日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:九度山

真田丸 完結編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

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昌幸の死後も、信繁の幽閉が許されることはなかった。
真田紐を考案するも、九度山での厳しい暮らしは続く。
そんな折、彼の前に現れた男は・・・

明石全登・・・元宇喜多秀家の家臣です。
この当時、宇喜多秀家は流人として八丈島に流されています。
主をなくし、結構苦労の日々が続いていたと言います。
本当ならば、自分の主である宇喜多秀家のところに行かなくっちゃ!!なんですが、行けないわなあ・・・八丈島。
ってことで、九度山に来たのかしらね・・・??

「真田左衛門之佐信繁様でございますね。
 元宇喜多秀家家臣・明石掃部守全登。
 左衛門之佐さまをお迎えに参りました。」

信繁の家人たちは久しぶりの宴に賑わっていましたが・・・
気付くきり・・・。

「わたくしと共に大坂へ来てくだされ。」by全登

「何故・・・??」by信繁

「まもなく戦が始まります。
 豊臣方の将として、一軍の采配をお取りいただきたいのでござる。」by全登

「敵は・・・??」by信繁

「徳川家康っ・・・!!」by全登

「お断りする・・・!!」by信繁

囚われの身の信繁は断ったものの・・・会わせたい人がいる・・・
全登が連れてきたのは・・・・??

信之の方でも、戦になるのではないか・・・??
きな臭さを感じていました。
そんな信之・・・手がすべった・・・??
手が・・・??

信繁に会わせたい男・・・それは片桐且元でした。

もはや戦は避けられない・・・
話だけでも聞いてほしいと願う片桐且元。

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「関ケ原で石田治部、大谷刑部らがああいうことになり、その後も加藤肥後守ら豊臣家の重臣が次々と世を去って・・・
 気づいたら、秀頼公のおそばに仕えるのはわしだけになってしまった。。。
 事の発端は、方広寺の大仏開眼供養・・・
 太閤殿下が進められていた大仏殿の造営は、文禄の大地震で一旦頓挫したが、秀頼公のお声がかりで5年前から普請が始まった。
 今年は太閤殿下の17回忌。
 是非ともそれに合わせて開眼供養を執り行おうというのが、秀頼公のお考えであられた。」by且元

この大仏殿を建て直すことを薦めたのは家康・・・死者の供養が生き残った者の務め・・・と京や大坂の寺社の修復まで薦められます。
が、そう言いながら、本当は、大坂城に蓄えられた金銀を秀頼公に使わせる事・・・!!

鐘に刻む銘文を・・・

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南禅寺の僧・清韓に頼みます。
秀頼公の許可も出て・・・
しかし、家康から格調がないとクレームが入りました。
難癖を・・・!!

もうひとひねり・・・!!と願う且元。
そして出来上がったのが・・・あの「国家安康」「君臣豊楽」の文字が・・・!!

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「これにはいささか趣向がございましてな。
 ”国家安康”の文字がござろう。
 ”国が安らかに栄える”という意味だが、よくよくご覧あれ。
 ここに”家””康”の二文字が隠れておる。

 さらにこちらの”君臣豊楽”。
 意味は、”皆が豊かに楽しく過ごす。”だが、見方を変えれば、”豊臣を君として楽しむ”と読めなくもない。
 必ずや、家康公も、秀頼公も、お慶びくださるはず。」by清韓

家康の了解も得て、鐘にその銘文を刻んだものの・・・
いよいよ大仏開眼供養の近づいたその日・・・家康に日延べを言い渡されてしまいました。

鐘に刻んだ文言に、自分に対しての呪詛の言葉があるという・・・
”国家安康”・・・諱を二つに割るなど縁起でもない・・・!!と。
草案を見せていたのに・・・言いがかりだ・・・!!
鐘を作り直せという・・・!!
来月の供養に間に合わない・・・!!

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清韓は、洒落の分からない男だ・・・!!と、言うものの・・・
どちらかというと、二つに分けたら呪詛っぽいというのが普通だったらしいのです。
なので、この清韓が、家康のまわし者なんじゃないか??って噂まであります。
ま、どちらにしても、難癖をつけたいのは当たってますけどね。
でも、その難癖は、後ろの”君臣豊楽”の可能性の方が高いという説もあります。

茶々に相談するも・・・駿府に行って家康を説き伏せて来いと言われてしまいましたが・・・
一月待っても会ってもらえません。

そしてやってきたのは大蔵卿局。
アッサリと家康に会えることができました。

で・・・言ってしまいました。

「わしは本多正純殿から、事を治めるための三か条を預かっておる!!
 秀頼公は大坂城をお立ち退き、伊勢もしくは大和へと移ること、
 お上様を人質として関東に送ること、
 秀頼公は、諸大名と同じく江戸に参勤すること」by且元

