日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:中岡慎太郎

あの世からの徳川慶喜の反論 鳥羽伏見の戦いの真相を語る

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副題は、「戦の鬼」なんですが・・・遂に、人の良い西郷どん、戦の鬼になるんでしょうか?

大政奉還をしてしまった慶喜・・・その予定外の行動に、焦る西郷。
武を以て徳川を潰そうと・・・そして、新しい国を作ろうと考えます。
が、なんか、龍馬と考え方が合わなくなってきたようです。
袂を分かつ・・・??

そんな話をしている二人が、何にもキンチョー感がありません。
腹が減ったのか??と、カステラを差し出す龍馬って・・・。
なんだかなあ・・・食べもん出さんと気が済まんのか・・・??

一人になっても討つとかいいだした西郷どん・・・そこまでのいきさつが全くわかりません。
物思いにふけって話しているのかもしれないけど、眠そうな西郷どんです。
「国のかたち」について語りあかそうと思っていたのに・・・と席を立つ龍馬。
この国のかたちは、司馬遼太郎さんに語らせてあげて!!

don















世の中は、ええじゃないかでした。
京都はもっと殺伐としてるんじゃないの??
これ以降、龍馬は吉之助と会うことはありませんでした。

倒幕のために、兵を上洛させるように・・・と、薩摩にいったん戻る吉之助。
なんだか、久光もやる気のようです。
実際の久光は違うと思うけどね・・・いや、絶対に違う!!。

で・・・西郷家では赤ちゃんが生まれていました。
・・・こういう家族パート、もう要らないでしょ??
しら~~~!!って目で見ちゃうわ。

その頃、近江屋では・・・中岡慎太郎と坂本龍馬!!
風邪か?くしゃみをする龍馬・・・って、こんなところは細かくやるんだ・・・シラケちゃうわ・・・。
軍鶏を買ってくるところも史実通り・・・。
いきなり斬りつけられて龍馬、絶命!!

なんだか・・・あっさり死んでしまった・・・。
なんの志があったのか?
この国をどうしたかったのか??
全く解らずの龍馬でした。

どうしてここまで盛り上がらない龍馬暗殺なんでしょう??
クサいまでの演出があってもいいぐらいの見せ場なんですけどね??
この人が描けば、池田屋事件の沖田総司もドラマチックに吐血しないんだろうか??

3000の兵と共に京に来た吉之助は、初めて龍馬の死を知るのでした。
というナレの途中で、耳障りな女性の声が・・・。
お龍だ・・・。

don2















「あんたがうちの人を殺したんやろ!!」byお龍
じたばた、ヒステリックに叫ぶお龍・・・
もうやめてくれ・・・こんな展開・・・!!

私は幕末のカッコいい女性を3人挙げろというなら・・・
桂小五郎の幾松、山本八重子(八重の桜)、そして坂本龍馬の妻・お龍です。
山本八重子は八重の桜であったように、男勝りに鉄砲担いで戦ったカッコいい女性ですが・・・
幾松とお龍は、あげまんというか・・・
国家を背負って戦う男に惚れてしまった女性として、支えて、支えて、そして、見苦しい真似は絶対にしない・・・
肝の据わったカッコいい女性と思ってきました。

なんだよ・・・このお龍・・・龍馬を好きになる資格なんてないわ・・・
頭おかしくなったんか・・・??
ええじゃないか踊るお龍を鼻で笑ってしまった・・・どうでもええわ・・・。

大政奉還によって村を出ることを許された岩倉は、京都に戻ってきました。
呑気な岩倉具視にももう嫌だ・・・。
西郷&大久保は、そんな岩倉具視を使って慶喜を丸裸にするそうです。

なんだかいきなりな展開!!

何かわからない方はこちらを!!

いきなり鬼になる吉之助・・・これまた意味が解らない・・・。

岩倉具視も正装してどこか??へやってきてますが、何をしているのかがさっぱりわからない。

don3















あ・・・天子様の前か・・・何かわからないことは「王政復古の大号令」でした。
なんか・・・なんでこうなったんか、全く説明してくれないので、わかんないわよ・・・。
ただでさえ難しい時代背景なのに、教えてくれなければ全くわかりません。
解らんでもええってことか・・・

だから、わからない方はこちら

「西郷が御所門前に立っているから殺るなら今しかない!!」と言い出す容保・・・。
そんなの一々、慶喜の許可いんのかい??
でもって、「西郷に銃を向けるのがどういうことか解っているのか??」と言う慶喜・・・。
向けたらどうなるんだよ??
う~ん・・・朝敵となるらしいわ・・・。
錦の御旗は・・・??
錦の御旗で朝敵となったんじゃないの??
御所に銃を向けることは出来ぬと・・・朝敵だけにはなりたくないと慶喜・・・あ・・・ここだけあってる。

で・・・「短刀一本あれば事足りる・・・」も、あってるわ・・・。

don4















こんな、嘘っぱちの話の中に少しのホントを入れられても、なんだか真実味がなくって困っちゃうわ・・・。

小御所会議もなんだかわからないうちに終わっちゃったわ・・・。
もっと、いろいろ策していただろうになあ・・・。

いきなり気がおかしくなった慶喜登場!!
なんと、そこには西郷がいました。
刺される慶喜・・・なんと、夢落ちでした。
なんだよ・・・この三文芝居は・・・。

しゃべらなくなった西郷は、重い人間を表現したいんかな・・・そうそう、戦の鬼を表現したいんかな・・・??
変な笑みを浮かべたり、ウオー!!とか、エイエイオー!!とかで誤魔化して、小御所会議終了。

慶喜が京都から大坂に逃げたことが判明!!
すぐに戦を始める手はずはもう、整えている西郷だそうですが・・・。
その手はずを細かくやれよなあ・・・。
全く解らんわ。

薩摩の挑発に業を煮やした庄内藩が薩摩藩邸に火を放ったと・・・そこだけナレ!!
なんだよ・・・庄内藩、悪モンじゃん・・・。

年が明け・・・
戦の鬼になっている吉之助が気に入らない信吾です。
う~ん・・・これまでもイケイケの信吾だったし、これからも史実ではイケイケどんどんの信吾なのにね・・・。

「必ず勝つ!!」by慶喜

いきなり言われてもなあ・・・何の脈絡もなし!!

