日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:井伊直弼

幕末維新と松平春嶽

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今からおよそ150年前、大改革が行われていました。
参勤交代は、全国の大名が二年に一度江戸へ赴き、軍役奉仕を行う江戸時代の基本制度です。
その費用は莫大で、藩財政を圧迫・・・幕末には多くの藩の財政を圧迫し、破たん寸前となっていました。
当時は異国船の来航・・・防衛力の強化と財政の立て直しが叫ばれていました。

「最早参勤交代をしている場合ではない!!」

そういったのは、越前福井藩主・松平春嶽です。
春嶽は、大胆な緩和を幕府に提案し、大名の負担軽減と防衛力の強化を叫びます。
しかし、参勤交代は主従関係を確認する幕藩体制の根幹・・・周囲は難色を示します。
国家存亡の危機を前にしても帰られないその制度とは・・・??!!

松平春嶽が、参勤交代の帰り道を書いた日記によると・・・
江戸を出て間もなく、農民たちの姿を目の当たりにして・・・

”裕福なら牛や今を使えるが、貧しいとそうはいかぬ
 もし百姓の苦労や実情を知らぬ大名がいたら、嘆かわしきこと”

一国の主たるもの、領民を慈しむ政治をしなくてはならない!!
その政治信条を培ったのが、幕末の財政難でした。
90万両もの借財があったと言われていて、自分の藩を見つめ直し、領民に対する見方を戒めたのです。
つもりに積もった福井藩の借金・・・90万両=450億円・・・。
そのしわ寄せが領民の年貢に・・・打ちこわしや一揆が頻発していました。
危機的な懐事情で・・・春嶽ですら一汁一菜でした。
粗食で耐え凌ぐ有様でした。
他の藩も同様の状況で苦しめられていました。

その最大の原因が、莫大な経費を必要とする参勤交代でした。
その旅路は宿代だけでもバカにならず、2000人のお供を連れていた加賀藩の場合、1泊で1000万以上・・・
江戸までの片道の宿泊費は総額2億円にもなりました。
少しでも宿泊日数を減らそうと、速足で駆け抜けるという涙ぐましい努力をする藩もありました。
さらに、江戸へ人質として置いていた妻や子の住む江戸藩邸の維持費も大きなものでした。
5000人もの藩士がいた加賀藩では、年間予算の半分・・・50億円を江戸で費やしていました。

それなら参勤交代の規模を縮小すれば・・・??
御用商人たちの武鑑には、各大名の名前、石高、武器の種類や数まで事細かく書かれていて・・・それが大名の格となっていました。
江戸に暮らす庶民は、この武鑑を大名行列のガイドブックとしていたので、大名たちは、お家の威信にかけて格を下げるようなことはできませんでした。
しかも、この行列は、幕府にとっても大名にとってもメリットがあり・・・
江戸に大名が来るというのは、幕府の権威を非常に高め政権が安定します。
大名同士の序列の中で、自分の家が他藩より高いか努力します。
参勤交代の道具を増やすことを幕府に嘆願し、幕府が許可する・・・
それは、幕府の恩恵を感じ、大名は同等だった大名たちに一歩先んじる努力をしたのです。

将軍との謁見でも、格に応じて畳の何枚目に座るかが決まっており、大名の努力次第で位置を変えることができ・・・参勤交代は、大名同士の格式をめぐるせめぎあいでもありました。
しかし、その制度の改革を迫る未曽有の危機が日本を襲います。

1853年ペリーが浦賀に来航。
どう対応するのか??幕閣は連日議論していました。
しかし、結論を出すことができません。
時の老中・阿部正弘は、全国の大名に意見を募ります。
幕府としては異例の試みでした。
そして、1通の建白書が幕府に届きます。
その差出人こそ、26歳の福井藩主・松平春嶽で、その内容は、幕府にとって衝撃的なものでした。

全国の大名は参勤交代で疲弊しきっております。
この国難に対峙するためには、江戸に散布する大名を帰国させ、挙国一致で軍備を整えるべきかと存じます。

春嶽は、異国に立ち向かうためには、財政をひっ迫させている参勤交代を緩和する必要があると幕府に訴えたのです。
しかし、将軍の忠誠を誓う証である参勤交代の改革を主張すれば、幕府から反逆を疑われ、処罰されてもおかしくありませんでした。
どうして春嶽は危険を省みず主張したのでしょうか??
春嶽は、本来は田安徳川家の出身で、将軍になったかもしれない立場でした。
なので、福井藩のことだけを考えてはいなかったのです。
春嶽が生まれた田安徳川家は、八代将軍吉宗に始まる家柄で、春嶽は11代将軍家斉の甥に当たり、12代将軍家慶のいとこにあたるサラブレッドだったのです。
これは譜代からは言えず・・・親藩大名の将軍に近い自分だからこそ言える!!自信と使命感に溢れていました。
しかし、幕府はこれを却下。

「幕府を人体に例えれば、大名の参勤は、骨の最大なるもの。
 骨を砕いてしまえば、取り返しがつかない。」by阿部正弘

納得がいかない春嶽は、当時最も英明と言われていた薩摩藩主・島津斉彬に自分の意見を解き、幕府説得の協力を求めます。
しかし、斉彬は春嶽に同意するものの・・・外様の自分に言えるわけがないと答え、幕府の前で突飛な言動は控えるようにとくぎを刺されてしまいます。
しかし、建白書を出し続ける春嶽。

諸大名の忠誠と服従を繋ぎ止めてきた参勤交代を緩和すれば、幕府の権威は一気に崩れ去るかもしれない・・・
そんな危機感が幕閣にはあったのです。
このまま何も変えなくていいのか・・・??
春嶽の前に大きな壁が立ちはだかっていました。

最早自分一人の力だけではどうすることもできない・・・春嶽は、行動に移します。
同じ志を抱く大名と党派を組んで幕府の政治を変えようというものでした。
春嶽は、水戸・徳川斉昭、薩摩・島津斉彬と共に、栄明と評判の高い一橋慶喜を次期将軍に推薦します。
さらに、1857年8月、江戸の藩邸に徳川家に近しい大名達と会談し、協力を要請します。
春嶽の意見を聞いた徳島藩主・蜂須賀斉裕は、神君家康公以来の法に触れるのは幕府に不審を抱かせると難色を示しました。
それでも春嶽は引き下がらない!!改革の意義を力説します。
その熱い想いにじっと耳を傾けていたのが鳥取藩主・池田慶徳です。
慶徳はその後も春嶽と会談を進め、大名の声が天下変革の響になるという春嶽の想いに共感し、幕府に建白書を提出します。
やがて春嶽達に同調するかのように幕府内からも参勤交代を見直すことが挙げられます。
特に海防を担当する海防掛大目付は改革の必要性を痛感。
「参勤交代の緩和が諸藩の出費を減らし、海防強化の一助になる」と、建白書を出しています。

