人類滅亡の予言は数あれど、「ファティマ第三の秘密」こそ本物??
1981年5月2日、アイルランド航空164便でハイジャック事件が・・・!!
そこで犯人は前代未聞の要求をしました。

ローマ教皇ヨハネパウロ二世に「ファティマ第三の秘密」を公開するように伝えろ!!」

この異様な事件に、世界中のメディアが反応します。
犯人はカトリックの元修道士でした。
ローマ教皇が隠すファティマ第三の秘密とは・・・??

ポルトガルの小さな町ファティマ・・・
1917年三人の子どもの前に、ある日奇跡が起こります。
イエスキリストの母・聖母マリアが人類の未来を見通した3つの秘密を予言したのです。

人類の運命を物語るメッセージ・・・
子供のひとりによって書き取られ、今もなお厳重な建物深くに大切に封印されています。
そこは、キリスト教カトリックの総本山バチカン市国です。
世界で13億人の信者を持つその秘密図書館にファティマ第三の秘密が保管されています。
第三の秘密を呼んだあるローマ教皇は、その場でその恐ろしさに失神したと噂されるほどの内容でした。
聖母マリアが伝えた人類の未来とは一体・・・??


ヨーロッパの西に位置するポルトガル・・・16世紀には遠く日本にまで宣教師を送りました。
カトリック信仰に厚い国です。
リスボンから北におよそ120km・・・ファティマは現在、人口1万6000人の小さな町ですが、ファティマ大聖堂は世界有数のカトリック巡礼ととなっているので、聖母出現のお祝いの日には2日間でおよそ940万人もの巡礼者が訪れます。
町の中心には土産物屋があり、聖母マリアが所狭しと並んでいます。

大聖堂前の広場で跪いて進む巡礼者・・・こうして祈ることで願いが叶うといいます。
礼拝堂では世界中から集まった巡礼者が一身に祈りを捧げています。
ファティマの聖母マリア像・・・この礼拝堂こそ、かつてマリアの出現と言われるその場所です。
100年前、聖母マリアが出現した場所で一体何があったのでしょうか?

当時、人口わずか2000人ほどの農村ファティマ・・・
ここに、ルチア・フランシスコ・ジャシンタの3人の子供がいました。
5月13日、羊の番をしていた三人の前に、突然まぶしい貴婦人が現れました。
ひかりの貴婦人は語り始めます。

「怖がることはありません。」

ルチアが聞きました。

「あなたはどこからおいでになりましたか?」

「天国から参りました。」

ひかりの貴婦人は、これから大切なことを伝えるので、毎月13日にここへ来るように告げると姿を消しました。
それから毎月13日になると、子供たちはそこを訪れて貴婦人のお告げを聞くようになりました。
そして3回目の7月13日・・・後に3つの秘密と言われる未来に関するお告げを聞きました。
ひかりの貴婦人は、ある恐ろしい光景のイメージを見せ、言葉によるお告げ、別の恐ろしい光景をイメージで伝えました。
そして最後にこう言いました。

「誰にも言ってはいけません」

一方、不思議な貴婦人の出現は、あっという間にファティマ近郊に広まり、その姿を一目見ようと集まった人は回ごとに増え6回目の出現には約7万人が・・・取材に来るほどの騒ぎになりました。
この日を境にお告げは終わったものの、信者たちによって生母出現の地に小さな礼拝堂が立てられました。
13年後の1930年・・・ファティマを管轄するレイリア司教区が「生母出現は信じるに値する」とし、総本山のバチカンも、巡礼地として正式に認定。

生母がルチアたちに伝えた秘密とは・・・??

