日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:マタ・ハリ

綺麗なバラには棘がある・・・
ミステリアスな女性は、いつの時代も人々の興味をひきます。
今から100年ほど前に実在した美しきスパイマタ・ハリ・・・
007やインディー・ジョーンズなど、彼女をモデルにしたヒロインが登場する作品も多く作られました。
マタ・ハリを題材にした本もたくさん出されています。
ヨーロッパ中の男を虜にした女性の生涯は、謎に満ちたものでした。

マタ・ハリ伝 100年目の真実 [ サム・ワーヘナー ]
マタ・ハリ伝 100年目の真実 [ サム・ワーヘナー ]

20世紀初頭、フランス・パリに女神が舞い降りました。
エキゾチックな美貌、セクシーな衣装・・・ヨーロッパ中にその名をとどろかせた東洋の聖なる踊り子マタ・ハリです。

matahari











上流階級のサロンで踊った彼女は、社交界の華・・・
各国の芸術家や軍人、そして、王族までも彼女に夢中になり、競ってパトロンとなりました。
しかし、彼女には、誰にも言えない別の顔がありました。

機密情報

”H21が明日パリに到着する”

コードネームH21・・・スパイです。

第1次世界大戦のさ中、マタ・ハリは、ヨーロッパ各国の男たちを手玉に取り、軍事情報を聞き出そうとします。

「私がこの戦争を動かして見せる
 何も心配はいらないわ」byマタ・ハリ

しかし、自信満々の彼女を待っていたのは、牢屋でした。
そして、悲劇的な最期を遂げます。
マタ・ハリは、フランスのスパイでありながら、ドイツのスパイ活動を行う二重スパイとされました。
どうして彼女は二重スパイになったのでしょうか?

東洋からやってきた神秘のダンサー・・・マタ・ハリ。
本名は、マルガレータ・ツェレ。
東洋とは縁もゆかりもないオランダの片田舎で生まれました。

1867年、マルガレータは4人兄弟の長女としてオランダ・レーワルデンに生れました。
父・アダムは町で唯一の帽子屋を営み、金回りが良かったといいます。
父は、派手な生活の好きな見栄っ張りで有名でした。
マルガレータが6歳の時の写真・・・プレゼントは本物のヤギの馬車でした。
馬車で移動するマルガレータは、町中の注目を集めました。

「父は男爵なの」byマタ・ハリ

周りに言いふらしていたといいます。
やがて上流階級の子供が多い学校に入学。
利発なマルガレータは、語学が得意でした。
英語にフランス語、ドイツ語も上達したといいます。
しかし、13歳の時、生活は一変・・・どん底に。
父が石油株の投資に失敗し、破産したのです。
さらに、母が急死・・・一家はバラバラになり、マルガレータは親戚の家に引き取られました。

1891年、15歳になると、保育士の養成学校に入学。
マルガレータは、美しい少女に成長していました。
身長は175センチ、オランダでは珍しい、黒髪と褐色の肌・・・嫌でも男性の視線を集めたといいます。
そんなマルガレータに近づき、密かに交際を迫った男性・・・校長でした。
マルガレータは、この35歳も年上の校長と、親密な関係になってしまいます。
ところが、2人の関係が周りに知られてしまうと、マルガレータは退学させられてしまったのです。

行き場を失ったマルガレータ・・・しかし、19歳の時、人生を変えるチャンスが訪れます。
それは、新聞に掲載された一枚の広告でした。

”ご婦人の方々へ 
 当方、オランダ人将校
 両家の若い女性を希望しております”

花嫁募集の広告でした。
当時は良く行われていました。
広告を出したのは、オランダ軍大尉のルドルフ・マクラウドでした。
ルドルフには、16人の女性から返信がありましたが、中身はお金に関することばかり・・・
そんな中、最後に届いたマルガレータからの手紙には、写真が添えられていました。
ルドルフは、その姿に目を奪われました。
2人は出会ってわずか100日で結婚・・・ルドルフ39歳、マルガレータは19歳、1895年のことでした。

やがて長男ジョンが誕生します。
その年、夫に海外に転勤命令が下ります。
マルガレータは、生まれたばかりの子供と一緒に、オランダ領東インド・・・現在のインドネシアに向かいました。
そこでは、西洋とは全く違う、エキゾチックな生活が待っていました。

