日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:マイケル・コリンズ

今から半世紀前・・・人類は、地球を飛び出し、未知の世界に乗り出しました。
宇宙へ~~!!
しかし、その挑戦は、あまりにも危険なミッションでした。

まず、誰もが思い浮かべるのは、アポロ11号の月面着陸です。
1969年7月20日・・・人類は、初めて月に降り立ちました。
全世界に生中継された船長アームストロングの姿・・・そして、あまりに有名なあの言葉・・・

「一人の人間にとっては小さな一歩だが
           人類にとっては大きな飛躍だ!!」

しかし、着陸があと十数秒遅れていたら、偉業は大惨事になっていたかもしれません。
謎のエラー音が鳴り響き、想定外のトラブルが次々と発生!!
地球の管制室がパニックになる緊急事態!!
一体、何が起きたのか・・・??

アメリカ・ニューヨーク・・・
アポロ11号月面着陸50周年、イベント会場にいた男・・・チャールズ・デューク・・・
50年前チャールズは、管制室がアポロ11号に迫る危機を肌で感じていました。
一瞬の判断が命取りになる中、どうやって結面着陸を成功させたのでしょうか??
1969年7月16日、アポロ11号打ち上げ!!
世紀のミッションは幕を開けました。
乗組員は3人の宇宙飛行士・・・船長ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズ。
人類を月へ送る・・・この壮大な計画は、1961年に始まりました。
NASAは、宇宙飛行士の候補として、空軍や海軍からエリート中のエリートを選抜しました。
チャールズ・デュークも宇宙飛行士・・・アームストロングの4年後輩にあたります。
宇宙飛行士は、宇宙に出る前、1年間管制室で経験を積む必要があり、チャールズは交信担当になっていました。
現場の指揮権は船長のアームストロングにあり、ヒューストンの管制センターは宇宙飛行士に適切な指示と情報を与える・・・
しかし、宇宙船に情報を伝える役は、ただ一人・・・交信担当の宇宙飛行士でした。
同じ訓練を受け、同じ知識を持つ者にしかできない仕事・・・チャールズがこの重要な役割に抜擢されたのは、アームストロングが深く関係していました。
アームストロングから直々に頼まれたのです。

「君は、10号で素晴らしい仕事をした
 是非、11号でも担当してほしい!!」と。

月面着陸の最終リハーサルとして、1969年5月18日にアポロ10号は打ち上げられました。
着陸船のテストの際、トラブルが発生していました。
宇宙飛行士の操作ミスで、機体が激しく回転!!
この時、チャールズは地球から素早く、的確な対応策を伝えました。

「期待が大きく回転しているが、手動で姿勢をコントロールできる」byチャールズ

これを評価したアームストロングは、命を預ける相手としてチャールズを選びました。
チャールズもまた、アームストロングには絶大な信頼を持っていました。

地球を出て4日目、アポロ11号は月の軌道に入りました。
いよいよ着陸準備にかかります。
ついに迎えた運命の7月20日!!
着陸直前の緊迫した様子が、20018年に公開された交信記録に残されています。

「動力降下開始」byチャールズ

着陸船イーグルで月に降りるのは、アームストロングとオルドリン!!

月と地球との交信は、1.3秒の遅れが生じます。
もし、イーグルに何か起きた場合、すぐに指示を出さなければならない!!
チャールズは万一に備えます。

「我々のいる位置を確認してくれ」byアームストロング
「了解、正しい位置にいる、すべて順調だ」byチャールズ

開始から5分・・・冷静なアームストロングの声が突然変わりました。

「プログラムアラームだ!!」byアームストロング

イーグルではエラーのアラームが鳴り続けていました。

「1202、1202の意味を教えてくれ!!」byアームストロング

各部署が焦って一斉に知らせます。
そしてコンピューターの担当者が素早く反応しました。

「コンピューターのオーバーフローだが、二度と起こらなければ問題ない」

実はこのエラーは、オルドリンのある操作が招いたものでした。
月面と着陸船の位置関係を測定するレーダーだけを使う筈でしたが、司令船用のレーダーもオンにしていたため、情報が増えオーバーフローが起きたのです。

「問題ない、着陸はGOだ!!」byチャールズ

しかし、すぐに新しいトラブルが・・・!!
予定していた場所は、岩やクレーターで着陸不可能!!
とっさにアームストロングは操縦を手動に切り替え、別の目的地を探します。
しかし、なかなか着陸できません。
そして、最大の危機に直面します。
余計な燃料を使い、燃料切れになりそうでした。
あと60秒でイエローカード、30秒を切ったらレッドカードです。
予定よりも飛行距離が伸びた・・・
ギリギリしか積んでいない燃料は限界に・・・!!
非常事態にざわめきたつ管制室・・・!!
しかし、チャールズは・・・同じ宇宙飛行士として、この時アームストロングが何を考えているのか?同じ気持ちになって考えました。
同じ状況を作り出そうとしたのです。
そして、宇宙飛行士にではなく、管制室に向かって言いました。