「ありえませぬ!!」by大蔵卿局

「叶わぬ場合は、徳川に対する異心ありとして豊臣を討ち滅ぼすと・・・!!」by且元

「大御所様が、そのようなことを仰せられるはずがない!!」by大蔵卿局

「本多殿は大御所様の御意向とはっきりと申された・・・!!」by且元

と・・・且元・・・嘘をついてしまったのです。
このままでは戦になりかねない・・・そう考えての事でした。

「策を弄したのは貴殿ではないのか・・・片桐殿。
 徳川からの命と偽り、三か条を我が殿にのませ奉り、それを手土産に徳川に召し抱えられる手はすではなかったか・・・??」by大野治長

と・・・信頼を失っていく且元。。。

そんな度胸も知恵もない・・・と、茶々は庇ってくれますが・・・

責めを負って且元はお役御免・・・
おまけに・・・大野治長たちの暗殺計画に大坂城を後にする且元。。。

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「わしは・・・大坂城を去った・・・」by且元
ところが・・・これがまたもや悪い方向へ・・・
大坂を追われた・・・取次役を追い出した豊臣方は・・・徳川に手切れと見なされてしまったのです。

で・・・なんでこんなことに・・・??
って思うけれど、史実を考えてみると・・・
実はこの片桐且元、小林隆さんみたいなキャラではありません。
この大河では小林隆さんにピッタリな役ですが・・・
本当は、この時点で家康とは家に泊まらせてもらえるほどの仲でした。
豊臣から領地をそして、徳川からも領地をもらっていて、このドラマのように秀頼べったり信仰ではなかったんです。
つまり、出来る男だからこそ家康との交渉に当たり、出来る男だからこそ(家康とも仲がいいってこと)大野治長たちに狙われたと言ってもいいでしょう。
そう、加藤清正も豊臣と徳川から領地をもらっていましたが、同じ感じですね。
そして・・・大坂の陣まで粘らせたのは・・・実は、家康も一大名として豊臣を残したかったのかもしれません。

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「徳川が・・・攻めてくる・・・!!」by秀頼

「秀頼公は、太閤殿下恩顧の大名たちに書状を送り、味方に付くよう呼び掛けている。
 大坂城には徳川との一線を望む浪人たちが続々と集まってきておる・・・!!
 明石殿もその一人・・・!!

 左衛門佐・・・
 わしはもう、大坂に戻ることはできぬ。
 お主の太閤殿下への忠義の心は誰よりも深い。
 秀頼公のために一肌脱いではもらえないか・・・??
 大坂城へ入って、兵を預かり、徳川勢を迎え討ってくれ・・・!!」by且元

しかし・・・

「片桐様・・・残念ながら、はじめに申し上げた通りでございます。
 お力にはなれませぬ・・・

 訳は三つ。
 まず、私は大軍を率いて戦った事がありませぬ。
 さらに、私は囚われの身。
 そして。。。私は戦がそれほど好きではないのです。」by信繁

曲げて頼まれても・・・断ってしまうのです。

とってもわかりやすい説明です。
切れ者だなあ・・・って感じがよく出ていますね。

そんな信繁を見ていたのはきり・・・??


「誰とあっていたの・・・
宇喜多秀家さまの家来に似ていた・・・明石様だっけ?
 ガラシャ様のところで何度かお見かけしたことが・・・」byきり

「まもなく戦が始まる。
 徳川が大坂城に攻めかかる。
 大戦だ・・・
 豊臣に加勢をしてほしいと頼まれた。」by信繁

「いつかこんな日が来るような気がしていた・・・
 行くの・・・??」byきり

「断った・・・
 行きたいと思った・・・
 だが・・・今の私には、もっと大事なものがある。」by信繁

「 お行きなさいよ・・・」byきり

「驚いたな・・・止めるのかと思った。。。
 向こうには淀の方様がいる・・・
 前に言っていたな・・・あの方は人を不幸にすると・・・」by信繁

「あなたは行きたいと思っている・・・
 なら、行くしかないでしょう。
 あなたに来てほしいと思っている人がいるんでしょう。
 助けを求めている人たちがいるんでしょう。
 だったら・・・」byきり

大軍と戦った事もない・・・と、弱気なことを言う信繁・・・

「真田昌幸・・・徳川と二度戦って二度勝った男!!
 あなたにはその血が流れている・・・
 真田源次郎は安房守の息子・・・戦上手に決まっている。
 この人に従っておけば間違いない。
 誰も疑わないわ。
 ほとんど戦に出たことがないなんて・・・
 あとは・・・はったりよ。 

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 ここで一生を終えたいの?
 それでいいの??
 あなたは何のために生まれてきたの・・・??

 大事なのは、誰かがあなたを求めているという事・・・
 今まで何をしてきたの??
 小県にいる頃は、父親に振り回されて、大坂に来てからは太閤殿下に振り回されて・・・

 なにを残したの・・・??
 真田源次郎がこの世に生きたという証を何か一つでも残してきた??