春嶽が参勤交代の緩和を主張してから4年・・・改革の機運は高まりつつありました。
ところが・・・一人の男が立ちはだかります。
譜代最大の大名・井伊直弼です。
次期将軍に紀州の徳川慶福(のちの家茂)を推した直弼は、次期将軍をめぐっての主導権争いに勝利!!
そして・・・一橋派の一掃に乗り出しました。
世に言う安政の大獄です。
1858年7月、春嶽は隠居謹慎処分に・・・江戸藩邸で逼塞生活を送ることとなりました。
井伊直弼の強硬な姿勢に耐え忍ぶようにと、家臣たちを戒めます。
2年後、春嶽を謹慎に追い込んだ井伊直弼が桜田門外で暗殺されます。
幕府の権威は急速に傾き始めました。
しかし、春嶽の近親が解かれることはなく、4年にも及びました。
春嶽はどのような政治構想を持っていたのでしょうか。
虎豹変革備考・・・春嶽がイギリスの政治体制をもとに自らの政治構想を記しています。
上院と下院に分かれた議会で、幕府には行政のみを委ねる議会制度を構想していました。
上院には大名を、下院には武士や百姓町人を参加させるべきだと説いています。
春嶽は参勤交代の改革を突破口に、近代的な政治の導入を模索していたのです。

井伊直弼の暗殺から2年後・・・時代は大きく動きます。
1862年3月、島津久光が藩兵1000人を率いて上洛。
朝廷を後ろ盾にして、幕府に政治改革させようとしました。
それは、春嶽を大老に、慶喜を将軍後見役に就任させ、幕政の助けにするという要求でした。
これに慌てたのが老中たちです。
朝廷や外様大名の要求を受け入れ幕政改革が行われるような事態になれば、幕府の権威は地に落ちたも同然!!
1862年5月、春嶽は謹慎を解かれ江戸城へ登城!!
将軍家茂の元へ・・・!!
欧米列強の対応で亀裂の入っていた朝廷との関係を修復、公武合体の実現に向けての交渉役を依頼されます。
春嶽にとって、それは将軍の以来と引き換えに参勤交代の緩和の絶好のチャンス!!
しかし、幕府の権威が落ちた今、それを行うのは大きなリスクをはらんでいました。
どうする・・・??

参勤交代の緩和を今切り出すのか?それとも時期を見るのか・・・??

将軍を目の前にどう応えたのでしょうか?
春嶽は将軍自らが不退転の覚悟で幕政改革をすると約束しないならば、従うつもりはないと言い放ちました。
その上で、老中らに速やかに徳川優先の政治をやめ、大名を苦しめる参勤交代の緩和をはじめとする幕政改革を迫ったのです。

改革の時はいまを置いて他になし!!

1862年7月、将軍後見職に一橋慶喜、政事総裁職に松平春嶽を任命。

その一月後・・・幕府はついに参勤交代の緩和を布告しました。
この改正によって参勤は2年→3年となり、江戸の滞在日数を1年→100日としました。
江戸にいる間は幕府に積極的に政治的意見を具申するようにさせます。
大名妻子は帰国は自由とし、大名たちを最も苦しめていた江戸での経費削減を実施していきます。
効果は覿面!!
全国で藩政改革が進んで行きます。

大名達はこぞって軍艦や大砲を購入。
それまでできなかった軍事力の強化と産業の育成に励みます。

しかし・・・その先には、春嶽も予測できなかった時代のうねりが・・・。
それは、急速に発言力を持ちだした朝廷でした。
春嶽たちが幕政改革をし出した2か月後・・・大名に対し、帝のいる京都の治安を守るように京都警護を発令!!
幕府を通さず、天皇が直接大名たちに軍役奉仕を求めたのです。
強硬な公家・三条実美は将軍後見職の慶喜に対し、諸大名の参勤は江戸と京都で折半しようと持ちかけさえしました。
1863年2月、上洛のために家茂が江戸を出発。
開国を容認してもらうために・・・。
その交渉役を任された春嶽は、将軍上洛の数か月前から朝廷と開国容認の交渉を続けていました。
しかし、孝明天皇は認めず、攘夷実行尾を春嶽に迫ります。
交渉は暗礁に乗り上げていました。
幕府と朝廷との板挟みになる春嶽・・・

さらに盟友であった一橋慶喜との間で政治方針を巡って対立し始めました。
3月、春嶽は政事総裁職を辞任。
政治改革の道から離脱してしまうのです。
その後、日本は本格的な激動を迎えます。

1864年第一次長州征討
幕府は諸大名に出兵を命じます。
その1か月後、幕府は参勤交代の復旧を発令!!
幕府への統制力を強めようというのが狙いでした。
ところが大名たちは、国家の大事件だと困惑・・・。
春嶽にも問い合わせが来ます。

「幕命には従わなければならないが、そのまま様子を伺い、幕府から催促が来た場合には病気を口実に断ればよい」と。

春嶽から見ても、衰退は止めようがありませんでした。

1867年10月14日、大政奉還
仕える将軍がいなくなったことで、参勤交代制度は終焉を迎えます。

明治に入っていからの春嶽は、執筆活動に専念。
数々の著作を残しています。
井伊直弼のことは・・・
”徳川家の威光を盛んにせんとの志にて、決して私欲のためにやったことではない。
 彦根公の英断が今に至りては感すへし”
と書いています。

直弼の一連の決断は、幕府と徳川を思っての英断だったと振り返っています。

春嶽は、自分が行った改革を失敗だったと思っていたのでしょうか?
その真意が明かされることはなく、1890年6月、春嶽死去・・・63歳でした。

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誰も書かなかった 西郷隆盛の謎 (中経の文庫)



個人的に、歴史の事は人より詳しいつもりです。
でも、西郷どんを見ても、幕末はサッパリ迫ってきません。
なので、80歳になる実家の母に聞いてみました。
「お母さん、西郷どんなにやってるかわかる??」by私
「う~ん・・・あんまり政治的なことが分からへん。
 でも・・・あの回なに??ホモ??」by母

脚本家先生、先生のやりたいこと(ボーイズラブ)は、80歳を超えた母には理解できたようです。
私はあんな脚本で、月照さんがとってもいい声で、綺麗だったのが、本当に気の毒でした

前回、安政の大獄のために、西郷と薩摩に逃げることとなった月照さんです。
どうして月照さんが追われることとなったのか?
この大河ではあんまり解らないんですが・・・
ざっくり言うと、尊王攘夷に傾倒していた公家たちや活動家たちと関係があったということ。
ここでは出てきませんが、幕末のいろんな人と人との仲を取り持っていたのです。
そんな、清水寺成就院の住職であったのに、その座を弟に譲って、勤王の僧となることを望んだ人です。
だからこそ、安政の大獄で目をつけられ、薩摩に逃げることとなります。
ってことがないと、緊張感のない↓のような話になってしまうんでしょうか??

人相書きも出回って、関を越えられないのでは??ということで、月照様がお坊さんだということを利用するんですが・・・

「御坊様のくせに悪かお人じゃあ・・・」という有村俊斎が下品でなりません。
月照様なんか、あんたなんか声もかけられない尊いお人なんだよ!!と言ってしまいたい!!

ということで、西郷家にやってきました。
どうも・・・西郷家で匿うらしい・・・。
目立っていかんやろ・・・
でもって・・・西郷家のホームドラマ要らない・・・。

don















唯一つ、言っておきたいのは、おばあが父の名前と間違えて、「吉兵衛~~!!」と言っていて、まるで痴ほうかのように家族がいいますが、西郷吉之助は10回も名前を変えていて、この当時吉兵衛だったようです。
なので、おばあはボケてもいませんよ!!

don2















でもって、この二人も薩摩に帰ってきたようです。
「お久しぶりね~~!!」歌ってください、ルミ子さん

篤姫は天璋院となっていました。
「母上・・・ひとつお聞きしてもようございますか?
 母上は、私のことがお嫌いではないのですか??

 私は母上を信じることができません。」by家茂

??なんでそんな話を突然突っ込んでくるんだ・・・
井伊直弼がそう言わせているって持っていきたいのかしら・・・??
母上に気に入られるように頑張れよ・・・!!