「我々は静かにしていよう」byチャールズ

アームストロングならこの事態を乗り越えてくれる・・・彼にはそれだけの経験があると信じていました。

1968年5月6日、月着陸訓練・・・
アームストロングが乗る月着陸訓練機に吹き付けた強風・・・期待があおられ制御不能に!!
墜落直前、アームストロングは脱出!!
命を落としかねない事故でした。
それでもこの訓練が必要だと考えたアームストロングは、誰よりも長く直前まで訓練を続けていました。
ここから先は、アームストロングを信じて任せるしかない!!
チャールズの指示で静かになった管制室・・・
イーグルは予定されていた着陸地点を6キロも超えて飛び続けていました。
残された燃料はあとわずか・・・緊張が高まります。

「こちら”静かの基地”イーグルは着陸した」byアームストロング

残された燃料は、17秒分でした。

この後、いよいよアームストロングが月面に降り立つ・・・!!
世紀の瞬間が、全世界のテレビで生中継される!!
日本でも特別番組がスタートしていました。
しかし、ハプニングが・・・!!
世界中に放送され映像は、上下さかさまでした。
テレビカメラの位置に問題がありました。
取り付けられていたのは格納庫・・・
カメラはさかさまに設置されていました。
テレビ中継を担当したエド・トーキントン・・・カメラがどう取り付けられているのか正確な情報がわからないままの本番でした。
しかし、エドは、万が一に備えて中継地にボタンを押すだけで反転する装置を取り付けてもらっていました。
そのおかげで、すぐ映像は反転され正常の戻りました。
まさに、その数秒後!!

「月面に踏み出す
 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ!!」byアームストロング

人類が一つとなって、未来への大きな一歩を踏み出した瞬間でした。
何億人もの人々が見守る中、月面着陸は大成功を果たしました。
互いを信じたチャールズとアームストロング、実は二人はある約束を交わしていました。

「着陸に成功したら、その場所を”静かの基地”と呼ぶよ
 秘密のコールサインだ」byアームストロング

このことを知っていたのは、3人の宇宙飛行士とチャールズだけでした。

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1961年4月12日、人類は初めて宇宙に飛び出し、地球を一周しました。
宇宙船の中にいるのはソビエトの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン。
当初宇宙開発は、アメリカよりもソビエトが先んじていました。

「地球は青かった」の言葉は、あまりにも有名です。
しかし、偉業達成後、ガガーリンはどうなったのでしょうか?
7年後・・・34歳の若さで他界・・・
突然の英雄の死に、様々な憶測がささやかれました。
英雄の栄光と知られざる苦悩とは・・・??

半世紀前、ソビエト社会主義共和国連邦と呼ばれる国がありました。
鉄のカーテンに閉ざされ情報もうかがえない謎の国!!
1961年4月12日、そのソビエトが突然世界初有人宇宙飛行!!

「地球が見える、なんて美しいんだ!!」

一夜にして、突如全世界に注目される英雄となったガガーリン。
しかし、この後、ガガーリンは奇妙なことを語っています。

「宇宙に飛んだ重圧よりも地上での重圧の方がつらい」byガガーリン

モスクワの北東に位置する星の街。
半世紀前、秘密基地で場所も公表されませんでした。
ガガーリンの友人ボリス・ボリノフは、ガガーリンと共に訓練をした宇宙飛行士です。
人類初の宇宙飛行士の候補生としてソビエト空軍が誇るエースパイロットが集められました。
しかし、当時宇宙に行くことは秘密・・・トップシークレットにされていました。
命がけであることは理解していました。
候補生たちを待っていたのは、味わったことのない過酷な訓練でした。
遠心加速器に乗せられました。
負荷は重力の12倍・・・12G !!血流すら重く感じるほどでした。
多くの脱落者が出る中、ガガーリンの存在は大きな励みになりました。

「ガガーリンは、どんなに苦しい訓練でもいつも笑顔でチームのムードメーカーでした
 笑い話をしたり、誰かをからかったりして大笑いしました
 弱音を吐いたときは、ガガーリンがそうやってみんなを鼓舞してくれました
 彼がいたから前向きになれた」byボリス