 聚楽第の落書きの科人、とうとう見つからなかったよね。
 沼田を巡って談判はしたけど、最後は北条に取られちゃった。

 氏政さまを説き伏せに小田原城に忍び込んだみたいだけど、氏政さまがお城を明け渡したのはあなたの力ではないですから。
 後から会いに行った、なんとか官兵衛さまのお手柄ですから・・・!!

 何もしてないじゃない。
 何の役にも立ってない。
 誰のためにもなってない。

 私が大好きだった源次郎さまはどこへ行ったの・・・??
 がむしゃらで、向こう見ずで、やんちゃで、賢くて、明るくて、度胸があって、キラキラしていた・・・!!
 真田家の次男坊はどこへ行ったのよ・・・!!
 私が胸を焦がして大坂までついて行ったあの時の源次郎さまは・・・!!」byきり

「鬱陶しいんだよ、お前は・・・!!」by信繁

「わかってるわよ、そんなこと・・・!!」byきり



そんなこと、自分でもわかっていると声を荒げる信繁・・・

「もう言わない・・・二度と・・・」byきり
 
「きり・・・!!
 だが・・・自分で問いかけるよりも、お前に言ってもらう方が心にしみた・・・
 礼を言う。。。」by信繁

相変らずのケンカ腰ですが・・・
きりちゃんいきなりの愛の告白です。ってか、もっと大きな愛よね、これは・・・!!

いつも、信繁の岐路にはきりちゃんがいますね。
今回は、死ぬかも??と思っていて送り出すのですから、きりの言葉は重いですね。
でも、さすが・・・信繁をよくわかているきりだからこその言葉です。


呼び起こされる大坂城での想い・・・
 
生き生きと・・・戦っていた頃の・・・武士だったころの想い・・・。
そして、父の無念・・・。

そして・・・

「大助・・・父は、新しい名を名乗ることにした。
 その新しい名をこれから決める。
 一文字は決まっている。
 兄上が捨てた「幸」の字をいただく。
 これは、わが父・昌幸の「幸」でもある。
 我が真田一族に代々受け継がれる文字だ。

 さて・・・あとは残りの一文字だ。
 お前に決めてもらう。

 この壺の中から目をつむって一枚だけ選んでくれ。
 どの文字も、私にかかわりの深いものばかりだ。」by信繁

「しかし・・・そのように大事なことを、くじで決めてよろしいのですか?」by大助
 
 大事な事だからこそ、くじで決めるのだ。
 父は八百万神に託したのだ・・・!!」by信繁

おお・・・昌幸の縁起を担いでるんだな!!
父上と、息子に決めてもらうのね。

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決めかねて・・・選んだ文字・・・それは・・・

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「村幸」??
「幸村」でした。

「真田左衛門之佐幸村・・・良い名だ!!」by信繁

その日、信繁は真田幸村となった。
後に日の本一の兵と呼ばれる戦国最後の名将の誕生である!!

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おお!!スゴイ!!なんとも涙、涙、クライマックスへののぼり方が尋常じゃないわ・・・!!
とってもかっこよく出来上がっていて・・・何回見てもいいですね。



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真田は上田城において、またしても徳川軍を撃退した。

勝利に沸く真田家に、関ケ原の合戦で石田三成の軍勢が惨敗したという知らせが届く。

ということで、今回のサブタイトルは「信之」・・・。
信幸だったんですけどね。。。
悲しい板挟みの信幸です。

慶長5年9月15日・・・毛利が率いる西軍と、徳川の東軍は、美濃・関ケ原でぶつかった。。。
結果、何年も決着がつかないと皆が思っていた戦は、たった一日で勝敗がついた。。。

「降伏はせんぞ!!
 金輪際するもんか!! 真田は徳川に勝ったのじゃ!!
 そうだな?内記!!
 何で頭を下げねばならんのじゃ!!」by昌幸

「お気持ちはわかりますが、関ケ原で石田様が敗れてしまったからでは・・・」by信繁

まだまだ戦おうとする昌幸ですが・・・

大坂は徳川の兵であふれかえっているという・・・。
大坂城が徳川の手に落ちた・・・!!
もはやこれまで・・・??

「父上、勝敗は決しました。
 これ以上の戦いは無駄でございます。」by信繁

「まだ、上杉がおる!!
 上杉と図って、江戸を抑えれば・・・!!」by昌幸

「父上!!
 あとは・・・兄上に任せましょう。。。」by信繁

なんとも、眼光鋭い・・・悔しさMaxの昌幸ですが・・・。
致し方ありません。

信幸を通して、降伏を申し入れてきたという昌幸に・・・どうする??家康!!

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真田の処遇はどうなるのか・・・??