「慶喜さま・・・本当は西郷さまが怖いのではありませんか・・・??」とフキに言われて、逆切れする慶喜ですが・・・。
ま、逆切れするわな・・・そんな無礼な女に・・・!!??

う~ん・・・本当に、どうして戦っているのか??何をしているのか??全く解りません。

信吾・・・薩摩隼人だろ・・・!!
どんな手段を使ってでも慶喜を追いつめるという吉之助。
お・・・薩摩御用盗を認める吉之助。

「戦の鬼になってしもた・・・西郷どん・・・」byナレ

今回も、何が何だかわからない回でした。

そういえば・・・先日、娘とこんな話をしました。
「ママ、光源氏って、そんなにカッコよかったんかなあ・・・??」by娘
「??そうやなあ・・・大沢樹生でママと同級生やし、年下ばっかりやし、興味なかったなあ・・・」by私
「??違うで!!源氏物語やで??」by娘
あ・・・娘は、古典のテスト勉強中でした
「あんたがジャニオタやから・・・ゴメンゴメン・・・
 でも、めっちゃ、イケメンやったん違う??
 モデルはたくさんいて、いいところをとったみたいよ。
 そのうちの一人が「この世をば~」の藤原道長ともいわれてて、道長はこの源氏物語を政治に利用したんやで~~!!
 あ・・・ごめんごめん、テストやからな・・・これ以上は言わんとくわ。
 勉強し~~!!」by私
「でも、小さな女の子を自分の理想に育てるって気持ち悪いな~~!!」by娘
「??そんなことないよ。
 この時代は、親子や親族で結婚したり、めっちゃ年の離れた人にお嫁に行ったり、恋文が人生のすべてだったり、フラれて食べ物が喉を通らなくなって死んじゃったり・・・今とは違うんよ、常識が!!
 だから・・・この時はこれが常識で真実なんよ。
 ほら、宮崎駿も言ってたわ。
 『何か一つ嘘を入れようと思う(この時はポニョ)と、全てを真実に書かないと、全てがウソになってしまうって!!』
 特にトトロなんか、いてると思うやろ~~??」by私

と言ったんですが・・・それを言っている途中で腹が立ってきて、テスト勉強中の時間の惜しがっている娘に言ってしまいました。
「だから、西郷どん嫌いやねん!!
 大体、あの当時の女の人、あんなしゃべり方やったなんて・・・すべてが興ざめなんよ~~~!!
 ムキ~~!!」by私

娘は「またなんか言ってるよ・・・」と、あきれていましたが、そうなんですよね。
殆どウソの「西郷どん」の中に、今回もいくつかのホントがありました。
でも、そのホントも嘘くさくなってしまっています。
そして、ホントにしてほしいウソ(ポニョ)は、西郷どんの豪傑さ、清濁併せ呑むところ、大久保の頭の良さ、お龍の粋な感じ、慶喜の冷静な感じ・・・
そこは嘘でもいいから全部カッコいい感じに仕上げて欲しかった・・・。

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慶応2年1月京都・・・
風雲急を告げる京都で、時代を大きく動かす密約が結ばれました。
薩長同盟です。

交渉に当たったのは、薩摩藩が小松帯刀・西郷隆盛、長州藩が木戸孝允、そして交渉成立に深くかかわったとされるのが坂本龍馬です。
薩長同盟により、薩摩と長州を中心に倒幕運動が加速し、明治維新へと繋がっていきます。
犬猿の仲だった薩摩と長州がどうして同盟を結ぶことになったのでしょうか?

1853年ペリー来航、開国を要求します。
これをきっかけに攘夷の機運が全国で高まります。
外様大名の雄・薩摩藩は、朝廷、幕府、諸藩が一致して富国強兵を図り、国力を整えての緩やかな攘夷を主張。
これに対し、外様で力を持っていた長州藩は、即時の攘夷決行を主張・・・一部の公家を巻き込みながら、過激になり幕府を悩ませていました。
そんな中、1863年8月18日、会津藩、薩摩藩を中心とした幕府軍が、長州藩と急進派の公家らを京都から追放します(八月十八日の政変)。

しかし、長州藩も黙っておらず、翌年、京都での復権をはかり3人の家老が軍勢を率いて上洛し、御所にせまります。
そして、蛤御門付近で会津藩・桑名藩と激突(禁門の変・蛤御門の変)。
長州藩は、一進一退の戦いを繰り広げるも、京都に常駐していた薩摩藩の西郷隆盛の舞台が幕府側につくと形勢は不利に・・・!!
長州藩は、京の町に火を放ち、逃げていきました。
その際、御所を背にした幕府軍に発砲したとして、長州藩は朝敵となってしまったのです。
そんな長州藩に対し薩摩藩に望んだのは、厳しい処分と早期の長州征討。
中でも、禁門の変の際に参戦していた西郷は、急進派の中心的人物でした。
西郷は、盟友・大久保利通にこんな手紙を送っています。
”長州藩には兵力をもって迫り。東国あたりへ国替えを命じるべきである”と。
厳しい処分を考えていました。

朝敵となってしまった長州藩は、薩摩藩や会津藩に対して敵愾心を燃やし、”薩賊会奸”と呼びました。
そして、憎しみを忘れないようにとその四文字を下駄に書いたといいます。

satuma

















禁門の変から5日・・・幕府は西国諸藩に長州を攻撃するように命じました。
第一次長州征討です。
しかし、厳しい処分を望んでいた薩摩藩が、”長州には寛大な処分を望む”と、その態度を軟化させます。
わずか数日で・・・??
それは、薩摩藩の当時の最高権力者・島津久光の意向によるものでした。
久光は、京都の参与会議に参加、新しい国づくりに参加していました。
しかし、薩摩藩の力が強くなることを警戒した一橋慶喜と対立!!
慶喜の暴言に寄って、参与会議は瓦解してしまいました。