初めて宇宙船を見た時、ガガーリンは「中に入ってもいいですか?」とためらいなく乗り込んだといいます。
いつも笑顔で、茶目っ気タップリの明るい青年でした。
しかし、人類初の宇宙飛行は危険に満ちていました。
実験的に宇宙に送られた犬は、心拍に異常をきたすなど半数が死亡。
宇宙区間が生物に与える影響はいまだはっきりしませんでした。
さらに、ロケットにも問題が・・・
70名以上が死亡し、航空機事故と発表されましたが、しかし、それはロケットエンジンの爆発だったことが分かっています。

時は”米ソ冷戦”の真っただ中!!
ソビエトがその国力を証明する為にアメリカと競っていたのがロケット開発でした。
1957年10月4日世界初の人工衛星スプートニクを飛ばし、先んじたのはソビエト!!
しかし、アメリカもすぐに追いかけます。
1958年10月1日NASA設立!!
その競争は、どちらが先に宇宙に人類を送り込めるかで絞られつつありました。
みな、祖国の栄光のために、命がけで挑んでいました。
打ち上げの2日前、人類初の宇宙飛行士が選ばれる!!

「宇宙に行く最初の人物は、ユーリ・ガガーリン!!」

労働者階級の出身、そして小柄であることなどが決め手でした。

1961年4月12日、ボストーク1号発射!!
人類が初めて地球を見た瞬間でした。
2日後の4月14日、盛大なセレモニーが開催されました。
108分の飛行は、27歳の若者をソビエトの英雄にしました。
しかし、その瞬間から彼の人生は政治に翻弄され予想だにしなかった方向へと突き進んでいきました。

アンドレイ・ヴァヴィーロフは、外務省でガガーリンの通訳をしていました。
彼が見せてくれたまだ誰にも見せたことのないフィルムには・・・。
政府の要請で、インドを訪問した時の映像がありました。

「ガガーリンを一目見ようと、演説に50万人が駆けつけました
 インド人には、宇宙から帰って来た彼が、天から舞い降りた神様に見えたのかもしれない」byアンドレイ

ガガーリンの飛行は、社会主義国家の力を宣伝する格好の材料でした。
偉大な功績をアピールするため、ガガーリンは世界中に派遣されることになります。
世界中から英雄扱いされる自分を、ガガーリンはどう思っていたのでしょうか??

ガガーリンの姪・・・タマラ・フィラトワによると・・・
ガガーリンは英雄になりたかったわけではありませんでした。
自分よりも他人を第一に考える人でした。

「宇宙に飛んだ重圧よりも地上での重圧の方がつらい」
 
英雄という重圧に、ガガーリンは追いつめられていきます。

「居心地が悪いんです
 だって、みんなが僕をスーパーヒーローにしようとしているから
 人を理想化すべきじゃない
 病気になりそうです」byガガーリン

彼の唯一の希望は、もう一度宇宙飛行士として任務につくこと・・・。
しかし、その願いも、思わに形で奪われることに・・・。
初飛行から6年後、ガガーリンは次の打ち上げ機の予備のパイロットに選ばれます。
正パイロットは、親友のコマロフでした。
しかし、ソユーズの開発は難航・・・飛行直前にもかかわらず、改善すべき欠陥が、203にものぼる有様でした。
ガガーリンは、危険すぎると打ち上げ中止を訴えたが、受け入れられません。
その時、親友のコマロフは悲壮な覚悟を決めていました。
打ち上げ直前、コマロフにあった人物がこう証言しています。

コマロフの妻は「飛ばないで!!」と言っていました。
でも彼は、
「行かなければならない
 自分が断われば、ガガーリンが飛んでソ連の英雄が死ぬことになる」
苦し気に泣いていました。
打ち上げは、強行されました。
しかし、地球への帰還の途中、パラシュートが開かず宇宙船は地面に激突!!
1967年4月23日、コマロフ死去
親友が事故死した後、ガガーリンは政府から告げられています。

「君を宇宙に行かせることは二度とない」と。

親友の死に耐えていたガガーリン、宇宙に行く夢と親友を同時に失ってしまいました。
ガガーリンが、戦闘機の訓練中に事故を起こし、亡くなったのはその1年後のこと・・・34歳でした。
気球を避けようとしたとも他の戦闘機を避けようとしたともいわれていますが、今なお、真相は明らかになっていません。

宇宙飛行士の夢を絶たれたガガーリンは、エンジニアとして宇宙開発に携わるべく勉強していました。
ガガーリンは、新たな目標に向かって夢や希望にあふれていました。
ガガーリンの死から1年後、アポロ11号が打ち上げられました。
アームストロング船長が、人類史上初めて月面に第一歩を踏み出します。
ガガーリンの友人・ボリノフは、国際会議の席上でアームストロング船長を固い握手を交わし、彼のある言葉に心を震わせました。