1898年、21歳の時に長女ノンが誕生。
家族が増え、一家の暮らしは幸せに思えました。
しかし、穏やかな生活は長くは続きませんでした。
原因は、夫のルドルフ・・・
ルドルフは、遊びや浮気にふけり、それをとがめるマルガレータに何度も暴力を振るいました。

「お前は視野が狭く、教養もない、綺麗なドレスやヘアスタイルなど、くだらないことばかり夢中になるな」byルドルフ

夫婦の間に、決定的な亀裂を生んだのは、長男ジョンの死・・・まだ2歳でした。
ルドルフは、息子が死んだのはマルガレータのせいだと責め立て、結婚生活は破たん!!
マルガレータは離婚を決意、娘ノンの親権を希望しましたが、養うお金がないという理由で、夫に引き取られました。

1904年、28歳のマルガレータは、ひとり、パリへ向かいました。
その理由を後にこう語っています。

「夫から逃げた女性は、みんなパリに行くと思ったの」byマタ・ハリ

当時のパリでは、文化や芸術が次々と花開き、人々はパーティーに夢中でした。
後に、ベル・エポックと言われる時代です。
そんなパリで、マルガレータは、まず、超高級ホテルに部屋をとりました。
そして、なけなしの全財産をつぎ込んだ服を着て、メイクを完璧に仕上げると・・・
金回りのよさそうな男を見つけると、次々と関係を結び、生活費を稼いでいました。
そんなある日、マルガレータは知り合いの男から、上流階級のサロンでダンサーをやらないかと誘われます。
仕事は引き受けたものの、ダンスの経験はない・・・
その時、彼女の脳裏に浮かんだのは、かつて夫と共に過ごしたインドネシアの生活でした。
当時、ヨーロッパには、アジアの植民地などから東洋の珍しい品々が入ってきて、オリエンタリズムが流行っていました。
マルガレータは、かつてインドネシアで見たダンスをもとに、踊りを考案・・・自らをジャワ生まれの踊り子だと称しました。
衣装も、エキゾチックなものにしました。
宝石をあしらった髪飾りにネックレス・・・そして、神秘的なベールを巻きました。
こうして臨んだ初舞台で、マルガレータは、あっと驚くダンスを披露しました。
ダンスの最中、衣装を一枚、また一枚と脱いでいき・・・最後はブラジャーだけになると、男たちは拍手喝さい!!大成功でした。

「うまくダンスで来たことなんて一度もないの
 人気に慣れたのは、人前で裸をさらした最初の人間だったからよ」byマタ・ハリ

パリのギメ美術館・・・主に、東洋の美術品を展示しています。
ここでマルガレータは、一夜にしてスターとなりました。
美術館のオーナーで、実業家のエミール・ギメ・・・マルガレータのうわさを聞き付けた彼は、美術館での特別講演をオファーしたのです。
この時ギメは、彼女に”東洋の神秘”というイメージに相応しい名前が必要だと考えました。
マタ・ハリ・・・マレー語で太陽の目という意味でした。
講演は大成功・・・エキゾチックな美貌と、神秘に包まれたマタ・ハリの名は、ヨーロッパで知られるようになります。
28歳の時でした。

”西洋人離れした小さな顔、古代ギリシャやローマの彫刻のようだった”
”咲き誇るバラのようだ”

彼女には、少女のような一面がありました。
マタ・ハリという新しい自分に酔っていたため、あらゆる記事を集めていました。
彼女の名声が上がるにつれ、会う男たちも、芸術家たちや実業家、さらには王族へと財力や地位が上がっていきました。
スクラップブックには、そんな男の一人としてプッチーニの名刺も飾られています。
”素晴らしい芸術家に心からの賛辞を”

マタ・ハリは、知り合った男性と次々と関係を結びました。
中でもお気に入りだったのは、制服の男・・・

「小さい頃からずっと将校に憧れを抱いていました
 お金なんて気にせずに、様々な国の将校と一夜を共にするのが最高の幸せでした」byマタ・ハリ

ダンサーとして成功し、生活も一変します。
スクラップブックには、その頃の住まいの写真があります。
マタ・ハリに城を提供したのは、大富豪のパトロンでした。
彼が城に来るのは週末だけ・・・
マタ・ハリは、メイドやシェフ、庭師や馬などが揃った豪華な城の主として優雅な生活を送ります。
欲しいものをすべて手にしたマタ・ハリ・・・しかし、どうしても叶わない願いがありました。