それ以後、政治の主導権は、政治に取り入った一橋慶喜が会津と桑名による一会桑政権となっていきます。
国元に戻った久光は、薩摩藩単独での富国強兵に舵を切ります。
そうなると、藩の支出が増える長州征討などもってのほか・・・
戦を避けたいという久光の意向が、薩摩の方向転換の大きな要因でした。
さらに、久光が慶喜と対立したことで、薩摩藩が危険視されるようになっていきます。

長州藩が滅ぼされてしまったら、次のターゲットは薩摩になるのではないか??という意見が、薩摩藩内部から出て来ます。
しかし、禁門の変で長州と直接戦った西郷は、厳しい処分にこだわっていました。
これを、小松帯刀が説得!!
西郷はようやく態度を改め、久光の意向に従い、手腕を発揮していきます。

大阪城で長州征討の軍議が開かれた際には・・・
薩摩藩の代表として参謀役となった西郷は、征長総督・徳川慶勝(尾張藩主)に対してこう進言します。

「今、長州藩の中は内部分裂を起こしています。
 これを利用し、長州人をもって長州人を征するのが良いかと・・・!!」by西郷

当時、長州藩は穏健派と強硬派に分かれていました。
西郷は、穏健派に実権を握らせれば戦わずに済むのではないか?と考えたのです。
しかし、征討軍は15万の軍勢で長州藩の国境に迫っていました。

「このままでは長州藩が潰される・・・
 そうなれば、次は薩摩が危ない・・・!!
 何としても総攻撃を回避せねば・・・!!」by西郷

西郷は、長州藩と関係の深い岩国藩を通じ、至急教順の姿勢を見せるように要請。
交渉が成立するように、禁門の変で捕らえていた捕虜10人を長州藩に返しました。
そして、自ら長州に乗り込み、強硬派とも交渉します。
こうした西郷の奔走により、長州藩が禁門の変に関わった三家老の首を差し出すなど、幕府に恭順の意を示したことで、総攻撃は回避!!
西郷は間一髪のところで、薩摩藩を戦に巻き込むことなく終息に向かわせたのです。

1865年5月、幕府は再び抵抗の姿勢を見せ始めていた長州藩に圧力をかけようと、14代将軍家茂自ら軍勢を率いて江戸を出発!!
これを知った西郷は怒りをあらわにします。
そして、家老の小松帯刀に嘆きます。

「将軍の江戸出発は、自ら禍を迎えるようなもので、幕府の威厳を示すどころではありません。
 これによって、天下は動乱となり、徳川氏の衰運はまさにこの時より始まるでしょう。」by西郷

薩摩藩は、この時、西国雄藩連合を作り、幕府の2度目の長州征討を阻止しようと考えていました。
これを実現するためには、長州藩の協力が必要で・・・両藩の和解が急務でした。
そして、この和解実現の立役者となったのが、土佐脱藩浪士・坂本龍馬でした。
この時、龍馬は薩摩藩の庇護のもとにありました。
龍馬が勝海舟の元にいた神戸海軍塾が1865年に閉鎖、行き場を失くした龍馬を交流のあった薩摩藩・小松帯刀に預けたのです。
小松は、近代的な海運教育を受けていた龍馬は使えるとし、庇護下に置いていたのです。
そして、龍馬が長州藩士たちとも進行があったので、薩長和解の道を任せることにしたのです。

知人を通じて下関に入った龍馬は、長州藩の中心的人物・木戸孝允との会談に持ち込みます。
しかし、相手は薩摩への深い恨みを抱える人物・・・いかにして説得するか??

鹿児島にいる西郷が、上洛途中に下関に立ち寄るらしい・・・
木戸との面会を希望しているらしい・・・。
西郷を木戸との会談に連れてきてしまえば、和解できる・・・
そう考えた龍馬は、同じ土佐脱藩浪士・中岡慎太郎に西郷を下関に連れてくるように頼みます。
龍馬は木戸と共に西郷の到着を待ちます。
しかし・・・戻ってきたのは中岡だけでした。
西郷は、下関に寄ることなく、京都に向かってしまったのです。

この時点で、西郷は木戸と会う気はなかったのです。
当時の京都は、第二次長州征討でもめていたので、一刻も早く京都に戻らなくてはならない状況だったのです。
そして、島津久光に何の断りもなく木戸と会うこともできませんでした。
糠喜びをさせてしまったと、龍馬と中岡は謝りますが、木戸の怒りは収まらず・・・

「薩摩藩が信用できるというならば、長州藩のために名義を貸してくれますか?」by木戸

この頃、長州藩は、武器の輸入が禁止されていました。
なので、外国製の銃などを手に入れることができませんでした。
幕府軍との戦いに、軍備増強したい木戸は、薩摩藩に名義を借りることで武器調達しようと考えたのです。
龍馬はすぐにこれを薩摩側に連絡し、なんとか長州と和解したい小松・西郷は許可しました。
こうして、長州藩は4000丁の最新式の銃と蒸気船を手に入れたのです。

9月・・・西郷は再び龍馬を長州に向かわせています。
今度は、薩摩藩が二度目の長州征討を阻止しようとしていることを連絡し、信頼を構築し、距離を縮めようとしたのです。
この時、大いに役立ったのが、西郷が持たせた大久保の書簡でした。
そこには・・・
「義のない勅命は勅命にあらず」と書かれていました。
つまり、いかに朝廷の命令であろうとも、天下万民が認めなければ誰も支持することはないという・・・断固長州征討に反対するというものでした。

薩摩藩に対する長州藩の信頼が回復していきます。
薩長同盟の機運が高まってきていました。

徳川慶喜が権勢をふるう幕府と対立関係にあった薩摩は、長州藩が潰れれば次は自分たちに矛先が・・・!!と、警戒。
それを避けるためには、長州征討を何としても阻止しなければなりませんでした。
一方、長州藩は、軍備を増強し、幕府の二度目の長州征討に備えますが、出来れば長州単独で幕府に対抗するのは避けたいと思っていました。
そんな中、1865年12月・・・木戸孝允のもとを一人の男が訪れます。
後の総理大臣となる黒田清隆です。
まだ20代半ばの薩摩藩下級藩士でした。
黒田は木戸に対し
「京都にいる西郷が会いたがっているので、ぜひあってほしい。」と。
しかし、これは黒田の作り話でした。