「私たちみんなに対し、星々を目指すように求めたのは、あのガガーリンだった」byアームストロング

宇宙へのあくなき挑戦・・・栄光の裏にはいくつもの危機がありました。
月面着陸から1年後の1970年4月13日。
宇宙での大事故が発生します。
アポロ13号が月に到達する直前、管制室に緊急メッセージを送ってきました。

「問題発生の模様!!」

突然船体が爆発、メインエンジンが使用不可能に・・・!!
事故が起きたのは、地球から32万キロの彼方・・・!!
絶体絶命の危機に陥りました。
それを救ったのは名もなき男たちでした。
動くこともままならず、宇宙空間を漂い始めたアポロ・・・船内には、3人の宇宙飛行士・・・!!
しかし、アポロ13号は絶体絶命から奇跡の生還を果たします。
その陰には、NASAのエリートだけでなく、全米各地のエンジニアの知られざる努力がありました。
宇宙飛行士が生きて戻るまでは緊迫の87時間!!

1970年4月11日、アポロ13号打ち上げ!!
月のサンプルを集めるため打ち上げられました。
4月13日、夜9時7分・・・爆発音が!!

「ヒューストン、問題発生だ
 主電源Bが電圧低下」byアポロ13号

その時の管制室は大混乱!!
いろんなボタンが赤く点滅し、何が起きたのかわかりませんでした。
爆発音から13分後・・・

「窓から外を見ると、何か噴き出しているようだ
 何かガスのようなものだ」byアポロ13号
 
起きていることが、クルーの生命に関わることだということははっきりとしていました。
爆発したのは、支援船内部にある酸素タンクのひとつ!!
エンジンを損傷した可能性があり、その場合、点火すれば船体ごと吹き飛んでしまう!!
助かる道はただ一つ・・・
予定通り月を周回し、月の引力を使って加速し帰還するルートです。
しかし、あまりにも遠い道のりでした。
動力はおろか、酸素、電力が失われる中、アポロ13号は地球まで持つのか・・・??
アポロの中でぜったに守らなければいけないのは司令船!!
地球に戻る時、大気圏で焼けるような温度になっても耐えられるのはこの部分だけでした。
そこで、司令船の電力を温存するため、クルーを急遽、月着陸船・アクエリアスに避難させました。
切り離して動くために、電力も酸素も独立したシステムになっているからです。
なんとか急場をしのぐも、大きな問題が立ちはだかっていました。
爆発の衝撃で、本来の軌道から外れていたのです。
軌道修正しようにも、メインエンジンは損傷した可能性があり使えません。
そこで目をつけたのは、アクエリアスの小さなエンジンでした。
しかし、そのエンジンは月に着陸するための降下用・・・
一度使うためだけの設計でした。
軌道修正できるだけの性能とパワーがあるのか??
困惑するNASAに、カリフォルニアから情報がもたらされます。
アクエリアスの円陣を開発した総責任者ジェラルド・エルヴェラムでした。
NASAからすぐにエンジンを噴射したいといわれ・・・即座に
「噴射は20秒ほどだったら問題ない、推力は自由に調節してもいい」と言いました。
事故から5時間半後・・・エンジンは噴射されました。
軌道修正は成功!!
しかし、前途は多難・・・頼みの綱はアクエリアス!!
その小さいエンジンはどれだけ持つのか??

エルヴェラムは、8年前からこのエンジンにかけてきた男!!
自らNASAに売り込み、開発、アクエリアスのエンジンには、特別な思い入れがありました。
エルヴェラムは即座に動き始めます。
あらゆる事態を想定してデータを洗い出します。
さらに、右腕をヒューストンに送ります。
アクエリアスのエンジン担当ドン・ハーヴィーです。
管制室につくなり、ある問題を突き付けられます。
地球に向かう速度を上げられないか??
電力は残りわずか・・・このままでは宇宙飛行士の命が危うい・・・エンジンを噴射して加速したいが・・・あとどれだけ使えるのか・・・??

問題は、エンジン内部にある断熱シールドでした。
何回の燃焼に耐えられるのか・・・??
エンジンを点火する時、その高熱からエンジンを守るために断熱シールドが・・・この耐久性がネックになる!!
カリフォルニアのエルヴェラムと協力し、データを洗い直します。
一方、ニューヨークでもアクエリアスを設計した現場の男たちが動いていました。
アクエリアスの管理責任者ジェラルド・サンドラ、設計デザインマーティ・フィンクルマンは、なんとかエンジンを持たせられないか・・・極限まで電力を節約する方法を検討します。
電力の残りは2日分・・・
しかし、地球までは最低4日かかる・・・!!どうすれば・・・!!