一橋慶喜を公方にできなかった責任を取って・・・
努めは十分に為したと言って薩摩に変えるべきだと言い出す幾島・・・
何のことやら・・・何を言っているのか??ではないな・・・言わんとしているのか?さっぱりわかりません。
理解できん・・・。

「やはり私はお暇を頂戴したしとう存じます。
 京へ帰らせてください・・・」by幾島

「そなた・・・私のために汚名をかぶるつもりか・・・??」by天璋院

そんなこんななこと、必要か??
第一、まず、篤姫がそんなにお暇を頂戴できるのか??
14代将軍が子供な今、大奥を取り仕切るのは篤姫じゃないの??
ってことは、幾島も必要だろ・・・??

「古来、戦に敗れたものが咎を受けるのは当たり前のこと・・・
 これで少しは示しがつきましょう。」by幾島

何をやっているんだ・・・このドラマは・・・。
篤姫と幾島にこんなに時間を割いていいんかい??
もっとやるべき事あるやろ・・・??って思っているうちに、幾島が去ってしまいました。
なんだかなあ・・・幾島が何で去るのかもようわからんわ・・・このドラマ。
ちなみに、和宮が降嫁してきたときも、幾島はいます!!

??正助は、嫁さん・満寿のつてを頼るのか??
もっとギラギラ政治に突っ込んで行けよ~~~!!
満寿のおかげで、山田さまと対面!!
吉之助と月照様を助けてくれるようにお願いします。
「断~~~る!!」by山田為久
って・・・徳井さんまんまの声です。
他になかったのか・・・ギャグにしかならんわ・・・
で・・・なんだかんだと山田さまが久光の子・茂久へのお手紙を預かってくれたのでした。

それにしても・・・久光さまが愚鈍にしかみえないわ・・・と思っていたら、なんと、実権を握り返したのは元殿の斉興でした。
ますます久光さま・・・愚鈍だわ・・・。
なんだか滅茶苦茶・・・。
「お前に斉彬の代わりがつとまると思うか??」みたいなことを言われて斉興に怒られる久光ですが・・・斉興さま・・・斉彬のことが嫌いで、久光が好きだったんじゃないの??
このままでは権力にすがる爺にしか見えないわよ・・・
どうして斉興が実権を握りたいのか??その構図を見せてもらわないと・・・。
きっと、斉興は、斉彬のように湯水のようにお金を使う・・・そこまで対策をしなければいけないと思っていなかったと思われます。
ただ・・・アヘン戦争、琉球、外圧・・・それは斉興もわかっていて・・・でも、そこまでお金は出せないよね~~出し過ぎ・・・。って思っていたのは事実です。
だって、斉彬のおかげででまたもや重税にあえぐんですから・・・農民は。

で・・・斉興の言いなりだから・・・西郷&月照は日向送りに・・・。
って・・・やりたいなら西郷どんは切腹させればいいだけなのになあ・・・。

don3
















久光に直談判して西郷を助けてくれと願う正助ですが・・・
こんなに自分で会えるなら、前出の山田さまのくだりは必要だったのか??と思ってしまうのだ。
思いのままにならずにふてくされて碁を打っている久光。。。

どんな力を使ったのか??
最高権力者島津斉興にまで話に行く正助・・・。
う~ん・・・全く理解できん・・・。
話がブツブツ切れていて、何が何だかもう・・・。
と思っていたら、西郷家はウナギを食べていました。
あ~、緊張感ないわ・・・。やめてくれよ・・・。
また、ウナギを焼いてくれ・・・なんて・・・アハハ・・・!!なホームドラマなところにやってきた正助。

力が及ばなかったことを誤った正助・・・
なので、最後の手段・・・正助案では、吉之助に月照を始末させようとします。
そう・・・薩摩にとっては必要な男!!みたいなことを並べ立てるんですが・・・西郷さん、何かしましたか??
なんでも、西郷さんが死んだら、薩摩も日本国も死んでしまうんですって!!
もう、大変!!

しまいには・・・「おいのために、死なんでくりやい・・・」by正助
??こっちもボーイズラブですか??
それもいきなり??

don5















でもって・・・月照&西郷さん・・・こちらもボーイズラブだそうです。
で・・・入水・・・。

う~ん・・・西郷さんと月照さんがお互いに想い合っていたいたかどうかはともかく、お互いに命をかける存在であったかどうか・・・この薄っぺらいドラマでは全くわかりませんでした。
ボーイズラブに対しても失礼でしょ??
これならマンガやアニメの腐女子のパロディの方がましです。

私がBLと出会ったのは中学生の頃、JUNEという雑誌を友達が持っていたところから始まります。
そのJUNEを持つようなのは特別だったんですが・・・
当時、オタクたちの間で流行っていた801・・・ヤオイ・・・つまり、「やまなし、おちなし、いみなし」の、男の子たちのパロディでした。

オタク女子・・・なかでも腐女子の間では、原作をパロる際に、801・・・今はBLか?するかギャグにするか?普通にシリアスに妄想するか?なんですが・・・私が一番最初に知った801パロなキャラは・・・

sya-kin

ああ・・・カッコいいですね。
勇者ライディーンのひびき洸&プリンス・シャーキンです。
ああ・・・安彦良和さんの絵、とってもいいです。
ちなみに・・・このシャーキンは後にシャア・アズナブルのモデルになったとか??

でもって・・・この後続く長浜ロマンロボシリーズ(コン・バトラーV、ボルテスV、闘将ダイモス)も、主人公と宿敵という形なのに、敵役が美形のせいで腐女子の毒牙にかかってしまいます。

でも今のような感じになったのは・・・私が知っているのは”シャアガル”・・・つまり、機動戦士ガンダムのシャア&ガルマです。

syaagaru














こちらは、機動戦士ガンダム・ジ・オリジンの若き士官学校時代のシャア&ガルマです。

まあ、この二人に限っては、ガルマはシャアの復讐対象のザビ家だったわけですから・・・でも、そこに萌えが発生するんでしょうね。

”シャアガル”みたいに・・・
例えばキャプテン翼なら”小次健”は日向小次郎&若島津健、スラムダンクなら”流花”は流川&花道、ワンピースなら”ルゾロ”はルフィ&ゾロ・・・みたいに縮めて呼ぶんですが・・・
ここら辺は、友情や信頼を腐った目で見るとBL化してしまうってところでしょうか?

幕末なら・・・筆頭は近藤勇&土方歳三でしょう。
BLではないにせよ、男が男に惚れて信頼し合っている二人だからこそ、ドラマが生まれるんだと思うんです。
西郷&月照に、何があったのか?
ボーイズラブはNHKでは描けないでしょう??
そして、腐女子に萌えてもらうなら、もっと信頼し合っているシーンが必要でしょう。
近藤&土方なら、しびれるような命をかけた信頼し合っているシーンがたくさん書けたことでしょう。
ちなみに私は、司馬遼太郎さんの「燃えよ剣」の土方歳三&お雪が好きです。・・・もちろん、ノーマルですよ??

この西郷&月照、何も始まってないのに手と手をとり合って入水自殺した・・・ように見えるんですが・・・どうでしょう。
萌えることなんて・・・できない!!
???な、一つしかない命・・・勿体ない死に方でした。

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斉彬さまの遺言ですって・・・
「日本一致一体」「挙国一致」じゃないの?
そうだよね・・・でも、そんな話出てこなかったから、この大河では違うに違いない・・・

みんなで祝杯を挙げている西郷・・・って、これも何の前祝なんだか全くわからず・・・なんか成し遂げてから祝えよな~~と思っていたら、こんなところに月照登場!!