その第一、第二の秘密については、1941年修道女になったルチアが記録に残しています。

第一の秘密「地獄のビジョン」
悪魔と人間の形をした魂が大きな炎の中に漂い、苦痛と悲鳴のうめき声をあげていたという。

第二の秘密「生母のお告げ」
あなたたちは恐ろしい地獄を見ましたね
戦争はもうすぐ終わります。
しかし、もし人が神に背くのをやめないなら、ピオ11世が教皇である間に、もう一つのもっとひどい戦争が始まるでしょう
こうした戦争を防ぐためには、ロシアを私のもとに改宗させなさい
さもなければ、ロシアは戦争と教会への迫害を推し進めながら、自分の誤りを世界中にまき散らすでしょう

ルチアが書き記した第一、第二の秘密は直ちに公開され、世間は大騒ぎに・・・
生母が出現した1917年は、第一次世界大戦の真っただ中で、死者は史上最悪の1600万人と言われ、人類はまさに地獄のビジョンを見ていました。  
そして生母のもうすぐ戦争が終わるという秘密が告げられた翌年、第一次世界大戦は終わっています。
続いて、もっとひどい戦争が始まるというのは、1939年に始まる第二次世界大戦を指しているのではないか?
さらにロシアが自分の誤りを世界にまき散らすとは、1917年以降、ロシア革命によって誕生したロシア(ソビエト連邦)が、宗教を弾圧する思想で、世界を制圧すると警告したのではないのか?



そして第一、第二の秘密を書き記した3年後・・・1944年ルチアは問題の第三の秘密を書き記します。
しかし、ルチアは「第三の秘密」に条件を付けました。
封筒の表には、ルチアの直筆でこう書かれていました。

”聖母からの命令によって1960年まで開けてはいけません”

裏側の封印は三カ所もしていました。
世間は推測します。
危険な未来を見せた第一、第二の秘密なら、第三はもっと破滅的な世界戦争が・・・??

1957年ルチアと面会したメキシコ人神父はマスコミに語っています。
「私はシスタールチアから聞きました
 聖母マリアが願った”祈り”と”献身”を人類が無視したために、1960年に世界に厄災が降りかかると」

またあるドイツの新聞は、「第三の秘密」をスクープ!!
20世紀後半において、すべての人類に大きな罰が下るであろう
全人類の大半を数分のうちに滅ぼすほどの威力を持つ武器が作り出され、偉大な者も小さな者も同じく滅びるだろう

一方バチカンは1960年を過ぎても第三の秘密を公開しようとはしませんでした。
これに世間は批判を浴びせます。
第三の秘密は本当に人類滅亡の予言なのか・・・??
ちなみに聖母マリアの出現の報告は、世界各地にあります。
数ある聖母出現の中で、どうしてファティマだけが騒ぎとなったのでしょうか?

世界各地で聖母マリアが出現したという報告は、数千件と言われています。
しかし、バチカンが公認した事例はわずか20件ほど・・・。
どうしてファティマの聖母出現が教会に認められたのでしょうか?
「ファティマの現象」を起こしているのは、宗教的なものだけか、政治的な関連もあるのか?
「ファティマ」は根本的に、政治的な出来事です。
「ファティマ」はバチカンにとって現代ヨーロッパの動きと大きくかかわるからこそ、世界的に注目されたのです。
バチカンはどうして遠くポルトガルの子どもたちの証言に興味を持ったのでしょうか?
それは当時のバチカンが宗教を否定する強大な勢力を政治的に警戒していたことにあります。
それは”共産主義”です。

1922年ソビエト連邦樹立
共産主義がヨーロッパに絶大な影響を及ぼしていました。
一方1929年、当時のローマ教皇ピオ11世はファティマの聖母のお守りカードを配り始めます。
1930年、バチカンはファティマを巡礼地として公認。
ここに政治的な意図があるといいます。
1930年代は、ソビエトの台頭をはじめ、宗教にとって厳しい時代でした。
特にヨーロッパでは独裁政治体制が敷かれ、神の存在を否定する思想や運動が進んだため、その運動に反発する動きが求められました。
「ファティマの聖母出現」が、まさにその役割を果たしました。
人びとは宗教を求める気持ちを強くし、教会は人々に足を運んでもたうため、神を信じる気持ちを持ってもらうために、「ファティマの聖母出現」をバチカンは利用したのです。