彼なりの切羽詰まった思いが、こんな行動に出たのです。
薩長同盟最大の功労者は黒田だったのかもしれません。
懐疑的な木戸に対し・・・
「すでに西郷の心は、長州と一つとなっています。」
長州も味方が欲しい・・・黒田と共に京都に向かう木戸。
すべて黒田の独断であったために、小松、西郷らは木戸の上洛に戸惑います。
しかし、せっかくの機会なので・・・そのまま会談を行うことに・・・。
場所については諸説ありますが・・・
その一つは現在の同志社大学の敷地内にある薩摩藩邸。
そして、近年有力視されているのが、御花畑屋敷・・・小松帯刀が近衛家から借り受けていた屋敷です。
1800坪もあり、薩摩藩の迎賓館のような役割をしていました。

1866年1月18日、ついに薩摩と長州の会談が始まりました。
徳川家茂が、第二次長州征討に向け、大坂城に入ります。
一方幕府は、長州藩に対し、新たな処分を行おうとしていました。
そんな中の薩長同盟の交渉開始でした。
話し合いの席についたのは、薩摩藩側は西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通、島津伊勢、桂久武、吉井友実、奈良原繁。
対して長州藩は、木戸孝允一人でした。
階段の口火を切ったのは、西郷でした。

「幕府が近く下す長州への処分案を今は忍んで受け入れてたもんせ。」by西郷

これは、長州藩主の蟄居、10万石削減などでした。
幕府内での秘密事項でしたが、西郷は手に入れていたのです。
薩摩は長州と共に幕府と戦ってくれると期待していた木戸は、幕府側についたともとれる西郷のこの言葉に驚きます。
そして・・・
「三家老の首を差し出したことで、長州藩の処分はついている。
 更なる処分など、納得できません。」by木戸

双方が押し黙ってしまい、開始早々交渉は決裂!!

西郷が木戸に処分受け入れを求めたのでしょうか?
この時、西郷には・・・一旦、幕府が下した処分を受けさせておいて、事態を収束させる自信がありました。
長州側が、幕府の処分を受け入れなければ戦争になる!!それを避けようとしたのです。
薩長の会談が物別れに終わった2日後の1月20日、薩摩藩の有志がによって長州に戻ることになった木戸の送別会が行われることとなりました。
するとそこに、坂本龍馬がやってきました。
話し合いの結果を知らない龍馬は木戸に・・・
「会談の方はどうなりましたかのう??」
「なんも、きまっちゃおらん・・・!!」by木戸
これを聞いた龍馬は、西郷や小松のところに行き、もう一度話し合うように説得します。
これによって、再び話し合いが持たれることとなりました。

一度は決裂した交渉・・・知恵を絞ったのは西郷でした。
木戸に沿うような条件を出します。
その内容が、唯一記録として残っているのが木戸の書簡です。
そこにはこうありました。

幕府と長州の戦いが始まれば、薩摩藩は2000ほどの兵を国元から上洛させ、幕府に圧力をかける。
戦が発生して、長州側が勝利を収めそうな勢いになった時は、薩摩藩は長州藩の復権を朝廷に働きかける。

その中身は、薩摩がいかにして長州藩の復権に尽力するかというものばかり・・・。
中でも注目すべき一文は・・・

一橋・会津・桑名の三者が今までのように朝廷を擁し、薩摩藩の周旋尽力の道を遮った際には、決戦もやむ終えない。

これらの内容に木戸も納得し、1月21日薩長同盟成立!!

この同盟は、木戸の書簡に記された”決戦”の文字から、薩長両藩が手を組み、幕府を倒そうとする軍事同盟だとされてきました。
しかし、この”決戦”は、対幕府ではない・・・??
薩長同盟の真相とは・・・??

西郷が念頭に置いていたのは、あくまで一橋・会津・桑名との戦いであって、武力討幕は全く想定していませんでした。
おまけに、実際に戦闘が想定されるのは京都で軍事力を持つ会津だけ・・・。
戦いが起きても、藩同士での戦いであって、”決戦”という言葉には、長州と共に幕府と戦うという意味はないのです。
つまり、薩長同盟は、倒幕のための軍事同盟ではありませんでした。

木戸の書簡以外に、薩摩側の記録はなく・・・
同盟というほどの物ではなく、薩摩藩幹部と長州藩・木戸との会談の覚書だったのです。
この時の西郷たちの目的は・・・
この会談はあくまでも長州を味方につなぎ止めておくための物で、薩摩側のリップサービスでした。
この時点で薩摩側は、第二次長州征討が実行される可能性は低いと想定していたため、木戸に伝えた内容は履行されないとみていました。

薩摩藩にとって記録に残すほどの物ではなくても、四面楚歌にあった長州の木戸にとっては重要なものでした。
その証拠に、薩摩藩が長州藩に有利な内容を提示してきたこの内容を「皇国之大事件」とし、木戸はその言葉を書簡の中に何度も書いています。
そして木戸は龍馬に、この書簡の裏書を書くように強く求めます。
交渉の内容を知る人を増やすために・・・長州藩にとって、龍馬は薩摩藩士のひとりのように認識されていたからです。
証明してくれる人材として適任でした。
そして裏書として朱色でこう書きました。

”表に記されているのは、私が同席した時に話し合われていた内容に相違ありません
 二月五日 坂本龍馬” と。

龍馬に裏書をしてもらうことで、木戸は交渉の成果を確かなものとして長州に持ち帰ったのです。

薩長同盟締結からわずか2日後・・・1866年1月23日寺田屋にて・・・。
坂本龍馬は会談の成功を祝い、長州藩と関わりの深い長府藩士・三吉慎蔵と祝杯を挙げていました。
するとそこへ、幕府の役人が襲撃してきました。
龍馬は持っていた銃で応戦するも、刀で切りつけられ両手を負傷!!
命からがら近くの薩摩藩邸に逃げ込みます。
世に言う寺田屋事件です。

2017年この時の様子が書かれたものが、鳥取藩の記録が発見されました。
そこには・・・

坂本龍馬というものが泊まっていた寺田屋に、薩摩と長州が密談していたことを記した手紙があった。
それによれば、長州が挙兵した際は、薩摩藩が京都の幕府軍を追い払うという密約があるらしい。

龍馬が寺田屋に置き忘れた手紙が・・・薩長同盟の内容が僅か数日のうちに、幕府に漏れていたのです。

一説によると、龍馬はわざと書簡を置き忘れ幕府にリーク、薩摩藩の方針を幕府に知らせることでこの同盟が破棄されることのないよう薩摩の退路を断ったのでは??というのです。

果たして真相は如何に・・・??