薩摩から来た書状で・・・斉彬が突然亡くなったことを教えてくれたのでした。
ショックのあまり、雨に打たれながら斉彬を思い出し、泣く西郷・・・。

どうも、炎天下の中軍の指揮をしていたので亡くなったという有村俊斎。
「毒やな・・・」と言い出す近衛忠煕。。。
毒に賛成の橋本左内。って、毒、毒って、もうええねん!!そんなん!!全部毒のせいにせんといて!!

薩摩の他にも同志はいるとか言い出して、水戸に兵を出してもらうと言い出す西郷。。。
って、それ駄目でしょう??
どうして外様の薩摩ごときが水戸を動かせるのか・・・??
と、ブラック西郷登場!!いきなりこんなんでええんかい?
この大河はほんと、唐突で困ります。

この水戸に動いてもらおう案は、本当にあったとか・・・
それならそれで、西郷をすでにblackに、そして賢く書いておかないとダメですよね??
だから、嘘っぽくなるのです。
視聴者、全くついていけません。

近衛と月照の働きかけに・・・天子様が近々水戸に詔を出すという話・・・。
って・・・戊午の密勅ってこと??
この戊午の密勅によって、水戸は二つに分かれてしまいます。
戊午の密勅は、幕府ではなく水戸に密勅を送ったということで、幕府の信頼が失墜し・・・=安政の大獄→幕府崩壊へとなっていくわけです。
今まで好青年だった西郷どんに、いきなりblackなお仕事です。
今まで暗躍してくれていたならなるほど・・・とも思えますが、全く持って好青年でした。
好青年西郷どんを好きだった視聴者、戦うことの嫌いな視聴者はもう、見るのは無理でしょう。
こんな大きな引き金を、いきなり西郷にひかせて良かったんですかね・・・??

江戸では・・・一橋慶喜が江戸城へと赴いて井伊直弼に啖呵を切りました。
なんのこと・・・??

天子様の詔について、斉昭に伝えるために江戸に急いでいた西郷どん・・・
この回も、雨の中歩いて頑張ってくれています。
急ぐなら、飛脚を使うか早馬だろう・・・なぜに自らの足で山の中を歩く・・・??
一生懸命頑張っています。
斉彬にもらった懐刀を見て斉彬を思い出し頑張る西郷どんです。

ところが・・・斉昭は松平春嶽とすでにお城に乗り込んでいました。
待たされ、じらされ怒る斉昭・・・
怒髪天!!かと思えば、腹の虫が鳴きました。なんてキンチョー感のない・・・。
多忙を極めているとやっとやってきた井伊直弼。
朝早くからやってきたのは解ってるだろうに・・・と怒り出す春嶽!!
その怒りの原因は、待たせるだけ待たして食事の用意もない!!ということでした

「お二方であれば、抜かりなくお弁当はご用意なさるであろうと・・・」と言い出す井伊直弼。

なんじゃこりゃ・・・弁当の話に来たんかい・・・??
この頃の武士は・・・「武士は食わねど高楊枝」だったわよ・・・きっと。
っていうか、第二次世界大戦の庶民でも「欲しがりません勝つまでわ!!」だったわ!!
でもって、条約で怒っているとか言うも、内容全くなし!!

江戸にやってきた西郷・・・斉昭に門前払いされてしまいました。
そして、もちろんやってきたのは磯田屋・・・。
天下の一大事というのに慶喜はまたもや遊女の絵を描いています。
謹慎は・・・??蟄居は・・・??せんのかい??

そこで憂さ晴らしのヒー様・・・。

「いっしょに逃げてくれって言ったらどうする??」なんてお芳に言い出しました。

そこへやってきた西郷・・・。

don















思いつめてるなら遊郭でやるなよなあ・・・
もっとふさわしい場所があるだろ・・・??

みんな蟄居になるから諦めがついた・・・みたいなことを言い出す慶喜・・・。
そうそう、このドラマで見たら、慶喜も何をしたのよ??
一生懸命お願いする西郷ですが・・・何をお願いしているのか、全くわかりません。

「さいごう・・・お前とも二度と会うことはないだろう・・・!!」by慶喜

落ち込む西郷・・・。

ヒー様を追いかけるお芳。



「さあ・・・行きましょ?
 私たち、一緒に逃げるんでしょ?
 前から何か訳のある人だと思ってた。
 とうとう逃げ出さなきゃならないことになったのね。
 わっちがついていってあげる。さっ行きましょ?」byお芳

「おいおい、ちょっと待ってくれ・・・
 俺は地獄行きだぜ・・・」by慶喜

「地獄だってどこだって、道連れにして。
 どうせヒー様も一人ぼっちなんでしょ??」byお芳

「お芳・・・俺がまだ生きていたら、迎えに来る・・・
 それまで待っててくれるか・・・」

「まってる・・・ここでヒー様を待ってる・・・」byお芳

don2















何がやりたいんだ・・・
どうでもいいんだよ~~そんなこと!!
それに、お芳、遊郭の方が地獄だろ??それを解っているだろ??
言うなら、「ヒー様、私も一緒に連れ出して!!」だろ??
逃げたって、借金まみれの遊女には、追手が出されるんだよ・・・??
ほんと、この大河、遊郭をサロンかキャバクラ程度にしかみてないんじゃないの??
遊女の殆どは、10代、20歳前半で亡くなりました。
それはもちろん不衛生と過酷な労働条件からです。
弔ってくれる人もなく、近所の寺で、合同で祀られるのが普通だったんです。
死んでも墓すらない・・・そんな過酷な悲劇を背負っている遊女にどんな力があるっていうねん。
彼女が目指したのは、いい旦那と巡り会って、身請けしてもらって地獄から脱出させてくれることでした。
自分から逃げるなんて・・・出来るわけないだろ~~~!!
短命なのに、待っててくれって、待ってるうちに死んじゃうわ!!

やっと、ヒー様、井伊によって隠居・・・蟄居です。
ああ・・・やっとヒー様退出です。

戊午の密勅を知った井伊直弼は、安政の大獄発動!!

京へと引き返した西郷・・・

「すべて、大老さんに先手を打たれてたということですか・・・」by月照

というものの・・・どんなふうに先手を打たれたのか全く理解不能でわかりません。
幕末の理解できないごちゃごゃしたややこしい成り行きが、全くわかりません。
そんなんじゃ、命かけられんだろ??

夜遅くに西郷の元へやってきた月照・・・
どうしても話をしたかったらしい・・・。

斉彬が亡くなってから、一つも涙を流さなくなったとか言い出す月照。
だから何・・・??

「あんたさん・・・薩摩へ帰って死ぬおつもりでっしゃろ?
 やっぱり・・・」by月照

??なんで??いつ以心伝心になる仲になったん??
そんな緊張感のあるかもしれない中で、西郷どんが太っているから血もいっぱい出て立派なものが出てくるだろうとか言い出します。
「それだけのことです。」とか言って、切腹を辞めさせたいのか知れないけれど、なんで血が出るとか、臓物が出るとか、当たり前の事しか言わんのやろ??
切腹するのは武士としての意味、覚悟があるやろ・・・??

natui















「切腹したら出るのは当たり前だから、そんな表現は不要です!!」と、夏井いつき先生なら言うでしょう。

「生きて・・・あんたさんが薩摩守様になりなされ・・・!!」と、言われるのでした。
なんのこっちゃ・・・。

そして、井伊直弼による安政の大獄発動!!
幕府の追放の手は、月照にも・・・!!
月照は、西郷どんと共に薩摩に行くことに・・・!!