離れ離れになった娘・ノンと暮らすこと・・・
娘がオランダにいることを知ったマタ・ハリは、使用人にこう命じました。

「いくらかかってもいいから娘を連れてきて!!
 父親の前で誘拐しても構わないわ!!」byマタ・ハリ

マタ・ハリの命を受け、使用人はオランダへ・・・!!
しかし、ルドルフに見つかってしまって計画は失敗に終わりました。
娘と暮らす夢はかなわなかったものの、仕事は順調で、公演先でも取材が殺到!!
その時マタ・ハリは、みずからを神秘的に見せるために偽りのプロフィールを次々と作り上げました。

”ジャワで生まれ熱帯雨林で育ちました”
”祖母がジャワの王族で、インドの血が流れているの”
”インドの巫女で植民地で寡婦として過ごしていたんです”

彼女は、コミュニケーションが得意で、人々が欲しがる話題をよく理解していました。
記者の注意をひくため、新しいことを語り、謎めいた自分を演出していました。

【送料無料・営業日15時までのご注文で当日出荷】(新品DVD) マタ・ハリ 名作洋画 主演:グレタ・ガルボ ラモン・ノヴァロ 監督:ジョージ・フィッツモーリス FRT-239
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1911年、35歳の時、イタリアの名門劇場スカラ座から公演依頼が・・・
一介のダンサーが、スカラ座で公演を行うのは前代未聞の快挙!!
噂のマタ・ハリのダンスを一目見ようと観客が押し寄せました。
しかし・・・幕が開くと、そこには写真と違うマタ・ハリの姿が・・・
シックな衣装に身を包み踊るだけ・・・18番である服を脱ぐしょーもありませんでした。
この頃、マタ・ハリは、これまでのスタイルを卒業し、ダンスそのもので評価される本物のアーティストへの脱皮を目指していました。
その為、いつものセクシー路線を捨てて、芸術路線で勝負したのです。

「自分がしていることに誇りを持ちたいのです」byマタ・ハリ

しかし、それは、観客が求めるものではありませんでした。

”彼女はバレエの才能がないから、太らせてベリー・ダンスでもやらせてはどうか”

ダンスが素人同然のマタ・ハリは、自ら最大の武器を捨てたため、人気が低迷・・・
プライベートでも、大富豪のパトロンと喧嘩別れ・・・住処のドレ城も出ていくことになりました。
それでもマタ・ハリは、派手な生活をやめられませんでした。
派手な衣装やアクセサリーに湯水のように金を注ぎ、自らを一流のアーティストとして飾り立てました。
当然家には、山のように請求書が届きました。
いつしか、マタ・ハリは、借金まみれになっていました。

1914年、37歳でベルリンに移住・・・

「ロンドンからも、アメリカからも、バレエの仕事が来なかったとしても、ベルリンならきっとうまくいく」byマタ・ハリ

そして、3か月後、大きなチャンスを掴みます。

”マタ・ハリ、ベルリン メトロポール劇場に出演が決定!!”

自ら脚本を手掛けた舞台が公演契約を掴んだのです。
公演は9月から・・・いよいよ再起のチャンスが訪れました。
しかし・・・1914年7月、第1次世界大戦が勃発・・・マタ・ハリのベルリン公演は中止となりました。
スクラップブックには・・・

「戦争が始まる もうベルリンにはいられない 舞台にも立てない」byマタ・ハリ

マタ・ハリ37歳の時でした。

ダンサーとしてドイツで再起を図ったマタ・ハリ・・・
その望みは戦争によって潰えてしまいます。
その後、彼女の選んだ道は、意外なものでした。
どうしてスパイになったのでしょうか??

