かつて、史上最高の大ヒットを記録した映画「タイタニック」
世界が泣いたその悲劇とは・・・??
20世紀最大級の海難事故・・・氷山との衝突による沈没・・・!?

北アイルランド・ベルファスト・・・
今からおよそ110年前、この地の造船所で、建造中の広大な甲板・・・幅が28mもある豪華客船・・・
その名は、タイタニック・・・!!
全長は269m、総トン数4万6000トン・・・当時、世界最大の客船でした。
建造費は、現在の価値で220億円!!
豪華な客室に加えて、長旅を楽しむためのスポーツジム、プール、スカッシュコート、そしてサウナまで!!
その贅沢な作りは、海の上を行く高級ホテルか高級リゾート地と呼ばれるほどでした。
そして、安全性も高く、浸水を防ぐ15枚の巨大な防水隔壁を持っていました。
操舵室からのスイッチで閉まる電動防水ドアなど、最新の設備が施されていました。
これを世間は不沈船と称賛しました。

1912年4月10日、乗客・乗員2,200人以上を乗せたタイタニックは、大勢の見送りを受け、華々しく初公開に出航しました。
イギリス・サウサンプトンを出発し、北大西洋を横断、17日にアメリカ・ニューヨークに到着する8日間の旅でした。
出発から5日目・・・1912年4月14日夜・・・
タイタニックは、ニューファンドランド沖に差し掛かります。
ここは、北極からの氷山が、多数流れ着く危険な海域でした。
しかも、事故当日は、月明かりもなく、視界も悪い・・・
夜11時40分・・・氷山をよけきれず、船の前方右側が激突!!
船内に水が流れ込みました。
衝突からわずか2時間40分、午前2時20分・・・
不沈船タイタニックは海の中へと消えていきました。
死者・行方不明者は、乗員乗客の3分の2!!
およそ1500人・・・20世紀最大の海難事故と言われます。
多くの人命を犠牲にした災害・・・衝突の原因は、これまでいくつも挙げられてきました。
しかし、近年謎めいた説が話題となっています。

唱えたのは、タイタニックの事故を45年に渡り取材したロビン・ガーディナーです。
彼は、1995年に出版した著書で、驚くべき主張を展開します。

「タイタニックは、わざと事故を起こして沈められた」・・・タイタニック陰謀論です。
疑惑の発端は、1912年、事故原因を追究する査問委員会に置いて船内で怪しい動きがあったことが報告されています。
事故の夜、タイタニックの無線室には先を行く船から氷山の目撃情報がいくつも届いていました。
こうした警告は、ブリッジにいた現場責任者の船長・エドワード・J・スミスへと届きます。
ところが、船長は、氷山に対する支持を出す前に、この警告を別の人物に手渡しました。
その人物とは・・・ブルース・イズメイ・・・タイタニックを運営するイギリスの有名な海運会社ホワイト・スター・ラインの社長です。
記念すべき初公開に乗り込んだイズメイ・・・この後、不審な行動をとったことを証言しています。
氷山の警告を、イズメイは警告などなかったかのように、その紙をポケットにしまい込みました。
社長、船長共に、警告を無視したのです。

タイタニックは、フルスピードの22.5ノット・・・時速42キロで闇夜の海原を突き進んでいったのです。
なぜイズメイは、視界不良という悪条件の中、警告を隠蔽したのか・・・??
なぜ、氷山衝突の危険性を無視したのか・・・??

そのヒントが、査問委員会でイズメイ自身の口から語られています。
「タイタニックにはいくら保険員がかけられていましたか?」by委員長
「500万ドルです」byイズメイ

500万ドルは、今の価値で150億円です。
イズメイは、もしや巨額の保険金を得るためにわざとタイタニックを沈没させたのではないのか??
この陰謀論を主張するが―ディナーは、そこにはさらに手の込んだ極秘工作が仕組まれていたと主張します。

タイタニックはすり替えられていた・・・??
すり替える・・・どういうことなのか??

