなければ、私たちは何者かに頼りきり、騙されながら生きていくことになります。
 健全な社会の正式な一員とは言えません。
 政府や捜査機関が何かを隠したり、公表しなかったりする場合、真実は何よりも尊いのです。
 それが活動を続ける理由です。」

1959年若者9人が遭難し死亡・・・どうしてこのことが世界最大のミステリーに・・・??
そこには、事件から60年の間に起きた様々な社会情勢が関係しています。
事件が起きた1950年~60年初頭、東西冷戦の真っただ中、ソビエトでは厳しい規制によって、外国からの情報はもちろん、国内でも報道さえ統制されていました。
しかし、1985年に誕生したゴルバチョフ政権は”グラスノスチ”・・・情報公開をし始めました。
多くの規制撤廃・・・言論、思想、出版、報道が自由となりました。
タブーとされた情報も表に現れてきます。
封印されたディアトロフ事件の資料が公開されたのも1990年代・・・そうした情報統制の反動の時代でした。
その結果、ソビエトで出版される場合、極秘ミサイル実験の巻き添え説や、当局の陰謀が語られるようになり、インターネット時代になり欧米各国に広まります。

ソビエトで長年封印された怪奇事件の登場に、とくにアメリカがオカルトとして特集。
遂には雪崩説から陰謀説、超常現象まで、事件の疑惑をありったけ放り込んだアメリカ、イギリス、ロシアの映画まで登場!!
こうした流れの中、事件の原因は75にまで膨れ上がってロシアに逆輸入!!
事件そのものを知らないロシアの人の間でも、様々な憶測を呼ぶミステリーとして広がり、ドキュメンタリー番組が製作される事態に・・・。

明るく、いつもと変わらず出かけたまま帰ってこなかった9人の若者たち・・・
あの夜、何があったのか、その真相は今も雪山の中に隠されたまま・・・。

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