NASAに何かを伝えても、業者か言われるのは嫌そうでした。
そこで、NASAの上層部に連絡し、彼らの指示に従えといってもらいます。
マーティたちは、現場の知恵を結集し、大胆な節約プランを練り上げます。
通信装置遺骸ほとんどすべてをOFF・・・命綱のナビゲートシステムさえもOFFに!!
一番の難題は、NASAの人間に彼らが定めた限界が絶対ではないと説得することでした。
エンジニアたちは実験で、NASAが知らないデータを持っていました。
しかし、彼等は規定外のことがしたくない・・・
この温度は超えるな!!このスイッチは絶対に切るな!!
マニュアルを聖書扱いしていました。
説得するのが骨でした。

アポロが月の裏側を抜ける直前・・・エンジンの限界について結論が見えてきました。
ハーヴィーがカリフォルニアのエルベラむとデータを突き合わせた中に、決め手となる情報がありました。

断熱シールドがどれだけの燃焼に耐えられるのか??
その実験データが見つかったのです。
実験は、NASAが求める以上に長い時間、燃焼したらどうなるかを試していました。
そのデータによると、断熱シールドの限界は、およそ4分間でした。
合計4分までなら噴射可能!!

事故から23時間半後・・・アクエリアスは、エンジンを噴射します。
噴射は、成功!!
アポロは地球に向けて加速します。
事故から82時間後・・・遂に、地球まであと少しのところまでやってきました。
最後の難関は大気圏突入!!
僅かな角度の違いで、帰還することが出来ない・・・許される角度の幅は、2.4度・・・。
支援船を切り離し、最後の調整・・・目標の角度へと導きます。
事故から86時間後・・・アクエリアスを切り離す!!
アクエリアスは、全ての任務をやり終えた後、大気圏に落下し燃え尽きました。
いよいよ大気圏突入!!通信が途絶えます。

そして、12分後、アポロ13号が姿を現しました。

世界中がその生還を喜びました。
まさに、奇跡の生還劇!!
人類が初めて経験した宇宙での大事故・・・アポロ13号の奇跡のリカバリーはこう呼ばれます。

「成功した失敗」と。

人類の宇宙への挑戦・・・そこにはどんな危機に見舞われようと決してあきらめない人々の努力と情熱の物語がありました。

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人類が初めて月に降り立ってから丁度50年・・・当時アポロ11号が月に着陸する姿に全世界が熱狂しました。

1969年7月20日・・・
「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」
人類が初めて月に降り立ちました。
帰還したアームストロングは、世界中の人々にとってヒーローとなりました。
しかし、わずか2年でNASAを退職しました。
謎に包まれたヒーローの心の中・・・そこには苦悩がありました。
人類初の偉業を成し遂げたアームストロング・・・しかし、彼が本当に追い求めたものとは何だったのでしょうか?

1930年8月5日・・・アメリカ・オハイオ州のワパコネタに生まれます。
家族は両親と弟・妹の質素な暮らしでした。
父は転勤が多く、一家はオハイオ州内で度々引っ越しをします。
友達ができてもすぐに離れ離れ・・・心を許す友人は出来ずに、遊ぶ友達は専ら弟と妹でした。
そんなアームストロングが2歳の頃から夢中になったのが・・・模型飛行機でした。
アームストロング少年は模型飛行機にのめり込み、飛行機は大きくなっていきます。

「私にとって飛行機は、飛ばすことより作る方が大切だったんだ」

模型好きが高じて、実際の飛行機を乗ろうと勉強します。
16歳でパイロットの免許を取得しました。
車の免許よりも早かったのです。

他人と深くかかわることが苦手な子供で、自分の考えが周りと合わないことがあっても議論はせず、何も言わないままその場を立ち去るような子でした。
そして、いつも空を見ているうちに、飛行機に興味を持ったのです。
自由な空には、人間関係からの逃避のような感覚もあったのです。

1947年、17歳でパデュー大学に入学し、航空工学を学ぶ中で将来については・・・

「航空機の設計と操縦、その両方を出来る方法があるかもしれない」

それが新型航空機のテストパイロットという仕事でした。
そして3年生の時・・・アームストロングは運命の女性に巡り合います。
大学に入学したばかりのジャネット・シアロンでした。
活発で楽天家だったジャネットはクラスの人気者で・・・二人の性格は正反対でした。
アームストロングは、あったその日に友人にこう言っています。