第1次世界大戦は、ドイツを中心とした同盟国と、フランス・イギリスなどの連合国が対立し、ヨーロッパ中が戦場となりました。
戦争が始まると、ドイツにいたマタ・ハリは、敵国の人間として扱われてしまいます。
生まれはオランダでしたが、フランスに長期滞在していたからです。
銀行口座は凍結、宝石類や毛皮のコートも法的に差し押さえられました。
預金はおろか、衣服さえ失ったマタ・ハリは、11年ぶりに祖国オランダに帰国しました。

1915年38歳、帰国したマタ・ハリは、モデルの仕事を細々としながら生活をしていました。
そんな彼女の家を見つめる一人の少女がいました。
17歳になった娘ノンです。
以前、マタ・ハリから手紙を受け取っていたノンは、父親に黙って母の家を見に来たのです。

「昨日、母の家の横を通ったの
 窓には素敵なカーテンがかかっていたわ」byノン

ノンは、ドアをノックしませんでした。

マタ・ハリは、誰よりも会いたかった娘がすぐ近くにいたことを知らず、これが、永遠の別れとなりました。
開戦から2年が経った1916年、39歳の時に突然マタ・ハリの自宅にある人物が現れます。
ドイツ領事のカール・H・クレーマーです。
オランダ方面のドイツ諜報機関のTOPでした。

「ドイツのために、情報収集していただけませんか?
 協力していただけるなら、2万フランをお支払いします」byクレーマー

2万フランは、現在の価値で600万円以上・・・
ドイツ軍は、ヨーロッパ各国の要人と広く関係を持つ彼女に、スパイとしての利用価値があると考えたのです。
マタ・ハリは、この依頼を受けます。
マタ・ハリは、スパイになることを深く考えていませんでした。
彼女にとって魅力的だったのは、自分が愛したパリに再び行けることでした。
しかも、ドイツが負担してくれたおかげで、急に自立した生活が可能となりました。

マタ・ハリは、2万フランと共に、機密情報を送る際に使う消えるインクを受け取りました。
そして、クレーマーからこういわれました。

「手紙の最後には必ずこうサインしろ H21」byクレーマー

翌月の6月15日、船でフランス・パリへ・・・。
しかし、マタ・ハリは、大事なインクを船で川に投げ捨てます。
実は、スパイ活動をする気などなく、お金が欲しかったのです。
マタ・ハリがパリにもどったとき、街はかつての煌びやかな姿とは違い、重苦しい雰囲気に包まれていました。
なぜならその時、フランスは大敗北を喫していたからです。
ドイツに苦戦を強いられていた連合軍は、フランス北部で大攻勢をかけ、形勢逆転を狙いました。
ソンムの戦いです。
しかし、この作戦は、激戦の末、大した成果もあげずに連合軍は70万人以上の死者を出していました。
悲惨な戦争でしたが、マタ・ハリには、最愛の人との出会いをもたらします。

マスロフ・・・21歳・・・フランスの同盟国・ロシアの将校として従軍してきました。
これまでの年上のパトロンたちとは違い、一回り以上も年下の青年でした。

「人生で最も素敵な日々の思い出 誰よりも愛する私のマスロフと共に」byマタ・ハリ

しかし、付き合い始めてすぐに、マスロフは戦場で左目を失ってしまいました。
急いで看病に行こうとしたマタ・ハリでしたが、マスロフが収容された前線の病院に行くためには軍の許可が必要でした。
許可を求め、フランス軍の施設を訪れたマタ・ハリ・・・
出てきたのは、ラドゥー・・・フランス諜報部のTOPでした。
マタ・ハリは、許可証を受け取る際に、ラドゥーからスパイにならないかと勧誘されました。
しかし、その場で返事はしませんでした。
急いでマスロフの病院に駆け付けたマタ・ハリ・・・
傷ついた恋人にこう言いました。

