鬼官兵衛烈風録
鬼官兵衛烈風録 [単行本]
honnda佐川官兵衛さん・・・私の大好きな”白虎隊”では本多博太郎さんが演じてくれていました。










八重の桜では、中村獅童さんが演じています。
sagawa



とっても似合っていると思います。中村獅童さん。
官兵衛は、性格は直情的であったものの信義に厚く、若い頃から武芸に励んで一刀流溝口派の剣術をしていました。
家禄300石を継いで、江戸詰の火消頭をしていた時、幕府の定火消と喧嘩になり、相手を斬ってしまいました。
このため、官兵衛は100石減禄の上、国許で謹慎を命じられます。
この謹慎中に学問をし、人間としても成長した官兵衛・・・

「鬼官兵衛」と言われていますが、後に山川大蔵は、
「佐川の人望は、薩摩における西郷のようだ」
と言っているように、多くの藩から恐れられ、なお且つ人望もありました。

松平容保・・・お殿様の要望で、上京した官兵衛・・・別選組の隊長を命じられます。
戊辰戦争では・・・別選組を率いて出陣しますが多くは刀槍のみ・・・。
西軍の新式銃の前に敗退します。
官兵衛は、胸をやられます。命に別状はなかったものの、佩刀は弾丸を受けて折れ、顔面をかすめた銃弾によって目を傷めてしまいました。
会津戦争では、朱雀四番士中隊の中隊長として越後方面に出陣。
長岡藩の河井継之介と協力し西軍に抵抗しました。
8月29日の長命寺の戦いは激戦を極め・・・
官兵衛はこの日総督に任じられて城から出陣しましたが、これに従った藩士たちはみな決死の覚悟で、それぞれ自らの戒名と「慶応四辰年八月二十九日戦死」と書いた紙を懐に入れていました。

会津が降伏開城後、東京で謹慎生活を送った官兵衛は、明治3年斗南藩の立藩によって赦免され斗南に移住しました。7年には、窮乏している旧藩士たちに生計を開く為・・・
警視庁に入り、自らも大警部となって奉職しました。

西南戦争の際は、九州に渡り・・・
熊本県阿蘇郡の二重峠付近に於いて薩摩軍と激戦となり・・・
3月18日ついに、官兵衛は身に三発の銃弾を浴びて戦死しました。
ときに47歳でした。

本当に・・・武人という感じでしょうか???
カッコいいですね。
カッコいい官兵衛を、最近一段とシブくなった獅童さんがどう演じてくれるのか楽しみです。
八重の桜 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)
八重の桜 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) [ムック]
↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。

にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

幕末・明治(日本史) ブログランキングへ