「僕はあの子と結婚するよ!」

しかし、アームストロングがデートに誘ったのは、大学を卒業してからでした。
不器用な男の愛・・・しかし、その熱い想いはジャネットに届き・・・
1956年、26歳でジャネットと結婚・・・子宝にも恵まれます。
妻のジャネットは「私がデートしたほかのどの男の子よりも大人びていた」といっていました。

1955年、25歳の時に大学を卒業して・・・後のNASA・・・高速飛行研究所のテストパイロットとなります。
飛行機を操縦するだけでなく、技術者たちと議論を交わし、新人ながら高い評価を得るようになっていきました。
7年後の1962年・・・31歳でアームストロングの運命を大きく変えることが・・・。
人類で初めて月に着陸する宇宙飛行士の募集が始まったのです。
その背景にあったのは、東西の冷戦・・・アメリカとソ連は地球上の領土だけでなく、宇宙開発競争でもしのぎを削っていました。
1961年4月12日、ソビエトのガガーリンが人類初の有人宇宙飛行に成功。
開発で先行するソビエトに焦るアメリカ・・・
そこで挽回を狙うケネディ大統領が狙うのが、有人船の月面着陸という壮大な計画でした。

「1960年代末までに、人類を月面に着陸させ無事に地球に帰還させることを国家目標とします」byケネディ

こうして始まったのがアポロ計画です。
しかし、ソビエトを追うアメリカの技術はお粗末なものでした。
打ち上げ途中で爆発事故が度々おこっていました。
しかし、月に行くとなればパイロットは国民的英雄・・・
命の危険を冒してでも参加したいと253人の候補者が応募してきました。
アームストロングもその一人でした。
他の候補者と比べても実績は十分・・・ただ一人、ロケットエンジンを積んだ飛行機の操縦経験もありました。
1962年9月、32歳の時に宇宙飛行士に選ばれます。
こうして、月を目指す9名の宇宙飛行士が誕生しました。

月面着陸という前人未到のプロジェクトに厳しい訓練をするアームストロング達・・・
そうした中、アメリカの関心は・・・月に最初に降り立つ人間・・・”ファーストマン”は誰になるのかでした。
アームストロングはどうしてファーストマンに選ばれたのでしょうか?

アポロ計画とは・・・
サターンⅤロケットを打ち上げて、地球から月へ司令船と着陸船を送り込みます。
4日後、月の周回軌道に入ったら、司令船から着陸船だけを降下させ、ミッション完了後着陸船は浮上し、司令船とドッキングして地球に帰還する・・・8日間で80万キロという壮大な計画でした。

その準備段階として様々なミッションをするのがジェミニ計画です。
1966年、35歳の時にアームストロングがジェミニ8号で初めて宇宙へ。
①無人宇宙船とドッキング
②宇宙での船外活動
を行う計画でした。
ジェミニ8号はそれまで誰も為し得なかった宇宙でのドッキングに成功。
ところがその直後・・・制御不能・・・回転が止まらなくなったのです。
即座に宇宙船を切り離したものの回転は止まらない・・・遠心力で徐々に意識が薄れていくアームストロング・・・。
しかし、失神寸前で機体を地球に向けることができました。
危機一髪でジェミニ8号は帰還・・・
冷静に判断したアームストロングを地上スタッフは褒め称えます。
本人は・・・??

「我々は任務を果たせずに帰還した
 素晴らしい船外活動を成功させる予定だったのに、全て潰してしまった」

この事故は、アームストロングの家庭に暗い影を落としました。

「彼が家に帰ってくると荷物を下ろして、キッチンで一緒にコーヒーを飲みました。
 そうね・・・その時にケンカになりました。
 ”全員が死んでいた可能性があった でもそれは、最初からわかっているリスクだ
 だからいまさら話しても仕方がない やるか、やらないかなのだ”と・・・」byジャネット

訓練を重ね、アームストロングが月に近づけば近づくほどジャネットの心は遠ざかっていきました。

「人類を月に立たせる国家目標のため、私たちの生活は捧げられていました。」byジャネット

1967年、アームストロング36歳の時、ついにアポロ1号の計画がスタートしました。
1号に乗るのは、精鋭中の精鋭!!
月面着陸に最も近いと言われていました。
その中にアームストロングの親友、エドワード・ホワイトがいました。
自宅も隣どうして家族ぐるみの付き合いでした。
しかし、ホワイトの乗ったアポロ1号が宇宙へと飛び立つことはありませんでした。
地上での練習中、司令船から突如出火・・・
船内に閉じ込められた3人は命を失ったのです。
1967年1月27日・・・アポロ1号火災事故・・・。

アームストロングは愕然としました。

「親友を飛行中に亡くす方が受け入れやすかったかもしれない
 地上のテストで彼らを失うなんて、本当に心が痛んだ
 エドは最高の宇宙飛行士のひとりだったんだ」

事故をきっかけにアポロ計画は大幅な見直しをされ、様々な安全対策が施されました。
そして、事故から2年後の1969年・・・38歳の時、人類初の月面着陸という悲願を託されたのがアポロ11号でした。
乗組員に選ばれたのは船長のアームストロング、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンでした。
このうち、月着陸船に乗り込むのはアームストロングとオルドリンの二人・・・どちらかがファーストマン・・・!!