実は、タイタニックには、先立つこと1年前に完成し、既に就航していた同じ型の豪華客船がありました。
姉妹船・オリンピック号です。
船体の長さも幅もほぼ同じ、客室の数の違いでタイタニック号の方がわずかに大きいのですが・・・外見では区別がつきません。
しかし、一見華やかな豪華客船計画でしたが、実際は、豪華客船が会社を窮地に追い込んでいたのか・・・??
オリンピック号は、建造されてから最初の数か月で過失による海軍の巡洋艦とのひどい衝突事故・・・さらに、スクリューの脱落事故までお越し、船体にかなりひどい損傷を受けていました。
大改造が必要であることが分かったとすれば、その瞬間にタイタニック号として送り出す方がましだという判断がなされた可能性がある。

新品で、150億の保険金をかけたタイタニックと、修理の経費がかさみ会社のお荷物となったオリンピック号・・・窮地を脱するため、イズメイはこの2隻をすり替え、タイタニックが初出航のふりをして、オリンピックを出港させる・・・そして事故に見せかけて、沈めてしまえば・・・??
お荷物船の代わりに保険金150億円が手に入り、手元には第一線で活躍できる新品の豪華客船が残るのです。
さらに、ガーディナーは、この計画には黒幕がいると主張しています。
アメリカ金融業界の帝王・・・巨大財閥の創始者J.P.モルガンです。
ホワイト・スターライト・ライン社は、モルガンの海運会社の子会社でした。
彼は、タイタニックの実質的なオーナーだったのです。
そのモルガンが、初出航に乗る予定だったにもかかわらず、出航直前に急遽キャンセル・・・
彼は、タイタニックの沈没を、予め知っていたのか・・・??

タイタニックと、オリンピックのすり替え疑惑・・・
インターネット上では、すり替えの証拠とされる映像が、いくつも提示されています。

すり替え説・証拠①窓の数
建造中のタイタニックと、完成後のタイタニックを見比べてみると・・・
船の前方を見て見ると窓の数が14、初公開直前の窓の数は16・・・変わっています。
オリンピック号の窓の数は16枚でした。
これは、タイタニックが公開直前にすり替えられたから・・・??

すり替え説・証拠②タイタニックにないはずのものが・・・
1985年、北大西洋の海底3,800mに眠るタイタニックの船体を映した映像の・・・そこに映し出された通路は、プロムナードと呼ばれ客室の横の通路・・・しかし、タイタニックの設計図を見ると、客室と外壁が接していてプロムナードがないのです。
一方、オリンピックにはプロムナードがあるのです。
海底に沈んでいるのはやっぱりオリンピック号??
豪華客船タイタニックの悲劇は、保険金目当てのすり替え詐欺なのか・・・??
世界はこの陰謀に騙されていたのでしょうか??

ドックから初めて海上に出た時のオリンピック号の写真を見て見ると・・・窓が14枚・・・オリンピック号の窓は16枚では・・・??
すり替え説は、タイタニックの窓の数が14枚でから16枚に変わっている=オリンピック号とすり替えたのでは??ではなかったか??
オリンピック号も、タイタニック号も、建設途中で窓が増設されています。
つまり、タイタニックの窓の数が変わっていても、おかしくないのです。

2隻と窓が14枚から増えたのであれば、出航直前のタイタニックが16枚だからと言ってすり替えられたオリンピックだという証拠にはならない・・・

では、プロムナードの謎は・・・??
確かにタイタニックは、オリンピックと同じ階にはプロムナードはありません。
しかし、一つ上の階にはプロムナードがあります。
つまり、海底映像がオリンピックだとは言い切れません。
海底映像には、船の正体がはっきりとわかる証拠が・・・??
建設時、オリンピックは400番ドック、タイタニックは401番ドックでした。
このドック番号が、船の最後尾のスクリュープロペラに刻まれている・・・??
そこには・・・401・・・タイタニックのドック番号が書かれていました。
沈没したのはタイタニックで間違いない・・・??

タイタニックの実質的オーナーJ.P.モルガンが初航海に乗る予定を不自然にキャンセルした疑惑は・・・??
確かにJ.P.モルガンは、タイタニックに乗る予定でしたが、インフルエンザにかかってしまいキャンセルしたようです。
1912年当時、インフルエンザは今よりさらに生死にかかわる深刻な病でした。
陰謀論とは都合のいい事実だけを切り取って、バカげた主張をするものなのです。
研究をせずに、簡単な答えだけをとるのは、とても悲しいことなのです。

それでは、謎は振り出しに・・・
一体なぜ、警告をポケットにしまい込み、なぜ猛スピードで航海したのか・・・??
氷山が原因で舟が沈没する事故なんて、40年近く起きていませんでした。
会社も、乗組員も、だれも氷山を危険視していませんでした。

タイタニックより30年ほど前の1879年、アリゾナ号が氷山に正面衝突!!
船首から約10m潰れたものの死者・沈没はなし・・・自力で港に帰っています。
1890年ドイツ船・ノルマニア号は、氷山が船体の斜めから激突し、しかし、浸水すら起こりませんでした。
氷山との衝突事故では、沈没せず、死者も出ていない・・・
40年もの経験に基づく安全神話が、船舶業界全体を覆っていたのです。
当時の常識は、氷山は見つかってから対応すればいい・・・
それまでは、スピードをキープしていれば良かったのです。