逃げるためにいきなり山伏のコスプレ・・・
あんなこんなも緊張感ゼロですよ・・・
やめるならするなよ・・・コスプレ・・・。

薩摩行に当たって、左内の調合した薬を持って行く西郷どん
それって毒??とか思っちゃったよ・・・
二人が何を成したのか?それもわからないままの旅立ちでした。

そして・・・いきなりつかまる橋本左内!!
安政の大獄だからな・・・
これで、左内も見納めか・・・と思いつつ、あの橋本左内が何もしなかったなあ・・・この大河。と冷静に思ったのでした。

追われる西郷どんと月照・・・。

don3
















手配書が回り、取り方でいっぱい・・・薩摩はまだまだ遠いというのに・・・どうする??
といういきなりの緊張感ですが・・・緊張感でてるか??いきなりでっ!!

西郷どんが寝ていると・・・枕元に立ったのは・・・

don4
















織田信長ではなく・・・亡くなった島津斉彬でした。

「お前は一体何を学んできた・・・
 答えよ・・・西郷。。。 西郷!!」by斉彬

と、消えるのでした。。。
斉彬にはなんて教えてもらっていないよね??西郷どん!!

って・・・終わっちゃったよ・・・

ということで、月照との関係も全くわからないまま・・・って、この脚本の先生の言うボーイズラブ・BLってことじゃないわよ??
いや・・・BLでさえも、もっと信頼や愛情が見えているわ・・・感じられるわ・・・。
今も昔も、男同士の友情をBL化する”やおい”な腐女子はいますが、これは腐女子も萌えることのない、全く信頼関係も、友情も、愛情も感じられない西郷と月照です

登場人物に魅力が全くないという・・・致命的だ・・・。

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1868年4月4日、江戸城無血開城・・・
およそ260年続いた江戸幕府が終わりをつげ、江戸城が新政府軍に明け渡されました。
この時、江戸城の金蔵を開けた新政府軍は驚愕!!
金蔵にあるはずの幕府の御用金360万両が無くなっていたのです。
その金を盗み埋めたのでは?と疑われたのが、小栗上野介忠順でした。
本当に隠したのでしょうか?そして、その目的とは・・・??

東京神田駿河台・・・小栗上野介は、1827年に生まれます。
小栗家は、代々徳川家に仕える旗本で、譜代の中でも高い2500石。
小栗は生まれたときから出世の道が約束されたエリートでした。
9歳で、名門と言われた私塾「見山楼」に入門します。
TOPの成績を修めるなど、才覚を発揮!!
武術にも長けて、将軍のまえで弓を披露したときにはすべて大的に的中させ、褒美を賜わったといいます。
文武両道で勤勉だった小栗は、17歳で江戸城に初登城。
21歳で御書院番、27歳で進物番出役、13代将軍徳川家定に仕えます。
スピード出世を遂げていく上野介。。。

ペリー来航によって開国した日本は、
1858年6月日米修好通商条約締結。
その条約批准のために、遣米使節団が結成されます。
小栗は、大老井伊直弼からこの使節団の目付け役を任されました。
そして、1560年、小栗はアメリカ軍官ポーハタン号で出航。
この時、護衛艦として随行したのが咸臨丸です。
その館長を務めていたのは、勝海舟でした。
出航からおよそ2か月後、アメリカに到着!!
この時小栗は、条約の批准の他に、金と銀の交換比率の見直しという重責を担っていました。
小栗はその手腕を発揮!!
日米修好通商条約で定められた交換比率は、アメリカに有利なものでした。
当時はアメリカ国内では金1枚に対し銀15枚!!
日本に銀15枚を持って行くと金3枚と交換できるようになっていたのです。
少ない銀で金が手に入ると、海外に日本の金が流出し、経済の混乱が生じていました。
その状況を打開する為に・・・
小栗はアメリカに日米の銀貨などの分析を要求します。
が・・・時間を要するので、と拒否されます。
それでも説得する小栗!!
小栗の粘りの結果、分析することを約束してくれました。
そんな小栗は、明らかにシャープな男として、アメリカの新聞で取り上げられました。
さらに小栗は、アメリカで様々な場所を視察し、見識を深めていきます。
ワシントンで海軍の造船所、そして鉄製の螺子を持ち帰りました。

日本近代化実現のために奔走することとなります。
帰国後、小栗は200石加増され、2700石となり、外国奉行に就任します。
幕府の軍事力強化のために、小栗はフランスから銀600万ドルと軍艦の借り受けを検討!!
そして、同士と信じていた男・・・勝海舟に相談します。
しかし、その話を聞いた勝は・・・
「小栗は、日本の国土を担保にフランスから借金をしようとしている。
 国を売るようなこの計画、許し難し。」
と、幕閣たちに報告し、小栗を批判します。

小栗が国を担保にしようとしたというのは事実無根。
反対する為の勝のハッタリでした。
アメリカに渡航以来、勝は小栗に強いライバル心を燃やしていました。
というのも、小栗が任務を終えた後、4か月かけて日本人初の世界一周をして、見聞をひろめていたのに対し、勝はアメリカ西海岸までの護衛を果たすとその周辺を視察しただけで帰国を命じられていたのです。
小栗との待遇の差に憤っていました。

家柄のせい??

二人の間では、日本の近代化に対する考え方も違っていました。
小栗は幕府を評価して近代化を進める。
勝は諸藩にも近代化の強力を要請したい。
ことごとく対立する二人・・・。
後に小栗について勝は、
「勢力がひとに優れて計略に冨み、世界の大勢にもほぼ通じて、しかも誠忠無二の徳川武士」と言っています。
内心、高く評価していたのです。
小栗は、幕府の要職を歴任・・・中でも勘定奉行は4回も・・・!!
そして1863年、37歳になった小栗は、アメリカで抱いた夢の実現に向かいます。
それは日本の近代化でした。

①造船所建設
当時幕府は軍事力強化のために、大金を出して諸外国から軍艦を購入していました。
しかし、その軍艦が故障すれば・・・外国まで持って行って修理しなければなりません。
そこで、勘定奉行だった小栗は、横須賀に造船所を作りたいと幕府に提案!!
しかし、幕閣から猛反対にあいます。

「今のままでは時間も経費も掛かります。
 どうしても、国内に製造修理の場所が必要です。
 資金は勘定奉行の私の責任で何とか工面します。」

その甲斐あって、翌年造船所建設が幕府に承認されます。
敷地面積・・・24万6000㎡、建設費総額・・・240万ドル(120億円)
世界を見てきた小栗は、これまでの慣例にとらわれることなく近代化を推し進めていきます。

②日本初の「株式会社」設立
1867年日本初の株式会社「兵庫商社」を設立。
資本の少ない日本の商人たちが、海外貿易で非利益を被っている解決策として作った商社でした。
他にも日本初のホテル「築地ホテル館」・・・郵便、電信、ガス、鉄道・・・の設立を、提唱していきました。

小栗は、幕府の近代化の最先端を走る人でした。
小栗は、幕府を中心とした日本の近代化を邁進していました。
しかし、その矢先、大政奉還・・・幕府の終焉と共に、小栗の運命も大きく変わっていきます。