寺田屋事件の後、龍馬が家族に送った手紙には・・・
”寺田屋で襲われたことは、幕府に長州藩と薩摩藩の関係を知らせることができてかえって幸いだった”と。
龍馬は、長州と薩摩の温度差・・・この同盟についての考え方の違いについて解ってたはず・・・。
薩長同盟・・・幕府の知るところになった瞬間、歴史は大きく動き出すのです。

同盟締結から5か月後の1866年6月・・・第二次長州征討!!
幕府は10万の軍勢で迫ります。
単独で迎え撃つ長州軍は、3500の兵でしたが奮戦します。
この時、兵士たちが手にしていたのは薩摩藩の名義を借りて手に入れた最新式の銃でした。
二度目の長州征討はないという思惑が外れた薩摩藩でしたが、木戸との約束を守り、征討軍の参加を拒否!!
西郷も早期終戦に向けて尽力します。
長州藩は戦いを優位に進め追討軍を撃破!!
この後、薩長の倒幕の勢いは大きなうねりとなり、江戸幕府は終焉へと向かうこととなるのです。
薩長同盟の成立からわずか2年足らずのことでした。

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ああ・・・私の気持ちを知っているのか?いないのか?
レポートする前に、外付けハードディスクが壊れてしまいました
まだまだ見ていない作品も沢山入っていたのに・・・
昨日から頑張って直していますが、直せそうにありません。

先日は、テレビも映らなくなったことがあり、もう、寿命なのかもしれません

テレビが壊れることを想定して、外付けハードディスクは買わずに、ブルーレイレコーダーで何とかしのぎたいと思っています。

ああ・・・
やる気のなさが、テレビにも伝わったのかもしれません。。。

ということで、覚えているだけの簡単な感想を!!

坂本龍馬が主な回でした。
小栗旬さんの坂本龍馬、カッコいいので、ほんと、この脚本が勿体なく感じました。

don















まずは・・・
龍馬は、海軍操練所にいて、そこが閉鎖されたので、勝海舟→小松帯刀ということで薩摩藩に来ました。
なので、西郷さんと自分で交渉したのではありません。
きちっと人間関係を書いてくれないと、ほんと、何を頼りにやってきたのか??と思います。
大体、当時は藩と藩の間を行き来するのは大変で、龍馬のやった脱藩なんてのは命がけのことでした。
なので、堂々と名乗れるのももってのほかのような気もします。

中岡慎太郎も郵便屋さんよろしく・・・
何の思想があるのやら・・・??

don4















おまけに天下の西郷隆盛の家は、今もぼろ屋で、そのぼろ屋を天下の西郷と龍馬が直すという・・・。

don2















もっと他にやることないんかい??
とにかく、どちらも下級武士であったり郷士であったり・・・
ま、龍馬さんは商人的な側面が多々ありますが・・・
彼等には、後がないのです。
民のための戦いだと、この大河では言っていますが、下級武士の分際で、こんな事をしていれば後がない・・・!!
その命を張った危機感が、最終的に倒幕の原動力になっているんです。

結局、明治維新になったって、身分制度がなくなったわけでもなければ、それまで武士だった者たちがあぶれ・・・
彼等が内紛を起こすんです。
祀り上げられらかも知れないけれど、その御大将が西郷隆盛なんですよね・・・。

don5















とにかく、現時点では、小松帯刀を中心として、西郷、大久保たちが暗躍するわけです。
幕府につくのか??見限るのか??天皇は・・・??長州は・・・??
こんなバカな西郷と大久保であったら、事はならなかったでしょう。

ああ・・・みんな叫んでばっかりで意味わからん・・・。


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副題そのまんまの吉之助が風雲急を告げる京へと向かいますよ~~!!
やっとこさの幕末です
はてさて・・・どうなるんでしょうか??
それにしても、皆さんお下品で困ります。

don

ポスター新しくなってますよ~~!!
って・・・ゲッ!!
愛加那、まだ出てくんのか!?
これから風雲急を告げて・・・って、もう告げてずいぶん経ってるけど・・・西南戦争まで私のイメージとしては血生臭い、埃臭いドラマになりそうなんですけど・・・
愛加那・・・もうお腹いっぱいだよ・・・

徳之島、沖永良部島に流されて1年半・・・吉之助は薩摩に戻ってきました。
奄美大島を超えると、5年の島暮らしでした。




呼び戻してくれたのはいいとして、そんな・・・匿って、藩主に背いて、それでも死罪でなく遠島で・・・またもや復活するという・・・この吉之助のどこが素晴らしいのかわかりません。

そんな過大評価をしてくれているのは一蔵です。
ちょっと映った小松帯刀・・・この小松が一番薩長同盟で働いたというのに・・・どうして薩摩にいるんだ・・・??


ああ・・・登場場面で興ざめです。

勝さんも、龍馬も、慶喜も、一蔵も、みんなみんな遊郭通いに勤しんで・・・どうして遊郭でないと話が始まらないのか・・・??