「あなたを見捨てたりはしない
 何があっても私は平気よ」byマタ・ハリ

「僕と結婚してくれませんか?」

「喜んで」byマタ・ハリ

病院からパリに戻ったマタ・ハリは、ラドゥーの元を尋ねました。

「私がこの戦争を動かして見せる
 何も心配はいらないわ」byマタ・ハリ

「なぜ、フランスのために働く気になったのですか?」byラドゥー

「愛する人と結婚して、自立した生活をするため・・・」byマタ・ハリ

「報酬はいくらほしい・・・?」byラドゥー

「100万フラン!!」byマタ・ハリ

こうしてマタ・ハリは、ドイツのスパイでありながら、フランスのスパイでもある二重スパイとなったのです。

「報酬をもらったら結婚する
 私は世界で一番幸せな女になるの」byマタ・ハリ

フランスのスパイとなったマタ・ハリの計画は・・・
まず、ベルギー経由でドイツに潜入し、ダンサー時代に面識のあったドイツ皇太子ヴィルヘルムと関係を持つ・・・
彼なら、ドイツ軍が何を企てているのか軍事情報を手に入れてみせるというのです。
しかし、3か月たっても皇太子への接近はおろか、ドイツに入国することさえできませんでした。
マタ・ハリであれば、すべて成功できると信じて疑いませんでした。 
その為、あまりにも現実離れした計画を立てて、成功しませんでした。
彼女は、スパイに向いていませんでした。
確かに、嘘で塗り固められた人物でしたが、自分を隠すことはしませんでした。
おそらく、彼女はどんな時代でも、もっともスパイに向いていない人間だったのです。

なんとか手柄を立てようと焦るマタ・ハリ・・・マドリードに飛びます。
マドリードのドイツ大使アーノルト・カレに接近し、情報を聞き出そうというのです。
計画は成功し、マタ・ハリは彼からこんな話を聞かされました。

「疲れたよ
 モロッコに潜水艦を配備して、ドイツとトルコの兵士を上陸させる作戦にかかりきりだったんだ」

それは、ドイツ軍の北アフリカへの侵攻作戦でした。
マタ・ハリは、すぐにこの情報を、フランス諜報部のラドゥーに知らせます。
ようやくスパイとしてフランスに貢献できた・・・そのつもりでした。
しかし、ラドゥーからは、何の返事もありませんでした。
しびれを切らしたマタ・ハリは、直接ラドゥーに会うためにパリに戻ります。
実は、マタ・ハリが与えた情報は、すでにフランス諜報部も知っていたのです。
彼女の情報は、とるに足らないものばかり・・・フランスに重要な情報を与えていませんでした。

1917年2月13日の朝・・・マタ・ハリは、突然身柄を拘束されます。
逮捕したのは、フランス当局でした。
この時、40歳。

1917年2月13日、マタ・ハリは、フランス当局によって逮捕されました。
罪状は、フランスの情報をドイツに売り渡したこと。
しかし、その証拠は全くありませんでした。
どうして逮捕されたのでしょうか??

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フランス軍が保管していたマタ・ハリに関する機密書類・・・
死後100年経ってようやく公開されました。
14回に及ぶ尋問や、軍事裁判の様子が克明に記録されています。
尋問を担当したのは、捜査官のブーシャルドン。
ブーシャルドンは有罪を確信していました。
その為、マタ・ハリに厳しくあたり、彼女を追い込み、動揺させようとしました。
最初の尋問で、マタ・ハリは、自分はフランスのスパイであるといってドイツのスパイ容疑を全面否認しました。
特に、ドイツ諜報部から金を受け取り続けていたことは決して認めませんでした。
尋問ののち、刑務所に収監されたマタ・ハリは、「何か欲しいものがあるか」と問われこう答えました。
「電話とお風呂をお願い」
マタ・ハリ自身は、すぐに釈放されると思っていたといいます。
ドイツのスパイとして何の成果もあげていなかったからです。
しかし、逮捕から2か月たってもマタ・ハリは釈放されませんでした。
この間、捜査官ブーシャルドンは、マタ・ハリを徹底的に追い込んでいました。
過酷な環境に監禁しました。
それまで華やかな生活をしていた彼女が、ネズミが走り、藁布団と小さな洗面器だけがある独房に入れられたのです。
それから半年間、シーツや着替え、櫛さえも与えられず、鏡のない中、自分の指で髪をとくような生活をさせられました。

眠ることすらおぼつかなくなったマタ・ハリは、ブーシャルドンに手紙でこう懇願しました。

「お願いです
 この刑務所で私を苦しめるのはやめてください
 牢獄にいると、気が狂ってしまいそうです
 自由にしてください
 まるで拷問です」byマタ・ハリ

マタ・ハリが、何より恐れたのが、法廷で今の姿をマスロフに見られることでした。

「こういう状況で、彼にまた会ったらと考えるだけで涙が止まりません
 世界で一番、彼を愛しています
 だから、彼と顔を合わせることだけは何としても避けたいのです」byマタ・ハリ