1968年4月・・・新政府軍と旧幕府軍との間で合意されていた江戸城引き渡しがあり、新政府軍が江戸城に入りました。
江戸城無血開城です。
この時、新政府軍には、江戸城引き渡し以外にもう一つ目的がありました。
それは、江戸幕府の御用金でした。
まだ新しい政府ができたばかりで資金不足・・・そこで、江戸幕府の莫大な御用金を軍資金に・・・と考えていたのです。
ところが・・・向かった金蔵の中は・・・もぬけの殻でした。

「おそらく、旧幕府軍の何者かが、白を出る時密かに運び出したのだろう。」

この時、幕府が全国に保有していた御用金は総額360万両・・・。
今の3600億円と言われていました。
その大金を盗み、隠したと思われたのが小栗上野介だったのです。
小栗は何度も勘定奉行となっていたので、御用金に一番近い存在で、その状況を把握していたのでうたぐぁれたのです。

しかし、この時、小栗はもう、幕府の役人ではありませんでした。
江戸城無血開城が決まる前に、江戸を離れていたのです。
どうして・・・??
1968年1月・・・鳥羽・伏見の戦いで・・・。
新政府軍に敗れた徳川慶喜は、多くの家臣を残して江戸に逃げ帰ってしまいました。
朝敵となってしまった旧幕府側は、新政府軍と戦いを続けるのか、恭順するのか?江戸城で話し合います。
恭順するという慶喜に対し、小栗は徹底抗戦を主張・・・
奥へ下ろうとする慶喜に取りすがってしまいました。
「無礼者!!」
それから二日後の事・・・小栗は慶喜に勘定奉行などを罷免されてしまいました。

幕府要職を歴任してきた小栗・・・将軍から絶大な信頼を寄せられていたであろうに・・・罷免??
徹底抗戦を主張するのは、幕臣として当然だったでしょう。
あくまで意見を言っただけなのに・・・??
慶喜は、そもそも朝敵になりたくはありませんでした。
徹底抗戦を主張している小栗をそばに置いておくのは危険だ・・・と考えたのでしょう。

罷免されて2か月ほどたった3月・・・小栗は、江戸を引き払い、家族と数人の家臣たちと共に領地である上州権田村に移ります。
この時、大量の荷物を運ぶのを村人たちに見られています。
村にこんなうわさが・・・
「小栗さまが幕府の金を持ち出し隠したそうだ。」
「そういや、権田村にやってくるとき、千両箱や長持ちを山ほど運んで来たって聞いたぞ。」
「そりゃあほんとか?
 そんじゃあ、小栗さまのとこに小判がザックザックってことか?」
こうした噂は、権田村だけではなく近隣の村々に・・・
小栗がもっているという噂の金を狙い、村人たちが襲ってきたのです。

小栗は・・・日記「小栗日記」に記しています。
「暴徒は三方からおよそ二千人も押し寄せ、ついに宿場に放火。
 その上、発砲も始めたので、直ちに歩兵ども進めの号令を発して、暴徒を追討したところ、逃げ始めたので追い討って、ついに三人を討ち、一人は槍で村内の者が突きとめた。
 その他、歩兵たち十人も方々で打ち倒したので、とうとう暴徒は散々に逃げ始めた。」

撃退した小栗ですが、幕府の埋蔵金はあったのか??
いまだに発見されていませんが、お金を埋めたと言われる場所は、全国に数十カ所あると言われています。

徳川埋蔵金の真相とは??

①銚子沖沈没船説

徳川埋蔵金と言われる御用金は360万両・・・千両箱にして3600箱あったことになります。
幕末の混乱期・・・陸路ではなく水路で運んだのでは?というのがこの説です。
そもそも銚子は、江戸幕府ができた頃、徳川家とゆかりのある紀州の漁師が移住して作ったと言われる港でした。
銚子へは、江戸城から隅田川を経て利根川を経由するルートがあったことから、船で運んだのでは?と考えられました。
しかし、波の荒い銚子沖・・・船が沈没してしまったのでは?というものです。
未だ見つかっていません。

②群馬県赤城山説

御用金が埋められたとされる有力な説が、群馬県にある赤城山です。
その山の所有者である水野家が、代々埋蔵金の発掘調査を行ってきました。
初めて赤城山での発掘調査をしたのは明治19年1886年ですが、きっかけは江戸時代にさかのぼります。
小栗が江戸から権田村に移ることとなった小栗・・・

「実はな、公儀在職中、徳川家の再興を図るために、甲府の御用蔵より24万両を運び出し、赤城山の山中に埋めたのだ。
 徳川再興のない今となっては、山中に埋もれたままでは何とも無念。
 埋蔵金の発掘をお前に託したい・・・。」

この話が元となって、水野家はいまも発掘を行っています。

赤城山に御用金を全額隠したのではなく、全国各地に少額ずつ隠したという説もあります。

どうして小栗が・・・??
幕府には、御用金を隠そうという計画があったと言われています。

江戸時代末期・・・幕府は度重なる財政危機に陥り、破たん寸前でした。
おまけに日米修好通商条約締結後、通商が盛んになると、国内の金が安いレートで海外に流出・・・。
日本経済は混乱していました。
これに危機感を覚えたのが、大老・井伊直弼でした。

幕府再興の資金として、また、金が海外に流出するのを防ぐ手立てとして、蓄えていた御用金360万両を隠そうと画策・・・
しかし、1860年桜田門外の変で井伊直弼は暗殺・・・。
これで計画は流れた・・・??
しかし、その前に、信頼を置いている小栗に埋蔵金計画を託していた・・・。
すべて幕府の為だった・・・??

この時、御用金は360万両もなかったのでは??
生麦事件でのイギリスへの賠償金などで、幕府は財政難でした。
どのくらい残っていたのか??は詳しくはわからないのです。
その真相は、藪の中・・・。

当時、大金を持ってきたと思われていた小栗・・・。
暴徒を出した近隣の村から謝罪を受けるとこれを許し、村を良くすることに尽力していきます。

①人材育成
これからは、誰もが教育を受けられるように・・・と、私学校の構想を練ります。
「この村から、太政大臣を出す!!」と言って、自分の元で、新しい時代に対応できる若者を・・・人材育成を考えていました。
小栗についてきた優秀な若者がいたのです。

観音山で屋敷の建設を開始・・・
その家は、襖を外せば60畳の教室となり多くの人を呼べるようになっていました。
小栗は、毎日のように建設現場に・・・私学校を心待ちにしていました。

②用水路建設
観音山付近の村々は、常に水不足に悩んでいました。
雨が降らないと田植えができず、僅かな作物しか作れませんでした。
そこで小栗は、東の稲瀬沢から用水路を作ろうと測量を開始。
その用水路は、今も小高用水として大切に使われています。
しかし、小栗自身は、屋敷も用水路も完成を見ずにこの世を去ることに・・・。

幕府の重臣だった小栗が権田村にやってきて2か月たった頃・・・
小栗は村の改革を行いながら、平穏な日々を送っていました。
しかし・・・突如”小栗上野介追討令”が出されました。

「小栗上野介
 近日その領地権田村に陣屋敷など厳重に総構え しかのみならず砲台を築き
 容易ならざる企てこれあるの趣・・・
 上は天朝に対し奉り 下は主人慶喜教順の意にも相もとり候に付き・・・」

戦を企てている逆賊だと言われたのです。

4月29日、地方の治安を守るために新政府軍が任命した東山道総督府が小栗討伐に向かいます。
その舞台は、軍官の豊永貫一郎や、原保太郎らが率いる高崎藩、安中藩、吉井藩の三藩。。。
使者は小栗の元にやってきて追討令を差し出すと、

「嫌疑を正すことはできるが・・・」

すると小栗は、

「陣屋とありますが、全く尼つゆを凌ぐだけの屋敷を作るつもりです。
 決して要害になるほどの普請工事をしているわけではなく、よくご覧いただければ事情はすぐにお分かりいただけるでしょう。
 砲台を築いているという件も、その大砲皆様にお預けいたしますからそれを根拠として下され。」

そして、小栗は使者たちを建設現場に連れて行って調べさせ、大砲と小銃5丁を引き渡しました。
この時、養子・又一が人質として連れて行かれてしまいました。

この大砲は、駿河台の小栗邸にあった飾り物で・・・
新政府軍は調査の結果、小栗を「お咎めなし」と報告していました。
しかし、この報告に総督府の原らは激怒!!