本当に嫌気がさしてしまいます。
もちろん、薩長も、新選組も派手に遊んでましたよ・・・。
でもね、そこは、田舎モンが都会に出てきて羽目を外しているのはもちろんですが、そこには毎日命を張って生きているから、いつ死ぬかもわからないからという緊張感の中で、「死んでも大義を全うする!!」その勢いで、遊んでいると思いたいわけです。こっちとしては・・・。

こんな生ぬるい幕末で・・・命をかけたジリジリとするやり取りもないまま、ただ遊郭だけがクローズアップされて・・・みんな何をしているのか??幕末の志士たちは!!って、腹立たしい限りです。


おっと・・・話はそれてしまいましたが、西郷家はお金もなくてもうボロボロです。
吉之助が遊郭で遊んでいなければ家は売らずに済んだかもしれない・・・
藩主に・・・じゃなかった国父に刃向かわなければ、こんなに貧乏じゃなかったかもしれない・・・
何もかも犠牲にしてまで、この吉之助になんの大義があるのか!?本当に、何をしているのか??
この西郷さんでは誰も幸せにできませんよね・・・

薩摩の家に帰ってきた吉之助&みんな(一蔵除く)は、またもや国父の悪口を言うという・・・ちっちゃな男たちです。
おまけに、七卿落ちをさらっと解説・・・ほんと、なにがなんだかわかりません。

ここで・・・吉之助の大義は、みんなが腹いっぱいご飯を食べられることだと判明しました。
ただなあ・・・この吉之助、目の前の人がお腹いっぱいになったらいいみたいだから・・・
そんなの、西郷さんでなくてもいいんじゃないの??

京に向かう途中、これまた糸に遭遇!!
嫌だよ・・・嫌な予感しかしないよ・・・
なんか想いながら西郷を見送る糸ですが・・・結婚してんだろ??やめとけよ!!そういうの!!
女性の質を落とすんだよ~~~!!

いきなり参与会議です。
何でこうなったのかもわからないので、きっと自分で調べろってことなんでしょうね。
私はけっこう歴史を知っているつもりですが、あやふやな部分を・・・と、このドラマを見た後、史実はどんなだったか確認するようになっちゃいましたよ。
そんな私に旦那は言います。
「これが史実だから~~~!!」と。

そして相変らずの下品な会議が始まりました。
ここにいる人たちは、ちゃんとした教育を受けた人たちです。
悪口の言い合いは止めてくれよ・・・
これ以上、久光を侮辱するのは止めてください・・・。
これ以上、慶喜を侮辱するのも止めてください・・・。
中身の全くない会議でした。

鍵屋では、またもやお虎のコントが始まりました。
ビデオとばそ・・・。
と飛ばしたら・・・一蔵が畳回しをしていました。
う~ん・・・畳回しも、この時やったんじゃない・・・っていうか、こんな酒の席での芸じゃないんだよ・・・ホントは・・・
薩長の間で雰囲気が悪く、抜刀・・・??みたいになったのを雰囲気をかえようとしてやったんですよ・・・実は。
もう・・・やめてくれ・・・。

一蔵からいろんなことを教えてもらう吉之助ですが・・・どうするんでしょう?
で・・・ここで、一蔵が、西郷がすごい男だと京中に噂が広がっているので、助けてくれみたいなことを言って・・・
吉之助が「わかった・・・」って言うんです。
その自信はどこからくるんでしょう?5年も表舞台から遠ざかっていたというのに・・・??
おかしいでしょ??

と思っていたら、ふきがお芳として登場!!
正室は天皇家の関係、側室は旗本の娘なのでは・・・??
慶喜の側室・・・って、薩摩の農民の子が側室には無理なんじゃないの??
妾のひとりでしょ??って思ってしまう。
ここらへんの現実感のなさに、興ざめ感がたっぷりです。
もし、お芳が従来の江戸の町火消し・新門辰五郎の娘だったら、江戸城無血開城の時に面白い題材になったはずなのに・・・。
なんでだ・・・。
幕末なんて、ただ、歴史をおってくれるだけでも、面白い作品になるだろうに・・・

久光に謁見する吉之助・・・。
don2















殺さずに生かしてくれていたのは、久光の懐の深さによるもの&西郷の必要性を久光が知っていたからだと思うんです。
この謁見の際、このキセルには久光の歯型が残ったといいます。
つまり、このドラマのように苛立たしさを爆発させたのではなく、苦虫を嚙み潰して・・・一生懸命我慢して西郷を許す久光だと思うんですよね・・・。
ほんと、雑な久光だわよ・・・

そして、一橋慶喜に会いに来た吉之助ですが・・・門前払いです。
お・・・ここで、乞食に扮した桂小五郎も登場しているみたい・・・。

「忘れられたのかも・・・」と言う吉之助に・・・鍵屋に女性が・・・
「うちという者がありながら・・・」なんて、やきもちを焼くお虎ももう、辟易です。
その女性は、フキ・・・ではなくお芳でした。

don3















ああ・・・”うちの人”って言うな~~~!!
側室って言ってるなら!!
妾だったらまだ許せたけどな~~~!!
嫌だ嫌だ・・・もう、ほんと、こんな事に割く時間があったら、ややこしい幕末の他藩の動向を、説明でも図説付きで説明してほしいわ!!

でもって、会うのはまたもや遊郭かい!!

don4















「忘れたのか、俺はそんな名じゃねえよ・・・」
「ヒー様・・・」
「変わらんな、牛男!!」

何じゃ・・・
30年以上前の遠山の金さんを思い出したわ・・・
お白州で華麗に、気風良く桜吹雪を見せた後に言うじゃない。
「おいおい、俺は遊び人の金さんだよ。」って。
あれはあれで、フィクションで爽快なんだけども・・・こちらはどうもなあ・・・。

何がしたいのか、全く解らんよ・・・
おまけに、政治的な話をしてるんだろうけど、今まで全く政治の話をすっ飛ばして来たので理解不能。
「民の暮らしを守ること」が一番大事な吉之助なんだそうです。
斉彬に似てきたのでは?と、ちょっと褒める慶喜で・・・久光に会ってやろうと言い出しました。

斉彬に似てきたから・・・それがいいのか??
似てきた??それは・・・挙国一致はもともと刷り込まれているから、もともと信者なんだけど・・・とも思う。

と、吉之助の頑張りで、慶喜と久光が合うこととなりました。
が・・・久光が薩摩に帰るとか言い出しました。
??子供か・・・!?
ほんと、止めてくれよ・・・
慶喜も久光も、ただの拗らせ中学生じゃないの・・・二人とも上に立つ人間じゃないよね・・・こんなの。
幕末維新は、上のものから下のものまでみんな志があって・・・
維新後は、農民まで憲法を考えたという国です。
上に立つ人間が、こんなアホでいいのか・・・??と思ってします。