収監されて3か月・・・マタ・ハリの主張を覆す決定的な証拠がブーシャルドンから示されました。
フランス軍が傍受して解読したドイツ軍の暗号電文です。
電文の送り主は、ドイツ大使・カレ。
かつて、マタ・ハリに接近し、情報を引き出した相手でした。

「H21をフランスへ向かわせるため、3500ペセタを渡した」

この文章を見せられたマタ・ハリは、自分がドイツのスパイH21だったことを認めました。
しかし、ブーシャルドンは、さらに追い詰めようと証言を読み上げます。
恋人・マスロフに対して行った事情聴衆記録です。

「彼女と結婚するなんて噂が出て困っていたところだ
 マタ・ハリとは別れるつもりだった」

「何も言うことはありません」byマタ・ハリ

2か月後の1917年7月24日、裁判が始まります。
ところが、裁判でもドイツのスパイだったマタ・ハリが、フランスの軍事機密を流したという情報は何一つ出ませんでした。
マタ・ハリは、最後まで無罪を主張し続けました。
しかし・・・

「この女性が行った悪事は信じがたい
 今世紀最大のスパイと言ってもいいでしょう」

1917年の重要な戦争で、フランス軍は大敗を続け、わずか数日で数十万人もの犠牲者を出してしまいました。
そこで、諜報部は、フランスの大敗の責任を、捕らえられた一人のスターに全て押しつけようとしたのです。
逆に、フランスが大敗しなければ、マタ・ハリが捕らえられることはありませんでした。
マタ・ハリは利用され、生贄とされてしまったのです。

判決は死刑・・・

もう・・・東洋の聖なる踊り子の面影はありませんでした。
1917年10月15日、パリ市内ヴァンセンヌ・・・処刑上でマタ・ハリは、目隠しを拒否し、最期まで毅然と立っていたといいます。
41年の生涯でした。

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マタ・ハリ伝: 100年目の真実

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フランスで悪女の代名詞として語られる女スパイ、マタ・ハリ。
パリ郊外にある軍事資料館に100ほど前に処刑された女の記録が残っています。
悪女の中の悪女・・・死後封印され、閲覧が禁止されてきました。
オランダ人で、本名はマルガレータ・ゼレ。

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第一次世界大戦のさ中、ドイツ軍のスパイとなり、フランス軍の機密を売り渡したとして投獄されました。
マタ・ハリのドラマチックな人生は、後にハリウッドで映画となり、大ヒット。
演じたのはスター女優グレタ・ガルボでした。
目をつけた男は逃さない・・・マタ・ハリの名は女スパイの代名詞となります。

裁判記録によれば、マタ・ハリが情報を売り渡したために、イギリス・フランス連合軍の作戦が失敗、70万人以上が犠牲になったとされています。

獄中のマタ・ハリは容疑を否認し続けましたが、銃殺刑になりました。
その10年余り前、マタ・ハリはヨーロッパに名をとどろかせる人気ダンサー、そして高級娼婦でもありました。

舞台はベル・エポック・・・美しき時代と言われたフランス・パリ。
マタ・ハリは、パリであっという間に神話となりました。
それは、ベル・エポックのパリに、お金と暇を持て余す裕福な紳士がたくさんいたからです。
彼等は毎晩のように新しい恋を探し、新しい女性を探し、パリの町を彷徨っていました。
彼等にとって、素敵な女性をエスコートすることはこの上ないステータスだったのです。

マタ・ハリを一夜にして時の人にした場所は・・・ギメ美術館です。
ヨーロッパ最大の東洋美術コレクションを誇り、ルーブル美術館東洋部の役割を担っています。
当時パリでは、東洋の文化や風俗に憧れるオリエンタリズムが大流行。
アジアの植民地から珍しいものがたくさん入ってきていました。
そんなオリエンタリズムの殿堂で1905年3月、マタ・ハリのステージが幕を開けます。
インドの聖なる踊り子という触れ込みの魅惑のショー・・・。
新聞には賛辞が並びます。