上田城の明け渡しには、平野長泰がやってきました。

「一つ、兵は一人残らず去らせる事。
 一つ、武具・鉄砲・玉薬はことごとく召し上げ 
 一つ、真田安房守ならびにその子・左衛門佐は・・・城内に於いて暫し蟄居。 
 処分については後日、 以上!!」by三十郎

読み上げたのは、かつて信繁を支えてくれた三十郎でした。
ああ・・・信繁も辛いけど、三十郎はもっとつらい事でしょう。

昌幸と信繁の命乞いのために大坂へ向かおうとする信幸・・・。

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「なんとしても二人を助けねばならん・・・」by信繁

そこへ、本多忠勝登場!!
信幸をねぎらい・・・信幸に心動かされ・・・一緒に命乞いをしてくれることに・・・!!

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「安房守を助けてやりたいのは山々だが・・・ここは親子ともども死んでもらう。」by家康
しかし、頭を下げるのは平八郎忠勝!!
許してもらえなければ、上田に籠り、徳川相手に討ち死にするという!!

本気の平八郎に根負けした家康・・・
「命まではとらぬ・・・
 平八郎にそこまで言われたら仕方なかろう。」by家康

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「ありがとうございます。」by信幸

父と縁を切る・・・そのために、諱を変えよ・・・と言われます。
昌幸の「幸」を捨てろというのです。

「かしこまりました。
  かたじけのうございました。」by信幸

涙をにじませながら・・・犬伏での約束を守ろうとする信幸がそこにはいました。

母もまた・・・不安な日を送っていました。

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信幸が来てくれたことで、ちょっと一安心でしょうが・・・
どこにいようと・・・今は、豊臣から徳川へ・・・変わっただけの人質に変わりはありません。

「大坂にて徳川内府様におすがりしました。 
 お二人の命までが取らぬということで決しました。」by信幸

「そんなことは当たり前じゃ・・・!!」by昌幸

「無念ですが、小県の料理は全て召し上げ。」by信幸
「後に入るのはどなたです?」by信繁
「まだ決まっておらぬが、おそらくは俺だ。」by信幸
「兄上が治めてくださるのなら、願ったりかなったりです。 
 真田の地が守れます。」by信繁
「・・・で、わしらはどうなる?」by昌幸
「お二人は、高野山に流罪と決まりました。」by信幸
「流罪・・・??
 高野山の坊主たちと暮らせというのか・・・??」by昌幸
「高野山は、女人禁制ゆえ、麓の九度山村に屋敷を建てます。」by信幸
「九度山??
 聞いたこともないわ・・・!!
 この役立たずが!!
 何のために、徳川についた!?」by昌幸

そうですね・・・いらだつ昌幸です。
やんちゃしてきた昌幸と、堅実な信幸とでは、最後のあがきが違うのかもしれませんが・・・
でも、高野山に・・・ということは、本当は出家せよ!!ということです。
が・・・女性を連れて行けるようにと九度山に・・・これって、かなりの配慮だと思います。
信繁が、春を連れて行きたかったからお願いした・・・という説もあるくらいです。
後に子供ももうけていますし、そんなに厳しい蟄居ではなかったのかもしれません。

やっぱり時代に取り残されていってる昌幸なんですね。。。

「すまん・・・言い過ぎた・・・」by昌幸

「これからも、力を尽くします。
 お許しください・・・!!」by信幸

そうですね・・・この板挟み、大坂の陣まで続くんですよ・・・。
どうするよ・・・胃に穴が開いちゃうんじゃないかしら??信幸!!

そして・・・義兄・小山田茂誠は、信幸に付くことに・・・
なるべく真田を生かすためです。

泣く作兵衛は、村に戻って、すえを育てることに・・・。
「すえは、信濃の女子として育ってほしいのだ・・・。」by信繁

内記は、歳も年だし自分の思うようにせよ・・・と、昌幸に言われ・・・九度山について行くことに。。。
死ぬまで殿のおそばで・・・!!

「では・・・各々、ぬかりなく・・・!!」by昌幸

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信幸に任せた昌相にも別れを・・・
病床で・・・大坂城の攻め方を・・・
「徳川内府の寝首をかけ・・・!!」by昌相
「相分かった・・・」by昌幸

二人とも・・・もうそんな時代が帰ってくるとは思っているのかいないのか??
いつまでも二人で戦う・・・そんな昔を夢見ているのでしょうか??