吉之助に土下座されて喜ぶ久光もまた然りだよ・・・
結局、吉之助が薩摩代表(軍賦役兼諸藩応接係)として頑張れるのも、久光あってのことなんだから、ほんと、そこんとこ理解してほしいんですよね・・・。

慶喜の側近が暗殺されました。
自分の代わりに殺されたのかと・・・
「下手人などどうでもいい・・・!!」by慶喜
どうやったら、こんなセリフが出てくるのか・・・器の小ささを暴露したいのか・・・。
「やりやがったな・・・」by慶喜
なんて、はしたない言葉を・・・どっかの8933の殴り込みみたいじゃん・・・

そして、あれだけ会うことを渋っていたのに・・・
「謝りたい・・・国父殿に・・・」と、吉之助に言って、久光に対し手のひらを返したように豹変する慶喜・・・気持ち悪いわ!!
と思いつつ、この表現も、表面的で浅はかだ・・・
もっと国を憂いて手を結んでほしいのよね・・・

ほんと、みんな下品で器の小っちゃい男!!

で・・・この頃、和宮が降嫁するとか・・・いろいろあるのに・・・あんなにどうでもいいシーンで篤姫をたっぷりだしといて、今だせや~~!!


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1867年11月15日、京・近江屋にて・・・
事件は午後8時から9時の間に起こったと考えられます。
幕末の風雲児・坂本龍馬が刺客に襲撃され絶命・・・。
盟友・中岡慎太郎も負傷し、二日後に絶命・・・。
世に言う龍馬暗殺事件です。

龍馬を暗殺したのは誰なのか??
薩摩藩?紀州藩?土佐藩?幕府?会津藩?新選組?京都見廻組??

今回は・・・なぜ龍馬は「近江屋」に潜伏したのか??という謎です。

幕末、ペリー来航以来、幕府の権威は失墜していました。
一方、経済力や軍事力を背景に台頭してきたのが西国の雄・薩摩藩、長州藩でした。
1866年1月21日、それまで無名だった龍馬の名が歴史に刻まれることとなります。
「薩長同盟」締結です。
全国に吹き荒れた尊王攘夷運動・・・西国の雄藩・長州藩は、幕府を力で倒し、朝廷を主体とする政権交代を画策します。
一方、弱体化する幕府を支え、朝廷との結びつき・・・公武合体運動を推進していたのが薩摩藩でした。

1864年7月19日禁門の変
幕府に組した薩摩は、京都で薩摩と武力衝突!!
長州の敗北に終わります。
以降、二大雄藩は犬猿の仲となります。
しかし、薩摩と長州が結びつけば、幕府に対抗し得る一大討幕勢力となり、朝廷を中心とした新政府を樹立することも期待できる!!
こうした中、土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎は、薩長同盟締結に向けて奔走!!
龍馬は、その仲介者として同盟成立の瞬間に立ち会うことになります。
これまで会津と同盟関係にあった薩摩が長州と密約し、武力討幕派に・・・。
同盟締結後・・・1866年1月23日寺田屋遭難事件!!
定宿・寺田屋に戻った龍馬を伏見奉行所の取り方20人が襲います。
幕府にとって要注意人物となっていた龍馬・・・。
脱し・・・急死に一生を得た龍馬は、この時の乱闘で、奉行所の役人を射殺、ほか数人に重傷を負わせます。
さらに・・・この時重大なミスを犯してしまいます。
龍馬は、薩長同盟の重要な書類を現場に残してしまっていました。
この事件によって、凶悪犯罪者として幕府に負われることとなった龍馬・・・

以降、寺田屋に潜伏することは不可能となってしまいました。
薩長同盟締結から1年後・・・大政奉還!!
幕府の権威が失墜する中、将軍・慶喜にとって大政奉還は起死回生の一手でした。
政権を朝廷に返上すれば・・・反幕府勢力の大義名分が無くなってしまう・・・!!
この大政奉還を幕府に進言したのが、土佐藩の重役・後藤象二郎です。
その背後にいたものこそ、海援隊隊長の坂本龍馬でした。
内戦を避け、平和的な政権交代が見込まれる大政奉還・・・
龍馬と土佐藩は、薩摩藩を説き伏せ、その実現に奔走しました。
とはいえ・・・この時龍馬は武力行使も止む無しと思っていたようです。

薩長だけではまだまだ足りない・・・土佐藩を討幕勢力に引き込まなければ・・・!!

龍馬の書状には、武器を用意していることも書かれています。
龍馬は、大政奉還実現に向けて、平和的解決だけではなく武力を背景にした現実的な構想を描いていたのです。
1867年10月13日、慶喜は二条城において「大政奉還」を在京諸藩重臣に諮問・・・
14日、大政奉還を朝廷に上表・・・
大政奉還は、260年続いた江戸幕府の終焉を意味していました。
大政奉還という大仕事を成し遂げた龍馬の立場は危うくなっていきます。
大政奉還に激しく反発したのが、幕府側の一大勢力・京都守護職の会津藩でした。
大政奉還奏上の2日後、薩摩藩の大久保利通に宛てた討幕派の公家・岩倉具視の書状には・・・
「会津藩は狂気のごとく激怒している
 すべての元凶は、西郷、小松、大久保の三人であるため、必ず薩摩藩邸を襲撃するなどと言っている」
この時、会津は大政奉還を推進した中心人物を西郷たちと特定、藩邸の襲撃計画を目論んでいました。
翌日・・・危険を察知した龍馬は、京を離れます。
大政奉還を企画した龍馬にも危機が迫っていました。
西郷が京を後にした日・・・薩摩藩士から手紙を受け取った龍馬・・・
「二本松の薩摩藩邸にすぐ入ってください。」
「薩摩屋敷に身を潜めたならば、土佐藩に対し、実に嫌味な事です。」by龍馬
この時龍馬は、脱藩の罪を許され、土佐藩士に復帰していました。
入るなら土佐藩邸・・・もし、薩摩藩邸に入ったならば、土佐藩邸にも要らぬ疑いをかけられかねない・・・。

寺田屋にも、薩摩藩邸にも入れない・・・京の町のどこに潜伏すればいいのか・・・??