オルドリンはファーストマンになるために生まれてきた男でした。
宇宙研究で博士号を取り、船外活動の実績も十分・・・
オルドリン自身も、ファーストマンになることを熱望しました。
仲間の宇宙飛行士に、自分を推薦してくれるようにと運動をしていました。
しかし、アームストロングは・・・

「私には大した問題ではなかったが、世間の人々から見れば明らかに重要な問題だった」

彼にとっての大した問題は、1年前の事故でした。
1968年5月6日・・・月着陸船の操縦訓練・・・月面への着陸訓練をしていたら・・・突如コントロールを失って・・・アームストロングはとっさの判断で脱出し、事なきを得ます。
アームストロングの友人だったアラン・ビーンは、知らせに驚いて事故のことを訪ねました。

「私が”今朝緊急脱出したのか?”と聞くと、「ああ!」の一言だけ。
 あと1.5秒脱出が遅ければ、死んでいたのに、そんなことをおくびにも出さなかった
 「ああ」の一言で片づけられたよ!」byビーン

彼の考えでは事故はあったけれど、生きているし、仕事はあるし、物事は続いていると考えたのかもしれません。
冷静な判断をしたアームストロングでしたが、事故そのものは重大な問題として原因究明をするために徹底的にこだわります。
この事故はNASAの首脳陣にとって別の意味でもありました。
彼が、どんな時も冷静で、物事を大袈裟に吹聴しない性格だということがわかったからです。
アームストロングとオルドリン・・・どちらをファーストマンに選ぶのか??
決め手になったのは、地球に帰還後ヒーローになった時の二人の態度でした。

オルドリンは必死で名誉を欲しがった
アームストロングはうぬぼれなかった
「初めて月に立つのは俺だ」という男でもなかった
だから彼しかいないと思ったんだ

こうしてアームストロングはファーストマンに選ばれます。
1969年7月5日、アポロ11号打ち上げ直前記者会見で・・・記者は勇ましく華やかなコメントを期待しました。

「任務以外の個人的なものを持って行くとしたら、何にしますか?」
「持って行けるなら少しでも多くの燃料を持って行く」



1969年7月16日、アポロ11号打ち上げ!!
100万人近い人が見守る中、アポロ11号は打ち上げられました。
アームストロング、38歳の挑戦が始まりました。

ロケット打ち上げ!!9時32分、アポロ11号上昇!!
タワーから離脱・・・アポロ11号でつきに向かう間、アームストロングは徐々に小さくなる地球を眺めていました。

「宇宙から見る地球はのどかなものだった
 勝手に引かれた国境など見当たらなかった」

打ち上げから4日後・・・7月20日、アポロ11号は、月の周回に入っていました。
アームストロングとオルドリンは着陸船イーグルへ・・・!!
準備万端!!
いよいよ月面への降下が始まりました。

イーグルは順調に月の10キロまで降下・・・
その時、突然警報が鳴りだしました。
訓練でも見たことのない警報が・・・!!
船内が緊張に包まれます。

”1202!!”

イーグルはもちろん、ヒューストンでも何が起きたか判明するまで、口から心臓が飛び出そうだった」byオルドリン

原因はコンピューターでした。
当時宇宙船に使われたものは、80年代に流行った家庭用ゲーム機にも劣るほど貧弱でした。
そのため、情報の処理が追い付かないという警告でした。
着陸には支障なしと判断されます。
ホッとしたのもつかの間、刑法に気をとられていて最悪の事態に・・・!!
予定の着陸地点を過ぎていたのです。
目の前に広がるのは巨大なクレーターのデコボコ・・・!!
このままでは着陸は不可能・・・

「せっかくここまで来たのだから、着陸したかった
 中断は考えなかった
 ただ、着陸させることに集中していた」

月面まであと150m・・・!!
アームストロングは船を手動に切り替えて、着陸地点を探します。
月面まで50m・・・燃料もあとわずか・・・チャンスは一度きり!!

「ヒューストン・・・こちら静かな基地、イーグルは舞い降りた」

7月20日午後10時56分、アームストロングは、見事月面着陸に成功!!
そして、イーグルから外に出ました。

「これより月面に足を下ろす
 1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとってはい大きな飛躍である」

アームストロングは何を言うのか、前もって質問されても一切答えませんでした。
あの明言はどうして生まれたのか・・・??