僧侶と神だけしか彼女の裸身を目にしたことがないというインドの舞姫。
背が高く、細身でしなやかに動くさまは、とぐろを巻いていない蛇が、蛇使いの笛に併せて恍惚と動めいているようだ。

このショーをプロデュースしたのは、美術館のオーナーでもある大実業家、エミール・ギメ。
上流階級のサロンで踊るマタ・ハリを見て、自らスカウトしました。
この時ギメは、彼女の本名マルガレータでは東洋趣味の観客には受けないと・・・マタ・ハリ・・・太陽の目を意味する芸名をつけたのです。

客の視線を浴びながら服を脱ぎ、最後はブラジャーのみに。。。
聖なる踊り子にして娼婦・女スパイ・・・マタ・ハリとは・・・??

牛の町・オランダ北部レーワルデン・・・ここがマタ・ハリの故郷です。

マタ・ハリことマルガレータ・ゼレは、1876年4人兄弟の長女として生まれました。
父は娘を溺愛し、6歳の誕生日には豪華なヤギの馬車をプレゼントしました。
マタ・ハリも父が大好きで、男爵だと言いふらしていました。
マタ・ハリの境遇が一変するのは13歳の時・・・大好きだった父が、石油株に手を出して巨額の損失を出してしまったのです。
下部の穴埋めに借金を重ね、気がつけば6000万円にも上っていました。
追い打ちをかけるように母が亡くなり、子供たちは散り散りになって・・・
親戚の家を転々としながら人生をもがくマタ・ハリ・・・。
目に入ったのは、新聞の花嫁募集の広告でした。
結婚相手を探していたのは、ルドルフ・マクラウド大尉。。。初めて会って100日後に結婚。
夫39歳、マタ・ハリは19歳でした。
その後、彼女は夫が赴任したインドネシアで暮らします。
しかし、マクラウドは女癖が悪い上に嫉妬深く、暴力をふるいました。
子供を授かったものの、夫婦生活は破たん・・・いさかいが絶えませんでした。

離婚を決めたマタ・ハリは、子供とも別れ、一人パリに向かいました。
1904年マタ・ハリは28歳でした。
その時、財布には200円しかありませんでした。
それなのにマタ・ハリは、オペラ座に面した超高級ホテルに宿をとります。
当時改装したグランドホテル・・・豪華なサロンが上流階級の間で話題となっていました。
マタ・ハリは、全財産をつぎ込んだ衣装に身をまとい、高級ホテルを定宿にしました。
ロビーに現れる男を物色し、金回りのいい男を選び、関係を持ち・・・パリの夜を生き抜くための虚飾の生活の始まりでした。

ダンサーとしての偽りのプロフィールは様々で・・・
パリに来たよく年、オリンピア劇場と1万フランで契約。
その年の暮れには、マドリードで2週間の公演を行い、よく年はモンテカルロの舞台に立ちました。
演目は「ラホール王」・・・まるで世界が彼女のために回っているようでした。

出会う男もグレードが違っていきます。
私生活もゴージャスに・・・。
ラ・ドレ城、メイド、料理人、庭師、馬・・・

パリでの鮮烈なデビューから6年、ヨーロッパ最高峰オペラハウス、ミラノのスカラ座で公演するまでになりました。
演じるは女神ビーナス、悲劇の王女・・・人気絶頂のマタ・ハリ・・・
しかし彼女は、自分に飽き足らないものを感じていました。
”半裸からドレスへ・・・マタ・ハリはもう裸では踊らない”
目指したのは、男たちの欲望に身を晒すだけでは終わらない一流のアーティスト・・・。
しかし、評判にはなりませんでした。
裸を売り物にしないマタ・ハリの仕事は、目に見えて減っていきました。
増えていったのは請求書の山・・・。
相変らずオートクチュールのドレスや宝石で身を飾り、代金はかつての愛人たちに無心しました。
1914年2月・・・生活に行き詰まりベルリンに・・・
急成長を遂げるドイツ帝国の都に希望を託して・・・。

1914年7月、第一次世界大戦勃発!!
マタ・ハリのベルリン公演は、実現しないまま終わりました。

「戦争が始まる
 もう、ベルリンにはいられない
 舞台にも立てない」

そしてマタ・ハリは危険に道に・・・

1917年2月13日、運命は一転・・・
フランス当局にスパイ容疑で逮捕されてしまいました。
その頃、一世を風靡した姿ではありませんでした。
判決が下るまでの5か月・・・尋問は14回にも及びました。
そのすべての記録がパリ郊外の軍事資料館に残されていました。