16歳になったすえ・・・信幸の世話になれという信繁に・・・
「すえにとって父は一人でございます。
 作兵衛伯父上だけでございます。」byすえ
父親らしいことを何もしてこなかった信繁・・・これもちょっと辛いなあ・・・。

1600年12月13日・・・上田城は、正式に徳川に明け渡されました。

徳川家康は、信幸に上田を与え・・・信幸は、9万5000石の大名となりました。
父上と縁を切れ・・・と言われ、幸の字を捨てることとなった・・・と、家臣たちに告白する信幸・・・。

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「真田伊豆守信之!!」

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「読みは変わらん・・・
 わしの意地じゃ・・・!!」by信之

高野山へ向かった昌幸は、家康に呼ばれ大坂に立ち寄りました。

そして・・・死罪にすることはできたが・・・死よりも苦しい仕打ちを与えようとしている・・・という。
「一切の兵と、馬と、武具と、城と・・・そして、今後戦にでる一切の機会を奪う・・・
 残りの人生を、高野山のちいさな村の中で過ごすのだ・・・
 1,2年で帰ってこられるなどと、ゆめゆめ思う出ないぞ。
 10年になろうが、20年になろうが・・・お主は死ぬまでそこにおるのだ・・・!!
 この生き地獄・・・たっぷりと味わうがよい・・・
 真田安房守・・・二度と会うことはなかろう」by家康

声高らかに去っていく、家康がそこにはいました。

大坂城で・・・家康が三成を討伐したことを秀頼に報告し・・・三成がすべての罪を被ってくれたので、他のみんなが救われたことを片桐且元に聞く信繁。

そうですね、この時点では、秀頼がトップなわけです。
タヌキオヤジがトップではありませんよ!!
ということで、謀反人・石田三成を徳川家康が討ったという大義名分ができてるわけですよね。
さすが・・・腹黒い・・・徳川家康!!

寧にも最後のご挨拶・・・。

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そこに登場したのは小早川秀秋!!
が・・・オドオド逃げちゃいました。。。
自分のしたこと・・・
徳川と通じていたこと・・・
三成を裏切ったこと・・・
その精神は、幻覚を見るまでに・・・!!

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なんとこんなところで初登場!!
毛利勝永!!

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明石全登!!


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宇喜多秀家!!

小早川秀秋は、関ケ原の合戦より2年後・・・
自分のしたことの罪の重さに苛まれ、21歳で謎の死を遂げる・・・。

って、この時点で↑の皆さんは行方知れず・・・死んでないんですが・・・
そうそう亡霊ではないのです。
が、小早川秀秋・・・世が世なれば、天下人だったかもしれません。
秀頼が生れたことで、小早川家に養子に出されて追いやられ・・・
関ケ原になかなか参加しなかったのは、病気だったからという説もありますが・・・
最後はアルコール中毒で亡くなっちゃうんですよね。。。
なので、やっぱり自分のしたことに後悔していたんでしょう。。。

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大谷吉継は・・・
自分の首を敵に渡すことなく、大名で唯一の自害を遂げることとなります。

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「治部・・・楽しかったぞ・・・!!」by吉継

sekigahara
小早川秀秋の裏切りのせいで窮地に追い込まれた吉継ですが・・・
実は、小早川の裏切りは予想済みで、その”おさえ”としての大谷吉継って説もあります。


なので、赤座直保、朽木元綱、小川祐忠、脇坂安治・・・脇坂は東軍に寝返り予定でしたが、他3人はその場で寝返ったようです。
この4人の裏切りが、大谷吉継を切腹に追いやったと言えるでしょう。

家康も一目置いていたという大谷吉継。
もちろん、三成の親友だったことは間違いありませんが、今までのように”負けるとわかっていても親友のために・・・”ではなく、”三成に勝利をもたらせる”ために、戦った男でした。


加藤清正が、信繁に会いにやってきました。
「会わせたい者がおる・・・」と、三成の妻・うたがやってきました。
三成の最期を伝えるために・・・!!

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「それは・・・見事なご最期でございました。」byうた
この見事な最期って・・・??
見ての通り、三成は、市中引き回しの上刑死です。
吉継が家臣に首を敵に取られないように隠させたように、本当ならば、無念!!が最期な一言でしょうが、
三成は最後にこう言っています。

「大義を思うものは、首を刎ねられる瞬間まで命を大切にするものだ。
 それは、なんとかして本望を達したいと思うからである。」by三成

最後の最期まで、豊臣家のために戦う・・・という意志からでしょう。
上にも書いていますが、この三成の死によって、他の者が罰せられることなく許されたということから見ても、無念な最期ではなかった・・・”見事な最期”・・・。

よく考えれば、小さな石田村の土豪・・・
秀吉に見いだされ、出世しても20万石の小大名が、徳川家康に立ち向かい、日本中を巻き込んで関ケ原の戦いを起こした・・・そう考えると、本人も満足な、それこそ”見事な最期”だったことでしょう。


そして・・・昌幸と信繁は・・・

1611年初め・・・紀州九度山村の屋敷へ・・・!!