暗殺の1か月前・・・命を狙われる龍馬はどこに潜伏すればいいのか??
寺田屋は不可能、薩摩藩邸は難しい・・・
他にあった龍馬の定宿は・・・酢屋。。。
酢屋は龍馬が隊長を勤める海援隊の本部が置かれていた場所です。
龍馬にとって信頼の厚い隊士が出入りし、安心して滞在できる宿です。
しかし、酢屋は幕府に目をつけられている可能性があり・・・龍馬は新しい潜伏先を探す必要がありました。
この頃の龍馬の潜伏先候補は2つあったと言います。

一つ目は土佐藩邸・・・
セキュリティーが良く、藩邸は、幕府の役人が入ることのできない聖域・・・。
身の安全は保障される!!
1867年2月、中岡慎太郎と共に脱藩の罪を許され、藩邸に居住する権利があったのです。
しかし、デメリットが・・・門限があり、外交をやるためには他藩の人自由に会いたい。。。それができなくなってしまう。
もう一つは近江屋・・・
醤油を商う近江屋は、土佐藩邸からわずか4、5m・・・
刺客に襲撃された場合、藩邸が近くにあれば、命は助かる!!
身の安全が保障される土佐藩邸か、それとも行動を束縛されない民間の近江屋か・・・??

龍馬暗殺の10日前・・・
1867年11月5日・・・旅先から帰京した龍馬は、近江屋にわらじを脱ぎました。
しかし、周囲は、近江屋に潜伏する龍馬を心配していました。
藩邸に移った方がいいと・・・
しかし、この時すでに龍馬は、龍馬を追う、会津藩主・松平容保と、幕府の要職・永井尚志と面会していました。
松平容保は京都守護職・・・配下には新選組や見廻組などがおり、大政奉還反対派の急先鋒です。
一方永井は、大政奉還推進派。開明的思想の持ち主でした。
記録によると、龍馬は暗殺の先日まで永井の屋敷に通っていました。
龍馬は、新しい政府に旧幕府勢力も参加する体制を作るために、永井と話し合っていたのです。
永井からお墨付きをもらっていたようですが、容保に話が通っていたかどうかはわかりません。
しかし、この永井と会う事は、討幕派からは背信行為とみなされる可能性があり、決して公にはできないこと・・・。
龍馬が近江屋に移ったのは、隠密裏に仕事をする必要があったからです。
しかし・・・1867年11月15日・・・龍馬暗殺!!
刺客たちの襲撃によって暗殺・・・遺体には、大小34カ所の刀傷があったといいます。
33歳・・・短い生涯でした。

事件は、龍馬を取り巻く人々に衝撃を与えました。
一体誰が龍馬を殺害したのか・・・??
勝海舟は、下手人の名を記しています。
佐々木只三郎・・・を頭とする輩
京都見廻組の組頭で、れっきとした幕臣で形成されていました。
さらに佐々木の実兄・会津藩公用方手代木直右衛門の記録にも・・・
坂本を殺したものは実弟・只三郎なり・・・
最近は佐々木率いる見廻組の仕業が有力と言われていますが・・・
それでも疑問が・・・
佐々木たちは、どうして龍馬の居場所を特定することができたのでしょうか?

高知県高知市・・・近年発見された龍馬の新書状が展示されています。
日付は11月10日・・・福井藩重臣に宛てて書かれたものです。
その書状には「新国家の御家計」と書かれています。
新しい国の財政問題を意識し、国家の体制と財政問題に重きを置いて活動していたのです。
この書状の封筒には・・・
「坂本先生遭難直前の書状にて、他見を憚るものなり」極秘扱いにされていました。
暗殺の黒幕を示唆している???
この書状は、龍馬暗殺を指示した者の名が書かれているがゆえに封印された??
残された名は、永井尚志!!
暗殺直前まで龍馬が面会に行き、新国家の構想を談じ合っていたと考えられる人物です。
暗殺の直後にも、土佐藩重臣の日記に永井が登場します。

しかし、大政奉還の後、新政府に徳川家が参加するためには、太いパイプを持つ龍馬は必要不可欠!!
永井が暗殺を命じる可能性は低い・・・。
では・・・龍馬暗殺の黒幕は誰か??
なぜ龍馬の居場所を知り得たのか・・・??
永井がいたのは大和郡山藩邸・・・。
永井の屋敷から歩いてすぐのところに・・・なんと、佐々木只三郎の下宿先・・・潜伏先・・・松林寺がありました。

危険なエリアに毎日のように通ってきていた龍馬・・・
暗殺直前の3日間のうち11日には午前、午後の二回にわたって訪問しています。
この時永井は龍馬にこう諭しました。

「頻繁な来訪は嫌疑をかけられるので、夜中に訪問せよ。」by永井

この場所に龍馬がくるということは、旗本、会津藩にとってはらわたが煮えくり返るようなことでした。
このまま龍馬が細かい新政府構想を作り上げると、政権を維持できると思っている人たちにとっては最大の危険人物として映ったのです。
手代木直右衛門の記述には・・・
「坂本龍馬を殺したのは実弟・只三郎であり、それは某諸侯の名によるもの」とあります。
某諸侯とは・・・??会津藩藩主・松平容保と、亡くなる直前に語っています。
そして実行された龍馬暗殺・・・
安全な土佐藩邸ではなく、近江屋を選んだ龍馬。
自分の安全よりも、日本のこれからの姿を優先した結果でした。

見廻組は公務だったのか?それとも私怨による暗殺だったのか・・・??
龍馬が暗殺されたことによって得をした人物はいない・・・しかし、慶喜たちが大損をしたことだけは確かです。

龍馬が暗殺されたこと・・・生きていれば・・・という思いが、それが龍馬暗殺の謎を深めている・・・
今なお英雄である坂本龍馬なのです。



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