「天地の間に容るべかららざる罪人でもある 
 早々に捕らえよ」

しかも、刃向かえばそのまま斬首しても良いと言い出しました。
「無実ゆえ・・・」と、小栗の助命を嘆願しますが・・・
逆らえばとり潰すと言われ、言葉を飲みます。
一方、成り行きが思わしくないと情報を得た小栗は、家臣たちの勧めもあって家族と共に村から避難します。
そこへ権田村の名主・佐藤藤七が来て涙ながらに懇願します。

「どうか殿にはお戻りいただきたい。
 もし、殿を逃がしたとなれば、権田の村民が処罰されてしまいますゆえ・・・
 お戻りになって、官軍に申し開きなされますようお願い申し上げます。」

「そうか・・・すまなかった。
 村人に迷惑をかけるつもりはない。
 覚悟はできている。」

小栗は村にに引き返しました。

閏4月5日・・・小栗は寺の本堂にいたところを捕らえられ・・・
なんの取り調べもなく刑が確定します。

慶応4年閏4月6日午前11時・・・小栗上野介・・・斬首刑。 
処刑場となった権田村の烏川の河原では、多くの村人がかたずをのんで見守っていました。
そんな中、共に処刑されることとなった家臣がたまらずこう叫びます。

「一言の取り調べもなく、殿がこんなところで最期を遂げるとは残念です。」

「この期に及んで未練がましい事を申すでない。
 おのおの未練なきように・・・。」

そうたしなめると、小栗は一粒の涙を流したといいます。
何か言い残すことはないかと問われると・・・

「何事もない・・・ただすでに母と妻は避難させたので、どうか婦女子は寛大な処分を望む。」by上野介

権田村に移り住んでからわずか2か月・・・この時42歳でした。

小栗はどうして処刑されなければならなかったのでしょうか?
慶喜に一番近い存在であったにもかかわらず、徹底抗戦を主張した後すぐに罷免され、権田村に隠居したので、怪しいと疑われたのです。
当時、関東は治安が悪く、小栗が自分の身の安全や領地を守るために武器を持ってくるのは当然のことでしたが・・・。
新政府軍にとって小栗は、切れ者であり、野放しにしておくのは危険だと思ったのです。  

無実の小栗に続いて、三人の家臣と養子で跡継ぎの又一も、悉く斬首・・・。

小栗上野介を処刑した新政府軍は、家臣たちの家財道具をすべて没収し、高崎から呼び寄せた商人に売却し、その資金を新政府軍の軍資金としました。
そして、小栗上野介は歴史の闇に葬られてしまうのです。
唯一の救いは、面識のあった会津藩士を頼って会津に逃げた母や妻がお咎めを受けなかったことでした。
この時、妻・道子は身重でした。
道子は会津で無事に娘を出産・・・クニ子と名付けました。
その後、クニ子は養子をもらい、小栗家は続いていくこととなります。

優秀過ぎたため、あらぬ噂、あらぬ嫌疑をかけられたまま罪なく処刑され、歴史の闇に葬られた小栗上野介・・・
小栗は一言にして国を亡ぼす言葉あると言っていました。

それは「なんとかなるだろう・・・」
精一杯の努力をしない生き方を嫌った小栗・・・。
日本の近代化に勤め、最後まで幕府のために力を尽くした男でした。

1915年9月・・・
小栗が建設し、海軍の工場となっていた横須賀造船所で創立50周年の祝典が行われました。
そこで総理大臣大隈重信の言葉が伝えられます。

「この造船所は、幕末に小栗上野介の尽力によってフランスが創設の業を援助することに決した」

そして、その7年後・・・1922年、小栗の胸像の除幕式が行われました。

小栗上野介の偉業が再び日の目を見たのです。



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あらまあ・・・今回もダイレクトな副題で・・・。
でもね、それなら「上様の死」はどうなるんだよ・・・。

今回は、全く訳の分からないままドラマが終わってしまいました。
わが家では、文句を言いながら見ている私の横で、「そんなん史実やからなあ~~~!!仕方ないわなア~~!!」というわが家の旦那さんの言葉が茂蔵のごとく1時間聞こえてくるだけでした。

sigezou













「そんなん、怒っても、これが史実やろ~~!!」って!!

では、そんなめちゃくちゃな史実をどうぞ!!

前回、「俺が将軍になろう!!」と、啖呵を切った慶喜。。。
将軍が慶喜となるように、朝廷に口添えを近衛&月照にお願いしに行く左内&吉之助。

帰ったのか??
貴族を前に、飛んで出ていくなんとも作法のなっていない左内&吉之助。
そして、月照の数珠が・・・。なんと不吉な!!
同じく左内&吉之助も鏡のように割れてしまいました。
何のこと??不吉ってことかな??

ということで、OP。始まり始まり~~~!!

江戸城では・・・”次期将軍の事で、思いを一つにした家定と篤姫が・・・”とナレ。
この二人で将軍が決まってしまうのなら世話ないんだよ!!と言いたくなってしまう。。。
仲睦まじく過ごす二人・・・。

don1















上様は、秋でもないのに柿を書いていました。
秋になったら、甘い柿を食べようと約束するのです。
が・・・いきなり倒れる上様。。。

またいきなりかよ・・・。
持病の脚気が悪化して、予断を許さない状況に・・・!!
そこへやってきたのは、悪者丸出しな井伊直弼・・・

don2















井伊が用意したのではなく、自ら「筆と紙を・・・」と、御所望して持ってこさせます。
??ちょっと足りないんじゃなかったの??上様。
と思いつつ・・・。
ああ・・・このシーン、2年前にも見たような気がするけど・・・その時みたいに感情移入できないわ・・・。
そして、次の公方は井伊の陰謀通り、慶福となりました。
「たのむ・・・!!」by家定
こんな都合よく言う訳ないだろ??って感じ。
いや・・・策を弄するにも、演じるも恥ずかしいほどの拙い演出でした

おまけに、突然大老に就任する井伊直弼。
ナレで、突然って言っちゃってるのもおかしいよね?何が突然なんだよ・・・。
なるならなるで、策を講じてくれ!!
手に持つ赤鬼も恥ずかしい・・・。

そして、条約締結に向けて、跡継ぎ問題も一気に解決に動き出す!!
ああ・・・井伊直弼は、もともと14男なので、部屋住みで終わるはずでした。
なので、文化芸術にも明るいし、政治の事もよく勉強していました。
開国する以外に方法はないということで、一生懸命考えた末の開国だったんですが・・・
なんのこっちゃのいきなりな展開です。

跡継ぎが紀州・慶福ということで、知らせるべく薩摩に早馬・・・でなく、吉之助がで走るようです。
江戸で、京都で何かあったらどうすんねん!!