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信繁たちの新しい暮らしが始まろうとしていました。

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ということで、次回からはわがふるさとの誇る高野山の玄関口九度山です。

ま、信繁としてはパッとしない時代に入るわけですが・・・
どんな感じになるのでしょうか?
楽しみにしています。
ちなみに↑の村の写真・・・今でもこんな感じよ・・・



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GWも最終の5月7日8日は、「紀州九度山 真田まつり」。
私たちはトークショーのある8日に行ってきました。

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地元民としては、あんまり来てくれていなかったらどうしよう・・・??
なんて思っていましたが、そんな私の心配をよそに、たくさんの人で大賑わい・・・大盛況でした。

紀州の九度山は、関ケ原の戦いで”秀吉側”についた真田昌幸・信繁親子・・・
兄・信幸は徳川方だったので、家康に頼み込んで昌幸・信繁たち二人の命だけは勘弁してもらいましたが・・・和歌山の九度山の地に流されました。
ということで、今でもかなりの田舎ですが、流されるぐらいだから・・・当時は本当に辺境の地だったのでしょう。

このお祭りは、道の駅「柿の郷くどやま」の芝生広場(↑)や真田庵など・・・
九度山で13年間の雌伏の時を過ごした真田幸村父子を偲んで行われるお祭りです。


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道の駅「柿の郷くどやま」の芝生広場から、九度山町商店街や真田庵まで、戦国さながらの武者行列総勢200名がが練り歩くとともに、真田鉄砲隊の演舞があります。
この武者行列、真田昌幸、幸村、大助をはじめ、真田十勇士などの甲冑をまとった武将たち総勢200名が街中を練り歩きます
なので、戦国マニアにはたまらないですね。

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この日は町中、ほんと、赤一色になってました。
盛り上がる~~~!!

そして、戦国マニアでもなく、史跡、神社仏閣はNo thank youな娘のお目当ては・・・

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この日のトークショーのために来ていた豊臣秀頼役の中川大志君です。
フレッシュな17歳ですって!!

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可愛いですね。
ジャニオタの娘によると、ファンサービスが旨くないところが、ジャニーズと違って素人感があってまたいいのだそうだ。
「大志く~ん!!」と、手を振ってましたよ。

そして、私と旦那さんのお目当てはもちろんこの人!!

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パパ上様です。
何ともかっこいい!!本当にかっこいい!!
赤備えにちなんで、車も真っ赤なオープンカーです。
そりゃあ、あの格好でパレードしてほしかったですが・・・そこまでは言うまい・・・。

警備をしているお兄さんも言っていました。
「正雄人気すっげー!!」って。

本当は真田ミュージアムにも行きたかった・・・
が、娘ももうすぐテスト発表ということもあって・・・時間が・・・
ま、車で1時間の距離だしね。。。また見に来ます。

それにしても、駐車場もいっぱいで・・・たくさんの人に来ていただけました。
和歌山は海とミカンと梅干しにマグロのイメージですが、本当に歴史もあっていいところなんですよ。
高野山も、熊野古道もあるしね。
あ・・・ちなみにこの九度山の柿は日本一です。

それにしても、惜しいのは和歌山城・・・
太平洋戦争まではそのままだったのに・・・それなら国宝だったのに・・・。
と、アメリカに文句を言ってみる・・・。

いえいえ、それより娘よ、小さい頃からあれだけ神社仏閣に連れて行っていたのに・・・
毎日のように神社にお参りに行っていたのに・・・
私と旦那さんの子なのに・・・どうして嫌いになったんだろう・・・??
「どこに行きたい??」by私
「??神社仏閣以外っ!!」by娘

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「狙うは家康の首・・・ただ一つ!!」
大坂夏の陣で、大阪城が陥落したその日・・・無念の最後を遂げた武将がいました。
真田幸村こと、真田信繁です。
日の本一の兵と恐れられ、家康を恐れさせたその武将・・・その真実とは・・・??

信州の豪族の次男として1571年に生まれます。
甲斐の武田家についていた真田家は武田氏滅亡後、父・昌幸はお家を守るために次々と主君を変えます。
上杉家や羽柴家の養子となっていた信繁・・・元服後は、父・昌幸について領地問題で揉めていた徳川家康と闘い・・・兵力的に劣っている中、見事徳川軍を撃退します。

その後も二度の戦で徳川を追いつめます。
が・・・天下をかけた徳川家康と石田三成の戦いでは、東軍には兄・信幸が、わかれた信繁と父は西軍についたのです。
信州上田で秀忠軍に勝利したものの、関ケ原の戦いで東軍が勝利したことで1600年、父とともに九度山への蟄居となります。
その生活は、兄からの仕送りだけで成り立っていました。
苦しい生活の中で打倒家康・・・父から兵法を学び、再び家康と会い見えんことを!!願っていました。
1611年・・・絶望の中父が亡くなり、蟄居生活も14年・・・
ここまでか・・・と諦めていた1614年、徳川家康は、天下統一の最後の仕上げとして豊臣の討伐に動き出しました。
大坂冬の陣です。
秀頼は、秀吉恩顧の大名たちに相次いで書状を送り・・・諸国の浪人たちを集め出し、徳川を迎え撃つ準備を始めました。
そして・・・信繁のもとにも待ち望んでいた使者が・・・!!
秀頼から出された条件は破格!!
支度金・黄金200枚、銀39貫目、家来5000人!!
さらに勝利した際には、50万石が与えられる・・・!!
信茂は、秀頼の招きに応じます。
赤一色の武具を数千人分用意し、かつての家臣たちに声をかけ九度山を出発!!
大阪城に入城しました。