タイタニック運営会社の社長ブルース・イズメイも、初航海中のタイタニックの速度についてこう語っていました。

「今日は昨日よりも良かった
 明日は今日よりも良くする
 火曜日はニューヨークにつくのだ」

タイタニックは、水曜日の朝に到着予定でした。
しかし、イズメイはそれを速めて、火曜日の深夜到着するつもりだったのです。
朝の3時までに入港すれば、タイタニックのニュースが新聞の朝刊に間に合ったのです。

たとえ数時間でも早く到着すれば、会社の宣伝になる・・・
そのためには、氷山の海でスピードを落としている場合ではない!!
40年間沈没事故ゼロと言う神話を過信し、速度を優先した営利目的の企業の論理・・・
それが、タイタニック号の大惨事を招いたのです。

2017年、沈没の新説として話題になった写真があります。
イギリスのベルファスト港で、初航海9日前のタイタニック・・・
船の右舷に、不思議な影のようなものが映っていました。
この小さな影に注目したのは、タイタニック研究家のセナン・モロニーです。
船の外壁にできた隙間から、煙が漏れ出しているのでは・・・??
船内で起きていた火災により、船体はすでに非常に大きな損傷を受けていた・・・??
タイタニックは、出向前から火災が起きてて、右舷の外壁に亀裂が入っていた・・・??
これが、タイタニックがわずかな時間で沈没した理由なのでは・・・??
タイタニック内部火災説です。
タイタニックが出航前から火災が起きてたことは、沈没事故直後の査問委員会でも明らかになっています。

「石炭庫で火災が起きたのですか?」by委員長
「はいそうです」by作業員

これは、倉庫で積み上げた石炭がボイラーに入れる前から燃えていたことを意味しています。
石炭の自然発火現象です。
石炭の自然発火は、石炭の山の内部で燃え続ける・・・
船の石炭庫など、大量の石炭が積まれた場所で、適度な酸素と70度以上の熱と言う条件が揃えばできやすいのです。
タイタニックの場合、石炭庫は船の前より空左右に11部屋づつありました。
ひとつの倉庫の高さは10mほどあり、1カ所に400トンの石炭が積まれていました。
石炭火災を治めるためには、燃えている石炭を隣のボイラー室に・・・優先的にボイラーにくべて燃やし尽くすしかありません。
しかし・・・
「11人の作業員で消火に当たったが、何百トンもの石炭の前では、我々は無力でした」by作業員

消化不可能となった石炭火災・・・
影ができている部分にはボイラー室があり、5番と6番・・・ここで火災が起きていたとされています。
これが、どうしてタイタニックの短時間の沈没と結びつくのでしょうか?
タイタニックが、僅か2時間40分で沈んだ原因は??
従来の主な説では・・・
巨大な防水隔壁は、当時としては破格の15枚・・・船内を16に分けていました。
そして、もし浸水が起きたとしても、4カ所までなら沈没しないよう設計されていたのです。
タイタニックの事故直後、乗員の報告によると、第1区画から第4区画まですさまじい勢いで浸水・・・
この4区画だけなら、設計上沈没はしないはずでした。
ところが実際は、第5、第6区画の外壁にも穴が開いていたため、船の傾きは、想定よりも大きくなっていました。
その為、海水が隔壁の高さを越えて、第5、第6区画に一気に流れ込んだのです。
タイタニックがわずかの時間で沈んでしまったのは、第5、第6区画への水の溢れ・・・オーバーフローが原因ではないのか??
これが多くの専門家たちの考えです。
しかし、モロニーは、第5、第6区画で石炭火災が発生したことこそ、浸水が4区画を越える事態を招き、短時間で沈没した原因だと主張したのです。
モロニーは、査問委員会でのボイラー作業員の証言に注目します。

「隔壁が赤くなり、熱くなっているのが見えました
 塗装も、なにもかもがはがれていました
 ゆがんでいました」

しかも石炭火災が影響を及ぼしたのは、内部の隔壁だけではありませんでした。
タイタニックの石炭庫の隔壁は、船体の外壁と同じだったのです。
これは、非常に大きな設計上の欠陥と言えます。
石炭庫は、直接外壁と接触しています。
石炭火災の熱は、直接外壁にダメージを与えていたのです。
出航前から石炭火災でダメージを受けていた外壁・・・
さらに、内部の隔壁にもゆがみから隙間が・・・
衝突事故が起きる・・・そこから、第5、第6隔壁にまで浸水が起こる・・・
急激にバランス修復の限界を超えたタイタニックは、短時間で沈没してしまったというのです。