紀州・慶福となったということで、ご満悦の本寿院。。。
納得のいかない篤姫・・・。
この時点で私と旦那さんは・・・
「??こんなに呑気な話し合いで、上様、もう死んじゃったん??」でした。
まだ生きているのになんだか緊張感がまるでありません

そこへ・・・賢く慶福登場!!

慶福のあいさつで、まだ生きていることが分かったわ~~~。

don3















嬉しそうに慶福と話をする本寿院ですが・・・自分の息子が死の淵を彷徨っているのに高笑いです。
自分の子はいいのか・・・??

ドロドロになりながら、道なき道を走る吉之助・・・だから、馬に乗れよっ!!
その格好のまま、斉彬の元へ・・・!!
何が分かったのか??斉彬。。。
う~ん、全くわからん視聴者です。

いきなり馬を走らせる斉彬に斉彬を有難がってひれ伏する農民たち・・・。
あんたたちが重税に苦しんでいるのはこの人のせいだからね・・・??
って・・・この何かあったら壮大な自然でロケをするという展開必要なのかっ??
ということで、西郷が初めて声をかけてもらった場所へきているのでした。

「夢は砕けた・・・」by斉彬。

う~ん・・・そんなこと言わないと思う、斉彬さま。。。
本当の斉彬さまはこちら。
「幕末ヒーロー列伝~これが薩摩藩の底力だ!!~」

ドロドロになって、失意のどん底で家に帰ってきた吉之助。
やっぱり嫁に行った妹は家にいました。

don5















何でか知らないが、殿からお役を解かれてしまったらしい・・・。
??そんなこと言ってたかな??

何もできなかった・・・万策尽きた・・・と、泣きごとを言う吉之助。
「やっせんぼ・・・」と言いつつ、励ます正助・・・。
やっせんぼの意味もあんまり解んないし、女の格好して知ろうとしたとか、御前相撲で殿を投げ飛ばしたとか・・・それをやり抜いてきた吉之助がスゴイと言い出す正助・・・。
「そいが・・・俺の知っちょう西郷吉之助っちゅう男じゃ。」by正助
ふ~ん・・・この大河が始まるまで、きっと誰も知らんかったわ・・・。と思ってしまった

西郷さんは基本、軍人です。
清濁併せ飲める男だと思っています。
なので、もっと策を・・・賢いところを見せてほしいものだと思うんです。
でもって・・・庭先で相撲を取る吉之助・・・もっとやることないんかい!!と、こちらも突っ込みたくなります。

江戸では、将軍継承に勝利した井伊が、幕府を意のままに動かし始めていました。

上様が身罷られました。
家定の死が公表されたのは、亡くなってから1か月後の事で、条約が全て終わるまで伏せておいたという・・・
将軍継承問題は、南紀派の勝利に終わりました。
と、全て井伊が目論んだふうな感じに仕上がっていましたね。

う~ん・・・この将軍継承問題に関しては、斉彬、春嶽、慶喜も謹慎蟄居でした。

みんなが無理ってことを諦めなかった・・・などという正助の言葉が吉之助に頭の中でリフレイン・・・。
突然、殿の元へ押しかけて・・・

「兵を挙げてたもんせ!!
 こんままでは、異国に飲み込まれてしまいもす!!
  そげんなる前に、殿が立ち上がり、こん国を守ってたもんせ!!

 向かうは江戸ではなく京!!」by吉之助

展開速すぎて何を言っているのかわかりません。
天子様に詔を改めてもらって幕府に開国を迫ろうというのです。

斉彬さまはわかったようで・・・

「西郷!よういうた!!
 まさか、あのやっせんぼに言われて腹が決まるとはな!! 
 泣くな!!
 西郷、今すぐ京へ戻れ!!
 道中我等と思いを同じゅうする諸藩に告げよ!!
 京へ着いたら近衛さまを通じてすぐに天子様にも申し上げよ。
 支度が出来次第、わしもすぐに後を追う!!
 京で会おう!!
 西郷、今からお前はわしになれ!!」by斉彬。

??何言ってんねん、突然!!って置いてきぼりの視聴者(私)です。

戦じゃ、戦じゃ、と、喜ぶ幼なじみたち・・・。

京に来た吉之助ですが・・・
お虎という女性が登場!!
「お虎・・・おこしやすは一元さん、西郷はんはお得意はんやからおいでやすでええんや!!」
そんなんどうでもええねん!!
朝ドラでやってくれよっ!!

左内、月照と密談です。

そしてお虎が案内してきたのは・・・俊斎でした。
嘘をついて、江戸を出てきたのだそうだ。
そんなんも、どうでもええねん!!

吉之助お虎もどうでもええねん!!
大体、メロメロになるほどこの西郷どんは魅力的かい??

そして、用意のための教練中・・・いきなり斉彬死亡!!

don4

















「安政5年7月16日。
 島津斉彬さまはこの世を去られました。
 あまりに突然な、そして心を残してのご最期でございました。」

??いきなりナレ死でした。
あんなに吉之助に影響を及ぼした人なのに・・・こんな死に方って・・・どうよ??

「西郷・・・」と、最後まで、西郷な殿でした。

ああ・・・今回は、何につけても残念な回でした。
幕末の志士たちが魅力的なのは、彼らに思想があって、正義を待って、大義名分があるからです。
何を考えているかもわかんない西郷どんにどんな魅力があるのか?ほんと、わかりかねます。

今回で斉彬さまが亡くなったわけですが・・・斉彬さまは「日本一致一体」を唱えていました。
今回は、新政府軍を主人公に置いているわけだから、斉彬さまの考えである「日本一致一体」「挙国一致」を学んでいた薩摩藩士たちがいたからこそ、スムーズに明治維新がなされたとドラマの筋をもって行く方がかっこよかったんじゃないかと思います。
西郷的にも、斉彬的にもね。

そうして、井伊にも井伊の正義があったわけで・・・
井伊がどうして彦根藩にいるのか??
それは、井伊の赤鬼と呼ばれた家康の信頼篤い井伊直政が大坂に目を光らせておくために西に・・・彦根に置いたということです。
それだけの信頼が、井伊にはありました。
そして、お正月の将軍様へのご挨拶は、私の記憶違いでなければ、井伊が最初だったように思います。
つまり、譜代の中でも、井伊は特別で、将軍様のためには、徳川のためには命を捨てる覚悟がいつでもあったということなのです。

つまり・・・
将軍に仇名す者は自分が死のうが引き受ける・・・たとえ殺されようとも・・・!!
それが、譜代大名・井伊家の務めだったのです。

ということで、この大河では全く腹黒いというか、「将軍様を慶福に・・・」以外、何を考えているのかわかんない井伊直弼ですが、将軍様のためを思って信念を持っていました。
桜田門外の変も、暗殺されるのを解っていてお供を増やすことなく登城したともいわれていますし・・・。
とにかく、勝てば官軍ということで、今は明治維新の人々が築いた時代です。
つまり、薩長の人々が作った世というわけです。
なので、安政の大獄で吉田松陰先生を殺してしまったことで、極悪人になってしまった井伊直弼なのです。
彼には彼の正義があったことを解ってほしいのでした。

佐野史郎さんって、すごく歴史に詳しいんだよね・・・ナビゲーターするぐらい。。。
どう思って井伊直弼を演じているんだろう・・・

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