戦時中・・・頻繁に国境を越えていることがわかります。
そして、マタ・ハリが逮捕時に所持していた49枚の名刺。。。

裁判官ピエール・ブーシャルドン・・・戦時中はスパイの摘発に努めました。
初めて取調室に呼んだ時、物的証拠はありませんでした。
マタ・ハリを追い込みんでいきます。
特に問題となったのは、イギリスフランス連合軍が70万の兵士を失ったソンムの戦いです。
マタ・ハリがドイツ側に流した機密情報に問題があるとされたのです。
マタ・ハリは一貫して容疑を否認。
しかし、ブーシャルドンが手に入れた文書がマタ・ハリを追いつめます。
ドイツ軍の14枚の電報で、エッフェル塔の傍受班が解読したものです。
ドイツ軍はマタ・ハリを”H21”というコードネームで呼び、こう記していました。
”H21はパリで我々からの5000フランを受け取った”
動かぬ証拠に・・・遂に供述が始まりました。

1916年5月ごろ・・・ハーグの自宅にいると、オランダのドイツ領事がいらっしゃいました。
彼はこう切り出しました。
我々が関心を持つ情報を集めていただきたい。
同意していただければ2万フランお渡しいただけます。
領事はフランス紙幣で2万フラン渡していきました。
付け加えておきますが、私はパリから何一つ情報を送るつもりはありませんでした。

ドイツ側の指示でパリに入ったマタ・ハリ・・・運命はさらに複雑に動いていきます。
今度はフランス側からスパイ行為を求められたのです。
フランス軍ジョルジュ・ラドゥー大尉は、ドイツのスパイと知ったうえで、二重スパイにしようとしました。
マタ・ハリは、その危険な提案を受け入れます。

私は何か月もうろつき回って、細切れの情報を集めてくる気など全くありません。
大当たりやってのけたら、サッと退場します!!

フランスに同意した理由は・・・??

愛する人と結婚できるように、経済的に自立するため・・・。
100万フラン!!
愛する男と生きるために、二重スパイを引き受けたマタ・ハリ・・・
その男ととった写真をいつも大事に持っていました。
ロシア人将校ウラジミール・マスロフ・・・マタ・ハリは41歳、マスロフは21歳でした。

「私が苦しんでいるなんて裁判官は知らないでしょう。
 ここから出してください、もう耐えられません!!」

彼女にとっては恋に生きただけで、戦争なんて全くどうでもよかったのです。
それがマタ・ハリなのです。

裁判官に対し、ドイツのスパイをしていたことを認めたものの、機密情報は提供していないと主張し続けました。
フランスには害もない情報を・・・私は一度もフランスにスパイ行為をしたことはありませんし、試みたこともありません。

”H21にこう告げるべし
 得られた成果は満足すべきものではない”

ドイツ軍が求めた情報を提供していなかったマタ・ハリ。
どうしてフランスは死刑判決をくだしたのでしょうか?

そこには政治的背景がありました。
マタ・ハリがパリにいた1916年は、ソンムの戦いで大打撃を受けた年でした。
70万人もの死者を出していたのです。
当時フランスでは、ソンムの戦いでの責任を厳しく問う声が高まっていました。
作戦を指揮した陸軍大臣辞任、仏軍新総司令官罷免、内閣総辞職に追い込まれていました。
そこで、スパイがいたせいでたくさんの死者が出たことにしたのです。
ソンムの戦いで勝っていれば、マタ・ハリなどどうでもよく、死刑にされることもなかったでしょう。

裁判官ブーシャルドンがマタ・ハリを追いつめるために用意したものがある・・・それは、恋人・マスロフへの事情聴収です。
最愛の男はこう言いました。
「今は別の女と暮らしている
 マタ・ハリとは遊びだった」

読み終えたマタ・ハリは、申し上げることはありませんとだけ答えました。

1917年10月15日、マタ・ハリの41念の人生に幕が下りました。
処刑が行われた森は今、パリ市民の憩いの場となっています。

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