タイタニックほどの大きな船は、そう簡単には沈みません。
当時、タイタニックに事故が発生した時、連絡を受けた人々も次の日の昼頃までタイタニックは浮いているはずと想定していました。
しかし、石炭火災による隔壁と外壁の損傷が、タイタニックを非常に早く沈めてしまったのです。
当時、船では日常茶飯事だった石炭火災・・・法令上、火災を起こしたまま出航するのは禁止でした。
しかし、タイタニックのボイラー作業員は、新聞に驚きの証言を語っています。

「会社の役員に、火災のことは黙っていろといわれました
 乗客を不安にさせたくなかったのです」

さらに、出航前には、イギリスの調査団の船内視察を受けることが義務付けられていましたが・・・

「ボイラー室と石炭庫を見せてください」by視察団員
「今、作業していて入れないんですよ」by乗組員

ボイラー室と石炭庫の視察を拒否・・・!!
石炭火災を隠蔽したまま出航するため??
ホワイト・スター・ライン社は、オリンピック号の修理のため大変な財政難でした。
その上、タイタニックの出航が遅れてしまうと、さらに評判が悪くなってしまいます。
だから、火災が起きているということは、絶対に秘密にしなければいけないことだったのです。
ホワイト・スター・ライン社による石炭火災の隠蔽・・・
もし、タイタニックが火災を消化してから出港していたら、あれほどの死者が出ることはなかったのだろうか・・・??

世間から不沈船と言われたタイタニック・・・実際に、その安全設計は、当時の最高レベルでした。
当時は十分だと考えられていたのです。
タイタニックを設計した技師は、想定できるどのようなシナリオでも沈没しない・・・つまり「沈没が非現実的な船」だと考えていました。
例えば、当時の沈没事故で非常に多く想定されていたのは、浅瀬や岩場の乗り上げる座礁・・・
座礁すると、船底に穴が開き、船全体が浸水・・・そのまま沈没してしまうケースです。
しかし、タイタニックは、船底を鉄製の二重構造に設計、外壁に穴が開いても内部まで浸水しない工夫がなされていました。
これは、現代の客船にも共通する発想です。
また、船同士の衝突事故を想定し、防水壁15枚で設計し、時代の先を行く設備を採用・・・
不沈船の噂ももっともな、安全性に優れた船として生まれたのです。
しかし。沈没しないための設備は、一方でもっとも大切な安全面の軽視へつながりました。
当時、世界の海洋ををリードするイギリス商務省の規定では、

”如何なる大きさの船であっても、優れた水密区画と商務省が判断すれば、救命ボートは既定の半分設置すればよい”

船内への浸水対策が優秀なら、救命ボートの数を減らしてもいいと国が定めていたのです。
しかし、運命の1912年4月14日、過去40年無かった常識はずれの事故が発生!!
座礁でも、船の衝突でもない、氷山による沈没・・・それがタイタニックの悲劇なのです。

氷山との衝突によっていくつもの穴があき、そこからの浸水で6つの隔壁区画がダメージを受け、沈没してしまったのです。
氷の塊と擦れるように衝突して、6つもの隔壁区画が浸水するようなシナリオは、誰も想定できなかったのです。
この時タイタニックは、国の規定にのっとり、積んでいた救命ボートの定員は、乗員乗客のほぼ半分・・・
わずか2時間40分で沈没するという混乱の中、助かったのは2,200人のうちわずか700人余りでした。

タイタニックの悲劇の後、世界中から批判を受けた海運業界は、船の運用の考え方を大きく変えました。
1914年、イギリス、アメリカ、フランスなど海運国13か国は、海の安全を守るための国際条約・SOLAS条約を採択します。
乗員乗客全てが乗船できる救命艇を備えることや、流氷の監視の義務化などを定めました。
以来、時代の変化に合わせて60回以上更新し続けています。

また、タイタニックの悲劇は、船の設計においても大きな変化をもたらしました。
船は、沈む可能性があると考えられて設計されています。
客船の場合は、80%~90%以上の生存確率が無ければ認められません。
どれほど高度な安全設計をしても、乗客の生存確率を100%にすることは難しい・・・
安全に100%はありえない・・・その宿命の中、どう人の命を守っていくのか・・・??
タイタニックの悲劇は、人類全体の安全に対する意識を大きく変えたのです。

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