それは、すぐに家康に伝わります。
「その真田というのは親か、子か・・・??」
今まで痛い目に遭っていた真田の存在は怖かったようです。
「大阪城に入ったのは、子の信繁のようです。」
家康は安堵の表情を浮かべたといいます。
まだまだ信繁は恐れられる存在ではなかったようです。

1614年10月1日、家康は秀忠を通じて全国の大名たちに出陣を要請!!
徳川方は19万5000に膨れ上がりました。
一方豊臣方は・・・真田信繁・後藤又兵衛・長曾我部盛親・毛利勝永・木村重成などの牢人たちと豊臣家臣たちで10万・・・。
どのように戦うのか・・・??
信繁ら牢人たちは、これ以上人数が集まらないのであれば、城の外に出て迎え撃って戦う・・・積極策を主張します。
大野治長は・・・これを無謀とし、籠城し持久戦を主張します。
大阪城での籠城策で行くことが決まります。
信繁が兄・叔父が徳川方だったために、豊臣方から本当に味方なのか??疑われていたようです。
おまけに豊臣方上層部が牢人たちの意見を聞かなかったのです。
牢人たち同士も、功名を競い合い、意思疎通ができなかったから・・・内部がガタガタだったのです。

籠城戦と決まったからには守りを固めないと・・・!!
難攻不落の大阪城の南に大きな砦・・・真田丸と作ります。
徳川軍を苦しめた真田丸。
信繁はそこに徳川軍を追いつめる策をめぐらせました。
1か月の突貫工事で作られた真田丸。

真田丸の本体は、馬出しのようなものでした。
①位置
大阪城は、北・東・西は、水に囲まれた天然の要害でした。
しかし、南は平坦な大地・・・徳川はここからくる・・・??
ここに真田丸を築きます。
②地形
真田山と宰相山を外郭として利用し、城内との高低差は10mあり、高いところを防御の拠点としました。
谷も利用します。谷を砦の背後に置き、堀を作り、大阪城に容易に攻め込まれないようにします。
③構造
本隊の前には複数の柵があり、ただの丸馬出しではなく、小さな曲輪がありました。
守りながら攻撃力を高める!!
まさに無敵の砦でした。

1614年11月18日・・・家康は、大阪城の南にある茶臼山に本陣を構えました。
徳川19万5000は、完全に大阪城を包囲し、真田丸の前には、前田隊、井伊隊、松平隊2万もの軍勢・・・信繁は、これらをわずか6000の兵で迎え撃つことになります。

12月4日午前2時・・・
先制攻撃を仕掛けたのは前田勢。。。これは、信繁が挑発したからです。
前田勢は信繁の策にまんまとはまり、真田丸と惣構からの一斉射撃で多くの犠牲者が出てしまいました。
事態に気付いた徳川・・・退却する!!
しかし、後方から大軍が来ていたために味方同士が大混乱となってしまいました。
信繁の戦法は、真田丸と惣構の連携を生かして、敵を思い切り引き付けるというものでした。

混乱する敵軍を見た信繁は、門を開いて兵を出撃!!徳川方に大打撃を与えました。
松平、井伊勢も真田丸に攻撃しようとしますが・・・一向に攻め込めず・・・
真田丸からの銃撃によって次々に倒れていきました。
信繁の作戦は成功し、一気に名を高めたのです。
家康は。。。大坂城や真田丸を落とす裏工作を数々行っていたようですが、内通者も見破られ・・・なかなか大坂城を落とすことができません。
徳川方は食料不足に悩まされ、輸送に使っていた牛や馬まで食べている緊迫した状況でした。
これ以上の戦は難しい・・・と、思った家康。。。
当時の最新兵器”大筒300門”を用意し、大坂城う激しい攻撃を・・・!!
響き渡る拷問に精神的に打撃を受けた豊臣軍・・・
12月18日和睦交渉。
徳川方の攻撃で淀の方の侍女が亡くなり、淀の方が怖気づいてしまったため・・・ともいわれています。
おまけに、豊臣方の武器・弾薬が不足していたともいわれています。
12月19日和睦成立!!

①秀頼の領地を確保すること
②牢人たちの罪を問わないこと
の代わりに、大坂城二の丸惣構(三の丸)の破却と堀を埋めたてることを認めさせました。

家康は和睦が成立すると、20万人を動員し、二の丸と惣構の堀を1か月で埋めてしまいました。
難攻不落の城は丸裸・・・残るは本丸のみ!!
この時、真田丸も破壊されてしまいました。
大坂城の防御機能を完全に破壊した家康は、内部工作に打って出ます。
目を付けたのが信繁・・・
冬の陣で勝てなかったのは、信繁の想定外の活躍だったからです。
徳川方についていた叔父を利用して引き抜きにかかります。
一度目は10万石、二度目は信濃一国・・・それでもきっぱり断ります。
実の兄がいたにもかかわらず、これを拒否する信繁・・・どうして・・・??