月面に降り立った二人の最初のミッションは、星条旗を立てることでした。
その時、ある人物から電話が入りました。

「やあ、ニールとバズ、私はホワイトハウスの執務室からかけているんだ」
 
第37代アメリカ大統領ニクソンでした。

「すべてのアメリカ人にとって、今日は人生で最も誇れる日になるだろう
 そして世界中の人々が、この偉業を認めてくれるはずだ
 君たちのおかげで、宇宙は我々の世界の一部となったのだ」

ニクソンは、着陸成功をアメリカの偉業として称えようとしました。
しかし、アームストロングは答えました。
「ありがとうございます 大統領
 私たちは合衆国の代表ではありません
 すべての国家の平和を愛する人、好奇心を持ち未来を目指す人々、彼らを代表してこの場所に立てるの、はとても光栄なことです。」
わずか2時間ほどの滞在で、アームストロングとオルドリンはミッションを黙々と続けました。
月の石の採取、地震計、太陽風測定装置、レーザー反射装置など機器の設置、全てを終え、月を離れる直前・・・アームストロング達は小さな包みをおいてきました。
その中身は・・・宇宙飛行士を称えたメダルでした。
アポロ1号の乗組員、そして人類初の宇宙飛行に成功し、その後の事故で亡くなったソビエトのガガーリンもいました。
月面着陸から4日後・・・アームストロング達は無事に帰還。
アメリカの各都市でパレード・・・熱烈な歓迎を受けます。
さらに海外にも飛び出します。
24の国々を訪れ、1969年11月4日、最後には日本も訪れます。

しかし、この後、アームストロングは表舞台から消えてしまいます。
どうして・・・??

1970年、39歳の時にNASAワシントン本部へ移動。
現場を離れ、管理職に・・・大変な出世でした。
航空学の副長官になり、NASAの航空関連の問題をすべて指揮する立場となります。
しかし、月に降り立った最初の人間として議会やNASAから常に電話がきて、あちこち行ってはだれかと握手するばかりで実際の仕事はできませんでした。
彼のやりたいことではなかったのです。

結局NASAを退職します。
月面着陸から2年後のことでした。

1971年、41歳でシンシナティ大学の特別教授となります。
しかし、NASAをやめたところで人々の注目がおさまることはありませんでした。

家族で夕食に行っても、人々がひそひそと話して・・・
「サインをもらえませんか?」と、テーブルまでやってきました。

「一体いつになれば、私が宇宙飛行士であることが終わるのだろう」

アームストロングが人々の好機の目にさらされることを嫌い・・・表舞台から姿を消します。
ある新聞では・・・世捨て人とまで書かれました。
妻・ジャネットは、アームストロングが退職してホッとしました。

「今度こそ、二人で何か一緒にできると思いました。」

マスコミから解放されたアームストロングでしたが、時間を家族のために使うことはありませんでした。
ジャネットは何も変わらない夫に失望し、別居を選びます。
二人は後に離婚します。
この時のアームストロングの落胆はひどかったと言います。

「ジャネットはこんな生活に愛想が尽きたんだ
 彼女はもう、戻ってきそうにはない」

そんなアームストロングがある事故をきっかけに人びとの前に現れます。
1986年55歳の時・・・スペースシャトル チャレンジャー号爆発事故です。

打ち上げ途中でシャトルが爆発し、7人の宇宙飛行士全員が犠牲となりました。
事故調査委員会が立ち上がり・・・アームストロングは副委員長という重要な役を任されます。
何年もたっていたものの快く引き受けました。
事故の原因はある部品でした。
アームストロングは、公聴会の場で、部品を作った業者を厳しく追及します。

「試験の際、温度の問題は考慮していましたか?」
「あなたたちはこの問題に気が付いていたということですね?」

事故の原因を正確に突きとめなければ無意味になってしまう・・・
だから、何よりもそこにこだわった

1994年、63歳の時のアポロ11号月面着陸25周年記念式典で・・・

若き後輩たちに語り掛けます。

「ここに来ている最高の学生たちよ
 君たちに言いたい
 私たちは”始まり”をやり遂げただけだ
 多くのことが君たちに残されている
 それにチャレンジするのは君たちだ
 チャレンジは宇宙とは限らない
 それが人類の運命なのだ」

2012年8月25日、ニール・アームストロングは82歳で永遠の宇宙に飛び立っていきました。

アームストロングは常々自分のことを、こう言っていました。

「私はいつまでも野暮ったいエンジニアだ」

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