そして1939年第二次世界大戦勃発。
世界は再び地獄のような戦いの時代に突入します。
この頃、ファティマの三人の子どものうちルチアはスペインの修道院で神に仕える生活を送っていました。
そして第二次世界大戦がはじまって二年後の1941年、ルチアは24年前に聖母マリアから託された「第一第二の秘密」を記します。
そこに記された地獄のビジョンは、第一次世界大戦の終結、そしてさらに恐ろしい戦争が起き、ロシアを開宗させなければ世界を攻撃するだろうという内容は、翌年直ちに本として出版されます。

「人々が神への祈りを怠ると地獄のような戦争が起きる」

このメッセージは、バチカンにとってカトリック復権のため有効なものとみなされたのでした。

ルチアが見たという「地獄のビジョン」の多くは、ルチアが目の当たりにした内戦や第二次世界大戦から生み出されたと考えられます。
そこに込められたメッセージはシンプルです。
平和を勝ち取るためには、人々は真剣に祈りをささげなければならない・・・
そうしなければ、平和への道もない・・・
バチカンは、このようなお墨付きをファティマに与えたかったのです。

1944年第三の秘密・・・
バチカンは、「第三の秘密」を公開しようとはしませんでした。
そこには、第二次世界大戦終結後の新しい世界情勢”東西冷戦”をめぐるバチカンの政治的な狙いが伺えます。
1950年代、アメリカら自由主義陣営と、ソビエトら社会主義・・・共産主義陣営との対立が激化し、世界は大きく二つに分裂しました。
人びとは、両陣営が核兵器を使い第三次世界大戦が起これば、人類そのものが滅亡するという最悪のビジョンに恐れていました。
そんな時代だからこそ、「第三の秘密」を公開しないことに意図があったのです。
当時、「第三の秘密」には、こんな憶測がありました。
ロシアが世界に侵攻してすべてが終わる・・・
神を信じない人々の世界がやってくる・・・
そんな内容が書かれているのではないか?と。

教会は秘密を守れば守るほど、世間の勝手な憶測が高まる状況にメリットを感じたのです。
「第三の秘密」の内容をかくしておけば、宗教を否定する共産主義の反発が高まる・・・そのために重宝したのです。

バチカンが「ファティマ第三の秘密」を公開したのは1960年をはるかに超えた2000年。

2000年5月13日のバチカンによる会見は意外な言葉から始まりました。
「第三の秘密」を知りたがっている人は失望するかもしれません。
もしくは今までの様々な憶測のため、驚くかもしれません。
バチカンは「第三の秘密」の全文を公開。
その内容とは・・・??

計り知れない光の中に、白い衣をまとった教皇様のような司教が見えました。
他にも何人もの司教と司祭、修道士と修道女が険しい山を登っていました。
教皇様は、山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまずいてひれ伏されたとき、一団の兵士たちによって殺されました。

バチカンはこのビジョンを1981年5月13日に発生した「ヨハネ・パウロ二世暗殺未遂事件」の暗示と発表しました。
バチカンが長らく公表を拒んでいた第三の秘密をどうしてこのタイミングで明らかにしたのでしょうか?
そこには、ベルリンの壁崩壊をはじめとした1980年代から90年代にかけての冷戦構造の終結が大きくかかわっています。
2000年には、共産主義の脅威は消え去り、ソビエトも崩壊、秘密保持の必要が無くなったのです。
バチカンは「第三の秘密」を公開することで、ファティマを「反共産主義のシンボル」ではなく、改めて真の「神への祈りの中心」にしたかったのです。
約90年間にわたる政治的な目的からファティマはようやく解放されたのです。

しかし、これも有力な説の一つで・・・謎は今も明らかにはなっていません。
バチカンを疑う人は・・・
「第一第二の秘密」が世界と人類の地獄を語っている内容なのに、第三が教皇暗殺未遂事件では内容がかけ離れているではないか?
インターネットでも、真実はバチカンに隠蔽された??とも絶えません。
20世紀・・・二つの世界大戦をはじめ、人類が様々な激動に揺さぶられた時代を生き続けた「ファティマ3つの秘密」は、小さな村の子どもが伝えたそれは、秘密というものが人々に何をもたらすのか、私たちに教えてくれています。

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