信繁は、九度山で貧困していた自分に、大坂城入城を誘ってくれた秀頼に恩返しがしたかった・・・
九度山で朽ち果てるよりも、武士としての意地があったのです。
そして何よりも、父の時代から続く徳川との因縁があったからです。
徳川に着く気はなかった・・・。


死を覚悟して臨んだ夏の陣・・・赤備えで戦に臨みます。
1615年3月・・・大坂冬の陣での和睦成立からわずか3か月・・・
家康は再び諸大名に声をかけて戦の準備を始めました。
徳川軍15万5000VS豊臣軍わずか5万5000!!

大坂城の南に集結した徳川軍に対し、豊臣軍は迎え撃つ作戦は・・・
徳川軍の先鋒隊を引き付けてはたたき、引き付けてたたき・・・最後は秀頼軍が5万の兵で出陣し、全軍で秀吉軍に突撃し、徳川軍が気後れしたところを紀州街道からきた援軍と挟み撃ちにする!!というものでした。

戦いの火ぶたが切られました!!
信繁隊は茶臼山に陣取り、全軍で前に出て対峙したのは松平忠直です。
この時信繁は、忍びを使い「徳川方の浅野長明晟が裏切った」と、偽の情報を流します。
戦に不慣れだった忠直隊は、これに驚いて逃げ出す者が続出!!
隊が崩れた忠直は、もはや戦うのは無理と、退却し始めました。
これを見た家康は旗本に行かせるものの・・・収拾がつかなくなってしまいます。
この間・・・敵を縫って家康本陣に攻め入ったのは信繁でした。
撃退されても果敢に突撃!!突撃!!
ついに、家康の馬印を破壊し、隊を混乱させることに成功します。
家康に自害を考えさせるほどのピンチにさせるのです。

この時信繁と大野治長は勝利を確信し、総大将である秀頼の出陣は今しかない!!と考えます。
大野治長隊が、秀頼を呼びに大坂城へ戻りますが・・・これが風向きを変えてしまったのです。
治長は血まみれでボロボロ・・・わずか10騎を連れて戻ったのですが・・・その姿を見た見方は、治長が負けてのどってきたのだと誤解し、動揺!!混乱してしまったのです。
その一瞬のスキを家康は逃しませんでした。
豊臣方の混乱に乗じ、前進を再開したのです。
信繁は、秀頼がなかなか来ないことにしびれを切らし、家康の本陣に再び攻め入ります!!

「狙うは家康の首・・・ただ一つ!!」by信繁

しかし、その願いはかないませんでした。

その死については諸説あります。
通説では、信繁が戦の傷をいやすために安居神社付近で休んでいたところを徳川方に見つかり・・・
「首を取って手柄にするがいい・・・」と、斬られて死んだとされています。
現在有力とされている説は・・・生國魂神社、勝鬘院の間を移動している際に、徳川方の武将・西尾仁左衛門と出会います。
西尾は信繁と知らずに勝負を挑み・・・西尾の槍で命を落とし首をとられてしまったというものです。

1915年5月7日・・・45歳で戦死。。。
命を懸けて守った大坂城が陥落したその日・・・無念の死でした。

翌日・・・秀頼、淀の方は自害、栄華を誇った豊臣家は滅亡し、戦国の世が終わるのです。
宿敵・家康を追いつめた真田幸村こと真田信繁・・・
突撃を重ねるその雄姿は・・・「日の本一の兵」として、現在にまで語り継がれています。

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 「真田丸」始まりましたね。
旦那さんが一生懸命見ていたんですが、私は娘の送り迎えや晩御飯の用意でながら見に。。。
なので、もう一度ゆっくり見ながらレポしますね。
でも、とってもよさそう!!

ところで昨日は、第95回全国高校ラグビー大会 東海大仰星VS桐蔭学園を見に花園ラグビー場に行ってきました。
で・・・
南海電鉄の難波駅の階段で見つけましたよ・・・!!

DSC_1397













「真田丸」です。

DSC_1395












や~、この階段、私が大学時代に終電に間に合うようにヒールで駆け上がっていた3階ぶち抜きの階段です。

DSC_1333
















ずどど~ん!!



DSC_1396














真田幸村といえば、和歌山の九度山で不遇の時代を過ごしています。
そうそう、この南海高野線で行くんですよん!!

aka














この赤備えで!!

和歌山、盛り上がってますよ!!
これからちょっと寒い九度山ですが、ぜひ来てくださいね。

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